ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

レコード博物館開館

本日発売

 保利透の初の単発書『SPレコード博物館 明治・大正・昭和のレコードデザイン』(Pヴァイン, 税込5,280円) 本日発売です。

 ぐらもくらぶでおなじみ保利透さんの『SPレコード博物館』(Pヴァイン) は、その名に恥じぬ圧倒的な物量感で見る者に迫ります。

 

 

内容

 内容的には
①主要レーベルの意匠さまざま、
②日本のレコード史をたどる形で種々のテーマでまとめるコーナー
 に大別され、②にはぐらもくらぶでCD化されたテーマも散見されます。

 レコードの分別にはさぞかし手間がかかったろうと苦労が偲ばれます。ぐらもくらぶでCD化したテーマの多くは二村定一やエロ歌謡、戦前ジャズ、レコード供養など筆者(毛利)が選曲や監修に当たっており制作時に目にしていた音盤も多々あるので、個人的に感慨深いです。この一冊に込められたコレクターとしての鑑識眼から、いろんなCDが出来上がっているというわけです。

参考までに

 手前味噌になりますが、①の主要レーベルの意匠や日本レコード史的な部分は、拙著の『SPレコード入門 基礎知識から史料活用まで』(スタイルノート社) と併読すると、より理解と興味を深められるでしょう。本書が特級呪物なら僕の本は悪魔祈祷書といったところです。保利さんと僕は方向性が異なるかもしれませんが、補い合うことによってより大きな何かが出来上がると考えています。ぐらもくらぶの諸CDも補い合いの産物と言ってよいでしょう。
 筆者はマイナーレーベルのスリーブ (レコード袋) をまとめたZINE『森本書店 No.36』(Dec. 2021)を発表して、当時けっこうな好評を得ました。LPレコードに関するビジュアル的なコンテンツは多々ありますが、SPレコードをビジュアルコンテンツとして楽しむ道に手応えを感じていました。満を持して刊行された『SPレコード博物館』は主としてレーベル (レコードの中央に貼付されたラベル) の集大成で、令和の時代のコレクション・アルバムとして望み得る最高の条件で制作されました。

レコードが主役だが

 本書の主役はあくまでレコードであるという姿勢が明確に示されていますが、一個人のコレクションとして書籍という形になったこと自体が物語として成立します。文章は必要最低限で、著者が控えめなのは却って著者のレコードを選ぶ眼を引き立たせています。振り返れば昭和後期には、同種の書籍でも著者(コレクター)の主観と独断が強すぎて資料的価値の乏しい、そのくせ高価なビジュアル本がいくつもありました。令和の現代は、コレクターのあり方もおおきく変貌してきたといえます。本書『レコード博物館』について述べれば、語らぬことによって存在感を示すのには、この多分野と多分量のレコードが絶対的に必要です。

日本のレコードアーカイヴィングに道をひらく

 このような個人コレクションが開陳されることによって、日本のレコード・アーカイブはより充実してゆきます。僕はボン大学・片岡研究会および「レキレコ」(歴史的音源所蔵機関ネットワーク) の活動を通してレコードアーカイヴィングをデータベース整備という面から捉えているので、将来的には個人コレクションの協力を仰いでレコード群のメタデータを書誌化できれば理想的だと考えています。

 しかし保利コレクションの場合は、ぐらもくらぶでのCD化がアーカイブ事業ということになります。これもまたレコード史料活用の実践として良い方法です。

 売れたCD、なかなか真価を認められないCD、ムラはありますが徹底して手を抜かないアルバムは広く評価されていると監修者として感じます。それを可能としているのは諸コレクターの協力もありますが、ベースとしてある保利コレクションです。

 この方法の良いところはさまざまなテーマに沿ってアルバムが組めることで、なんのことはない本書の構成がまことにぐらもくらぶ的なのです。

 本書の刊行によって、さらなるSPレコード界隈の振興と、これに刺激されたコレクターが奮起してレコードコレクション公開に覇を競われることを望みます。

 

愛蔵版として必携

 価格は正直なところ安いとは言いかねますがカラーグラビアがてんこ盛りに詰まっていることを考えればコレクターズアイテムとして必携の書でしょう。ちなみにamazonではなぜか拙著『幻のレコード 検閲と発禁の昭和』(講談社) と抱合せで購入する方が多いようです。

