ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

【戦前ジャズ辞典】トロンボーンの巻

戦前ジャズの楽しみ方、学び方として録音から聴き取れる各パートの主なプレイヤーについて述べはじめたが、ラッパ隊のトランペットから始めたことだから今度はトロンボーンについて纏めてみよう。

 その前に、大正期の二つの録音について述べておきたい。

日本のレコード録音の不思議なところは、「一体こんな企画を誰が思いついたんだろう?」という奇想天外な、或いは当時は注目されなかったかもしれないけれど現代の視点でキャッチーな録音の数々が残されている点である。ここに取りあげる二つの録音もそれぞれの意味で同時代の日本では稀有な録音で、大正期の洋楽の受け入れられようを何よりも雄弁に示している。

 大正14年(1925)5月新譜の「ゲーヂオフアーモアーアベヌ "Guage of Armour Avenue"」は日東管絃団の吹き込みで、この表記からは想像もつかないがディキシーランド•ジャズである。誤植を正せばこのナンバーはW.C.Handyの"The Gouge Of Armour Avenue"で、もちろんこの録音が日本初。前半にクラリネットのソロがあり、中間部ではリズムスに支えられてトロンボーンが長大なソロを吹いてクラに引き継ぐ。このときの日東管絃団のパーソネルは未詳だが、明らかに黒人系あるいはフィリピン系のプレイヤーによる、粘りのある演奏である。

 20世紀に入ってトロンボーンをフューチャーした音楽作品として、「ホットトロンボーン」が挙げられる。"Hot Tromborne"(1921)は、バンドリーダーで作曲家のヘンリー•フィルモア Henry Fillmore(1881-1956)がこの楽器に特化して作った連作「トロンボーン•ファミリー "Tromborne Family」の中の曲で、これがなんと1926年に、「東京グリーン管絃団」というバンドによって大阪のニットーレコードでレコード化されている。フィルモアラグタイムも作曲しているので、ジャズの前哨戦として挙げておこう。

 この東京グリーン管絃団というのはメンバー未詳だが、ソロのトロンボーンは大正期という時期を考慮すれば相当うまい。

 さて、昭和期のジャズ録音に含まれるトロンボーン奏者について、本題に入ろう。「日本のジャズ史 戦前戦後」の著者・内田晃一氏は、ジャズトロンボーンの第一号として、「ユニオン・チェリーランド・ダンス・オーケストラ」の録音を指して、生前の谷口又士が相沢秋光を挙げたことを記している。(別冊一億人の昭和史 日本のジャズ」) しかしこの録音のブラス隊はソロ箇所がない上、録音自体がたいへん聴き取りづらいので、演奏の全貌がはなはだ漠然としているのが残念だ。

 大正期からラジオに出演しているセミプロの「コスモポリタン•ノヴェルティー•オーケストラ」にトロンボーンが加わっており、なかなか良い働きをするのだが残念ながらパーソネル未詳。この楽団はそもそも主宰者とその兄弟、早稲田、慶応の学生から成るセミプロバンドなので、名のあるプレイヤーは加わっていない。

 その次に来るのが戦前派の名プレイヤーの一人、河野絢一である。

 河野は日本ビクター•ジャズバンドすなわち井田一郎のチェリー•ジャズバンドのメンバーで、二村定一と日本ビクター•ジャズバンドの主要な録音に参加した。「君恋し」ではトランペットと重ねて使われる程度だが、彼が本領を発揮するのは「ソーニヤ"Sonya"」や「昇る朝日 "The Sunrise"」のようなごく初期の二村=井田バンド録音で、ボコボコした逞しい音でtpやasに闊達に絡んでいる。これは、井田一郎のバンドと二村定一が浅草電気館のアトラクションで散々プレイしていたものをそのままスタジオで演っているからで、メモリーでばりばりプレイしている活気が伝わってくる。

河野は昭和8年、日本ポリドール管弦楽団が組織されるとそちらに入り、昭和10年代のスウィング時代を支えた。藤田稔(=灰田勝彦)の「散歩はいかゞ」あたりから数多くのジャズソング録音に参加している。ベティ•イナダの「バイバイブルース "Bye Bye Blues"」で演奏している日本ポリドール•ジャズ•シムフォニアンスという聞きなれない楽団のtbも河野だ。ポリドール時代の河野は夭逝したアレンジャー•工藤進や、長津義司、山田栄一、佐野鋤らのアレンジを吹いたが、井田時代と同様、tpと併せて使われることが多かった。もっとソロが多ければより評価の高いプレイヤーだろう。

蒲田行進曲 "Song of the Vagabonds"」の松竹ジャズバンドのトロンボーンも初期のジャズバンド録音では目立った活躍をするが、パーソネル未詳である。

 法政大学出身の兵頭良吉も昭和初期の記憶すべき名プレイヤーである。

彼のバンド経歴は、ラッカンサン・ジャズバンド→アーネスト・カアイ・ジャズバンド→赤坂溜池フロリダ・ダンスホールの「菊地滋彌とカレッジアンズ」と一流どころを渡り歩くもので、録音はラッカンサンとカアイで確認できる。大らかさな、器の大きさを感じさせるプレイだ。なお、「ラッカンサン(Luck & Sun)ジャズバンド」の名付け親はこの兵動である。

 録音はラッカンサンの「夢の人魚 "A Siren Dream"」「フー "Who"」「月夜の晩に "Get out and Get under the Moon"」「ハワイへ行こうよ "I'll Fly to Hawaii」「大学生活 "Collageate"」(いずれもビクター)など。

カアイ・ジャズバンドでは「アマング・マイ・スーヴニーア "Among My Souvenir"」「ウクレルベビー "Ukulele Baby"」「青春小唄」(二村定一 ビクター)、「愛の古巣 "I'm wingin Home"」(天野喜久代 コロムビア)など。因みにカアイバンドには異なるプレイヤーも混じっているので注意すべき。

 有名な谷口又士が頭角を現したのは昭和5年のことだった。

 谷口の最も古い録音はコロムビア•ジャズバンドの第一期編成時である。

  徳山たまき、澤智子「ブロードウェイメロディ "Broadway Melody"」

  徳山たまき、澤智子「ウェアリイ・リヴァア "Weakly river"」

  坂井透「とてもとても "That's You, Baby"」

  天野喜久代「淋しいみち "The Lonesome road"」(昭和5年5月新譜)

 以上に参加した演奏は、昭和5年当時、最高の出来栄えを記録している。

 紙恭輔昭和4年コロムビア・ジャズバンドを組織して間もなく、5年には渡米してしまうのだが、それまでに彼が指揮したこの4曲は、後を引き継いだ井田一郎の第二期編成時代にはない強烈な輝きがある。そこから、後年、昭和10年代に渋さと甘さを兼ね備えた谷口又士のまだ若々しく力強い音を発見するのは容易なことだろう。

 因みに「ブロードウェイメロディー」の一枚2面はtpが小畑光之、「とてもとても」の一枚2面は南里文雄のtpである。

 井田一郎が指揮した第二期コロムビア・ジャズバンドの初期、たとえば藤山一郎のアルバイト録音にも谷口又士の音の聴こえるものがある。(「恋のひと時」や「モダンじゃないが」など) 聴こえるものがある、というのは、この時期、大野時敏のトロンボーンコロムビア・ジャズバンドに入り交じっているからだ。それからいっときコロムビア・ジャズバンドを脱退するが、指揮者が渡邊良となる昭和7年にふたたびコロムビアに戻り、第三次編成の編成替えを経て、昭和11年まで所属する。

 おなじ昭和11年、大阪の地域レーベル、コッカに紙恭輔(指揮) P.C.L.ジャズバンドが吹き込んだ3枚6面に参加している。うち「ダイナ “Dinah”」「タイアドハンド “Tired Hand”」は谷口のソロが明瞭に聴き取れる。

