ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

恋人よかへりませ

「恋人よかへりませ」”Lover, Come Back to Me”  二村定一, 太陽ジャズバンド   太陽レコード 1932年4月新譜 「恋人よ我に帰れ」という邦題でよく知られているスタンダードナンバーを二村定一が歌っている。「恋人よかへりませ」というタイトルも、雰囲気があって悪くない。 オリジナルはオスカー・ハマースタイン�Uの作詩、シグムンド・ロンバーグの作曲になるオペレッタ「ニュー・ムーン」(1928年)の主題歌で、 1930年のMGM 映画「ニュー・ムーン」でも使われた。映画ではグレース・ムーアが歌ったが、一般的にはルディ・ヴァレーやポール・ホワイトマン楽団のレコードで世界的にヒットした。1950年代にはスタン・ゲッツの名演もある。フォックストロットからモダンジャズフュージョンはおろかテクノまでこれほど時代の様式に適応して親しまれるナンバーも珍しい。 日本では、コロムビア1931年11月新譜の藤山一郎盤がもっとも早く、それに次いで二村盤が出た。コロムビアには1933年12月新譜の川畑文子盤もある。その後、テイチクでディック・ミネが、タイヘイでミッキー松山(藤山とおなじ服部龍太郎の詩を用いている)が、再三コロムビアで宮川はるみが吹き込んでいる。俯瞰して見ると、おおむねバンドシンガーとしての経験を持った歌手たちであり、ジャズソングの王道を歩む歌手に好まれたナンバーだったことが窺える。 演奏をしている太陽ジャズバンドは2サックス、トランペット、トロンボーンバンジョー、ドラムス、テューバという編成で、ディキシーランドスタイルに編曲されている。ミディアムテンポの落ち着いた演奏だが、アンサンブルはよく練れており、手練れが揃っていることを思わせる。なお、訳詞者と編曲者はラベルに記載されていない。(原詩からの言葉の移し具合が伊庭孝を思わせるが、伊庭であればラベルにそう表記される筈だ。) この切ないナンバーを二村は、ペーソスをたたえた明るい声で、やや感情を込めて丁寧に歌い上げている。音を外すし高音もすこし苦しそうだが、それが絶妙の効果をあげている。特に「ああ君いづこ…」のフレーズは搾り出すようであり、寂寞感があふれ出している。二村が残した二百数十面の中でもトップクラスの名唱ではないかと思う。 ヴォーカルのあとのトランペッ トは南里文雄とならんで一流バンドやレコーディングバンドに引っ張りだこだった名手、橘川正である。哀愁の深いすばらしいペットで 去りにし日を思い乱れる心をよく表現している。