ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

重版出来!『SPレコード入門』

おかげさまをもって拙著『SPレコード入門 基礎知識から史料活用まで』(スタイルノート)が重版となりました。発売からわずか10日で重版のお知らせを頂いたので、「この本は売れるだろう」と見越していた著者もその勢いに驚いた次第です。

 

この重版によって『SPレコード入門』がはからずも一つのデータを浮き彫りにしました。従来、研究の場や取材などで「SPレコードのコレクター数、ユーザー数はいかほどいるのか」という問いかけを幾度も受けてきました。この本の売れ行きがその概数をはじき出してくれるのです。まあ中にはSPレコードは持っていないけれど興味があって手にした、という向きもあるでしょうが、本の反響をみた限りではSPレコードを持っている顧客が圧倒的に多い。これからは胸を張って「およそ◯千人います」と答えることができます。これは実は画期的なことなのです。

 

本書の執筆動機は何度か記したように「SPレコードを手にする現場で、いざどうしてよいか右も左も分からない」という声があったからです。本の反響からも、いかにレコードのマニュアルが求められているかを裏付ける感想が聞かれました。これは書いた者にとって心強い反響でした。

 

この本を思いのほか大型書店やレコード店、街の本屋さんが置いてくださっているのも嬉しいことです。贔屓目に述べますと、面陳で置いてくださる書店が多く見受けられるのは表紙デザインの魅力もあるのではないかと。中央に大きく据えたのは大阪住吉に本社のあったニットーレコードの大正期のスリーブ意匠です。レコード屋で働いていたころ、この意匠をレコードセールの広告に使ったりしていました。個人的に思い入れのあるデザインなので選びました。このキャッチーな意匠が書店の売上に貢献できたら幸いです。

6月に入ってからもスタイルノートさんがサンヤツ(書籍広告)をいくつも出してくださいます。SPレコードというこれまでニッチだった媒体の可能性を信じてくださったことに感謝。そして何よりも本書を手にとってくださった読者の皆さんに感謝申し上げます(もっと売れてほしいという願いを込めて)。

 

※6月4日(土) 17:00〜

毛利眞人SPレコード入門』出版・重版記念パーティー」を谷中さんさき坂カフェにて行ないます。本の出版を記念して、軽いお食事と飲み物を嗜みながら蓄音機でレコードを楽しもうというこじんまりした会です。

会費 : ¥2,000 (食事+ワンドリンク)

要予約。

さんさき坂カフェ

〒110-0001 東京都台東区谷中5丁目4−14

tel : 03-3822-0527

twitter : @sansakizaka

 

 

 

 

 

新著『SPレコード入門』上梓に当たって

5月16日(月)、いよいよ新著『SPレコード入門 基礎知識から史料活用まで』(スタイルノート)が発売されます。

www.stylenote.co.jp


書名のとおり、これはSPレコードのガイド本です。

アナログブームの到来によってLPレコードの指南書は数多く世に放たれましたが、アナログでも最右翼のSPレコードに関しては「趣味道楽」という高くけわしい壁に阻まれて、なかなかポピュラーな存在にはなれませんでした。

ありそうでなかったのがSPレコードのガイド本なのです。
何が人をしてSPレコードを遠ざけるのか? その要因を切り分けて構成したのが本書です。

①扱い方

SPレコードを見たとき固まってしまう。まずどうしていいか分からない
先祖が持っていた、人から貰った、古いものに興味があって骨董市で買ってみた、自分の属する博物館で寄付を受けた…さまざまなシチュエーションが考えられますが、埃をかぶったレコードを見たとき、まずどうしたらよいかを提示しました。
レコードコンサートを長く行なっていると、しばしばSPレコードを初めて見た、という方に遭遇します。「触ってみていいですか」「持ってみていいですか」という方も多い。興味はあるのです。でも、いざ持つとなるとこわごわで、「どうやって持ったらいいんですか」ということになる。
私はコンサートでレコードを片手に持ったまま結構動きながら話をするので、ちょっと見かんたんに思えますが、初めて持つとなるとやはりその手加減が分からないもの。なので、一番の基本「持ち方」から書きました。レコードを持たないと洗うこともできませんから(いっときドラマで話題になったから取り上げたわけではありません)。
持ち方にしても洗い方にしても、厳格なルールが存在するわけではありません。「これはしない方がいい」という緩い縛りを設けた程度です。趣味の沼に嵌った人にはしばしば自分のルールを絶対正義と信じて他の考え方を容認しない向きもありますが、趣味はそんなにガチガチに固める世界ではないと考えています。「自分なりの持ち方」「自分の洗い方」がある人を否定するものではありません。