『幻のレコード 検閲と発禁の「レコード昭和」』内容紹介

新著『幻のレコード 検閲と発禁の「昭和」』(講談社) を上梓して一ヶ月が経ちました。

書評もそろそろ出てくることかと思いますが、書籍の内容をつぶさに紹介してくださったメディアもぼつぼつと現れましたのでまとめます。

 

11月24日、TBSラジオ「金曜開店 砂鉄堂書店」にて、フリーライター/ラジオパーソナリティーの武田砂鉄さんが本書を紹介してくださりました。

KODANSHA presents 金曜開店 砂鉄堂書店

KODANSHA presents 金曜開店 砂鉄堂書店: #87 毛利眞人「幻のレコード 検閲と発禁の「昭和」」 on Apple Podcasts

 

11月29日にはエキサイトニュースで本書が取り上げられました。

流行歌の検閲と発禁──「昭和」という時代における音声メディアと権力との関係

www.excite.co.jp

 

「国家による表現の弾圧に憤りたい読者にとっては、少々物足りなく感じるかもしれない。だが、そういう一方的視点では曇ってしまう部分も確実にある。」

というレビュアーさんの言葉は、実は僕がひそかに読者から引き出したいと思っていた感想です。

レコード検閲=強大な国家権力による弾圧、という従来の図式を実証を以てひっくり返したかった。

小川近五郎はその要となる人物でした。

また、「SPレコード」という趣味性の高さゆえに史料として用い難さのあったメディアを、現代史の俎上に上げられたのも本懐です。

前著『SPレコード入門』で唱えた「レコード学」の実践をさしあたって本書で果たすことができました。

 

個人的には人間くさい下級官吏であった検閲係・小川近五郎、テレビドラマになってほしい人です。

本人役は松重豊さんか中井貴一さんあたり?

 

書評は差し当たって3、4件ほど決まっていますが出てからのお楽しみです。

 

↓ご購入は以下のアフィリエイトリンクより応援してくださるとありがたいです。↓

 

【新著出します】『幻のレコード 検閲と発禁の昭和』 (講談社)

新著発売のお知らせ

このほど11月1日に新著『幻のレコード 検閲と発禁の「昭和」』(講談社) が発売されます。30日以降、全国の書店に並ぶ予定です。定価2,100円 (税別)。
戦前流行歌 (戦後にも最終章で触れていますが)やレコード検閲にご興味がございましたら、ぜひ手にとってご覧くださいませ。
 

本書の成り立ちとレコード検閲について

このテーマは前著『日本 エロ・グロ・ナンセンス』 (講談社, 2016)から派生したものです。調べと執筆で正味7年かかったことになります。あまり実感がありませんが。
 大変だったのは禁止レコードのリスト作りでした。底本は内務省が内部向けに発行していた「出版警察報」でこれは復刻されていたりwebでも閲覧できたりで問題はないのですが、検閲による行政処分の区分が複雑で、その説明に苦心しました。また細かいミスもちょこちょこあるのです。
レコード検閲の手順や処分の区分は北支事変以降ぐんと変化した上にレコード取締の記録は昭和12年までで、それ以降の発禁はこの内報には頼れません。
また掲載される内容も行政処分に限られるので内閲によるウラの発禁、つまり発売中止(建前上はレコード会社の都合で発売中止)には触れられていません。それを知るには幾多の報道、レコード会社の社内資料に頼らないといけませんでした。
こうした事情が、従来、発売禁止リストの作られてこなかった理由だろうと思われます。
先行研究でも、研究者によるリスト作りがあるのはあったようですが、レコード検閲の複雑さに阻まれたようで正確な結論を出せておりませんでした。つまり、完成形の禁止リストはこれまで存在しませんでした。
したがって苦心してこしらえた禁止レコードリストを柱にして、レコード検閲のあり方の変化を追うというのが一つの筋書きとなっています。
 

今回の著作は

版元の事情で主要な校正作業がずれ込み、特に後半はかなりバタバタしました。
もともと膨大な原稿を100ページほど削る作業があったのですが、待ち時間ができると調べごとで新たにわかってくることもあります。誤記や直したい表現も出てきます。結局、ページを削ったのが意味ないレベルに原稿が膨らみ、上がってきた再校に無理やり新情報をねじこみました。編集者が「毛利さん粘りますねえ。いや物書きはかくあるべしです」と半ば呆れながら言いました。かなり無理を言ったのでご当人はそれどころではなかっただろうと思います。多謝。
その成果物が本書です。粘りに粘った結果、すべての挿図、索引、参考文献が吹っ飛びました。仕方ありません。追ってwebで公開する形になるでしょう。
 

