ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

「大大阪ジャズ」発売にあたって。 その貳

DISC-2は「大大阪」をテーマに、ジャズの周辺音楽をさぐってみました。

まず最初に、大阪を歌ったジャズソング特集です。

「大阪行進曲」はコロムビア関西文芸部が最初に放ったヒット曲です。オリエントから1929年8月新譜(7月20日発売)でリリースされた井上起久子歌唱盤がヒットし、一ヶ月後の8月24日、東京で吹きこまれた植森たかを盤がコロムビアから発売されました。井上起久子盤は「心斎橋コレクション」の附録CDに収録しましたので、今回はすがすがしいカタルシスをおぼえる快唱、植森たかを盤をCD-2の冒頭に配しました。

2曲目は二村定一の「浪花小唄」。テッパンのナンバーですね。フォックストロット・ジャズとしてもきれいなまとまりをみせた傑作です。

3曲目と4曲目「花街行進曲(新町)」「飛田夢想曲」は大阪日日新聞が企画したシリーズ・レコードの一部で、河合ダンスの音楽指導をしていた杉田良造がたいへん特徴的な作曲・編曲をほどこしています。東京のメジャーレーベルの企画会議からはまず生まれない、生々しい庶民感覚にあふれたフォックストロットです。5曲目の「大阪セレナーデ」(Sブラ行進曲)も大阪時事新報の地域振興企画から生まれたジャズソング。

続く2曲「大阪夏祭風景(天神祭)」と「道頓堀おけさ」はアレンジの妙に注目して収録した唄。前者は前述の杉田良造が作曲し、本格的なディキシースタイルの編曲を施した、蒼く熱する夏の夜の祭りへの讃歌です。後者は日本におけるラテン・アレンジの祖、篠原正雄が複合的なルンバフォックストロットのリズムを駆使した怪作。たいへん凝ったアレンジを演奏するN.O楽団もまた高い水準を聴かせてくれます。

2つ目のグループは、大阪が生んだ偉大な作曲家・ジャズアレンジャーの服部良一の若き日の録音集です。

「串本節」は服部がコッカレコードでラベルにネームを入れた最初の録音。編曲はもちろん服部で、コンボ形式のジャズバンドに彼自身がCメロディ・サックスで加わっています。彼のアレンジ作風の変遷上、またサックス奏者としてのサンプルとして重要な録音です。次の「テルミー」も服部のアレンジで、バンドに彼のサックスが加わっています。サックスプレイヤーとしての服部良一はいささか一本調子ですが、ブレイクを効果的に用いたアレンジには、のちの作風の萌芽が見られます。

大阪のジャズメンとして服部良一だけを取りあげたのでは、ほかのジャズメンが可哀想なので、ここで昭和ひと桁の大阪で活躍したプレイヤーを紹介したくなりました。

キングダンスオーケストラの「木曽節」は、尼崎にあったダンスホール「キング」の楽団ですが、ここの楽団には1932年、最良のメンバーが揃っていました。「木曽節」で活躍するクラリネット大久保徳二郎。のちにテイチクで作曲家として成功します。トランペットは、これも後にビクターのジャズ・オーケストラに入って多くの録音をリードする古田弘。たとえばあきれたぼういず川田義雄の「浪曲セントルイスブルース」のトランペットがこの人だといえば、もういちど聴き直してみたくなるでしょう? ドラムスは生駒徳二。このひとの門下から戦後、穐吉敏子が飛び出します。日本のジャズ史をぎゅっと凝縮したのがこのディスクといえるのです。アレンジャーは記してありませんから断定はできませんが、服部良一の作風が感じられます。(間奏などには篠原正雄らしさが感じられますが、この時期にタイヘイで作・編曲を行なっていた服部の仕事と考える方が自然ではあります。無記名なので断定は避けたいところです。)

つぎのグループは、エロ・グロ・ナンセンスを謳歌した大大阪です。水都ならぬ粋都といいましょうか。大阪は昭和初期、エロの巷でありました。大阪から東京に進出したカフェ―「タイガー」はキッスサービスなどのエロサービスを売りにしましたし、当時、露天の夜店で廉価に売られていたエロ・レコードの多くは大阪で作られておりました。昭和初期の大阪は本能の表出に積極的な、官能的な街でもあったのです。そこで、ここではカフェ―から流行した唄、時代の尖端を写しとった唄、文字通りエロ小唄を集めてみました。

「カフェ―の唄」は川口松太郎原作の映画「カフェーの女」主題歌。カフェ―女給の心象がよく描写された曲なので選びました。かつてCD復刻されていましたが、擦り切れた音盤を復刻に使用したのかカスカスの音だったので惜しいと思い選んだということもあります。

「エロ・オンパレード」は麦島紀麿(=鳥取春陽)作曲の流行小唄。書生節の作曲・歌手である鳥取春陽は、昭和期の流行小唄の作曲家としては特異なリズム感覚を持ったユニークな存在で、また軽佻浮薄な流行を掬い取って作品にする名人でした。昭和期になってから「エロ行進曲(=エロ小唄)」「尖端小唄」「思ひ直して頂戴な」(後述)、「女は恋に弱いのよ」「恋慕小唄」などをブームに乗せて当てています。「エロ・オンパレード」はフェティッシュな集中力の感じられる面白い歌詞で、黒田進の歌唱が生き生きとした生命をその歌詞に与えています。

