ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

日本ポピュラー音楽史

【新著出します】『幻のレコード 検閲と発禁の昭和』 (講談社)

新著発売のお知らせ このほど11月1日に新著『幻のレコード 検閲と発禁の「昭和」』(講談社) が発売されます。30日以降、全国の書店に並ぶ予定です。定価2,100円 (税別)。 戦前流行歌 (戦後にも最終章で触れていますが)やレコード検閲にご興味がございました…

泣いちゃいけない 丸山和歌子 1931〜1937

12月29日、ぐらもくらぶの新譜『泣いちゃいけない 丸山和歌子の部屋 1931〜1937』がリリースされます。 https://amzn.to/36Uy1sC 丸山和歌子とは 1905年生まれ。ただし1902年説もあり。生家は神田の日本最古の幼稚園を営んでいました。女子学院(千代田区)を…

二村定一のレコード 番外

二村定一の録音をゆっくり吟味している途中だが、ここで二村定一にちなむレコードを取り上げるついでに、民謡のジャズ化についてまとめてみたい。 先ごろ戦前の民謡アレンジを『ダンスリヨウ』と銘打ってCD化した(ぐらもくらぶ G10037)。今回は、そのダンス…

「戦前ジャズ・コレクション〜テイチク・インスト篇」

ご無沙汰しています。さて、いよいよ次なるCDのお目見えです。 来たる11月25日にリリースされるぐらもくらぶ第3弾は、2枚組の特作です。 “The Lost World in Jazz – TEICHIKU SWING COLLECTION” ぐらもくらぶのジャズ関連の復刻は、これからこのThe Lost Wor…

前野港造と高見友祥

最近、ふとしたきっかけで戦前派ジャズメンのサックスプレイヤーの聴き分けに挑戦している。ちなみにトランペットの方は南里文雄、橘川正、小畑光之、小畑益男、森山久をメインにメジャーレーベルのプレイヤーくらいなら判別ができるようになった。お次はサ…

チェリーランド・ダンスオーケストラ

東欧に起源をもつ音楽、クレズマー Klezmer musik は世界中に伝播し、それぞれの国に根付いたり、その地の音楽と融合して新たな発展を遂げたりした、流浪の音楽文化である。日本でクレズマーが認知されるようになったのは1970年代、小泉文夫氏のフィールドワ…

曽我直子の「月の沙漠」

井上起久子の録音に就いて早く述べたいのですが、今月も関西発ラジオ深夜便「SP盤コーナー」で取り上げるレコードを紹介します。10月10日am.02:05〜。 「月の沙漠」(加藤まさを作詩,佐々木すぐる作曲・編曲) 浅香つる江-vocal, 佐々木すぐるcond.ジャズバ…

井上起久子part1

井上起久子(1892-??) 井上起久子は本名、井上増子(ます)。愛媛県新居浜市出身。 東京女子音楽学校を明治44年(1911)に卒業したが、一時期、東京音楽学校でも受講したようである。また、四谷で私塾をしていたアドルフォ・ザルコリにも師事して声楽を学んだ。…

四ホール連盟ダンスオーケストラ

戦前、大阪府と兵庫県をむすぶ国道四号線の兵庫県側、尼崎から西宮にかけて、中規模・大規模なダンスホールが林立していた。尼崎に尼崎ホール(1927年開業)、キング(29年)、パレス(30年)、杭瀬ホール(30年頃。33年に「タイガー」に改装・改称)の四大…

松竹ジャズバンド「ハレルヤ」

1928年9月5日録音, 同12月新譜 今日でもスタンダードナンバーとして演奏される機会の多い名曲、ユーマンス Vincent Youmansの「ハレルヤ」”Hallerujah!”は1927年にミュージカル"Hit the Deck"の中で歌われてたちまちヒットしたナンバーだが、早くも翌1928年…

ベルゲンランド号ジャズバンド

戦前、日本に寄港する太平洋・大西洋航路船の乗り組みバンドは、しばしばダンスホールやラジオ放送に現われて、日本に欧米のサウンドを伝えた。そのころ2万トン〜四万トン級の豪華客船には、長い船旅を退屈させないためのダンスバンドが乗り組んでいるのが常…

レコードコンサート in 大阪歴博

「珠玉の大阪名曲集」〜服部良一生誕100周年記念〜 12月22日(土) 14:00〜15:00 (13:30開場) 於 大阪歴史博物館 4階ホール http://www.mus-his.city.osaka.jp/ 撮影:アートナビ 年の瀬も差し迫った22日、フロア型蓄音機を用いたコンサートを 大阪歴博で行…

新連載&二村定一「百万円」

講談社サイトMouRa内の「正言@アリエス」にて、新たにweb連載が始まりました。 「ニッポン・スウィングタイム」 http://moura.jp/scoop-e/seigen/ 日本のレコード史、ラジオ放送と世相を絡めながら、ジャズの歴史を紐解きます。 折りにふれ、戦前派ジャズの…

学生バンド�T

大正期から昭和初期、井田一郎のバンドが東上するまでの東京のジャズシーンでもっとも勢いがあったのは、学生バンドであった。若いジェネレーションが旺盛にジャズを消化吸収し、アーネスト・カアイのようなすぐれた指導者を得て、学生バンドながらプロはだ…

松竹座ジャズバンド

大阪の松竹座ジャズバンドについて、もうすこし突っ込んで書きたい。 関東大震災後、東京のダンスブームは関西に移動した、と書いた。 震災前、東京にはいくつものダンス倶楽部があったが、震災のためにたった一軒を除いて壊滅してしまった。関西に避難した…

東京のジャズバンド

フィリピン系バンドが来日し、日本人がよちよち歩きながらフォックス・トロットとジャズの演奏に踏み出した大正末期、日本のジャズの中心地は関西であった。 これは前にも記したようにダンスホールとその客とともに、伴奏音楽を演奏する楽士たちも関西に移っ…

初期のフォックス・トロット

ここで、フィリピン系バンドが活躍していた時期の日本人のダンスバンド、ジャズバンドを取り上げてみよう。 アメリカではジャズの発生と発展、新時代のダンスステップであるフォックストロットの発明と流行が重なって、フォックストロット形式のジャズが生ま…

大正昭和の来日バンド�V

「フィリピンバンドが来日したわけ」 当時のアジアにおいてジャズの中心地は一大国際都市、上海だった。その上海のジャズシーンに多くのプレイヤーを送りこんでいたのが、フィリピンであった。 フィリピンはスペイン領時代にキリスト教の布教が行なわれたた…

大正昭和の来日バンド�U

大正末期にはフィリピン人のバンドが何組も来日して、日本のジャズシーンに大きな影響を与えているのだが、いったい何組のバンドが来日したのか、それぞれのバンドがどのような顔ぶれであったのかは、まだ全貌が掴みがたい。 彼らは、震災前から日本に起こっ…

大正昭和の来日バンド�T

本場のジャズのフィーリングを日本に伝えたのは、レコードと、それから大正期にしばしば来日した、海外のジャズバンドであった。 初期の来日ジャズバンドは、日系移民の多かった関係からか、カリフォルニアやハワイから来ている。日本のジャズメンに多大な影…