小川近五郎という人物

レコード検閲をつぶさに追う過程で、レコード検閲をほぼ一手に引き受けていた小川近五郎という人物にいたく興味を惹かれました。
このひとは音楽好きが高じてレコード検閲係に抜擢されたような人なので、その検閲にもクセがあり、また「出版警察報」やマスコミのインタビューでも官僚らしからぬ人間味がふんぷんと表れています。そこで、小川近五郎の行状をまた一つのストーリーとして追いました。
小川はレコード検閲のスポークスマンとして新聞や雑誌のインタビューに頻繁に現われ、レコード検閲当局としての立場を語ったり、ときには自身の出自について語っています。四角四面ではない人間・小川近五郎と最終的に内務省検閲課レコード検閲官兼内閣情報局第四部情報官となった小川近五郎との板挟みになったジレンマが、結局は小川を中央に居られなくなったように筆者は考えます。
小川近五郎がレコードとどのような姿勢で対峙したか、迫りくる全体主義のなかでいかに動いたか、彼のレコード検閲の根底にあったのは何なのか? 一篇の人間ドラマとしてご覧ください。
 
最終章の「むすびに」は全体のバランス上、戦後の検閲のあり方をざっと現代にかけて述べました。筆者的にはその前の第九章がクライマックスです。最後に小川検閲官の知られざる素顔がちょこっと入れられたのが自分としては満足です。
本書によって戦前のレコード検閲の全貌を[ほぼ]描き出したつもりです。おそらくレコード検閲というものへのイメージも変わることでしょう。

『SPレコード入門』一年記念

『SPレコード入門 基礎知識から史料活用まで』(スタイルノート)を上梓して一年が経ちました。

SPレコードを手に取るファンは、アナログブームを支える数多くのLPレコード愛好家に比較すれば、決して多いとはいえないかもしれません。
ただし以前に比べてSPレコードに参入する新規コレクターや公的機関はまちがいなく増加しています。
SPレコードのコレクターなんて全国かき集めても絶対的少数派」というのはもはや過去の話です。
刊行一週間で本書が増刷となったのが、その現れでしょう。二刷となってから現在もなお本書は少しずつではありますが売れ続けています。

『調べる技術』(皓星社)の小林正樹氏がいみじくも ”タイトルに「入門」とありますが、正確には「研究ハンドブック」です。”  (小林正樹が選んだ「調べの本」50選) と述べられたように、本書はSPレコードの初心者向けの扱い方ガイドと、上級者向けのカタログ番号や刻印の読み方、関連文献やベータベース案内という広範な範囲の読者層を想定して作られました。

もともとは、SPレコードを所蔵するもののどう扱ったらよいか、盤面のデータをどのように読んだらよいかを知りたい学芸員・司書のためにまとめることを念頭に置いていました。 そのため、国立国会図書館・音響映像資料室で10年にわたってSPレコード関連の資料整理に携わってこられたSさんの助言協力も得ました。

しかし学芸員や司書でも迷う事柄は、ごく一般的なSPレコード初心者にも当てはまります。そこで、基礎知識(初心者)から史料活用(上級者)まで、というやや万能味のただよう企画にしました。

レコードを集めている人でも、存外ナンバリングや刻印についてはおぼろげにしか知らないことが多いものです。一家言あるコレクターですら、うろ覚えだったり勘違いしていたりすることもしばしばあります。まずは基本的データについて確実な情報を紙媒体で固定することが必要だと感じていました。その第一段階は、本書である程度達することができました(原盤番号リストだけは更なる正確さ細かさを期して今回の本から外しました)。

ただ、万能味のある豊富な目次にしたため、充分に言及できなかったことや、紙幅の関係でばっさりカットした項目もあります。商業本というのは一部のコアな読者よりも、幅広い多数の読者に伝わらねばなりません。そのため構成をわかり易くするのに大変気を使いましたし、泣く泣くオミットした情報も多々あります。
もし許されるならば、今後、ページ数を増やしてより情報量の多いガイドに改訂できれば、と願います。