 しかし彼の活躍で最も有名なのはビクター時代の録音であろう。

 昭和11年から日本ビクター・サロン・オーケストラ(あるいは日本ビクター・ジャズ・オーケストラとも日本ビクター・ジャズバンドとも)に加わり、ビクターのジャズソングの多くの録音にアレンジャー・トロンボーン奏者として参加している。岸井明をヴォーカルに迎えた「ねえ君次第 “I’m Follow You”」「察しておくれよ、君!”That’s You, Baby”」「唄の世の中 “Music goes ‘round and around”」「楽しい僕等 “Sitting on a Five Barred Gates” 」などはソロや目立つ演奏で必聴。

 また谷口がバンマスを務めていたP.C.L.ジャズバンドはコッカのほかビクターへも録音しているので、「スーちゃん “Sweet Sue, Just You”」「涙を拭いて “My Melancholy Baby”」で谷口のアレンジとソロがたっぷり聴かれる。

 ビクターのスウィングでは、ほかに豊島珠江の歌った「ブルースカイ “Blue Skies”」(谷口又士 arr.)も良い。

 日本ビクター・サロン・オーケストラは流行歌や戦時歌謡のインストも数多く残しているが、「桜ニッポン」、「越後獅子」、「春雨」、「一億の合唱」、「太平洋行進曲」、「戦友ぶし」、「日の丸行進曲」あたりを筆頭に、ソロパートを吹いたりアンサンブルで活躍したりしている。谷口の甘くかすれた音はトランペットと重なるとブラス隊に奥行きを生じさせ、厚みのあるスウィングになった。戦前派のトロンボーンではもっとも残された録音が多いプレイヤーといえよう。

 昭和5年にフロリダ・ダンスホールの招きで来日したウェイン・コールマン・ジャズバンドのトロンボーン、バスター・ジョンソン(1885-1960)-Theron E. "Buster" Johnson-も比較的多くの録音で聴けるプレイヤーだ。彼はヘンリー・ブッセ及びガス・ミューラーとの共作で”Wang Wang Blues”(1918-19)を作曲したことで知られる。このナンバーは1920年にポール・ホワイトマン・アンド・ヒズ・オーケストラによってレコード化され、ホワイトマンの初期のヒット盤となった。

 ウェイン・コールマンの楽団に加わっていた頃の、特にソロパートのある重要な録音は「大東京ジャズ」に収録した「あの子 “Sweet Jennie Lee”」や、「ユウウツ “St.Louis Blues”」(打越昇 vo)、「山の夜の恋心 “Moon is low”」(打越昇)、「別れませう “I’ll be blue, Just thinking You”」など。この楽団はポリドールにも録音しているが、そちらはリード主体のアレンジが多く、バスター・ジョンソンの音が確認できるのは「沙漠の隊商 “Desert Caravan”」などごく少量だ。

 ウェイン・コールマン・ジャズバンドの大半のプレイヤーが帰米したのちもバスター・ジョンソンは日本に留まり、「テイチク・ジャズ・オーケストラ」(この楽団は特に初期録音ではディック・ミネ・エンド・ヒズ・セレナーダスのクレジットも用いられた)のtbに加入した。ソロパートもこのテイチク録音のほうが飛躍的に多い。

 川畑文子の「上海リル “Shanghai Lil”」、「バイ・バイ・ブルース “Bye Bye Blues”」、「貴方とならば “I’m Following You”」、「月光値千金 “Get out and Get under the Moon”」、「アラビアの唄 “Sing Me a Song of Araby”」、愛のさゝやき “Wabash Blues”」「貴方に夢中 “You're driving me crazy! what did I do?”」「ティティナ “Titina”」と主だったジャズソングでB.ジョンソンの練達なtbが聴ける。

 ディック・ミネの「君いづこ “Somebody stole My Gal”」などからも確実に彼の枯淡な渋いプレイが聴けるのだが、ざっと聴いた感じではディック・ミネの録音には意外に加わっておらず、これはアレンジャーとしての三根徳一の好みかもしれない。

 たしかに彼の演奏は味はあったがヘビーハンド気味で若さを失っていることは否めない。同時代の日本の若いトロンボーン・プレイヤーの方が技巧的には上回っていただろう。B.ジョンソンの場合、あのポール・ホワイトマン楽団にいたという経歴や「ワンワン・ブルース」の作曲者という実績も物を言っただろうし、ベテランプレイヤーだっただけにテイチクではカメオ出演的な存在だったのかもしれない。

 インストものでは「ホワイトヒート」のソロが際立っている。しかし録音の多くはアンサンブルに埋没しているので、B.ジョンソンと別人とを聞き分ける必要がある。

 またおなじテイチク・ジャズ・オーケストラでも他のプレイヤーの場合があるので気をつけねばならない。

 その、他のプレイヤーその�@が、荒井恒治である。彼はディック・ミネのvoによる「ディック・ミネ・エンド・ヒズ・セレナーダス」の初期録音にのみ姿を現している。

 荒井は、「南里文雄とホットペッパース」の一員であった。その顔ぶれは次の通り。

西郷隆(as), 田沼恒雄(ts), 南里文雄(tp), 荒井恒治(tb), 藤井宏祐(b), 小沢進(ds), 神月春光(p),

 ディック・ミネホットペッパースのうち南里、田沼、神月をチョイスして、鈴木淑丈(‘cello), 泉君男(ds)を加えて「ダイナ “Dinah”」などを吹き込んだのだが、アレンジによっては荒井恒治のtbを加えた。テイチクの初期のジャズレコードはこの南里&ホットペッパース主体の「ディック・ミネ・エンド・ヒズ・セレナーダス」と、10ピースクラスの「テイチク・ジャズ・オーケストラ」が混在しているので、ことがややこしいのである。なお荒井は昭和10年代、自らスウィングバンドを組んで関東のダンスホールで活躍していた。

 他のプレイヤーその�Aは、昭和12年から「テイチク・ジャズ・オーケストラ」を率いた中澤寿士である。中澤のtbは昭和11年からディスクに現われている。

 中澤のtbは非常に闊達で技巧派。音も割れることがないから分かり易い。中澤アレンジによるチェリー・ミヤノのジャズソングあたりが初出で、徐々にディック・ミネのジャズソングやインストものにも演奏で加わっていった。テイチクのレコーディングオーケストラそのものが中澤寿士の楽団に切り替わった昭和12年には、完全に中澤=トロンボーンとなっていた。

 この辺りは個々のディスクを聴きながら判断していただきたいと思う。

 中澤寿士の初期録音はタイヘイにある。タイヘイのジャズソングやダンスレコードには、のちに東京で活躍するプレイヤーが何人か散見されるので意外に重要だ。

 さて、戦前派トロンボーンでも巨星と讃えられる存在は、谷口又士だけではない。ビクターに対するコロムビア・ジャズバンドの鶴田富士夫は、谷口とは正反対の性格を持つ、正確無比、且つ整った明快なプレイで覇を競った。

 彼のソロはいちいち挙げているときりがないほど多い。服部良一アレンジの「唄へ唄へ」(宮川はるみ)や「グディ・グディ」(川畑文子)など、ときに小畑益男のトランペットを摩する勢いの名演が多い。

 戦前派のトロンボーンの重要なところは、おおむねここに挙げたプレイヤーを覚えればこと足りるであろう。

【戦前ジャズ音楽辞典】トランペットの巻

戦前ジャズの大量に残された音源には膨大なデータが含まれている。とりわけジャズバンドなどはひとりひとりの特定をするのにサンプルも最低限あるし、ジャズの歴史を紐解くのにパーソネルは必要不可欠である。

アメリカやヨーロッパにはそれがあるのに日本にないのは不都合だろうと考えて、ここ数年はそのことばかり考えている。(そのため、故クリストファー・N・野澤先生と共同で進めていた日本洋楽史ディスコグラフィーの計画に大きく差し支えて先生の生前に叶えられなかったのは返す返すも遺憾だ)

