ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

二村定一の「暁の唄」

「暁の唄」 

中里富次郎訳詩、Milton Ager作曲、井田一郎編曲。二村定一,コロムビアオーケストラ。1931年2月新譜

二村定一は1928年より1929年にかけてニッポノホンに、時を同じくして1928年より1930年にかけて日本ビクターでレコードを吹き込んだ。特にビクターとは1928年夏の全国巡業後に専属契約を結んで、同社のジャズソング全盛時代を築いた。

その後、二村を育てた作曲家・プロデューサー佐々紅華の勧誘で、時雨音羽とともに日本コロムビアに移籍した。ビクターで徐々にファンの吸引力を失いつつあったとはいえ、ビッグネームの移籍劇は業界になにかと話題を振りまいた。その移籍がややフライング気味であったため、コロムビア移籍後初のレコードは覆面歌手として発売された。

移籍後も二村定一の名はジャズソング歌手として名高く、コロムビア時代の初期には二村向きの好企画に恵まれた。

1931年2月新譜の「暁の唄」は、ポール・ホワイトマンと彼のオーケストラがフィーチャーされた映画「キング・オヴ・ジャズ」"King of Jazz"の挿入曲のひとつ"Song of the Down"が原曲である。

このレコードは、二村の歌唱が本場のバンド歌手っぽく聞こえるのも魅力だが、それよりも初期のコロムビアジャズバンドの熱のこもった演奏が聞きものである。(ラベル上の表記はコロムビアオーケストラとなっているが、聴いてみると典型的なコロムビアジャズバンドの演奏であった。)

このレコードが作られた当時、コロムビアはマイクロフォン設備の入れ替えを行っていた。マイクが変わった当初は機材を生かしきれなかったのか、歌唱の捉えきれていないレコードや、全体的に音量レベルの低いレコードが作られた。藤山一郎の「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」などもそうであるが、二村のコロムビア時代初期もちょうどその時期に当たる。このレコードの二村はメガホンを口に当てて歌ったような声になっている。たとえて言うなら、PCL映画「エノケンの青春酔虎傳」で「カレヂエート」を歌うシーンによく似た声質だ。

歌いぶりもバンドシンガー風に崩して、いなせな感じを出しているが、マイクロフォンの機種変更を見越してこのような効果をあげているとすれば、たいしたものである。筆者が戯れにもそう考えるのは、二村はマイクロフォンを巧みに使いこなして自己の魅力を最大限に引き出した、日本でもっとも初期のアーティストだと認識しているからである。

なお、二村はメインフレーズしか歌っていない。日本のジャズソングの特徴で、原曲の冗長と思える部分、メイン歌詞の前フレーズは歌われないことが多い。"My Blue Heav'n"や"Teell me"でもそうだが、定型からはみ出る部分をはしょって格好よくするのが日本のジャズソングである。定型の美にはめ込むのである。

歌唱はごくわずかで、レコードの大半をコロムビアジャズバンドの演奏が占める。この時期には、同バンド創設時の1929年とほぼおなじメンバーであったが、ややメンバーチェンジや録音のための小さなメンバー変更が行われている。特にトランペットとクラリネットはソロが長く、比較対照がしやすい。クラはビクターの井田バンドでも活躍し、コロムビアの初期のジャズソングでも活躍した高見友祥ではなく、二代目のファーストを担当した蘆田満である。

またトランペットは、奏風からこの当時のトップである小畑光之ではなく、橘川正かと思われる。このトランペットの詠唱がすばらしい。

ちなみにコロムビア・ジャズバンドの創設時のメンバーは以下のとおり。

小畑光之 trumpet, 高見友祥 1st sax, 蘆田満 2nd sax, 橋本淳 3rd sax or violin, 谷口又士 tromborne, 渡辺良 sousaphone, 田中和夫 drums, 平茂夫 pf, 坂井透 banjo,

バンドマスター兼アレンジャーは、初代の紙恭輔が1930年7月にアメリカ留学をし、その後任として井田一郎が入社した。

このメンバーのうち、小畑、蘆田、谷口と平は大阪から井田とともに上京してきた仲間なのだが、浅草電気館に出演中、井田を残して勝手にバンドを脱退し、「ニュー・チェリーランド・シンコペータース」を経てコロムビア・ジャズバンドに落ち着いた。なので井田が紙の後任として来たときには相当気まずかったに違いない。

冒頭のメインフレーズから歌唱部分までトランペットとサックス中心のブラスセクションがリードし、歌唱のあとはクラの長いソロをはさんでリズムセクションが加わり、クライマックスを形作る。井田のよくやるアレンジで、ソロに花を持たせながらストレートに運び、後半にクライマックスをもって来る。歌唱の少ない曲に多用された手法である。これはポール・ホワイトマンのレコードと異なって、井田一郎のアイデアである。

芸が細かく技量の秀でたアメリカ盤と比較して、見劣りがするのは止むを得ないが、軽快なジャズバンドの持ち味がよく生かされたアレンジである。冒頭のナグリなど、井田のセンスが光る部分である。

次のサイトでそのホワイトマンの"Song of the Down"を聴くことができる。二村盤と聴き比べると、むしろオリジナルが冗長に聞こえる。

http://www.redhotjazz.com/pwo.html

ちなみにこの同じメロディーは、「エノケンの頑張り戦術」の、列車中で社員たちが合唱するシーンに用いられている。