反響としては圧倒的に好意的な評価が多いのですが、中には「ここを攻めるか」というご意見もあります。
たとえば「ロシアのレコードのナンバー/刻印情報が入ってない」というご意見がありました。
これは、本書をあくまで「日本国内のレコード」を対象として編んだためです。戦前から日本に輸入されたレコードの多くはアメリカ、欧州の製品でした。国内に現存するレコードも同様で、ロシア/ソビエトから入ってきたレコードはあるのはありますが、詳細なデータを附せねばならないほど多くはありません。
したがって海外のレコードについては、国内プレスでも多く見受けられる英HMVや独グラモフォン、コロムビア系のデータに重きを置きました。オデオンなどカール・リンドストレーム系の原盤番号まで収めることができなかったのは心残りのひとつ。

またアジアのレーベルについては、力不足で雑な概要になってしまいました。改訂する機会があるなら、その後の勉強で得た情報で書き直したいパートです。

レコードスリーブもレコードの付属物として看過しがたい史料ですが、このパートを省いてしまったのは後悔しました。スリーブについては別媒体でまとめたので、「今回はまあいいか」と省いてしまったのです。

いまひとつ解せないのが「字が細かくて情報を詰め込んでいるので読めない」というご意見。一般書レベルのポイントを使いましたが……メガネをかけてください。

なにぶんSPレコードに関する雑多で多分野な情報をなるだけ読みやすいように構成したため、力不足な点もちらほらあります。
たとえば音響機器の歴史については決して詳しい方ではありませんし、古い文献に頼ったため現在となっては誤まった情報を記してしまった箇所もあります。完璧な記述というのは実に困難なものです。

それでも、SPレコードを一日から十まで知るための構成は示せたのではないかと考えています。この雛形に新しい情報や正しい情報を加えていけば、自分だけのレコード事典が作れるのです。

私はいま現在、新著の校正の真っ只中です。7月には新しいご報告ができるでしょう。
今度もSPレコードの本です。

 

お伽芝居「狸の地蔵さん」ニットーお伽歌劇團

新種発掘。

 二村定一ディスコグラフィに新たな一枚が加わりました。ニットーお伽歌劇団「狸の地蔵さん」(大村主計=作詞、青山武夫=作曲 / 1934年12月新譜)です。


二村定一の名はレーベルに記載されていませんが、あの声は隠しようがありません。ここでの二村は狸ではなく寺の小僧の珍念役で、いたずらを仕掛けようとする狸を逆にへこます役回りです。お伽歌劇「あめや狸」(ニッポノホン、ビクター)で狸に化かされる二村が意趣返しをする形です。ニットーで二村は大車輪の活躍をみせる「ポン太郎あめ」という大傑作を吹き込んでいますが、この「狸のお地蔵さん」もそれに劣らぬ活躍ぶりです。

 

Nitto 6594-B


 興味深いのは二村の共演者です。ニットーの吹込帳簿には唄川幸子、ハラダコウゾウの名が記されています。唄川幸子は北村季久江(1913- ??)のステージネームです。彼女の父親は明治期から児童の音楽教育に尽力しお伽歌劇「ドンブラコ」などを作った北村季晴(1872-1931)で、北村児童歌劇協会を主宰していました。季久江は家族とともに吹き込んだ「人形病院」(ビクター 51979 / 1931年12月新譜)でレコードデビューしました。1932年、エノケン・二村の二人座長「ピエル・ブリヤント」に入座し、後から入ってきた妹の季佐江と姉妹コンビを組んで人気がありました。歌ってタップのできる姉妹です。北村季久江は本名で日本クリスタルに吹き込んだほか、唄川幸子のネームで「上海リル」などジャズソングを歌いました。
 二村定一に唄川幸子というピエル・ブリヤントの売れっ子揃いならば確実に売れそうなものなのですが、このレコードはなぜかニットーお伽歌劇団という覆面となりました。売れっ子のネームヴァリューが児童向けレコードには却って邪魔だったのでしょうか。

 なおニットーお伽歌劇団名義のレコードには他に「ナンキン豆助」(6629)がありますが、こちらの実体は金ノ鈴コドモ会で、児童向けレコードには他の二村の覆面録音はなさそうです。また、ニットーでの二村のお蔵入り録音は数種ほど記録がありますが、テスト盤で見つかることを祈るばかりです。

 