ひとくくりにジャズ録音と言っても、各プレイヤーの背後にもそれぞれの人生があるのだから、音源は資料としてではなく、血の通った音楽として聴くべきだと僕は考えている。

そこで数年前から戦前日本録音のジャズのパーソネルを纏める作業をしているのだが、ここで少し大まかに紹介をすることにした。最近の事故で、人はいつ死ぬか判らないと思ったのも動機のひとつだが、このような情報に刺激されて個々の音源のプレイヤーを特定する作業を志す新しい人が現れれば戦前ジャズへの理解ももっと深まるだろうと考えるからだ。

amazonのレビューなどを見ても、まだまだ戦前日本のインスト録音の意義が周知されたとはいえず、ひとつの世界を構築するには多くの衆知が必要だと感じる。

僕の経験上、戦前のジャズバンドでもっともパーソネルの識別が容易だったのはトランペットだった。そこでトランペット(文中、tpと略)から始めてみよう。

音で判別できる最も初期の名プレイヤーは橘川正である。彼は直情的でストレートな奏風で、あまり崩して吹いたりというのはできない。それでもローリングトゥエンティーズから昭和10年代まで、井田一郎のバンドに加わってビクター(日本ビクタージャズバンド)、コロムビア(コロムビア・ジャズバンド)、テイチク(テイチク・ジャズ・オーケストラ)、キング(キング・ノヴェルティー・オーケストラ)でレコード録音をしたほかに、フリーでも活躍した。ダンスホールでも一流プレイヤーとして遇された。ビクターで昭和3年〜5年くらいまで吹きこまれたジャズソングには橘川が多く加わっている。二村定一佐藤千夜子その他。ポリドールの最初期のジャズソング録音にも入っていて、中でも青木晴子の「君が居なけりゃ」は名演。昭和6年からコロムビアに移り、ここでも橘川は二村のバックでいいtpを吹いている。「暁の唄」「スタインソング」あたりが代表的なところだろう。

太陽レコードの二村定一「恋人よかへりませ」は珍しくマイナーレーベルで仕事をした例。

二村定一・天野喜久代の「あほ空」「アラビヤの唄」には風間瀧一が加わっているが、さして際立つ演奏ではない。彼は慶応の学生バンド、レッド・エンド・ブリュー・クラブ・オーケストラの初期の録音、掲上の録音のほか「雨」「アディオス」などに加わっているが慶大生ではなく、新交響楽団のメンバーである。

このバンドの後期の録音では風間ではなく、斎藤広義などが入っている。斎藤は次に述べるカアイの録音にも加わっているから、学生バンドにとっては心強い存在であった。

法政の学生バンド、カアイジャズバンドには二種類のtpがいる。

一人は斎藤広義で豪放な音は後年まで変わらない。復刻された中では「大東京ジャズ」の「マイヱンゼル」や、コロムビアの「スウィング・タイム」の鈴木芳枝「別れても」(因みに戦後の二葉あき子による再録音は、小畑益男)、笠置シズ子の「喇叭と娘」ほか戦前録音に聴かれる。なお、彼はもともとクラシカル音楽の出身なので、近衞秀麿(指揮)新交響楽団のパーロホン、コロムビア録音に加わったものもある。

もう一人は南里文雄の先輩で、かすれた音がトレードマークの七条好。これが南里の先輩??という違いようだが、個性的だ。彼の音はニッポノホン、コロムビア録音にもビクター録音にもある。

ビクターは昭和ひと桁中ごろに日本ビクター管弦楽団を編成したとき、tpにロシア人のマルチェフを据えた。彼はニットーでもほぼ同時期に音を残しているが、昭和11年頃に恋愛事件を起こして国外追放されてしまった。

マルチェフがいなくなる頃、ビクターはより規模の大きいジャズ・オーケストラを編成し、古田弘をtpに入れた。彼は関西のタイヘイで二村定一の吹込みのバックバンド(タイヘイジャズバンド)に音が聴こえるのが早く、ビクターでは成熟したプレイを聴かせてくれる。古田のソロ録音の「セントルイス・ブルース」と川田義雄の「浪曲セントルイス・ブルース」を聴き比べると同じトランペットだ。

コロムビア・ジャズバンドは、初期の第一次編成では小畑光之が大活躍する。

彼はからっと垢抜けしているが、奔狂的に呻いたりシャウトしたりするディキシープレイヤーで、不思議と古臭さがまとわりつかない。僕は彼を転載だと思う。ビクターのラッカンサン・ジャズバンドを皮切りに藤山一郎の昭和6〜7年のコロムビア録音、ほぼ同時期のポリドールのジャズソング、それから例外的にテイチクでディック・ミネの「アイダ」にも彼の音が聴ける。

晩年はワンマンプレイで周りとまったく合わせなかったので仲間が困ったらしいが、全盛期から吹きまくる気はある。

小畑光之に似ていて注意が必要なのが、テイチク・ジャズ・オーケストラの第一期編成のtp(2nd)の杵築京一。彼も小畑風にひきずるような演奏をするが、小畑のシャウトするような破天荒プレイより小気味よくスタイリッシュに洗練されている。ディック・ミネの「意味ないよ」、川畑文子の「上海リル」を聴けばこの人も一発で覚えられるだろう。

コロムビア・ジャズバンドは昭和7年から9年ごろまで一時期、南里文雄を抱えたが、彼の音が確認できるディスクは少なく、川畑文子との録音などではごくまじめに2tpのアンサンブルに溶け込んでいる。ミッヂ・ウィリアムスとの「ダイナ」などはこの時期には珍しいソロだ。

南里・橘川の2tpのあと、小畑光之の弟の小畑益男が入る。彼は鋭い切り裂くようなプレイの内面にそれはそれは優しく熱いものを隠し持っている。なので触ったらほの暖かいが、その光源熱源は強烈である。

小畑の下に2ndで入る森山久は、小畑益男とは対称的な存在である。小畑は外面的に瑕のない正確無比な演奏だが、森山はフィーリングで本質をぐいと掴み出し、豊かな音で自在に歌う。伊達な雰囲気は彼のヴォーカルと同質である。

テイチクは杵築京一と同時期に南里文雄も入っている。南里は戦前ジャズメンではやはり別格で、彼のような崩し方をするtpは他にいないから、プレイヤー判別入門のお手本のような人だ。

ただ気質的に斎藤広義や、テイチクで杵築京一の後に入る伊藤恒久に似ているので注意が必要。特に伊藤は、南里と判別がつきにくいことがあるほど似ている。たとえばテイチク・ジャズ・オーケストラの「ダイナ」など、うっかり南里かと思ってしまうほど似ているパワフルなプレイだが、南里より男性的である。

テイチク・ジャズオーケストラはcl, 2sax, 2tp, tb, tub, g, ds, p, vlの10ピースで編成されていた。が、テイチクがディック・ミネを専属にする際、契約によってミネの伴奏をするときに限りディック・ミネ・エンド・ヒズ・セレナーダスの名を使うことになった。この楽団のパーソネルをミネが広い人脈を駆使して集めた事情もあるのだろう。

ところでミネは有名な「ダイナ」をはじめ、初期録音を「南里文雄とホット・ペッパース」のメンバーを核としたコンボとも録音しており、そちらも契約によってディック・ミネ・エンド・ヒズ・セレナーダス名義でリリースされた。それで揉めて、腹を立てた南里がテイチクと絶縁したエピソードは有名だ。

ミネと決別した南里はタイヘイに少なからぬ編曲を提供し、田中福夫の「シボネイ」など彼の加わった録音もそこそこある。

ポリドールは昭和8年に専属の日本ポリドール管弦楽団を組織して、けっこう長く谷口安彦をtpに使った。ユニバーサルの「スウィング・パラダイス」でいうと1枚目の藤田稔「散歩はいかゞ」から谷口率が高い。彼の鋭い、ブラスを感じさせる音は工藤進の厳しくリズムを刻むアレンジによく映え、カンザス・シティ風の効果を与えている。トロンボーンと束になってブラス隊として働くと、コロムビア・ジャズバンドよりも強力なベップをバンドに与えた(コロムビアはtpとtbが融合するほかは個々に動いている感じ)が、これは工藤のブラスの用い方が上手いためもあるだろう。

