大正期から昭和初期に流行した「スエズ」という曲があり、日本でもジャズバンドが録音しているので二種類並べてみる。
"Suez"はポール・ホワイトマンのオーケストラのバンドマン、ファーデ・グロフェ Ferde Grofe の作曲したフォックストロットである。グロフェはジョージ・ガーシュインの専属アレンジャーであり、組曲「大峡谷」でよく知られている。この1922年のダンス曲は日本にも到来して、一時期は非常に流行したのだが、昭和一桁の後半には既に忘れられた。
1926年に二村定一がニッポノホンに吹き込んでいる。昔、レコード店のセールで見たことがあるが、12000円という価格に躊躇して買わなかったのが今となっては残念である。二年くらい店ざらしになっていたが、いつの間にか売れてしまっていた。今なら即買いだろう。
まず挙げるのは1929年1月新譜のニットーレコードである。
片面は井上起久子の歌う「青空」である。しばしば見かけるレコードだ。
松竹座ジャズバンドの演奏で、
2トランペット、2クラリネット、サックス、トロンボーン、スーザホン?、ピアノ、ドラムス といったところである。録音が不鮮明だが、創設当初のコロムビアジャズバンドに劣らない立派な編成である。
演奏もアンサンブルが整っており、このバンドがよくこなれていることを示している。それぞれのソロプレイも上手い。井田一郎のバンドではなさそうだが、どんな面子だろう?
もう一枚は、1929年2月新譜のオリエント盤である。以前取り上げた「紐育行進曲」の片面である。
ひと月遅れで発売されていることからも分かるように、当時、ニットーとオリエントは競って同じ企画のレコードを発売していた。
これはニットー対日蓄の対立というよりも、意識的な競合であろう。
さて、オリエントの「スエズ」は井上起久子と松竹座声楽部生徒の歌唱が入っている。演奏は松竹座オーケストラ。録音がニットーよりさらに貧しいのではっきり判別できないが、編成はニットーの松竹座ジャズバンドより人数が少ない印象である。ソロもサックスが上手い(前野港造か?)ほかはニットーより劣るように聴こえる。歌唱の部分、井上は前ファースから歌っている。(この箇所、レコードを聞きなおして記述を改めた)
ところで、この「スエズ」という曲だが、長い前奏部にルボミルスキーの「オリエンタルダンス」が織り込まれている。それで初めて聴いたらオオッとなるが、途中でそれていって、オリジナルメロディに入る。
井上はオリエンタルダンスの箇所から歌を入れているので、これはちょっと珍しい。たとえて言うなら、日本ではWalter Donaldsonの"My Blue Heav'n"を、主旋律のテーマだけ歌うが、アメリカでは前ファースから歌う。それと同じメリケンな感覚が、井上起久子の「スエズ」に感じられるわけである。