「狸の地蔵さん」内容紹介

珍念「…可愛い坊やを乗せるものに肩車があり子供をあやすに使いらるる風車がある、車の王は汽車である汽車の中には新聞記者と雑誌記者とがあるいずれも新しい知識と事件の百般を身に絡めつる(鉦)なまんだぶなまんだぶ……困ったときに乗るのを助け舟という白河夜船は夢の国へ行く舟で冬の炬燵でうつらうつらとこの船に乗るのはまことに心地よいものである和尚は特によくこの舟に乗るカチカチ山の狸が乗ったのは土舟で(鉦)……」
のっけから珍念(二村定一)がナンセンス味たっぷりなお経を唱えていると、和尚(ハラダコウゾウ)が団子を買ってこいといいつける。
和尚「なんだか変なお経らしかったぞ。まあいい。ときにお前、ご苦労だが町まで使いにいってきておくれ」
珍念「こんなに遅くなってからですか」
和「でもこんないいお月夜だから、道は昼間のように明るいよ」
珍「和尚さん、お月様は提灯ではございませんよ」
和「また理屈を言う。早く行っといで」
珍念は頭の切れる小僧という役回りらしい。和尚のいいつけで珍念は団子を買いに行く。その道中は二村の独壇場で
〽お寺の和尚さん団子がお好き 朝に9つお昼に7つ夜に5つで夜中に4つ、合間合間に2つか3つ どっこいしょ、どっこいしょ、どっこいしょにコラサ
と小気味よく軽妙に歌う。
伴奏のニットーオーケストラはサックスやバンジョー、ドラムスの入ったジャズバンド仕立てで、子供相手だからと手を抜かずにジャズっているので全てはリズミカルにスピーディーにことが運ばれる。
団子屋での注文も剽軽に
〽甘いあんこのお団子十三七つ からいお団子十三七つ あんこもなんにもつかないお団子やはり揃えて十三七つ
と、和尚さんは団子が大好きなのでリズミカルに都合60個も団子を買った。
帰り際、団子屋は「この辺には狸が出るから化かされないように」と珍念さんに忠告する。ここまでがA面。

B面は上手いサックスの加わったちんどん屋で始まる。その正体は狸(唄川幸子)である。
「オヤちんどん屋が来た。はてな。こんなお月夜に。はてな。あ、成程さては狸め化けて出たな。よろしい。化かされたふりをして歌を歌ってやろう」

〽たんたら狸のちんどん屋 とんがり烏帽子まだら足袋 背中に幟を振り立てて チンカラチンカラちんどん屋

ここで唄川幸子の狸が登場する。唄川はジャズソングを歌うとフラッパーっぽさが強めに感じられる声域の広い歌手だが、ここでは愛嬌のある愛くるしい声が引き立っている。そんな声だから地蔵に化けて神妙にしゃべっているのがなんとなく可笑しい。
狸「オヤ、俺の歌を歌ってくる小僧がいる。こりゃいけない。珍念めに覚られたかな。こいつはいけない。そんなら急いで地蔵さんに化けてやろう」珍「オヤ、こんなところに急に地蔵さんができたぞ。不思議だ不思議だ」
狸「これこれ、そこを通る珍念や。このあらたかなお地蔵さんにたくさんお団子をあげてゆけよ」
珍「はて、これはいよいよ不思議だ。お地蔵さんがものを言ったぞ」
狸「生き地蔵であるぞよ。急いでお団子を上げればよし。さもないと生き地蔵のバチが当たるぞ」
新興宗教のはじまりである。が珍念はだまされない。
珍「はいはい、それなら上げましょう。けれども生き地蔵さんなら歌が歌えましょう。生き地蔵さんの歌はまだ一度も聞いたことがありませんから、ぜひ一度お聞かせください」
狸「よしよし、それなら歌ってやる」
〽竹は竹箒 夜は夜星 つつじ山道月夜道 地蔵さんも疲れりゃ腹が空く 早く供えろお団子を