きわめて散漫かつ大雑把だが、トランペットは以上を指標とすれば聴きながら面白く芋づる式に見つけられるだろう。

To My Favorites

ぐらもくらぶでの都市ジャズ三部作も大東京ジャズ Jazz in The Tokyo Great Tokyo Jazz song collection 1925~1940">で一段落ついて、また装いも新たな企画路線を模索している(実はすでに次作の企画もあるという噂)今日この頃ですが、運良く死に損なったこともあってここらで疾風怒濤のようであった戦前ジャズの覆刻について顧みてみたくなりました。平ったくいえば総括です。 ビクター、テイチク、コロムビア、ユニバーサル、キングの「ニッポン・モダンタイムス」シリーズとぐらもくらぶの諸CDで選曲の多くをさせて頂いた僕の、すべてに通底する思いは「古いは新しい」という一言に集約されるかと思います。レコードは時代の空気の缶詰です。政治にまれ流行にまれ人間の営みがいかに不変であるかは文献でも親しく知ることができますが、現代を生きる人々が何十年も前の人々とおなじ感情に左右され、おなじ感動を味わえることを、戦前ジャズのレコードの数々は教えてくれます。 たとえば恋です。 ジャズソングのほとんどは恋歌といって差し支えありません。 昭和初期の一部のソングスは文語体の歌詞で伝わりにくさがあったりしますが、初期の作詞家でも堀内敬三や伊庭孝、時雨音羽昭和10年代の三根徳一、佐藤惣之助藤浦洸などといった人々の歌詞は平易でスッと人の懐に飛び込むシンパシーを持っています。驚くべきは海外ナンバーの多くも、言葉の壁を超えて、大意を掴みながらオリジナルの歌詞に込められた想いを伝えていることです。 それを形にする歌手は時代によってヴォーカルの様式の変遷はありますが、それぞれのスタイルに従って歌詞に込められた想いを歌っています。 たとえば青木晴子や天野喜久代、井上起久子などは聴き慣れなかったらソプラノのかなきり声にしか聞こえず、歌手の区別もつかないかもしれませんが、1910〜20年代アメリカのポピュラーソングがそうであったように声楽に基礎を置いた歌手が全盛を築いていたことを踏まえて聴けば、烈々たる恋情の伝わるヴォーカルが心に刺さります。「スウィング・パラダイス」">(ユニバーサル)に収録した青木晴子の「君が居なけりゃ “I’ll be Lonely”」はその意味の絶唱ですし、「大東京ジャズ」 Jazz in The Tokyo Great Tokyo Jazz song collection 1925~1940">の天野喜久代と柳田貞一による「赤い唇 “"Red Lips Kiss my Blue Aways"”」は古いスタイルの頂点にある微笑ましい掛合ラブソングです。唇を巡る駆け引きはいささかも古くない情景でしょう。 あまりに有名になったので書かないでおこうと思いましたが、昭和ひと桁の最大のスター、二村定一のラブソングの切なさは他に類のない表現方法だと感じます。彼の唄が21世紀に入っても新しいファンを獲得し続けるのはその辺に関係があるのではないでしょうか。「私の青空~二村定一ジャズ・ソングス」">(ビクターエンタテインメント)に収録した「毎晩見る夢 "Liebesträum"」は恋の叶う高揚した気持ちを、リリコ・テナーを保持しながら体を張って歌いあげています。原曲未詳の「青春小唄」は、タイトルは安易ですがまどろむような幸福感をほぼ無技巧のとろけるような声で表現しています。明朗で陰影の深い声の勝利です。 有名な「君恋し」は3番まで駆け足で歌い去っていますが、明るい声なのに悲しい声でサビの〽君恋し…と訴えるバックのアレンジ(=井田一郎)は3番とも異なっており、三種三様に焦燥感を表現してクライマックスを形作っています。これはアレンジのマジックがヴォーカルに奥行きを与えた例でしょう。 その二村の最高のラブソングは、未練たっぷりの淡い哀しみにあふれた「恋人よかへりませ “Lover, Come back to Me”」(ぐらもくらぶ二村定一 ~街のSOS!~">に収録)です。抑制気味の端々まで神経の行き届いたヴォーカルは、クライマックスで逆に不明瞭にぼかされ、頂門を敢えて外したことで逆に失恋の切なさをまことに印象深く表現しています。この、聴くひとの共感を誘う歌唱があってこその二村定一だと僕は得心しました。 先般、江戸東京博物館の「大東京モダンミュージックの世界」でも青木研氏(bjo)、渡邊恭一氏(ts)、大谷能生氏(as)が同曲をこの二村盤の雰囲気で演奏しましたが、ヴォーカル無しであの切なさを余すところなく再現したのには驚かされ、聴き惚れてしまいました。 昭和ひと桁の半ばから10年代にかけては日系歌手の来日や、それら日系歌手とレコードに影響を受けた邦人歌手のフィーリングの向上によって、より現代に近い感覚で恋が歌われるようになりました。その代表格のひとりが「上海バンスキング」で吉田日出子が多くのナンバーをカバーした川畑文子です。 川畑文子のヴォーカルはあまり上手くないという世評もありますが、彼女の唄う恋の希求、寂しさ、嬌態がしなやかに聴くひとの心にしのびこむという点では間違いなく優れたジャズシンガーで、張りのある甘い声の魅力を持っているのも強い。テイチクの「SWING GIRLS」">に収録した川畑ナンバーは、彼女のテイチク録音から特に感情表現のすぐれた吹き込みをチョイスしてあります。 「上海バンスキング」でも主題歌のように歌われた「貴方とならば “I’m Following You”」は唄そのものがミディアムテンポのバラードなので彼女としてはおとなしく整っていますが、しっとりと滴がしたたる濡羽のような傑作。 「三日月娘 “Shine on Harvest Moon”」は小唄のような印象を与える芸の細かい歌唱です。フレーズごとに歌い方を変えて、ひとときの逢瀬の短かさを惜しみながらも歓ぶ気持ちの揺らぎを現しています。甘く粘りながら未練のある切れ味で生々しい断面をみせる、裂けるチーズのようなヴォーカルです。彼女のデビュー録音であるコロムビアの同曲と比べると明らかに上手くなっています。 「ティティナ “Titina”」はアンニュイな歌唱で切なく恋人を追い求めています。三根徳一の当てた歌詞が完全に現代でも違和感のない口語体となっていますから、心のしめつけられるようなラブレターを歌っているようなものです。 「SWING TIME」">(日本コロムビア)に収録したベティ稲田の「誰かあなたを “Someboby Loves You」は、川畑文子とは正反対に近いくっきりした輪郭線の鋭い美声で歌われる恋歌です。なんとなく必死さを感じさせる、いじらしいヴォーカルが心に残ったので選びました。 日本に1面しか録音のないドリー藤岡の「懐しの河畔 "Where the Lazy River goes by"」は遠く離れ離れになって諦めのはいったラブソングですが、演奏もヴォーカルも戦前の最高峰を示しています。 その逆に宮川はるみの「恋の街 "Every Little Moment"」は都会的に洗練されたスマートな表現でデートの喜びが綴られています。 「唄へ唄へ “Sing Sing Sing”」も宮川はるみのハスキーヴォイスで抑制気味に歌われるので、コロムビア・ジャズバンドの戦前ジャズのお手本のような名演奏に気を取られてつい聴き流してしまいがちになりますが、飛び上がりたくなるような成就した恋の素晴らしさが目一杯つめ込まれた歌詞です。 ディック・ミネは存在自体がラブソングの権化といった趣きがあります。テイチクの「Empire of Jazz」">にまとめましたが、デビュー録音の「ロマンティック “Romantic”」がけっきょくディック・ミネというジャズシンガーの本質を体現しきっている気がします。数多くの恋歌のなかから傑作を一曲だけ選べと言われたら、「頬を寄せて “Cheek to Cheek”」の天上に舞い上がりそうなわくわく感に敵うナンバーはないでしょう。シックなディック・ミネのヴォーカルは軽く彼女をリードして踊るようです。 ライナーではことさらにジャズバンドの編成や各プレイヤーの演奏について細かく述べましたが、それはバックバンドもシンガーと同様、ラブソングを歌っていると考えたからです。「君が居なけりゃ」や「恋人よかへりませ」のトランペット、至るところでソロを吹くサックス、そうしてシンガーと共に高まりをみせるアンサンブルもヴォーカルとおなじ世界にいるのです。となれば、パーソネルについて細かく記さざるを得ません。もっともパーソネルをひとりひとり固定してゆくのは、根気は要りますが楽しい作業でした。 戦前のジャズやジャズソングの世界が、心情的にいかに現代の私たちの世界と同じであるか。それを拙著の「ニッポン・スウィングタイム」">(講談社, 2010)を上梓してからの4年間にめいっぱい形にできたと思います。なかなか分かりにくいかと思いきや理解者にも恵まれたことは幸せでした。まあ、その派生として『ねえ興奮しちゃいやよ』 昭和エロ歌謡全集 1928~32">(ぐらもくらぶ)という世界も形にしてしまったのですが。 これからぐらもくらぶがどんな世界へ歩んでゆくか、暖かくお見守りください。

