ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

唄へ唄へ

 

 サンフランシスコ出身の日系二世歌手宮川はるみ(1914〜??)の最高傑作のひとつが、1937年に日本コロムビアに録音されたLouis Primaの"Sing Sing Sing"(唄へ唄へ)である。ステージで好評だったこのナンバーは宮川自身の希望でコロムビア文芸部の反対を押し切ってレコーディングされた。アレンジには、これも宮川の希望によって服部良一のすばらしくスウィングするフルアレンジスコアが用いられた。

 宮川のやや低めの声による歌唱は、今日の日本人ジャズ歌手と基本的に変わらない。今よりは表現がつつましく、舐めるように丁寧だが、そこに押し隠された魂は立派なブルースシンガーのそれであり、小川のメダカのように切れ味鋭く歌詞を切り抜く。1 vers.を日本語で、2vers.を英語で歌っているが、軽いスキャットを加えた2vers.はアメリカの同時代の歌手に比肩すると思わせるほど魅力的である。それは漆黒のビロードのリボンの艶の魅力である。

 ただでさえ二世歌手の歌が「バタ臭い」と言われて青年層の一部のジャズ愛好家にしか受けなかった当時、宮川=服部の仕事はハイブラウすぎたようである。レコードの裏面には淡谷のり子のタンゴ「さよならも云はずに」が収録されたが、それは一定の売り上げを確保しようというレコード会社の商策による処置と思われる。しかし淡谷の「さよならも云はずに」はビクターの江戸川蘭子盤にセールス面で太刀打ちできず、いずれにせよこのレコードは希少盤となる宿命を背負っていた。

 服部のアレンジは一分の隙もない。編成は2〜3トランペット、コルネットクラリネット、2〜4サックス、トロンボーン、弦ベース、ドラムス、ヴィヴラフォンといったところで、当時の日本におけるレコーディングバンドとしてはリズム陣に力が入れられている。練り絹のように流麗で豊かなハーモニーは、こんにち演奏してもかなりの迫力を醸すはずである。ソロの聴きどころが豊富なのも服部アレンジの特徴で、サックス、トランペット群、ヴィブラフォンなどが入れ替わり立ち代り現われるうえ、細かに全体に散りばめられたリフも非常に洒落ている。圧巻は終結部に現れる弦ベースの短いソロで、良質のスピーカーないし巨大な蓄音器のホーンを通すと空気が震える一瞬である。