ついでながら、すみません!ライナーの歌詞ページで「イット」が「キット」になっています。校正漏れです。

「尖端ガール」は、選曲の時点では同じ黒田進の「潜航艇の唄」とどちらにするか迷ったのですが、流行の風俗を「エロ・オンパレード」とは異なる切り口で掬っていることから選びました。この録音、キーを合わせたら76回転だか75回転だか、びっくりするような低回転数になったということですが、おそらく発売当時は78回転前後でぶん回していたことでしょう。この頃は同種の低速録音がしばしば見受けられるのですが、これだけ極端なパターンが一群を成しているということは異なる回転数で再生されることを見越して意図的に行なっていたのかもしれません。

「思ひ直して頂戴な」は鳥取春陽最後の大ヒット作です。女給の琴線に触れて関西圏のカフェ―から流行しはじめた流行小唄で十数種の関連レコードが作られました。大阪スタジオで吹きこまれたオリエント版は比較的ストレートな編曲ですが、鳥取の内妻であった川田定子(山田貞子)が歌った同曲録音ではもっとも彼女の特質の引き出されたバージョンといえます。

「エロウーピー」と「バットガール」は大衆的な企画力に定評のあったタイヘイのジャズソング。「エロウーピー」はこの時期、タイヘイにまとまった量の録音を残している二村定一と井上起久子のデュエットで、あられもない内容を台詞入りで歌いあげています。「バットガール」は、女流作家ヴィニア・デルマーの作品「バッドガール」のタイトルだけ拝借したジャズソングで、内容はデルマーの描いたのとは異なる種類のフラッパーの生態です。小説の「バッドガール」は牧逸馬の翻訳が大当たりしたことでビクターやコロムビアが「文芸小唄」として競ってリリースしましたから、勘違いして買ったお客もいることでしょう。服部良一がタイヘイで初めて書いた流行小唄で、アレンジも自身で施しています。この2つのタイヘイ録音、伴奏もジャジーで、上手いプレイが散らばっています。この種のエロ小唄は1930年代の欧米でさかんに作られたポピュラーソング、カバレットソング、シャンソンと同列に並べられるテーマで、タイヘイという地域レーベルに時代のシンクロニティーを見ることができるのはたいへん興味深いことです。

ところで、ひとかたまりここに集大成したエロ小唄は昨今話題となっている「エロエロ草紙」を読みながらお楽しみいただくと、より立体的な昭和初期体験ができるはず。ぜひお試しください。

最後に、大阪松竹少女歌劇の関連の録音を集めてみました。

道頓堀の松竹座で誕生した松竹楽劇部はジャズに積極的な姿勢を示し、大正期からジャズバンドがひとつの名物でした。松竹ジャズバンドや松竹座管絃団が吹き込んだジャズ関連の録音は六十件あまりにのぼるのですが、そこから2曲選びました。

「フウ」はこのバンドの特徴が濃厚に出ている、サービス精神満点のよい演奏です。またDISC-1のユニオン・チェリーランド・ダンスオーケストラと比較すれば、大阪で実際に行われていたジャズの片鱗が感じられるでしょう。

スエズ」は「フウ」よりすこし後の録音で、アンサンブルを重視したポール・ホワイトマン流の演奏です。ジャズギターの角田孝が生前、レコード初録音として「スエズ」を挙げています。松竹ジャズバンドの多くの録音に通底する天真爛漫さが、この録音からも漂っています。

「紐育行進曲」は井上起久子と松竹座声楽部生徒のコーラス入りで、松竹座楽劇部時代のレヴューを彷彿とさせるスピーディーでメカニックな演奏です。沸き立つような躍動感にあふれています。

天神祭どんどこの唄」は、ジャズではありませんが昭和初期の松竹レヴューの雰囲気をひとつ欲しくて入れました。田谷力三は浅草オペラのスターで昭和期にも引き続き浅草で活躍していましたが、昭和5,6年に大阪でもしばしば独唱会やステージ出演を行なっていました。

「恋のステップ」は笠置シズ子が初めの芸名、三笠静子で吹き込んだレコードデビュー録音です。初復刻。(今回も初復刻の音源は半数以上ありますが)

つづく「春のおどり(桜咲く国)」も笠置シズ子が合唱に加わっていますが、こちらは芦原千津子のタップをメインとした録音。

最後の「大阪名物年中行事 春のおどり」は1941年の「春のおどり」の宣伝用に上演演目をコンパクトにまとめた録音で、同種の宣伝盤が1940年にも制作されています。この’41年度盤は、いまもご健在な京マチ子さんがハイティーン時代、すでにスターの片鱗をみせていた時期に司会をして吹き込んだレア音源です。1941年という時期に4サックスの松竹爆音舞台がスウィングしまくっていることに驚かされます。この抜粋盤にも勝浦千浪のタップが登場します。

大切なビリケンの商標を快く使わせていただいた田村駒株式会社様、素敵な序文を頂いた橋爪節也先生をはじめとして、今回のCD制作にも多くのコレクター、知友、レコードレーベルのご協力をいただきました。ここに厚くお礼申し上げます。

以上、すこし語りすぎた観がありますが、ジャズに、ヴォーカルに、タップに満ち満ちた大大阪をたっぷりお楽しみください!