ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

学生バンド�T

大正期から昭和初期、井田一郎のバンドが東上するまでの東京のジャズシーンでもっとも勢いがあったのは、学生バンドであった。若いジェネレーションが旺盛にジャズを消化吸収し、アーネスト・カアイのようなすぐれた指導者を得て、学生バンドながらプロはだしの演奏を繰り広げた。やがてそこからプロのジャズプレイヤーも羽ばたいたのであった。

学生ジャズバンドとしてもっとも古いのは、法政大学のラッカンサン・ジャズバンドであろうと言われている。

もともと法政大学は音楽のサークルに力を入れており、瀬戸口藤吉の指導による法政シンフォニーオーケストラを擁していた。オーケストラの中から、目新しいものをやりたい、とジャズに特化するグループが誕生したのは、たとえば宝塚管絃団や松竹管絃団からジャズバンドが生まれたのと同じ道のりである。

はじめのうち、新しい物好きの同好グループはブラスバンドを組んでいたが、やがてジャズの魅力に嵌って、「サンセット・ランド」というコンボを結成した。その顔ぶれは次のようなものである。

渡辺良 trumpet, 久留島仁(後の津田純) sax., 兵藤良吉 tromborne, 山下一郎 pf., 作間毅 drums,vocal etc.

それから間もなく、ほぼ上記のメンバーでラッカンサン・ジャズバンドが結成された。ただしピアノの山下は間もなく病臥-のち病没-してしまい、慶応大学から菊池滋弥が招かれた。

ラッカンサンはLuck and Sun(幸福と太陽)である。トロンボーンの兵藤が名づけ親であったという。

彼らは1925年(大正14))と26年(大正15)※、三越百貨店で2回のコンサートを行ない、大成功を収めてニューゼネレーションのジャズバンドとして認められた。

学生らしくノリの良いバンドで、「『ラッカンさんがそろったら踊ろう(ジャズろうと読む)じゃないか!』と合唱しながら、舞台を暗くして、楽器に個々に豆電球をつけて舞台に出てくるというような趣向を凝らした」(瀬川昌久「ジャズで踊って」サイマル出版)という。制服にも凝って、揃いの白のモンキー・ジャケットを仕立てた。

ラッカンサンとなってからのメンバーは、三越百貨店でのコンサート、レコード録音のときに応援メンバーを迎えたので、その編成は法政の学生ばかりでなく多彩な顔ぶれとなっている。(三越)となっているのは、2回の三越百貨店のコンサートに関係した応援プレイヤーである。

trumpet=渡辺良, 富永一郎, 小畑光之

saxophone=久留島仁(後の津田純), 橋田胖, 丸山某, 仁木他喜雄(三越), 紙恭輔三越), 古関某(三越

tromborne=兵藤良吉 tromborne

piano=山下一郎, 青山某(菊三の兄。三越),菊池滋弥(三越

banjo=渡辺廉(良の弟), 坂井透(慶応より。三越

guitar=石川虎次

flute=丸山某

basse&tuuba=重信常義, 早稲田某(三越

violin=青山菊三, 水野尚親, 作間清(三越

chorus=赤羽武夫

arr.&drums&vocal=作間毅

以上のうち、仁木と小畑、坂井は当時すでにプロのプレイヤーであった。

バンドを引っ張ったのは法政シンフォニーオーケストラでヴィオラを弾いていた作間毅で、ドラムス兼ヴォーカル兼アレンジャーという活躍ぶりであった。レコードに聴かれるソロプレイも、すべて作間が譜に起こしたものをプレイヤーがなぞっているのだそうである。したがってラッカンサンのサウンドは、作間毅のサウンドといって差し支えない。

「夢の人魚」"A Siren Dream"(1927) ラッカンサンの最初の録音。

ラッカンサン・ジャズバンドが日本ビクターからの依頼でレコード録音を行なったのは1928年(昭和3)9月14日と1929年2月1日、同8日のことであった。全部で9曲が録音された。

バルセローナ/ 夢の人魚 50438

ラモーナ/ お月さんの下で 50465

ドロレス/ 月夜の晩に    50717

フー / ハワイヘ行こうよ   50771

カレジエート(大学生活)  51103a

吹き込みは、

小畑光之・渡辺良 tr, 久留島仁・丸山某 sax, 兵藤良吉 tromborne, 菊池滋弥・青山某 pf, 渡辺廉 banjo, 作間毅 drums&vocal

の主要メンバーに、曲に応じて赤羽武夫のバスコーラス、石川虎次(立教大学)のギターが加えられた。

いずれも学生バンドながらよくまとまっており、個々のソロも、プロ並みとは言わないまでもよくスイングに乗っている。

アレンジは作間がさまざまな楽団のレコードを範にして組み上げたのであろうが、巧みで凝ったアレンジが多い。曲それぞれの講評は、かつてビクターのLPで8曲が復刻された折に瀬川昌久氏の的を得た解説がついていたので、ここでは控えたい。

昭和初期に学生バンドがこれだけスイングしていることに驚かされるが、なによりジャズを楽しんでいる雰囲気が、これらの録音からは目いっぱいに伝わる。

作間のアクの強い歌唱は、人によっては最初聴いたとき抵抗を覚えるかもしれないが、たいへん個性的で耳に残るものである。作間はのちにポリドールへもジャズソングを吹き込んだほか、「鉄仮面」の名でビクター、アサヒに録音している。この特徴的な声では覆面歌手の意味が無いが。

ただ作間と赤羽以外のコーラスは、いかにも学生くさい。

なお、作間毅は、最初のレコードでは佐久間という表記になっているが、すぐに作間に替わった。

変わっているのは「カレジエート」で、作間の英語歌唱が聴かれる。一番を日本語、二番を英語、という両国語歌唱は、日系二世歌手のブームが到来してからはなはだしく流行したが、日本人の英語のみの歌唱がレコードとなったのは、ごく僅かである。