ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

二村定一26歳の「スエズ」

毎月恒例の関西発NHKラジオ深夜便「SP盤コーナー」(第二金曜 a.m.2:05〜)、今夜は二村定一26歳の歌声による「スエズ "Suez"」です。放送に先立ち、このディスクについて少し解説を加えます。 スエズ」(妹尾幸陽訳詞、Ferde Grofe & Peter de Rose作曲) 二村定一、女声合唱 ニッポノホン 1926年2月新譜  「スエズ"Suez"はポール・ホワイトマン楽団のアレンジャー、フェーデ・グロフェFerde Grofe(1892-1972)とポピュラー作曲家ペーター・デ・ローズ Peter de Roseによって作られた1922年の流行歌である。  グロフェといえば小学校の音楽で習う「大峡谷」の作曲家としてよく知られているが、1910年代から20年代にはホワイトマンの下で編曲をしていた。ガーシュインの「ラプソディー・イン・ブ ルー」のオーケストレーションも彼の手になる。 「スエズ」には、東洋風味のエキゾティシズムが流行したローリング・トゥウェンティーズらしく「オリエンタル・フォックストロット」と但し書きがある。このポピュラーソングには元唄があって、ルディ・ヴィードーフ Rudy Wiedoeftとエイブ・オルマン Abe Olmanの手になる大ヒットナンバー「キャラバン “Karavan”(1919)のメロディーを、そっくりそのままコーラス部の前半に用いている。作曲者のヴィードーフもホワイトマン・オーケストラのサキソフォニストであったからその引用に関して相互了解がとれていたのか、あるいは競作的におなじテーマを使って楽曲を作ったのだろう。  オリエントとニットーの「スエズ」。ともに1929年。  「スエズ」は日本では大正末から昭和初期にかけて流行した。やはり日本でもエキゾティシズムが世間を席捲し、「キャラバン」や「オリエンタルダンス」などと いった曲が、もっぱら映画館の幕間アトラクションやダンスホールで流行していたのである。レコードは松竹ジャズバンドによるインストゥルメンタル(1929年1月新譜 ニットー)と、井上起久子&松竹楽劇部生徒/松竹管絃楽団が録音したレコード(1929年2月新譜 オリエント)がある。ほかにもあるに違いないが、重要な録音は上記のふたつが挙げられるであろう。  このニッポノホン盤は、二村26歳の折の録音である。伴奏はピアノとヴァイオリン。簡素である。ピアノはミディアムテンポで丁寧に弾かれている。 「スエズ」は日本ではセノオ楽譜が1926年(大正15)に出版し、二村も自用の譜を持っていた。(二村の所蔵楽譜はのちに小林千代子に譲渡され、その遺品が少し前にオークションに放出されていた。)その楽譜に忠実に弾いているものと思われる。ヴァイオリンのオブリガートが控えめに ついている。フォックストロットではあるが節操があり、比較的ゆったりとした、のどかな演奏である。昭和期のジャズブームの狂騒的な強拍的シンコペーションでは、決してない。これは昭和か大正かと言われると、紛れもなく大正の雰囲気だろう。1920年代か1930年代かどちらかと言われると、1920年代 の雰囲気を濃厚に湛えている。  軽い前奏のあと、二村の声が思いのほか強く迫って発せられる。生々しい歌唱である。  伴奏は抑え気味だが、二村定一の歌唱はずいぶん自由奔放だ。まず声が若いのは当然として、これはカルーソーかというほど豊かな声量と圧迫感で聴き手に迫ってくる。  �@独唱、�A女声合唱、�B独唱+合唱 という構成で、一回目はちょっともったいぶって歌っている。とくにサビの「スーエーズ 恋しや…」のフレーズで微妙にテンポを落として、じっくりと丁寧に歌うのが興味深い。原曲はインテンポのアレグロなので、二村かあるいは編曲者が意識的に表情をつけたのである。このような繊細な表情つけはたいへん効果的であり、大正期にはちょっと類のない試みである。微妙にテンポが変わることでハッとするような異化効果をあげ、唄に奥行きが生まれるのである。  2回目のソロで、二村は音程を上げて歌う。もともと二村は声域の高いテナーなので、1回めはやや低い声で歌っていたわけである。この工夫によって、楽曲にまた変化が生まれる。高揚するのである。この2回目の晴れやかな声は、昭和期に入ってからの「青空」や「アラビアの唄」などでお馴染みの声である。  これはほとんど独学で声楽をマスターした二村が自分の理想をみごとに結実させた一瞬だといえるのだが、昭和期のジャズソング全盛時代になるとシンコペーションにきつく縛られて、楽曲への創意工夫はよりリファインされた形で施されるようになる。「スエズ」のようにアグレッシヴな姿勢が顕れた歌唱は大正末期から昭和3年のほんの僅かな時期にだけ残された、若い二村の輝ける軌跡である。  二度目のリフレインに付随する女声コーラスには二村も控えめに加わっている。浅草オペラではメインテーマを一くさりソロで歌ったあと合唱をつけるのが常習的であった。このディスクもおそらく浅草オペラの舞台演出に倣ったものであろう。    このようにジャズ風なシンコペーションが弱いにもかかわらず、二村の歌唱は自由奔放で、奔放すぎるほどのエネルギーをあふれさせている。そこには昭和期になって訪れるジャズソングブームとの直接的な因果関係を感じさせる。ジャズソングの萌芽的なものを、このディスクからは汲むことができるのである。