ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

「大大阪ジャズ」発売にあたって。 その壱

お待たせしました。そのひと言に尽きます。

戦前大阪のジャズは、僕にとって大きな課題のひとつでした。拙著「ニッポン・スウィングタイム」でも触れましたが、日本のジャズの中心はいっときとはいえ関西、ことに大阪にあったのであり、細かな事実の積み重ねがそれを証明します。
タイトルのとおり大大阪時代のジャズに特化したCDとして企画を立てましたが、その選曲には悩み抜きました。戦前大阪と大大阪圏内のレコードから純粋にジャズ録音を追求すると、インストとジャズソングでゆうにCD2枚分は埋まりますし、じっさい今回のCD候補音源として200種あまりを俎上に上げました。しかし大正期〜昭和初期のインストとジャズソングだけでは平板で今ひとつパンチの足りない、退屈なプログラムになってしまう危険をはらんでいました。具体的にいえば、関西にはディキシー系のジャズ録音はそこそこあるのですが、スウィングに足を踏み込んだ録音が極端に少ないのです。松竹ジャズバンドとか国歌ジャズバンドなどのインストばかりでCD1枚を埋めれば、コアな研究者には喜ばれるかもしれませんが、楽しく聴き通せるかははなはだ疑問なので、ぐらもくらぶの他のCD同様、エンターテインメントを第一義に考えて編みました。
キーワードは「時代精神としてのジャズ」です。ジャズを基調とした流行小唄やタップ、松竹少女歌劇に範囲を広げて、ジャズとしての要素をアレンジないし演奏に含んでいることを条件としました。破調的にジャズとは直接関係のないレアな音も2曲ほど挟みましたが、 大 大 阪 というメトロポリスの勢いを伝えるうえでの演出とお考えいただければ幸いです。

なお、今回のCD,大阪通天閣のシンボルで幸福の神様として知られているビリケンさんを田村駒株式会社様のご厚意でキャラクターとして使用しております。
大阪みやげにぜひ!
また大阪での取り扱い店も募集中です。 贅言は省いて、ぐらもくらぶの次回作「大大阪ジャズ」の曲目詳細を発表いたします。

DISC-1は海外楽曲カバー録音の精華集です。
冒頭には、大阪いや日本初のタップ・ディスクである「ブロードウェーメロデー」を配しました。大木あき子の清純な歌唱もすっきりして良いのですが、このディスクの主人公は中村滋(しげる)のタップです。アンソロジーのトップにふさわしいエスプリあふれる録音です。レコードの冒頭とfinに入っているやんやの喝采がいかにも楽しい雰囲気を醸し出していて、何年も前から「大大阪ジャズ」を作るなら1曲目にこれ、と決めてました。

そのあとCD前半には大阪のジャズソング女王・井上起久子を特集しました。


井上起久子は昭和4年から日本コロムビアの大阪スタジオで数多くの録音を行ない、その多くがコロムビアのサブレーベルであるオリエントから発売されています。親レーベルのコロムビアでも井上の録音はリリースされていますが、映画主題歌や流行小唄が主で、どういうわけかジャズソングはオリエントに集中しています。
そのジャズソング群には「太湖船」「ドナウ河の漣」「乙女の唄(六段の曲)」、和製ジャズ小唄の「大阪行進曲」「恋のジャズ」など佳作が数多くありますが、当セットにはビギンのもっとも早いカバー例である「サリタ」、歌唱も演奏もすばらしい「思ひ出」、ケータイ小説のような歌詞の「断然好きだ」、井上起久子のある一面を濃厚に示す録音として「嘆きの天使」(バタフライ録音)を選びました。もはや忘れ去られてしまったかつてのジャズソング女王の可憐、妖艶、ストイックな魅力を僕はこよなく愛します。「ニッポン・スウィングタイム」にもこまごま書きましたが、百万言を費やすよりも聴いて頂いたら一発で通じるでしょう。
次に、大正〜昭和初期、日本のジャズメンに大きな影響を与えた外国人バンドを4つ入れました。ローヤルジャズバンドの「チンチャン」はクレズマーの影響がちらほらと窺える録音。このバンドの詳細は未詳ですが、リズム感覚やフィーリングから同時代の日本人の演奏でないのは確かです。大阪でいちばん最初に「ジャズバンド」と銘打って発売されたレコードなのでここに収録しました。日東管絃団の” Guage of Amour Avenue”はフレッチャー・ヘンダーソン楽団の録音で知られているナンバーをフィリピン人主体のバンドが演奏したレコードです。中間部のトロンボーンクラリネットの長い長い、そしてブラックな色合いのソロは、日本のジャズ録音ではきわめて珍しい記録です。つづく上海のカールトン・ジャズバンド「カラバン」はマヌーシュ・ジャズの先駆をなす演奏として注目されるべき録音です。1927年にすでに極東にジャズヴァイオリンが入ってきている事実は、なにを物語るでしょう? 最後のヒリッピン・ジャズバンド「バカボンド」は当時、大阪名物だったフィリピンジャズを生々しく捉えた記録です。フィリピン人のやっていたジャズがどんなものであったか、これらの録音を聴けば得心がいくでしょう。彼らがあふれるほど持っていたフィーリングが大阪のジャズメンの恰好のお手本となり、やがて東京にホットジャズを波及させたのです。



