ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

貴志康一 知られざる作品群

はじめに

2022年10月10日、貴志康一の新しいCDが店頭にならびます。

こちらはタワーレコードのリンクです。

tower.jp

以下、筆者が書いたライナーノートより抜粋。
加えて今回の目玉となる楽曲について紹介します。

貴志康一(1909-1937)は28年の生涯にバレエ音楽オペレッタ交響曲、ヴァイオリン協奏曲に加えて多くのヴァイオリン曲と歌曲を作曲した。彼の生前に出版されたのは6曲のヴァイオリン曲と7つの歌曲であるが、それ以外に大量の楽譜が残された。本アルバムは90年ぶりに演奏される初期作品と、ソナタを含む未発表の作品群を核としている。
(中略)特筆すべきは、これらの作品が、貴志康一が所有していたストラディヴァリ1710年「キング・ジョージ」によって演奏されたことである。ヴァイオリニストとして出発した貴志は1929年、ベルリンのエミール・ヘルマン商会で「キング・ジョージ」と出会い、少なくとも1933年まで手にしていた。現在「キング・ジョージ」を貸与されている石橋幸子さんによって埋もれていた楽譜にふたたび生命が吹き込まれた。貴志の愛器と楽譜が90年ぶりに再会したのである。康一ファンとして、このうえない喜びだ。

知られざる作品群の経緯

筆者は1995年から2000年代にかけて甲南学園(甲南高等学校・中学校)の貴志康一記念室に手弁当で通い詰め、当時未整理だった楽譜、書簡はじめ貴志の遺品を整理整頓した。2000年度には貴志記念室に一年間勤め、資料のマイクロフィルム化に携わった。
その過程で評伝を記すに足る数多くの発見をすることができた。また貴志の作曲家としての足取り、残された作曲作品の詳細と作曲の過程も紐解くことが出来た。2006年に上梓した評伝『貴志康一 永遠の音楽青年』(国書刊行会)に反映しているのはそのごく一部である。

「ヴァイオリン・ソナタ」終楽章に当てた断章

その当時から、貴志の知られざる作品群を世に出すことは筆者の悲願であった。未整理の楽譜の束から掘り出した、それまで全く知られていなかった作品「ヴァイオリン・ソナタ ニ短調」は2003年に初演することが叶った。
それから17年を閲して聴くことが叶ったのが、本CDに収録した曲の数々である。

 

収録楽曲についての補完

ソナタ」「竹取物語」についてはすでに知られているところなので省きたい。

CDのブックレットは英訳とドイツ語訳も併載されるため、ごく簡易な説明となった。そこでブックレットには書ききれなかった楽曲解説をここで行ないたい。

「南蛮寺」「南蛮船」は1931年に帰国した際に作曲された。ともに1931年10月に作曲され、「小さな日本組曲」に組み入れられて同年12月19日に開催された「貴志康一提琴独奏会」(朝日会館)で発表された。
「南蛮寺」はスケッチと浄写譜が、「南蛮船」は自筆浄写譜で残されている。「南蛮寺」は楽譜に記してあった詩
我、あれのに唯一人立てり
夕日の輝きあわく
秋草静に野に眠る
わびしき古への南蛮寺
あとをしのぶも
いとあわれにものさみし
から同作品であることを確定した。
2曲ともすでに貴志康一の感性が強く感じられる。貴志康一の初期作品にようやく陽の光を当てることが出来たことは貴志研究者として大変よろこばしい。

貴志康一は1932年、3度目の渡欧をする。1933年にベルリンで活動を始め、1934年秋にこのベルリン滞在時の成果のひとつである「7つの歌曲」とヴァイオリン曲5曲をビルンバッハ社から出版した。さらに引き続き貴志が出版の意志を持っていたのがヴァイオリン曲「黒船」と「スペイン女」である。いずれも出版を念頭に置いた浄写ピース譜が残されている。今回は「スペイン女」を収録した。高雅で気高い雰囲気を持つこの曲はヴァイオリニストのレパートリーとして存在感を放つことであろう。

収録の無題曲について

貴志の楽譜群のなかにはタイトルが記されておらずいかなる動機で作曲されたか未解明の作品も複数含まれている。
今回、そのなかから選んだのがE-Dur (ホ長調)の無題曲である。この作品はベルリンで用いていた楽譜用紙が用いられているが書式はまだ日本で作曲していた時期の特徴をとどめている。貴志の作曲過程の楽譜がそれなりに作曲家らしくなるのはエドヴァルト・モリッツに師事して以降のことなので、この楽譜は第三ベルリン期初期のものであることが推察できる。


第三渡欧時、パリからベルリンに入った貴志は日本で製作した天然色実験映画「海の詩」と「第四作品」(この名は筆者による仮題)の売り込みを図っていた。パリではベーラ・バラージュから評価されたというが映画業界への売り込みは失敗し、ドイツのウーファで根気強く運動した結果「第四作品」の一部が売れるに留まった。
フランス近代楽のそよ風が感じられる当作品は、パリ〜ベルリンで貴志が尽力していた映画の売り込みと時期を一にすることから、またシネ・ポエム「海の詩」がサイレント作品(日本での上映時は伴奏にレコードを用いた)であったことから、筆者が「海の詩」と名付けた。
調性は異なるが、冒頭の旋律はのちに作曲する「竹取物語」との関連性を感じさせる。

 

貴志康一ピアノ曲

最後に貴志が残したピアノ曲を全て収録した。貴志康一はピアノも堪能で、ジュネーヴ音樂院ではピアノも本格的に学習するよう奨められていた。しかしピアノの道へは本格的には進まず、ヴァイオリニストから作曲、指揮へと興味をつなげていった。
そんな貴志がピアノ曲を5曲残しているのは、おそらくモリッツに師事して伴奏部を作曲する訓練を徹底的に受けた副産物であろう。1933年12月12日、ベルリンの日本人体育協会の主催で「日本人体育協会舞踏会」が開催された。スポーツ関係者のダンス会であるが、このとき貴志康一の演奏と作品発表の場も設けられ、ヴァイオリン「月」「水夫の歌」「竹取物語」が初演された。
さらにモリッツのピアノ独奏で貴志作曲のピアノ曲が数曲演奏されるはずであった。残されたピアノ曲5つはおそらくそのための作品であろう。しかしモリッツがユダヤ人だという理由でその機会は失われてしまった。楽譜だけが残された。

ピアノ曲「タンゴ」

 

本CDでは貴志の持っていたストラディヴァリウス「キング・ジョージⅢ」を貸与されている石橋幸子さん、ピアノの根岸由起さんが、望み得る最高の解釈と演奏を貴志作品に与えてくださいました。
この企画は2020年春にはじまりました。石橋さんが活動の拠点とされているチューリヒで録音され、スイス放送協会(FWI)がスポンサーにつきましたが、コロナの影響で大変だったそうです。製作者のMITTENWALT 稲原和雄氏の尽力の賜物です。