ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

「蒲田行進曲」の原曲"Song of the Vagabonds"�U

ひとつ重要なレコードを忘却していた。

1925年12月16日、電気録音となってすぐに吹き込まれたナット・シルクレット指揮ビクター・ノヴェルティー・オーケストラのコーラス附きのレコードはメリハリの効いた好演奏で、翌年に発売されると、アメリカ人の好みに投じてヒットセールスを記録した。これは音だけ録って現物を田舎のアーカイヴに置いてきたので画像が出せない。

このレコードは初期はウィングレーベルで発売され、のちにお馴染みのスクロールレーベルとなった。後者の方をよく見受ける。日本ビクターでもプレスされ、これはずいぶん流布しているはずである。

さて、これからが「蒲田行進曲」である。

堀内敬三がある日、自分が嘱託を務めていた松竹蒲田撮影所の音楽部で、一枚のレコードを示されて、これをアレンジしてほしい、と言われて作詞、編曲したのが「蒲田行進曲」の誕生とされている。この歌はいちおう蒲田映画「親父とその子」(五所平之助)の主題歌となったが、もちろん映画の内容にはまったく関係がなく、蒲田撮影所の所歌として定着したということになっている。

堀内敬三は示されたレコードをBrunswickの盤だと記しているのだが、そのへんがどうも怪しい。ブランズウィックのカタログにそれらしいレコードは無かった。該博で知られた堀内だが、けっこうポカも多く、作曲者のフリムルをロンバーグだなどと思い違いしていたため、かなり長い間、その間違いのまま通ってきた。ブランズウィック説はどうも怪しいということだけ、ここでは提示しておく。

川崎豊と曾我直子の歌った「蒲田行進曲」は、1929年当時の流行歌レコードとしてはよく売れた方で、無い無いといわれながら結構出てくる。

松竹ジャズバンドの伴奏で二人が勢いよく歌っているが、この二人、やたたらに声量があるのでマイクロフォンが歌手、バンドからかなり離れており、したがってジャズバンドの演奏はやや隔靴掻痒の感がある。

もっともインテンポで、ソロプレイも絡みもなくやっつけられているので、鮮明に聞こえたところでさして面白い演奏ではない。いつもの松竹ジャズバンドと異なって、弦が強化されているのが耳につき、もっぱら弦とリズムス主導の演奏である。ただしドラムスは立派で、後半、三番歌詞が終わってからのフレーズ演奏で大活躍している箇所は圧巻である。

いかなる理由か、おそらく録音用のロウ盤の一部が温度変化で変質したのであろうが、三番のデュエットは丸々ノイズに埋もれている。

歌唱は二人とも声の勢いこそよいが端正な仕上がりで、充分聞かせる。これが二村定一だったら、こうはいかない。曽我のすっきり通る声、川崎の貫禄で聞かせるのだ。

おなじコロムビアから1934年5月、ダンスレコードの「蒲田行進曲」が発売される。演奏をしているのは現在、赤坂の東芝EMIの建物になっている場所にあった東京フロリダ・ダンスホールに専属で入っていたタンゴバンド、フロリダ・アルゼンチン・タンゴバンドである。

このバンドはもともと、パリからフロリダが招聘した巴里ムーランルージュ楽員の五人編成バンドであったが、特にアルゼンチンタンゴに特化したのがフロリダ・アルゼンチン・タンゴバンド。ただし楽員には移動もあり、このバンドが純粋にアルゼンチンタンゴを奏でたかというとそうでもないので、その辺については稿を改めたい。

アレンジャーのドゥフォールがワンステップに編曲した「蒲田行進曲」は、パリ風に伊達で、ちょっと入るピアノソロのワイルドな崩しようがモダンな感触を与える。観賞用というよりは実用のレコードだが、ムーランルージュ楽員のレコードの中では変化に富んだ、面白い演奏である。

最後にもう一枚。1935年7月新譜のビクター盤「希望の船路」は、藤山一郎の歌唱と曲がぴったりマッチして良い出来に仕上がっている。だいたい硬質の、伸びのある声に向いた曲だということが分かる。

このレコードはアル・ユールスのアレンジ、彼の指揮するアル・ユールス・フロリダ・カレヂアンスの演奏である。このバンドも前述のフロリダで演奏していたバンドで、1935年前後にビクターにどかどかとジャズソングを一固まり残している。技量の安定したバンドで、インストゥルメンタルだとホットさに乏しくやや頼りないかもしれないが、伴奏をする分にはたいへん映える演奏である。典型的なダンスバンドというべきだろう。

以上、駆け足で"Song of the Vagabonds"のレコードについて述べてみた。特に後半はやっつけに近いが、一度纏めてみたかったので拙速を怖れず纏めてみた。

文中で触れた巴里ムーランルージュ楽員については、以前からこつこつと資料サンプルを集めているので、これも時間が出来たら纏めてみたい。