CD新譜とイベントのお知らせ

まず、私的な事件ながらこの1月に轢き逃げの交通事故に遭って2ヶ月ほど入院し、その後も療養生活を送っていることを述べねばなりません。幸い歩行がつつがなく行なえる程度には回復してきましたが、その間、僕の身の回りの数多くの方々にご心配を掛け、また励ましを頂きました。ここに厚く御礼申し上げます。 さて、半ばCD告知の場と化したこのブログですが、今回もそのCDのご報告となります。(入院中にリリースされて目下大好評の『ねえ興奮しちゃいやよ』 昭和エロ歌謡全集 1928~32については別稿にいたします) 先に「大名古屋ジャズ」「大大阪ジャズ」と続いた大都市ジャズ・シリーズの本命といえる「大東京ジャズ」(ぐらもくらぶ)が5月初旬にリリースの運びとなりました。選曲は事故前におおかた済ましていたので、入院中にiphoneから保利氏に送り、他の仕事(JAZZ JAPAN誌 Vol.44"菊地成孔の音楽錬金術 そして,戦前・戦後音楽にそのルーツを辿ってみた")も含めてライナー等の原稿をベッドの上で書きました。便利な時代になりましたねえ。 「大名古屋」では名古屋の一大レーベル、ツルレコードに主眼を置き、「大大阪」では在阪レーベルに東京録音を加えながらモダン大阪の特色を2枚に収めました。「大東京」は、そもそも明治期から日本のレコード産業の中心地であった東京のジャズ録音をどう総括すべきか苦慮しましたが、大正末期から戦前期の顕著なジャズを傾向別にグループ分けして、さらにジャズ文化に包含されるカフェーやダンスホールの録音を加えました。したがってカフェー女給の歌唱や座談、タンゴなどジャズから距離を置く音源も加えていますが、ジャズ第一次ブームである戦前期のジャズ文化を音で体験して頂ければと思います。 今回は厳選エンターテインメント路線を採りましたので、聴いて面白いものを優先ししました。東京では広義のジャズ録音が大正10年ごろから行なわれましたが、最初期の演奏は演奏も録音水準も一般的に楽しむには厳しく、今回はジャズブームが勃興してきた大正末期の珍しい音を一点のみ選びました。 この点を踏まえて、CDの内容は7つのグループに分けられています。 1つめは初期のジャズ演奏。プロの楽団と大学の学生バンドの活躍をざっと俯瞰しました。 2つめはジャズを基調とした東京のシティーソング。二村定一はもちろん、東京でのジャズソング吹込みに多用された天野喜久代、内海一郎など昭和初期の風俗が色濃く反映されたソングスです。 3つ目はクルト・ヴァイルと東京。これには少し説明を要します。1920年代、ジャズはクラシック音楽にも多大な影響を与えました。たとえばガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」はその代表的な一曲ですが、ワイマール期のドイツではジャズオペラ「三文オペラ」が爆発的に流行しました。ヴァイルの日本受容という側面と、1930年代に「三文オペラ」のレコードが作られたのはヨーロッパ以外では日本だけであったという事実をここに明らかにしました。(因みに三文オペラソングは「大名古屋ジャズ」にも2点収録しています。) DISK-02に移って4つ目のグループはジャズの重要な舞台となっていたカフェー文化を語る音。丹いね子と渡瀬淳子という、2人のカフェー・バー経営者の座談は今回のセットでもひときわ存在感を示す珍録音です。カフェータイガー女給の歌う「君恋し」は、当時のカフェーの現場で歌われたジャズソング。これらの音源は当時のカフェーをリアルに体感できることでしょう。 5つ目は、これもジャズの発展の舞台となったダンスホールに関連する録音です。和泉橋ホール、フロリダ、東京ではありませんが埼玉県蕨町のシャンクレール各ホールで活躍したジャズバンドや歌手の残した音から特に優れたものを選びました。とりわけ特筆したいのは、ミッヂ・ウィリアムスが来日時、昭和9年コロムビア・ジャズバンドと録音した「パラダイス」で、今回が初覆刻となります。今回のセットの目玉です。 6つめは東京のマイナーレーベルの音源をいくつか。「大大阪ジャズ」では関西のレコードレーベルがフィーチャーされましたが、東京のマイナーレーベルにはジャズソングは多いのですが、実はその中で当時のジャズの水準を示すに足る録音はごく少量しかありません。いわゆる下手なジャズも当時のジャズの状況を説明するのに必要ではありますが、その種の音源を並べていては正直きりがないというのが実感です。このセットではマイナーレーベルには極めて珍しいすぐれた水準のジャズ・ヴォーカルとスウィングを選びました。 最後の7つめのグループは日劇やアトラクション、軽音楽大会などに関連するジャズです。ジャズの演奏が困難となる昭和15年までの録音ですが、重要なものを選んでみました。 この最後のグループに加わっている人々は戦後のジャズを再興する人々でもあります。その意味で、戦後に大活躍する丹下キヨ子のデビュー録音(昭和14年)を置きました。以上の選曲から戦後につながってゆく大東京ジャズにも思いを馳せて頂ければ本望です。 CD内容についてはtwitterで #ぐらもくらぶ のタグをつけて、ライナーには盛り込めなかった詳細を随時紹介しています。選曲の一部と解説執筆は手術や療養を挟んで行なったので、正直なところ今回はかなり大変でした。ただし手抜きは一切していません! 「大東京ジャズ」と同時に「六区風景 想ひ出の浅草」もリリースされます。 こちらは大衆芸能から流行歌、浅草オペラ、各種特殊録音と広範なジャンルを網羅する著名な大衆芸能研究家・岡田則夫氏と、浅草オペラを専門に研究している小針侑起君の監修で、浅草の演芸を貴重音源で総まとめしています。 奇遇ですが、藤村梧朗・丸山夢路「ほっときなさい」は、まったく相互連絡のない制作状況で「大東京ジャズ」にも「浅草の想ひ出」にも異なる録音で加えられています。(「想ひ出の浅草」は浅草篇、「大東京ジャズ」は新宿篇) さて、この二つのセットのリリース記念を兼ねて、連休中の5月6日(火・振替休日)、江戸東京博物館にてぐらもくらぶイベント「大東京モダンミュージックの世界 浅草オペラから東京の戦前ジャズまで」が挙行されます。 大東京モダンミュージックの世界 〜浅草オペラから東京の戦前ジャズまで〜 「浅草六区に花咲いたエンターテインメントの胎動から戦前の日本におけるジャズソングまで、戦前洋楽史&芸能史をその足跡と音源資料そして実演による追体験として今甦る!」 ★ぐらもくらぶCD「大東京ジャズ」「六区風景 想ひ出の浅草」発売記念★ 出演  大谷能生(音楽家「日本ジャズの誕生」青土社ほか) 毛利眞人(音楽ライター「ニッポン・スウィングタイム」講談社ほか) 保利透(ぐらもくらぶ主宰) ゲスト  岡田則夫(大衆芸能研究家「SPレコード蒐集奇談」ミュージックマガジン社ほか) 小針侑起(浅草オペラ研究家) 片岡一郎(活動写真弁士) 泊(山田参助vo武村篤彦g)+香取光一郎acc 青木研(bjo) 渡邊恭一(ts・cl) ■第一部 13時00分〜 「蓄音器で聴く戦前日本のジャズ世界」 ■第二部 15時00分〜 「浅草六区と浅草オペラ・戦前の大衆芸能」 ■第三部 17時00分〜 「若きジャズマンらによる戦前モダンミュージック座談会」 開催時日時 2014年5月6日(火曜日・振替休日) 12時30分開場13時開演〜19時00分終了予定 入場料 1.500円(入れ替え無し・当日券のみ) 場所 江戸東京博物館ホール 主催&お問い合わせ ぐらもくらぶ gramoclub78@gmail.com オフィシャルサイト「レコード狂の詩」 http://d.hatena.ne.jp/polyfar/ 荻窪ベルベットサンのイベントでお馴染みの大谷能生氏をはじめ、このイベントはゲストが豪華! 詳しくはオフィシャルサイト「レコード狂の詩」をご覧ください。多くの皆様のおいでをお待ちしております!!

