ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

天野喜久代の「マイヱンゼル」

「マイヱンゼル」Angela mia”(伊庭孝訳詩、Erno Rapee作曲)  天野喜久代、レッド、エンド、ブリュー・クラブ  コロムビア 1929年3月5日録音、同年5月新譜  昭和初期、天野がラジオやステージで盛んに歌っていたナンバーである。やはり得意にしてラジオ・実演で歌っていたハワイアン調の「恋の飛行機」とのカップリングで、ジャズソングの女王として全盛期の天野喜久代をリアルに感じさせる一枚といってよいだろう。  「マイヱンゼル」原曲のAngela Mia”は1928年の映画「街の天使 ”Street Angel”」主題曲で、エディス・ハワイアン・セレネーダースやポール・ホワイトマンコロムビア盤で大流行した。  日本では天野盤より早く二村定一と立教の学生バンド、ハッピーナイン・ジャズバンドが「第七天国」(1928年10月新譜)のタイトルでレコーディングしている。いかにも二村向きのナンバーだが、前述のとおり天野喜久代もしばしば歌っており、天野向きの曲なので期待して探求していた盤である。(なお天野喜久代のニッポノホン盤にも「第七天国の唄」があるが別曲。)  慶應大学の学生バンド、「レッド・エンド・ブリュー・クラブ」(=レッド・エンド・ブルー・ジャズバンド)は、このディスクではクラリネット、テナーサックス、トランペット、トロンボーンテューバ、ドラムス、ピアノ、ヴァイオリンという編成で吹き込んでいる。このバンドとしては珍しくホットプレイに挑戦している。  たいへん勢いのある「やってやるぞ」的なイントロ。天野の歌唱も魅力的な声で抑揚のメリハリも利いて、はりきっている。天野にはときおり明らかに気の乗っていないレコードもあるが、これは気合が入っていて好感のもてる。期待通りの佳唱だった。一連のカアイ・バンドとの録音とともにニッポノホン=コロムビアでも屈指の出来栄えだろう。  ただし慶応のジャズ好き坊ちゃんたちレッド・エンド・ブリュー・クラブの演奏は勢い余って空回りする場面が多々ある。特にコーラスのあとの長いインストゥルメンタルはプロとはいえない無様さだが、昭和初期の一流学生バンドの水準を計る演奏として条件付きで楽しく聴ける。  インスト部分はまずトロンボーンがフィーチャーされ、蔦のようにトランペットが歯切れ悪く絡まる。次いでトランペットが勢いだけは豪快にソロを取るが、途中で調子を崩して音頭のようなズンチャ節に堕してしまう。そこをトロンボーンが受け、クラリネットがソロを引き受けるも、こ のクラリネットが最悪。情熱に技術が追いつかずキンキンと騒音を撒き散らす。そのあとに現われるのはサンフランシスコ帰りの菊池滋彌のピアノ。メンバーの不完全燃焼に悪影響を受けたのか、危なげがないといえばないが目茶苦茶にも聞こえるリフを重ねる。ただしこのピアノはメンバーのなかでは最もしっかりした技量である。  最後はヴァイオリンがなだらかに誘導して、ポール・ホワイトマン風の美しいアンサンブルにまとまる。ソロプレイには難があるが、若さゆえの跳ねっかえりだと思えば、それもまた微笑ましい。  歌詞は天野喜久代のジャズソングではおなじみの伊庭孝。伊庭らしいこなれた訳詩だが、天野の発音が浅草オペラ風の大仰な抑揚なので、やや聴き取りにくい。因みに二村の「第七天国」とは異なる歌詞である。  昭和初期の雑誌の対談記事に伊庭が出席していて、ジャズソングの訳詩の苦労について語っている。レコード会社からは録音の前日か前々日くらいに訳詩の依頼が来る。伊庭は楽譜の音符に載せて訳詩をするので原詩といっしょに楽譜も回してほしいのだが、歌手が練習に使うため楽譜が 来ないことがある。そういう時はお手上げで、「ハレルヤ」が流行っていた時期に最良の歌詞をレコードに提供できなかったのが惜しかったという。  もっとも歌手のほうも録音日の前日か二、三日前、酷いときは録音日当日に楽譜を受け取るので、ろくに歌いなれていない状態の歌唱をレコードに 取って全国販売するという慌しさであった。特に二村定一や天野喜久代は楽譜の初見が利くので、楽譜を当日渡されるということがしばしばだった。まだ二村は人気に乗って売れたから良いようなものの、天野喜久代はコロムビアの企画でジャズソングを矢継ぎ早にレコーディングし、その何分の一かはお蔵入りになるし、乱発が災いしてセールス的には不発盤が多い。そのためコロムビア内では風当たりが強かったそうで、気の毒な話だ。