ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

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ぐらもくらぶでの都市ジャズ三部作も大東京ジャズ Jazz in The Tokyo Great Tokyo Jazz song collection 1925~1940">で一段落ついて、また装いも新たな企画路線を模索している(実はすでに次作の企画もあるという噂)今日この頃ですが、運良く死に損なったこともあってここらで疾風怒濤のようであった戦前ジャズの覆刻について顧みてみたくなりました。平ったくいえば総括です。 ビクター、テイチク、コロムビア、ユニバーサル、キングの「ニッポン・モダンタイムス」シリーズとぐらもくらぶの諸CDで選曲の多くをさせて頂いた僕の、すべてに通底する思いは「古いは新しい」という一言に集約されるかと思います。レコードは時代の空気の缶詰です。政治にまれ流行にまれ人間の営みがいかに不変であるかは文献でも親しく知ることができますが、現代を生きる人々が何十年も前の人々とおなじ感情に左右され、おなじ感動を味わえることを、戦前ジャズのレコードの数々は教えてくれます。 たとえば恋です。 ジャズソングのほとんどは恋歌といって差し支えありません。 昭和初期の一部のソングスは文語体の歌詞で伝わりにくさがあったりしますが、初期の作詞家でも堀内敬三や伊庭孝、時雨音羽昭和10年代の三根徳一、佐藤惣之助藤浦洸などといった人々の歌詞は平易でスッと人の懐に飛び込むシンパシーを持っています。驚くべきは海外ナンバーの多くも、言葉の壁を超えて、大意を掴みながらオリジナルの歌詞に込められた想いを伝えていることです。 それを形にする歌手は時代によってヴォーカルの様式の変遷はありますが、それぞれのスタイルに従って歌詞に込められた想いを歌っています。 たとえば青木晴子や天野喜久代、井上起久子などは聴き慣れなかったらソプラノのかなきり声にしか聞こえず、歌手の区別もつかないかもしれませんが、1910〜20年代アメリカのポピュラーソングがそうであったように声楽に基礎を置いた歌手が全盛を築いていたことを踏まえて聴けば、烈々たる恋情の伝わるヴォーカルが心に刺さります。「スウィング・パラダイス」">(ユニバーサル)に収録した青木晴子の「君が居なけりゃ “I’ll be Lonely”」はその意味の絶唱ですし、「大東京ジャズ」 Jazz in The Tokyo Great Tokyo Jazz song collection 1925~1940">の天野喜久代と柳田貞一による「赤い唇 “"Red Lips Kiss my Blue Aways"”」は古いスタイルの頂点にある微笑ましい掛合ラブソングです。唇を巡る駆け引きはいささかも古くない情景でしょう。 あまりに有名になったので書かないでおこうと思いましたが、昭和ひと桁の最大のスター、二村定一のラブソングの切なさは他に類のない表現方法だと感じます。彼の唄が21世紀に入っても新しいファンを獲得し続けるのはその辺に関係があるのではないでしょうか。「私の青空~二村定一ジャズ・ソングス」">(ビクターエンタテインメント)に収録した「毎晩見る夢 "Liebesträum"」は恋の叶う高揚した気持ちを、リリコ・テナーを保持しながら体を張って歌いあげています。原曲未詳の「青春小唄」は、タイトルは安易ですがまどろむような幸福感をほぼ無技巧のとろけるような声で表現しています。明朗で陰影の深い声の勝利です。 有名な「君恋し」は3番まで駆け足で歌い去っていますが、明るい声なのに悲しい声でサビの〽君恋し…と訴えるバックのアレンジ(=井田一郎)は3番とも異なっており、三種三様に焦燥感を表現してクライマックスを形作っています。これはアレンジのマジックがヴォーカルに奥行きを与えた例でしょう。 その二村の最高のラブソングは、未練たっぷりの淡い哀しみにあふれた「恋人よかへりませ “Lover, Come back to Me”」(ぐらもくらぶ二村定一 ~街のSOS!~">に収録)です。抑制気味の端々まで神経の行き届いたヴォーカルは、クライマックスで逆に不明瞭にぼかされ、頂門を敢えて外したことで逆に失恋の切なさをまことに印象深く表現しています。この、聴くひとの共感を誘う歌唱があってこその二村定一だと僕は得心しました。 先般、江戸東京博物館の「大東京モダンミュージックの世界」でも青木研氏(bjo)、渡邊恭一氏(ts)、大谷能生氏(as)が同曲をこの二村盤の雰囲気で演奏しましたが、ヴォーカル無しであの切なさを余すところなく再現したのには驚かされ、聴き惚れてしまいました。 