おなじ大正期、日本でジャズサックスを志したプレイヤー・前野港造の貴重な録音をふたつ入れました。彼の録音の多くは邦楽曲やクラシカルな曲目なのですが、かろうじてアメリカのフォックストロットを2曲、ニットーに吹き込んでくれています。今日の観点からはジャズといわれても頷き難いナンバーと演奏ですが、このようなパイオニアの積み重ねの延長線上に、いま私たちが聴いているジャズがあります。現代のサックスプレイヤーの皆さんにはぜひお聴きいただきたい演奏です。

大阪から東京に雄飛して日本にジャズブームの火をつけた井田一郎は、上京前に少量の録音をニットーに残しました。その中から、明確に井田一郎のバンドの特徴を示す演奏として”Who”を収録しました。同時代の大阪のジャズのなかで井田たちの演奏がいかに研究的で且つじっくりジャズを楽しむ演奏であったかは、DISC2の松竹座管絃団による同曲の演奏や、おなじ時期のほかのトラックのジャズ演奏と聴き比べれば一目瞭然でしょう。
その学究的ともいえる井田バンドと対極ともいえる破天荒な演奏が、豊中あたりにあった国歌レコードに残されていたので収録してみました。ハラダジャズバンド「カチンカ」はメンバーは未詳ですが、先に取りあげたヒリッピンジャズバンドからの影響を思わせるホットで乱調子な演奏です。

DISC1の後半には大阪の地域レーベルがカバーしたスタンダードナンバーを特集しました。
「岡の月光」(山口静子)は廉価な小型盤ながら、2分弱のなかにオリジナリティあふれるアレンジが聴かれます。タイヘイが力を傾注した「巴里の屋根の下」主題歌2曲は、よりすぐりのプレイヤーたちに加えて当時東京から関西に活動の場を移していたアーネスト・カアイが加わっている豪華盤。黒田進と井上起久子がそれぞれ好唱を聴かせてくれますが、このレコードのもう一方の主役は中村滋のタップです。冒頭の「ブロードウェーメロデー」とほぼ同時に発売されたレコードで、日本のタップ・ディスクの嚆矢となった録音です。
大阪のジャズ録音は昭和初期には東京のメジャーレーベル並みの繁盛をみせましたが、昭和10年代に向けて減少の一歩をたどります。その乏しい録音のなかから、コッカの「カリオカ」「セントルイズブルーズ」、ショーチクの「ダイナ」を選んでみました。ショーチクは京都のレーベルですが、「ダイナ」を吹き込んでいるサムカトーミュジックボーイは、大大阪の文化圏内にあったダンスホール「タイガー」の出演バンドなのです。いわばリアルな実働バンドの音。レコード用に作られた音が氾濫する戦前ジャズの世界ではレアな記録といえます。


つづく3曲は、広瀬正が小説化を企てていたことで知られる紙恭輔の音です。主に東京で活動していた紙恭輔とPCLジャズバンドがどうして大阪のコッカレコードで6面の録音を行なったのか、いまだ定かではありませんが、彼らのレコード3枚が大阪でレコード化され流通したのは動かしがたい事実です。本来ならば「大東京ジャズ」に収録してもよい音源なのですが、大阪人の趣味に合致するとも思えない紙恭輔の流線型の音楽を縁もゆかりもないコッカがレコード化していることに敬意を表して、「大大阪ジャズ」に収録しました。(画像の「ダイナ」は今回のアンソロジーには収録していません。今回は。)

DISC1最後の一曲は、やはりコッカの「美はしの瞳」です。歌手もバンドも未知の人々ですが、昭和10年代の大阪のエンターテインメントの雰囲気を伝える、なんとも遊蕩気分ただよういい感じのジャズソングなので、これを最後の〆に配しました。コッカレコードでも最後へんのジャズ録音であり、コンデンサーマイクを用いているようですが、ことによると東京のスタジオで録音した原盤を大阪でプレスしたのかもしれません。不確定な情報なのでライナーには記しませんでしたが、昭和10年代の関西のレーベルには謎な部分が多いのも魅力のひとつなのです。

CD紹介が思いの外長くなったので2回に分けます。