今月のNHKラジオ深夜便「なつかしのSP盤コーナー」(9日午前2時5分〜)は、マドレーヌ藤田が歌うシャンソンです。
「恋はつらいもの」"Si l'on ne s'etait pas connu"
相馬仁 訳詩、Ph.Pares, George van Palys
マドレーヌ藤田, フロリダ・アルゼンチンタンゴ・バンド
マドレーヌ藤田はランス生まれで、音楽教育は受けていないが、歌手・ダンサーとしてしばしば紹介された。1920年代にミュージックホール「カジノ・ド・パリ」で歌ったこともあるといい、有名なミスタンゲットとも親交があった。1931年、エコール・ド・パリの画家として活躍していた藤田嗣治の4番目の妻となり、南米旅行を経て1933年、昭和8年11月に日本を訪れた。
昭和9年5月12日、JOAKに出演してメキシコ、フランス、日本の歌を放送し、その後、7月初旬に日本コロムビアで4曲の歌を吹き込んだ。(さらに1935年にフランスへ帰った折り、パリで2面の録音をしている。)
「恋はつらいもの」は、1931年のフランス映画「掻払いの一夜」の主題歌"Si l'on ne s'etait pas connu"が原曲である。日本では「マドロスの唄」というタイトルで知られ、黒田進や奥田良三がレコード化したほか、アコーディオン独奏や軽音楽の主要なレパートリーとしてさかんに演奏された。マドレーヌは一番を日本語で、二番をフランス語で歌っている。彼女は一度見たもの、聴いたものを忠実に再現する才能に長けており、日本語もまたたく間にマスターしてしまったのである。
伴奏をしているのは、戦前、赤坂溜池(ためいけ)にあったダンスホール「フロリダ」でタンゴを演奏していたフロリダ・アルゼンチンタンゴ・バンド。「フロリダ」がパリのムーランルージュから招聘したという触れ込みで、4人→5人の編成替えをしながら昭和7年から10年にかけて日本で活躍した。
昭和9年当時はシャール・パクナデル(ヴァイオリン)、モーリス・デュフォール(アコーディオン) 、ノウッキ(バンドネオン)、レイモン・アラン(ドラム) 、ジャック・エルブロック(ピアノ)の五人組から成り、当時の日本ではなかなか聴く機会のなかった本場もののタンゴを演奏していた。このレコードでも洗練された、粋なアンサンブルを聞かせてくれる。ことにバンドマスターのシャール・パクナデルのコルネットヴァイオリンと、アレンジャーであるモーリス・デュフォールのアコーディオンは、このバンドを特色づける音色であった。(レコードのラベル上では単にアルゼンチンタンゴバンドとのみ表記されている。)
マドレーヌはこのレコードを吹き込んだ二年後の昭和11年6月、脳血栓を起こして26歳で急死した。藤田嗣治は彼女の死を惜しんで、マドレーヌの没後も肖像画を描いている。