昭和ひと桁の半ばから10年代にかけては日系歌手の来日や、それら日系歌手とレコードに影響を受けた邦人歌手のフィーリングの向上によって、より現代に近い感覚で恋が歌われるようになりました。その代表格のひとりが「上海バンスキング」で吉田日出子が多くのナンバーをカバーした川畑文子です。 川畑文子のヴォーカルはあまり上手くないという世評もありますが、彼女の唄う恋の希求、寂しさ、嬌態がしなやかに聴くひとの心にしのびこむという点では間違いなく優れたジャズシンガーで、張りのある甘い声の魅力を持っているのも強い。テイチクの「SWING GIRLS」">に収録した川畑ナンバーは、彼女のテイチク録音から特に感情表現のすぐれた吹き込みをチョイスしてあります。 「上海バンスキング」でも主題歌のように歌われた「貴方とならば “I’m Following You”」は唄そのものがミディアムテンポのバラードなので彼女としてはおとなしく整っていますが、しっとりと滴がしたたる濡羽のような傑作。 「三日月娘 “Shine on Harvest Moon”」は小唄のような印象を与える芸の細かい歌唱です。フレーズごとに歌い方を変えて、ひとときの逢瀬の短かさを惜しみながらも歓ぶ気持ちの揺らぎを現しています。甘く粘りながら未練のある切れ味で生々しい断面をみせる、裂けるチーズのようなヴォーカルです。彼女のデビュー録音であるコロムビアの同曲と比べると明らかに上手くなっています。 「ティティナ “Titina”」はアンニュイな歌唱で切なく恋人を追い求めています。三根徳一の当てた歌詞が完全に現代でも違和感のない口語体となっていますから、心のしめつけられるようなラブレターを歌っているようなものです。 「SWING TIME」">(日本コロムビア)に収録したベティ稲田の「誰かあなたを “Someboby Loves You」は、川畑文子とは正反対に近いくっきりした輪郭線の鋭い美声で歌われる恋歌です。なんとなく必死さを感じさせる、いじらしいヴォーカルが心に残ったので選びました。 日本に1面しか録音のないドリー藤岡の「懐しの河畔 "Where the Lazy River goes by"」は遠く離れ離れになって諦めのはいったラブソングですが、演奏もヴォーカルも戦前の最高峰を示しています。 その逆に宮川はるみの「恋の街 "Every Little Moment"」は都会的に洗練されたスマートな表現でデートの喜びが綴られています。 「唄へ唄へ “Sing Sing Sing”」も宮川はるみのハスキーヴォイスで抑制気味に歌われるので、コロムビア・ジャズバンドの戦前ジャズのお手本のような名演奏に気を取られてつい聴き流してしまいがちになりますが、飛び上がりたくなるような成就した恋の素晴らしさが目一杯つめ込まれた歌詞です。 ディック・ミネは存在自体がラブソングの権化といった趣きがあります。テイチクの「Empire of Jazz」">にまとめましたが、デビュー録音の「ロマンティック “Romantic”」がけっきょくディック・ミネというジャズシンガーの本質を体現しきっている気がします。数多くの恋歌のなかから傑作を一曲だけ選べと言われたら、「頬を寄せて “Cheek to Cheek”」の天上に舞い上がりそうなわくわく感に敵うナンバーはないでしょう。シックなディック・ミネのヴォーカルは軽く彼女をリードして踊るようです。 ライナーではことさらにジャズバンドの編成や各プレイヤーの演奏について細かく述べましたが、それはバックバンドもシンガーと同様、ラブソングを歌っていると考えたからです。「君が居なけりゃ」や「恋人よかへりませ」のトランペット、至るところでソロを吹くサックス、そうしてシンガーと共に高まりをみせるアンサンブルもヴォーカルとおなじ世界にいるのです。となれば、パーソネルについて細かく記さざるを得ません。もっともパーソネルをひとりひとり固定してゆくのは、根気は要りますが楽しい作業でした。 戦前のジャズやジャズソングの世界が、心情的にいかに現代の私たちの世界と同じであるか。それを拙著の「ニッポン・スウィングタイム」">(講談社, 2010)を上梓してからの4年間にめいっぱい形にできたと思います。なかなか分かりにくいかと思いきや理解者にも恵まれたことは幸せでした。まあ、その派生として『ねえ興奮しちゃいやよ』 昭和エロ歌謡全集 1928~32">(ぐらもくらぶ)という世界も形にしてしまったのですが。 これからぐらもくらぶがどんな世界へ歩んでゆくか、暖かくお見守りください。