ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

ヨーゼフ・ヴォルフシュタール

私のもっとも好きなヴァイオリニストに、ヨーゼフ・ヴォルフシュタール Josef Wolfsthal (1899-1931)がいる。

大体、ヴァイオリニストの好みはプルジホダ、フーベルマン、キロガ、マルトー、ヴェチェー、ロゼーという個性の勝ったメンバーで固められているのだが、その中でヴォルフシュタールはいかにも地味である。

しかし落ち着いて聴けば、ヴォルフシュタールほどの美音の持ち主はそう滅多にいないのである。それは底光りのする鈍い銀色の渋みであり、彼の門下生である貴志康一の言葉に従えば、、「湖の底に沈んでなお光を放っている、さびの浮いた日本刀の名刀」である。

そのような美音で、ヴィヴラートも控えめに、当時としては比較的スピード感を重視して演奏されたベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」(1929年の電気録音の方)は、現代的といってよいほど先見性に富み、しかも典雅な雰囲気に包まれた魅力的なセットである。私はこのセットをお気に入りのかなり上位に置いている。

モーツァルトの「協奏曲第五番イ長調 トルコ風」もまた鼻につかない優雅さとすっきりしたセンスで心地よく聴かれるセットである。戦前、ヴォルフシュタールに対しては「率直な手固い弾き振りだが、シゲツテイ程熱が無い。その代り、澄明な音質を持ち、気品高き演奏」(野村光一)、「匠気の無い素直な美しさ」「手固いテクニツクと、上品な音質」(あらえびす)という評価が寄せられていた。当時の個性豊かなヴァイオリニストたちの中ではいきおい、その気品で存在を主張することになったが、もし彼が今日の演奏家であったら、おそらくその評価はもっと異なったものになったであろう。ヴォルフシュタールの持っていた蔭の深さ、奥底の深さというのは、1920年代にはあまりにも看過され易い特質であった。

私の架蔵盤では、ベートーヴェンモーツァルトの二つの協奏曲をトップに、ベートーヴェンの「ロマンス ヘ長調」が録音の古さを超えて光る演奏である。

音の美しさでは、アコースティックのホモコードに録音したショパン=ウィルへルミの「ノクターン 変ホ長調」がフーベルマンの弾いた同曲に匹敵する、夢想する美しさである。電気録音初期にドイツのElectrolaに吹き込んだシリーズではブラームスの「ワルツ」「ハンガリー舞曲第二番」、それから画像を掲出したサラサーテの「スペイン舞曲第五番」に、彼のもう一面である激情がよく出ている。そもそも独逸エレクトロラに吹き込んだ曲目も、エレクトロラというレーベルの持っているトーンも、ヴォルフシュタールの昏い情熱によく合っているように思うのである。それは、短かく華やかに燃えたワイマール期を象徴するようなくらさと激しさである。

驚くべき技巧は、エレクトロラよりずっと以前、1925年に独グラモフォンに録音したタルティーニの「悪魔のトリル」で聴かれる。この左手の技巧、トリルの凄さは他に無い。プルジホダよりもハイフェッツよりも迫力とスリルに富んだトリルである。録音の古さを超越して迫る凄さである。

ヴォルフシュタールの日常は、貴志康一の伝えるところによれば非常に明朗でユーモアに富んでおり、明るいネクタイに派手な服、高速で自家用車を飛ばしてドライヴするのが好きだったというから面白い。その日常と演奏の極端なコントラストを、貴志は興味深く研究対象としていた。貴志自身、師に影響されたのか、そんなところが無くもない。

ヴォルフシュタールの私生活は従ってたいへん派手で、指揮者のジョージ・セルの妻と関係を結び、のちには自分の妻にしてしまった。クライスラーもヴォルフシュタールの将来を期待して、自分のグワルネリウスを貸与している。

1928年、オットー・クレンペラーが活躍していたクロール歌劇場管弦楽団コンサートマスターに就任。マックス・ストループと二人コンマスである。クレンペラーはヴォルフシュタールについて非常に好意的な言葉を残している。

1929年10月、カール・フレッシュがベルリン高等音楽学校ヴァイオリン科の主任教授に就任するのと同時に、フレッシュの助手となる。その後、教授となるが、フレッシュとは疎遠になってしまう。もともとヴォルフシュタールはフレッシュに実子同様に可愛がられていたので、何かよほどのことがあったようだがその理由は明瞭ではない。

1930年11月、友人の葬式に参列したヴォルフシュタールはちょっとした風邪をひき、それが元で大病を患った。破滅的な生活をしていたので身体が持たなかったのだろう、翌31年2月、32歳という若さで亡くなった。

晩年はホッホシューレで同じように助手をしていたマックス・ロスタルに門下生を取られ、クライスラーから貸与されていたグワルネリウスも、クライスラー夫人ハリエットの請求で返却させられた。

没後は追い討ちをかけるようにナチス治世となって音楽辞書から名前を抹消され、レコードはもちろん発売できなくなってしまった。ヴォルフシュタールの名はたちまち忘れ去られたのであった。

最晩年の録音はウルトラフォンにあるが、心なしか力が衰えているように感じられる、弛緩した演奏である。

ウクライナレンブルク(現リヴォフ)出身。父親も有名な音楽家だった。同地ではヴォルフシュタールというのは割合にある名前なのか、レンブルクのユダヤ劇場の楽長もヴォルフシュタールという名である。音楽家の一族なのであろう。

レコードは、アコースティック時代のホモコード、ドイツグラモフォン、電気録音のDG、ホモコード、エレクトロラ、ウルトラフォンに残している。辛うじて大曲のあるのがありがたい。先日入手したElectrolaの盤影を呈示する。