CD「スウィング・パラダイス」発売のお知らせ

最近は身辺の煩雑な事情で更新を怠けて、CDのリリースに合わせて記事を書くくらいの頻度になってしまいました。僕の監修したCDやぐらもくらぶのCDが発売されるたび収録曲のデータをそっくり抜いてせっせとウェブ随筆にいそしむ(しかもCDには言及せず恰も自分で調べた情報であるかのような筆致)困った人もいる昨今、ウソが真実にならないよう心機一転してブログも頑張って継続したいと思っています。 と愚痴りながらも新しいCDがリリースされますので、ご報告がてら久しぶりのブログを。 新年2014年1月22日、ユニバーサルミュージックより幻のSP盤復刻!~ニッポン・モダンタイムス・シリーズ~スウィング・パラダイスが発売されます!! 2012年にテイチク、ビクター、コロムビア、キング各社でシリーズ化された「ニッポン・モダンタイムス」シリーズのポリドール篇で、企画構成はもちろん高橋正人さん、覆刻担当は保利透君です。 拙著「ニッポン・スウィングタイム」(講談社刊)でもポリドールのジャズについて触れておりますが、そもそもこの著作、基本的に「CD化してほしいなあ」という願望を抱いたレコードについて述べております。ですから、日本ポリドールの邦楽カタログ初期の「君が居なけりゃ」や「雨の中に唄ふ」(共にこのブログでも取り上げましたが)やポリドール・リズム・ボーイズと薄命のジャズアレンジャー・工藤進の強力タッグによるジャズコーラス作品など思い入れの強い選曲となりました。拙著では紙数の関係で削らざるを得ませんでしたが、バンジョーの長いソロを含む藤山一郎のジャズソング/映画主題歌を3曲収録できたのは個人的に嬉しい出来事です。今回が初復刻となるジョージ・アラワ(sg)、角田孝(g)の「ハワイの空へ〜フェアウェル・ブルース」はハワイアンだと思って油断していると足下を掬われるようなスリリングなセッションです。 また今回、特に収録できて意義深いと思うのは、James P. Johnson作曲のシンフォニック・ジャズ「ヤミクロー "Yamekraw"(1927)」です。和田肇のピアノ独奏、紙恭輔(指揮)コロナ・オーケストラによる録音は、日本に於けるシンフォニック・ジャズのたいへん稀少な記録となりました。和田肇は戦前から戦中、戦後にかけて数多くのレコード録音を行なっていますが、ジャズピアノの第一人者という称号とはうらはらに彼の録音群にホットなジャズは極めて少なく、このポリドールとエジソン社への僅かな録音でかろうじて彼のブルースを聴くことができるのです。同様、「ジャズのパイオニア」という伝説のみ名高い紙恭輔の真骨頂が聴けるのもこの録音をトップとして、そんなに多くはありません。 聴きどころはまだまだあるのですが、ちょこちょこと小出しにしてゆきます。 ところでその「スウィング・パラダイス」に先行して明日12月11日に、同じユニバーサルミュージックから幻のSP盤復刻! はたちのバタヤン大ヒットパレード「大利根月夜」幻のSP盤復刻! 戦前オールスター・ヒット・パレード大全集の2タイトルが発売されます。これらを年明けの「スウィング・パラダイス」と併せて聴けば、戦前戦後に日本五大レーベルの一角を成したポリドールの、ポピュラー音楽に於ける広範で多彩なカバー力に驚かれることでしょう。昭和10年代、東海林太郎や上原敏、結城道子などの歌手が歌う日本調の流行歌はポリドール・カラーとしてレコードファンに知悉されていましたが、同じようにジャズ、タンゴ、ルンバにすぐれたレコードを残したことは今回の覆刻によって再認識されることでありましょう。流行歌のポリドールは、またジャズのポリドールでもあったのです。   

「大大阪ジャズ」発売にあたって。 その貳

DISC-2は「大大阪」をテーマに、ジャズの周辺音楽をさぐってみました。

まず最初に、大阪を歌ったジャズソング特集です。

「大阪行進曲」はコロムビア関西文芸部が最初に放ったヒット曲です。オリエントから1929年8月新譜(7月20日発売)でリリースされた井上起久子歌唱盤がヒットし、一ヶ月後の8月24日、東京で吹きこまれた植森たかを盤がコロムビアから発売されました。井上起久子盤は「心斎橋コレクション」の附録CDに収録しましたので、今回はすがすがしいカタルシスをおぼえる快唱、植森たかを盤をCD-2の冒頭に配しました。

2曲目は二村定一の「浪花小唄」。テッパンのナンバーですね。フォックストロット・ジャズとしてもきれいなまとまりをみせた傑作です。

3曲目と4曲目「花街行進曲(新町)」「飛田夢想曲」は大阪日日新聞が企画したシリーズ・レコードの一部で、河合ダンスの音楽指導をしていた杉田良造がたいへん特徴的な作曲・編曲をほどこしています。東京のメジャーレーベルの企画会議からはまず生まれない、生々しい庶民感覚にあふれたフォックストロットです。5曲目の「大阪セレナーデ」(Sブラ行進曲)も大阪時事新報の地域振興企画から生まれたジャズソング。

続く2曲「大阪夏祭風景(天神祭)」と「道頓堀おけさ」はアレンジの妙に注目して収録した唄。前者は前述の杉田良造が作曲し、本格的なディキシースタイルの編曲を施した、蒼く熱する夏の夜の祭りへの讃歌です。後者は日本におけるラテン・アレンジの祖、篠原正雄が複合的なルンバフォックストロットのリズムを駆使した怪作。たいへん凝ったアレンジを演奏するN.O楽団もまた高い水準を聴かせてくれます。

2つ目のグループは、大阪が生んだ偉大な作曲家・ジャズアレンジャーの服部良一の若き日の録音集です。

「串本節」は服部がコッカレコードでラベルにネームを入れた最初の録音。編曲はもちろん服部で、コンボ形式のジャズバンドに彼自身がCメロディ・サックスで加わっています。彼のアレンジ作風の変遷上、またサックス奏者としてのサンプルとして重要な録音です。次の「テルミー」も服部のアレンジで、バンドに彼のサックスが加わっています。サックスプレイヤーとしての服部良一はいささか一本調子ですが、ブレイクを効果的に用いたアレンジには、のちの作風の萌芽が見られます。

大阪のジャズメンとして服部良一だけを取りあげたのでは、ほかのジャズメンが可哀想なので、ここで昭和ひと桁の大阪で活躍したプレイヤーを紹介したくなりました。

キングダンスオーケストラの「木曽節」は、尼崎にあったダンスホール「キング」の楽団ですが、ここの楽団には1932年、最良のメンバーが揃っていました。「木曽節」で活躍するクラリネット大久保徳二郎。のちにテイチクで作曲家として成功します。トランペットは、これも後にビクターのジャズ・オーケストラに入って多くの録音をリードする古田弘。たとえばあきれたぼういず川田義雄の「浪曲セントルイスブルース」のトランペットがこの人だといえば、もういちど聴き直してみたくなるでしょう? ドラムスは生駒徳二。このひとの門下から戦後、穐吉敏子が飛び出します。日本のジャズ史をぎゅっと凝縮したのがこのディスクといえるのです。アレンジャーは記してありませんから断定はできませんが、服部良一の作風が感じられます。(間奏などには篠原正雄らしさが感じられますが、この時期にタイヘイで作・編曲を行なっていた服部の仕事と考える方が自然ではあります。無記名なので断定は避けたいところです。)

