ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

初期のフォックス・トロット

ここで、フィリピン系バンドが活躍していた時期の日本人のダンスバンド、ジャズバンドを取り上げてみよう。

アメリカではジャズの発生と発展、新時代のダンスステップであるフォックストロットの発明と流行が重なって、フォックストロット形式のジャズが生まれたのだが、日本に於いては、まず社交ダンスが入ってきて、ダンスの伴奏音楽であるワルツやワン・ステップ、フォックス・トロットが流入してきた。

したがってジャズのフィーリングは、外国人のホテル専属ジャズバンドやフィリピン系バンド、オリジナル・ディキシーランド・ジャズバンド(ODJB)などのレコード、サンフランシスコと日本を往復する太平洋航路船に乗り込んだ楽士たち「船の楽隊」によって、後から日本に伝えられたのである。

ここで説明しておきたいのが、アメリカに於いても、フォックス・トロットだからといって必ずしもジャズではない、ということである。

ジャズは黒人由来の音楽であって、フォックス・トロットは白人社会の音楽であった。ジャズがアメリカ全土に広がるためには、ジャズという隠語めいた黒人の言葉ではなく、フォックス・トロットという仮面をかぶらねばならなかったのである。のちにスイングミュージックというものも登場するが、これも「ジャズ」という言葉では白人家庭に受け入れられないという理由から生まれた言葉である。

だから1910年代、20年代のフォックス・トロットのダンスレコードにはホットでジャジーな演奏と、大人しい、本当のダンス音楽が混じっている。ジャズかそうでないかの区別は聞き手の主観に委ねられるところもあるし、はなはだ曖昧なのである。この点、特に注意せられたし。

日本で初期にダンス音楽を演奏したのは、軍楽隊、百貨店の少年音楽隊であった。ダンスホールができてダンス音楽の需要が増えてくると、ダンスオーケストラが組織された。このほか、映画館や劇場のオーケストラもダンス音楽を演奏して、映画、劇の幕間にアトラクションとして聞かせた。これらのバンドがジャズを知り、刺激的なリズムに憧れ、演奏したのである。

ローシーが多くの歌手を育て、オペラ上演をした帝劇は、ローシーという指導者自身の問題や上演にかかる資本の問題で、オペラ運動の実を結ぶことなく瓦解した。

歌手たちは浅草に流れて、いわゆる「浅草オペラ」時代が始まるのだが、オペラ去りし後の帝劇ではオーケストラの設立に矛先を変えた。これは演劇の伴奏という必要もあったであろうし、ミッシャ・エルマンをはじめ数々の音楽家を海外から招いた帝劇が示した、洋楽への理解とみなすこともできる。

帝劇は1922年(大正11)、帝劇管弦楽演奏会を行なった。震災をはさんで1924年(大正13)には帝劇管弦団(女子団員から成る)を組織した。

この、前者に由来すると思われるレコードがある。

「蝶々さん」帝劇オーゲストラー団 c.1923(T.12)

プッチーニの有名なオペラ「蝶々夫人」で歌われるアリア「ある晴れた日に」をHugo Freyがアレンジしたこの曲は、ポール・ホワイトマン・オーケストラが1921年に録音したレコードによって、日本でも流行していた。

帝劇オーゲストラー団の演奏はもちろんホワインマン・オーケストラに敵うべくもなく、今日の小学校の吹奏楽サークルでももう少し上手いだろうという程度のアンサンブルである。これは日本に伝わったばかりのフォックストロットが聴けるという点が重要なレコードなのである。

編成も聞き取りにくいほど貧弱な録音だが、リード陣、ブラス陣のかたまりは聞き分けられる。かろうじてフォックス・トロットの体裁を保ってはいるが、ジャズらしさの片鱗もない。

「夜の小船」中川久次郎指揮 三越音楽隊 1926年

東京と大阪の三越少年音楽隊は1909年(明治42)に組織され、管楽器のほかに弦楽器の教育も施されて百貨店の名物となった。教育は、東京では帝国海軍軍楽隊や東京音楽学校の教師が行ない、大阪では第四師団軍楽隊から人が来た。

震災後、東京の音楽隊は大阪組と併合したが、1926年に百貨店の都合で解散した。

解散記念に10枚ばかりニットーに吹き込まれ、それ以前の録音と合わせて20枚ばかりがニットーレコードのカタログにあった。線速度一定法による長時間レコードに1枚含まれているのが珍しい。このほかニッポノホンにも1枚録音しているが、録音の明瞭さや曲目の広範さはニットーに及ばない。

ニットーでは1926年10月新譜にフォックス・トロット「北京」「バラの花束」という一枚があり、それに次ぐフォックス・トロットものが、「夜の小船」である。

こちらもフォックストロットとはいうものの、ブラスバンドなので向こうのダンス曲を帝劇オーゲストラー団よりは達者にこなしているという程度である。

サックス陣がよく揃っていて、訓練のほどを偲ばせる。リード陣はフルートのようだ。リズム陣はトロンボーン、ホルンなどであろう。ドラムスらしい音は聴こえないが、パーカッションがすこし入る。

「あこがれ」松竹座管絃団 1927(S.2)

さて、今回のメインディッシュは、松竹座管弦団による「あこがれ」である。

原曲は二村定一も「白帆の唄」というタイトルで歌っている"Yearning(Just for You)"というナンバーである。Joseph C. Smith Orchestraのレコードが大ヒットして、日本でもよく知られたメロディーであった。

レコードに吹き込まれているのは、トランペット、サックス陣、トロンボーン、ドラムスという編成で、管弦団とはいっても、これはおそらく同時期に松竹座管弦団の中に作られていた松竹座ジャズバンドの編成であろう。同時期には井田一郎のチェリーランド・ダンスオーケストラも活躍していた。大阪のジャズシーンが輝いていた時代である。

松竹座ジャズバンドは1926年には

杉田良造 sop.sax., 西口猛 alto sax., 金澤愛作 ten.sax., 原田録郎 cornet, 山田和一郎 cornet, 岡本晴敏 tromborne, 小川功 banjo, 山口豊三郎 drums, 菊池博 pf.

という編成だった。この録音も、大体こんなメンバーで演奏されているのではないだろうか。

スティックか何かのカウントで曲に入る。

トランペット中心の軽い序奏のあと、2サックスが美しく第一主題のメロディーを拭く。第二主題をトランペットが提示し、アルトサックスがブレイク気味になぞる。サックスのソロで第一主題をひとふし演奏、その後トロンボーンに引き継がれるが、その間、バックでトランペットが絡んでいる。トロンボーンソロになると、ペットにサックスが絡む。貧しい録音のせいでバックでこそこそ鳴っているにとどまり、いまひとつ盛大でないのが惜しい。技量は各楽器ともかなり高度で、松竹座のオーケストラでも間違いなく第一流のプレイヤーたちであることを確信させる。

最後はトランペットがフューチャーされ、アルトサックスが絡み、パーカッションも入ってクライマックスをつくる。録音のせいでしょぼいクライマックスだが、盛り上がっているのには違いない。

おかしいのは、冒頭から最後まで絶え間なくリズムを刻んでいるドラムで、タムタムかなにかだろうと思うのだが、鳴りすぎで演奏を殺している。録音バランスを誤ったか、ことさらにドラムスを強調しようと試みた結果だろう。バンジョーに聞こえなくもないが、残念ながらタムタム風の空気の読めないドラムである。

まだ自在にプレイしているという雰囲気ではないが、ジャズをやってやろうという気迫に満ちた、聴かせる演奏である。