ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

ベルゲンランド号ジャズバンド

戦前、日本に寄港する太平洋・大西洋航路船の乗り組みバンドは、しばしばダンスホールやラジオ放送に現われて、日本に欧米のサウンドを伝えた。そのころ2万トン〜四万トン級の豪華客船には、長い船旅を退屈させないためのダンスバンドが乗り組んでいるのが常であった。

ベルギーのレッド・スター・ラインが運行する世界観光客船「ベルゲンランド号」は1930年1月25日、横浜に入港した。同船は年に一度、日本に寄港してはニューヨークに向かっていたのである。船にはワルドロン指揮する「チャールズ・フィッシャーズ・オーケストラ」が乗り組んでいた。同月27日、オーケストラはコロムビアで六面のレコーディングを行ない、おなじ日の午後8時30分より9時にかけてJOAKにラジオ出演して、ジャズを全国放送した。

放送出演料は、当時としては破格の100円だったそうである。ただし、この場合の破格と言うのは破格に高いのではなくて、安いのである。外国から来たアーティストとしては当時の基準に照らし合わせてもひどく安く、頭数ではなくてジャズバンド一組として計算されたのであろう。またバンドのほうも船の専属として乗り組んでいたわけだから、ことさらに高額なギャラを要求する必然性に欠けたのだろう。

彼らは”Tiger Rag”と”Let’s Do it”をインストゥルメンタルで録音したほか、ヴォーカルに浅草オペラ出身のテナー、廣石徹と天野喜久代を起用して、4曲のジャズソングを吹き込んだ。”Let’s Do it”は未発売のお蔵入りとなったが、”Tiger Rag”のほうはニッポノホンレーベルで、アーネスト・カアイのピアノソロとカップリングで発売された。ただし、市販されたレコードでは楽団名が故意に伏せられた。ニッポノホンで発売された”Tiger Rag”は「ニッポノホンジャズバンド」、コロムビアから発売された他のディスクには「リー・グリーン指揮コロムビア・オーケストラ」という名称が記された。

ヴォーカル入りのナンバー4曲は、いずれもコロムビアレーベルで発売された。アーヴィング・バーリンの「昨日のばら」”Roses of Yesterday”、マクヒュー作曲のスタンダードナンバー「恋こそ我が心」”I can’t give you Aything,but Love,Baby”、レイ・ヘンダーソンが書いたミュージカル挿入歌「おゝ和子よ」”Sonny Boy”と、「離れられない大事な方よ」”You’re the Cream in my Coffee”で、いずれも1928年にアメリカで大ヒットした曲目である。いずれも1930年当時の日本で録音されたジャズソングとしては飛び切り尖端的なナンバーで、ポール・ホワイトマン楽団のレコードでヒットしていた「昨日のばら」、エセル・ウォータースなど名唱の多いナンバーの「恋こそ我が心」、ルース・エッティングのレコードで流行った「離れられない大事な方よ」、アル・ジョルスンの持ち歌でのちに中野忠晴などもカバーする「おゝ和子よ」、どれも欧米と日本のモダンが重なってイメージ上、理想的な昭和初期のモダニズムを醸している。日本のジャズバンドでは決して得られない贅沢でメカニカルなサウンドである。

フィッシャーズ・オーケストラは、2サックス、クラリネット、トランペット、ドラムス、ピアノ、ヴァイオリンという編成で、いかにもアメリカのダンスバンドらしい派手で豪奢なサウンドを持っている。この時代の高級車であるクライスラーやパッカードの大型車のようにピカピカ光る演奏だ。その華麗な演奏に包まれて、歌唱はやや消されがちである。

ラベルデザインも興味深い。このレコードはコロムビア邦楽盤としては唯一、英字表記と日本語表記が併記された。これは先行する日本ポリドールの洋楽盤に倣ったデザインで、たぶん外国船のバンドを使ったことをステイタスとして示したかったのであろう。しかしラベルに刷られたバンド名はそれと思わせない「コロムビア・オーケストラ」名義なので、当時のレコードファンは戸惑ったはずである。ジャズソング・ディスクのラベルではもっとも変わったものの一つであろう。