つぎのグループは、エロ・グロ・ナンセンスを謳歌した大大阪です。水都ならぬ粋都といいましょうか。大阪は昭和初期、エロの巷でありました。大阪から東京に進出したカフェ―「タイガー」はキッスサービスなどのエロサービスを売りにしましたし、当時、露天の夜店で廉価に売られていたエロ・レコードの多くは大阪で作られておりました。昭和初期の大阪は本能の表出に積極的な、官能的な街でもあったのです。そこで、ここではカフェ―から流行した唄、時代の尖端を写しとった唄、文字通りエロ小唄を集めてみました。

「カフェ―の唄」は川口松太郎原作の映画「カフェーの女」主題歌。カフェ―女給の心象がよく描写された曲なので選びました。かつてCD復刻されていましたが、擦り切れた音盤を復刻に使用したのかカスカスの音だったので惜しいと思い選んだということもあります。

「エロ・オンパレード」は麦島紀麿(=鳥取春陽)作曲の流行小唄。書生節の作曲・歌手である鳥取春陽は、昭和期の流行小唄の作曲家としては特異なリズム感覚を持ったユニークな存在で、また軽佻浮薄な流行を掬い取って作品にする名人でした。昭和期になってから「エロ行進曲(=エロ小唄)」「尖端小唄」「思ひ直して頂戴な」(後述)、「女は恋に弱いのよ」「恋慕小唄」などをブームに乗せて当てています。「エロ・オンパレード」はフェティッシュな集中力の感じられる面白い歌詞で、黒田進の歌唱が生き生きとした生命をその歌詞に与えています。

ついでながら、すみません!ライナーの歌詞ページで「イット」が「キット」になっています。校正漏れです。

「尖端ガール」は、選曲の時点では同じ黒田進の「潜航艇の唄」とどちらにするか迷ったのですが、流行の風俗を「エロ・オンパレード」とは異なる切り口で掬っていることから選びました。この録音、キーを合わせたら76回転だか75回転だか、びっくりするような低回転数になったということですが、おそらく発売当時は78回転前後でぶん回していたことでしょう。この頃は同種の低速録音がしばしば見受けられるのですが、これだけ極端なパターンが一群を成しているということは異なる回転数で再生されることを見越して意図的に行なっていたのかもしれません。

「思ひ直して頂戴な」は鳥取春陽最後の大ヒット作です。女給の琴線に触れて関西圏のカフェ―から流行しはじめた流行小唄で十数種の関連レコードが作られました。大阪スタジオで吹きこまれたオリエント版は比較的ストレートな編曲ですが、鳥取の内妻であった川田定子(山田貞子)が歌った同曲録音ではもっとも彼女の特質の引き出されたバージョンといえます。

「エロウーピー」と「バットガール」は大衆的な企画力に定評のあったタイヘイのジャズソング。「エロウーピー」はこの時期、タイヘイにまとまった量の録音を残している二村定一と井上起久子のデュエットで、あられもない内容を台詞入りで歌いあげています。「バットガール」は、女流作家ヴィニア・デルマーの作品「バッドガール」のタイトルだけ拝借したジャズソングで、内容はデルマーの描いたのとは異なる種類のフラッパーの生態です。小説の「バッドガール」は牧逸馬の翻訳が大当たりしたことでビクターやコロムビアが「文芸小唄」として競ってリリースしましたから、勘違いして買ったお客もいることでしょう。服部良一がタイヘイで初めて書いた流行小唄で、アレンジも自身で施しています。この2つのタイヘイ録音、伴奏もジャジーで、上手いプレイが散らばっています。この種のエロ小唄は1930年代の欧米でさかんに作られたポピュラーソング、カバレットソング、シャンソンと同列に並べられるテーマで、タイヘイという地域レーベルに時代のシンクロニティーを見ることができるのはたいへん興味深いことです。

ところで、ひとかたまりここに集大成したエロ小唄は昨今話題となっている「エロエロ草紙」を読みながらお楽しみいただくと、より立体的な昭和初期体験ができるはず。ぜひお試しください。

最後に、大阪松竹少女歌劇の関連の録音を集めてみました。

道頓堀の松竹座で誕生した松竹楽劇部はジャズに積極的な姿勢を示し、大正期からジャズバンドがひとつの名物でした。松竹ジャズバンドや松竹座管絃団が吹き込んだジャズ関連の録音は六十件あまりにのぼるのですが、そこから2曲選びました。

「フウ」はこのバンドの特徴が濃厚に出ている、サービス精神満点のよい演奏です。またDISC-1のユニオン・チェリーランド・ダンスオーケストラと比較すれば、大阪で実際に行われていたジャズの片鱗が感じられるでしょう。

スエズ」は「フウ」よりすこし後の録音で、アンサンブルを重視したポール・ホワイトマン流の演奏です。ジャズギターの角田孝が生前、レコード初録音として「スエズ」を挙げています。松竹ジャズバンドの多くの録音に通底する天真爛漫さが、この録音からも漂っています。

「紐育行進曲」は井上起久子と松竹座声楽部生徒のコーラス入りで、松竹座楽劇部時代のレヴューを彷彿とさせるスピーディーでメカニックな演奏です。沸き立つような躍動感にあふれています。

天神祭どんどこの唄」は、ジャズではありませんが昭和初期の松竹レヴューの雰囲気をひとつ欲しくて入れました。田谷力三は浅草オペラのスターで昭和期にも引き続き浅草で活躍していましたが、昭和5,6年に大阪でもしばしば独唱会やステージ出演を行なっていました。

「恋のステップ」は笠置シズ子が初めの芸名、三笠静子で吹き込んだレコードデビュー録音です。初復刻。(今回も初復刻の音源は半数以上ありますが)

つづく「春のおどり(桜咲く国)」も笠置シズ子が合唱に加わっていますが、こちらは芦原千津子のタップをメインとした録音。

最後の「大阪名物年中行事 春のおどり」は1941年の「春のおどり」の宣伝用に上演演目をコンパクトにまとめた録音で、同種の宣伝盤が1940年にも制作されています。この’41年度盤は、いまもご健在な京マチ子さんがハイティーン時代、すでにスターの片鱗をみせていた時期に司会をして吹き込んだレア音源です。1941年という時期に4サックスの松竹爆音舞台がスウィングしまくっていることに驚かされます。この抜粋盤にも勝浦千浪のタップが登場します。

大切なビリケンの商標を快く使わせていただいた田村駒株式会社様、素敵な序文を頂いた橋爪節也先生をはじめとして、今回のCD制作にも多くのコレクター、知友、レコードレーベルのご協力をいただきました。ここに厚くお礼申し上げます。

以上、すこし語りすぎた観がありますが、ジャズに、ヴォーカルに、タップに満ち満ちた大大阪をたっぷりお楽しみください!