ジャズソングの歌いまわしが出てきて唄川ファンには嬉しい箇所だが彼女が歌うのはこの一回きり。

「これはこれは素敵な歌地蔵さん、あたしも一つ歌ってみましょう」
なぜか化かし化かされる関係が歌合戦に転化するシュールさはべーちゃんが絡んだお伽歌劇ならではだろう。
〽お団子だまして盗るのはよしな 化けた地蔵さんにゃ尻尾がござる 団子ほしけりゃお月様に化けな よいと よいとさのよいとこらさ
〽お月様に のあたりは都々逸っぽい粋な歌いまわしだ。
歌合戦で狸は「珍念め覚ったな。こいつあいけないぞ」と退散する。珍念が「かえって珍念さんに化かされたろう」と笑っていると、向こうから提灯を提げた和尚さんがやってきた。
和尚「これこれ珍念や、ばかに帰りが遅いではないか。もしや狸にでもだまされてお団子を取られやしなかったかい」
珍念「おや、このいいお月夜に提灯をちけてくるとは、これも変だぞ……ハイ、実は今ついこの先の山道で狐に化かされてみんな取られてしまいました」
和「むっそれは大変だ。どっちの方へその狐は逃げていったな」
珍「は、たしかに峠の向こうへ下っていきました」
和「そうか。わしが探しに行ってくる。お前は急いで先に寺へ帰っておれ」
珍「ワハハハハうまくいったぞ。」
〽お団子だまして盗るのはよしな 化けた和尚さんには尻尾がござる よいと よいとさのよいとこらさ


二村のお伽歌劇ものはたいがい狸に化かされる役回りなのだが、このお伽芝居では珍しく狸を化かしおおせた。挿入歌の多さからもわかるように二村定一がお得意のコミカルなトボケや小唄の歌いまわしを駆使しまくるレコードである。ポンチ絵めいたワールドが展開する「ポン太郎あめ」や「福助 頭売り物」の超ナンセンス独演会にはあと一歩及ばないが、べーちゃんの魅力が盛りだくさんな一枚だ。教訓らしいものが一切ないのも二村らしくてよい。

貴志康一 知られざる作品群

はじめに

2022年10月10日、貴志康一の新しいCDが店頭にならびます。

こちらはタワーレコードのリンクです。

tower.jp

以下、筆者が書いたライナーノートより抜粋。
加えて今回の目玉となる楽曲について紹介します。

貴志康一(1909-1937)は28年の生涯にバレエ音楽オペレッタ交響曲、ヴァイオリン協奏曲に加えて多くのヴァイオリン曲と歌曲を作曲した。彼の生前に出版されたのは6曲のヴァイオリン曲と7つの歌曲であるが、それ以外に大量の楽譜が残された。本アルバムは90年ぶりに演奏される初期作品と、ソナタを含む未発表の作品群を核としている。
(中略)特筆すべきは、これらの作品が、貴志康一が所有していたストラディヴァリ1710年「キング・ジョージ」によって演奏されたことである。ヴァイオリニストとして出発した貴志は1929年、ベルリンのエミール・ヘルマン商会で「キング・ジョージ」と出会い、少なくとも1933年まで手にしていた。現在「キング・ジョージ」を貸与されている石橋幸子さんによって埋もれていた楽譜にふたたび生命が吹き込まれた。貴志の愛器と楽譜が90年ぶりに再会したのである。康一ファンとして、このうえない喜びだ。

知られざる作品群の経緯

筆者は1995年から2000年代にかけて甲南学園(甲南高等学校・中学校)の貴志康一記念室に手弁当で通い詰め、当時未整理だった楽譜、書簡はじめ貴志の遺品を整理整頓した。2000年度には貴志記念室に一年間勤め、資料のマイクロフィルム化に携わった。
その過程で評伝を記すに足る数多くの発見をすることができた。また貴志の作曲家としての足取り、残された作曲作品の詳細と作曲の過程も紐解くことが出来た。2006年に上梓した評伝『貴志康一 永遠の音楽青年』(国書刊行会)に反映しているのはそのごく一部である。

「ヴァイオリン・ソナタ」終楽章に当てた断章

その当時から、貴志の知られざる作品群を世に出すことは筆者の悲願であった。未整理の楽譜の束から掘り出した、それまで全く知られていなかった作品「ヴァイオリン・ソナタ ニ短調」は2003年に初演することが叶った。
それから17年を閲して聴くことが叶ったのが、本CDに収録した曲の数々である。

 

