ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

Dancing Dixieland-Style

服部良一は昭和初期からルンバやスイングジャズなど時代の尖端をいく編曲を研究し、戦前にいち早くブギを取り入れたジャズアレンジを行なっていた。もっとも「別れのブルース」「雨のブルース」など一連のブルース物のヒットで、戦前は「日本のブルース王」として知られた。彼が独特のブギで一世を風靡するのはもっぱら戦後のことである。 昭和25年6月から11月にかけて、服部は笠置シヅ子と共に渡米。ハワイを皮切りにロサンゼルス、ニューヨークを訪れた。ロサンゼルスではブギの大家ライオネル・ハンプトンに会い、ニューヨークではビー・バップやミュージカルを見聞してたいへん刺激を受けたという。その渡米中、ニューヨークで服部良一自らが指揮をして吹き込んだのが、この「ダンシング・ディキシーランドスタイル」である。当時、笠置の吹き込んだ「東京ブギウギ」(1947)がそのままのタイトルでアメリカでもリリースされており、日本のポピュラーソングとして知られていた。その英語版が"Dancing Dixieland-Style"なわけである。なお、意外なようだが、この作品は最初、大阪の梅田劇場で歯発表され、その後レコーディングされた。 この歌は服部がブギのリズムで作曲したことで有名だが、アメリカ人にはホンキイトンク、またはルンバ風の音楽に聞こえたらしく、このレコードではタイトルにあるようにディキシーランド・ジャズ風のアレンジが施されている。 ベティ・アレンが多重テープ録音で三重唱をつけている。 その裏面は"I'll Come to You"というタイトルとなっているが、これは「胸の振子」(1947)の英語版である。こちらはロバート・ジャレットという歌手が歌っている。もともと服部はディック・ミネを想定してこのメロディを作ったというが、たしかにこの頃のミネに似た、甘い低音の効いた歌手である。