「大大阪ジャズ」発売にあたって。 その壱

お待たせしました。そのひと言に尽きます。

戦前大阪のジャズは、僕にとって大きな課題のひとつでした。拙著「ニッポン・スウィングタイム」でも触れましたが、日本のジャズの中心はいっときとはいえ関西、ことに大阪にあったのであり、細かな事実の積み重ねがそれを証明します。
タイトルのとおり大大阪時代のジャズに特化したCDとして企画を立てましたが、その選曲には悩み抜きました。戦前大阪と大大阪圏内のレコードから純粋にジャズ録音を追求すると、インストとジャズソングでゆうにCD2枚分は埋まりますし、じっさい今回のCD候補音源として200種あまりを俎上に上げました。しかし大正期〜昭和初期のインストとジャズソングだけでは平板で今ひとつパンチの足りない、退屈なプログラムになってしまう危険をはらんでいました。具体的にいえば、関西にはディキシー系のジャズ録音はそこそこあるのですが、スウィングに足を踏み込んだ録音が極端に少ないのです。松竹ジャズバンドとか国歌ジャズバンドなどのインストばかりでCD1枚を埋めれば、コアな研究者には喜ばれるかもしれませんが、楽しく聴き通せるかははなはだ疑問なので、ぐらもくらぶの他のCD同様、エンターテインメントを第一義に考えて編みました。
キーワードは「時代精神としてのジャズ」です。ジャズを基調とした流行小唄やタップ、松竹少女歌劇に範囲を広げて、ジャズとしての要素をアレンジないし演奏に含んでいることを条件としました。破調的にジャズとは直接関係のないレアな音も2曲ほど挟みましたが、 大 大 阪 というメトロポリスの勢いを伝えるうえでの演出とお考えいただければ幸いです。

なお、今回のCD,大阪通天閣のシンボルで幸福の神様として知られているビリケンさんを田村駒株式会社様のご厚意でキャラクターとして使用しております。
大阪みやげにぜひ!
また大阪での取り扱い店も募集中です。 贅言は省いて、ぐらもくらぶの次回作「大大阪ジャズ」の曲目詳細を発表いたします。

DISC-1は海外楽曲カバー録音の精華集です。
冒頭には、大阪いや日本初のタップ・ディスクである「ブロードウェーメロデー」を配しました。大木あき子の清純な歌唱もすっきりして良いのですが、このディスクの主人公は中村滋(しげる)のタップです。アンソロジーのトップにふさわしいエスプリあふれる録音です。レコードの冒頭とfinに入っているやんやの喝采がいかにも楽しい雰囲気を醸し出していて、何年も前から「大大阪ジャズ」を作るなら1曲目にこれ、と決めてました。

そのあとCD前半には大阪のジャズソング女王・井上起久子を特集しました。


井上起久子は昭和4年から日本コロムビアの大阪スタジオで数多くの録音を行ない、その多くがコロムビアのサブレーベルであるオリエントから発売されています。親レーベルのコロムビアでも井上の録音はリリースされていますが、映画主題歌や流行小唄が主で、どういうわけかジャズソングはオリエントに集中しています。
そのジャズソング群には「太湖船」「ドナウ河の漣」「乙女の唄(六段の曲)」、和製ジャズ小唄の「大阪行進曲」「恋のジャズ」など佳作が数多くありますが、当セットにはビギンのもっとも早いカバー例である「サリタ」、歌唱も演奏もすばらしい「思ひ出」、ケータイ小説のような歌詞の「断然好きだ」、井上起久子のある一面を濃厚に示す録音として「嘆きの天使」(バタフライ録音)を選びました。もはや忘れ去られてしまったかつてのジャズソング女王の可憐、妖艶、ストイックな魅力を僕はこよなく愛します。「ニッポン・スウィングタイム」にもこまごま書きましたが、百万言を費やすよりも聴いて頂いたら一発で通じるでしょう。
次に、大正〜昭和初期、日本のジャズメンに大きな影響を与えた外国人バンドを4つ入れました。ローヤルジャズバンドの「チンチャン」はクレズマーの影響がちらほらと窺える録音。このバンドの詳細は未詳ですが、リズム感覚やフィーリングから同時代の日本人の演奏でないのは確かです。大阪でいちばん最初に「ジャズバンド」と銘打って発売されたレコードなのでここに収録しました。日東管絃団の” Guage of Amour Avenue”はフレッチャー・ヘンダーソン楽団の録音で知られているナンバーをフィリピン人主体のバンドが演奏したレコードです。中間部のトロンボーンクラリネットの長い長い、そしてブラックな色合いのソロは、日本のジャズ録音ではきわめて珍しい記録です。つづく上海のカールトン・ジャズバンド「カラバン」はマヌーシュ・ジャズの先駆をなす演奏として注目されるべき録音です。1927年にすでに極東にジャズヴァイオリンが入ってきている事実は、なにを物語るでしょう? 最後のヒリッピン・ジャズバンド「バカボンド」は当時、大阪名物だったフィリピンジャズを生々しく捉えた記録です。フィリピン人のやっていたジャズがどんなものであったか、これらの録音を聴けば得心がいくでしょう。彼らがあふれるほど持っていたフィーリングが大阪のジャズメンの恰好のお手本となり、やがて東京にホットジャズを波及させたのです。



おなじ大正期、日本でジャズサックスを志したプレイヤー・前野港造の貴重な録音をふたつ入れました。彼の録音の多くは邦楽曲やクラシカルな曲目なのですが、かろうじてアメリカのフォックストロットを2曲、ニットーに吹き込んでくれています。今日の観点からはジャズといわれても頷き難いナンバーと演奏ですが、このようなパイオニアの積み重ねの延長線上に、いま私たちが聴いているジャズがあります。現代のサックスプレイヤーの皆さんにはぜひお聴きいただきたい演奏です。

大阪から東京に雄飛して日本にジャズブームの火をつけた井田一郎は、上京前に少量の録音をニットーに残しました。その中から、明確に井田一郎のバンドの特徴を示す演奏として”Who”を収録しました。同時代の大阪のジャズのなかで井田たちの演奏がいかに研究的で且つじっくりジャズを楽しむ演奏であったかは、DISC2の松竹座管絃団による同曲の演奏や、おなじ時期のほかのトラックのジャズ演奏と聴き比べれば一目瞭然でしょう。
その学究的ともいえる井田バンドと対極ともいえる破天荒な演奏が、豊中あたりにあった国歌レコードに残されていたので収録してみました。ハラダジャズバンド「カチンカ」はメンバーは未詳ですが、先に取りあげたヒリッピンジャズバンドからの影響を思わせるホットで乱調子な演奏です。

DISC1の後半には大阪の地域レーベルがカバーしたスタンダードナンバーを特集しました。
「岡の月光」(山口静子)は廉価な小型盤ながら、2分弱のなかにオリジナリティあふれるアレンジが聴かれます。タイヘイが力を傾注した「巴里の屋根の下」主題歌2曲は、よりすぐりのプレイヤーたちに加えて当時東京から関西に活動の場を移していたアーネスト・カアイが加わっている豪華盤。黒田進と井上起久子がそれぞれ好唱を聴かせてくれますが、このレコードのもう一方の主役は中村滋のタップです。冒頭の「ブロードウェーメロデー」とほぼ同時に発売されたレコードで、日本のタップ・ディスクの嚆矢となった録音です。
大阪のジャズ録音は昭和初期には東京のメジャーレーベル並みの繁盛をみせましたが、昭和10年代に向けて減少の一歩をたどります。その乏しい録音のなかから、コッカの「カリオカ」「セントルイズブルーズ」、ショーチクの「ダイナ」を選んでみました。ショーチクは京都のレーベルですが、「ダイナ」を吹き込んでいるサムカトーミュジックボーイは、大大阪の文化圏内にあったダンスホール「タイガー」の出演バンドなのです。いわばリアルな実働バンドの音。レコード用に作られた音が氾濫する戦前ジャズの世界ではレアな記録といえます。


つづく3曲は、広瀬正が小説化を企てていたことで知られる紙恭輔の音です。主に東京で活動していた紙恭輔とPCLジャズバンドがどうして大阪のコッカレコードで6面の録音を行なったのか、いまだ定かではありませんが、彼らのレコード3枚が大阪でレコード化され流通したのは動かしがたい事実です。本来ならば「大東京ジャズ」に収録してもよい音源なのですが、大阪人の趣味に合致するとも思えない紙恭輔の流線型の音楽を縁もゆかりもないコッカがレコード化していることに敬意を表して、「大大阪ジャズ」に収録しました。(画像の「ダイナ」は今回のアンソロジーには収録していません。今回は。)

DISC1最後の一曲は、やはりコッカの「美はしの瞳」です。歌手もバンドも未知の人々ですが、昭和10年代の大阪のエンターテインメントの雰囲気を伝える、なんとも遊蕩気分ただよういい感じのジャズソングなので、これを最後の〆に配しました。コッカレコードでも最後へんのジャズ録音であり、コンデンサーマイクを用いているようですが、ことによると東京のスタジオで録音した原盤を大阪でプレスしたのかもしれません。不確定な情報なのでライナーには記しませんでしたが、昭和10年代の関西のレーベルには謎な部分が多いのも魅力のひとつなのです。

CD紹介が思いの外長くなったので2回に分けます。