収録楽曲についての補完

ソナタ」「竹取物語」についてはすでに知られているところなので省きたい。

CDのブックレットは英訳とドイツ語訳も併載されるため、ごく簡易な説明となった。そこでブックレットには書ききれなかった楽曲解説をここで行ないたい。

「南蛮寺」「南蛮船」は1931年に帰国した際に作曲された。ともに1931年10月に作曲され、「小さな日本組曲」に組み入れられて同年12月19日に開催された「貴志康一提琴独奏会」(朝日会館)で発表された。
「南蛮寺」はスケッチと浄写譜が、「南蛮船」は自筆浄写譜で残されている。「南蛮寺」は楽譜に記してあった詩
我、あれのに唯一人立てり
夕日の輝きあわく
秋草静に野に眠る
わびしき古への南蛮寺
あとをしのぶも
いとあわれにものさみし
から同作品であることを確定した。
2曲ともすでに貴志康一の感性が強く感じられる。貴志康一の初期作品にようやく陽の光を当てることが出来たことは貴志研究者として大変よろこばしい。

貴志康一は1932年、3度目の渡欧をする。1933年にベルリンで活動を始め、1934年秋にこのベルリン滞在時の成果のひとつである「7つの歌曲」とヴァイオリン曲5曲をビルンバッハ社から出版した。さらに引き続き貴志が出版の意志を持っていたのがヴァイオリン曲「黒船」と「スペイン女」である。いずれも出版を念頭に置いた浄写ピース譜が残されている。今回は「スペイン女」を収録した。高雅で気高い雰囲気を持つこの曲はヴァイオリニストのレパートリーとして存在感を放つことであろう。

収録の無題曲について

貴志の楽譜群のなかにはタイトルが記されておらずいかなる動機で作曲されたか未解明の作品も複数含まれている。
今回、そのなかから選んだのがE-Dur (ホ長調)の無題曲である。この作品はベルリンで用いていた楽譜用紙が用いられているが書式はまだ日本で作曲していた時期の特徴をとどめている。貴志の作曲過程の楽譜がそれなりに作曲家らしくなるのはエドヴァルト・モリッツに師事して以降のことなので、この楽譜は第三ベルリン期初期のものであることが推察できる。


第三渡欧時、パリからベルリンに入った貴志は日本で製作した天然色実験映画「海の詩」と「第四作品」(この名は筆者による仮題)の売り込みを図っていた。パリではベーラ・バラージュから評価されたというが映画業界への売り込みは失敗し、ドイツのウーファで根気強く運動した結果「第四作品」の一部が売れるに留まった。
フランス近代楽のそよ風が感じられる当作品は、パリ〜ベルリンで貴志が尽力していた映画の売り込みと時期を一にすることから、またシネ・ポエム「海の詩」がサイレント作品(日本での上映時は伴奏にレコードを用いた)であったことから、筆者が「海の詩」と名付けた。
調性は異なるが、冒頭の旋律はのちに作曲する「竹取物語」との関連性を感じさせる。

 

貴志康一ピアノ曲

最後に貴志が残したピアノ曲を全て収録した。貴志康一はピアノも堪能で、ジュネーヴ音樂院ではピアノも本格的に学習するよう奨められていた。しかしピアノの道へは本格的には進まず、ヴァイオリニストから作曲、指揮へと興味をつなげていった。
そんな貴志がピアノ曲を5曲残しているのは、おそらくモリッツに師事して伴奏部を作曲する訓練を徹底的に受けた副産物であろう。1933年12月12日、ベルリンの日本人体育協会の主催で「日本人体育協会舞踏会」が開催された。スポーツ関係者のダンス会であるが、このとき貴志康一の演奏と作品発表の場も設けられ、ヴァイオリン「月」「水夫の歌」「竹取物語」が初演された。
さらにモリッツのピアノ独奏で貴志作曲のピアノ曲が数曲演奏されるはずであった。残されたピアノ曲5つはおそらくそのための作品であろう。しかしモリッツがユダヤ人だという理由でその機会は失われてしまった。楽譜だけが残された。

ピアノ曲「タンゴ」

 

本CDでは貴志の持っていたストラディヴァリウス「キング・ジョージⅢ」を貸与されている石橋幸子さん、ピアノの根岸由起さんが、望み得る最高の解釈と演奏を貴志作品に与えてくださいました。
この企画は2020年春にはじまりました。石橋さんが活動の拠点とされているチューリヒで録音され、スイス放送協会(FWI)がスポンサーにつきましたが、コロナの影響で大変だったそうです。製作者のMITTENWALT 稲原和雄氏の尽力の賜物です。

 

SP盤の流儀

読売新聞で7月に連載しました【SP盤の流儀】が読売新聞オンラインで読めますので4回分まとめました。

自己紹介的な連載です、ご覧ください!

 

yomiuri.co.jp/culture/music/

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