②全てがややこしい

SPレコードとひと言でくくっても、その中身はややこしい。まず日本盤と海外盤がある。いろんなレーベル(レコード会社)がある。レーベルは系列で分けられることもある。そのあたりまではアナログブームで周知される圏内ですが、SPレコード時代のレーベルの多さがまず半端ない。
1877年にトーマス・アルヴァ・エジソンが蓄音機を開発した当初は筒状のシリンダー式レコードで、1887年にエミール・ベルリナーが平らな円盤のディスク式レコードを開発しました。シリンダー式とディスク式レコードがそれぞれの発展を遂げるのです。そうしてディスク式が主流を占める1910年代からSPレコードの生産が終了する1960年頃まで実に50年もこのディスク式レコードが音楽記録媒体に使われるのです。ややこしいに決まっています。
この本では必要最低限の「世界レコード史」「日本レコード史」を設けました。ややこしい部分をやさしく紐解いてなるべくスマートなレコード史にしたつもりです。またレコード史に付随して主要なレーベルについて述べました。アメリカ発祥のレーベル、英国発祥のレーベル、ヨーロッパのレーベル、日本のレーベルさまざまですが、そこも汎用性を考慮して主要なレーベルを取り上げて解説しました。このあたりの項目で、「犬と蓄音機」の商標で有名なグラモフォン社が20世紀初頭にいかに多国籍企業を構築したか、日本がグローバルなレコード産業の渦中でどのような役割を果たしたかを知ることができるでしょう。

③どうしていまSPレコードなの?

SPレコードが置いてあるのは中古レコード店や骨董店です。古いものということに変わりはありません。では、この骨董レコードが現代とどう密接につながってくるのか?を述べました。単刀直入にいえば、SPレコードはいまや歴史史料なのです。サブタイトルに「史料活用」の字を入れたのはそのためです。現在、SPレコードのデータベース化は世界規模で広がっています。日本にも日本文化研究所(日文研)の「浪曲SPレコードデジタル・アーカイブ」や日本伝統音楽研究センターの「SPレコードデジタル・アーカイブ」があります。また国立国会図書館は「歴史的音源(れきおん)」を配信していますが、これは世界的にも珍しいレコード業界団体による音源のデジタル化公開音源です。国立国会図書館はそこそこの量のレコード月報や目録類もデジタルコレクションでインターネット公開しており、その数は向後増えてゆく見込みです。
つまり、歴史的な音源や音盤を用いる研究に必要な一次資料にアクセスする手段が現代は豊かになりつつあります。
かつてポピュラー音楽史にしてもクラシック音楽にしても、論文類に援用されるのはLPレコードやCDに復刻された音源でした。日本のジャズ・ポピュラー史の分野はそれが特に顕著で、学者の間では評価が高くてもコレクションしている側からみると「アレを聴いてないのか!?」なことは多々あったのです。この20年で学問と趣味の垣根は大きく下がりました。多種多様な復刻CDが現れ、戦前の音楽シーンが従来復刻されていた音源ではかるよりもはるかに豊かで広範な世界だと知られるようになったからです。使うことができる資料が多ければ、論文の帰結もまた変わってくることは言うまでもありません。
SPレコードのデータベースにも同じことがいえます。あまりにも趣味性が高いがゆえに一次史料として扱いづらかったSPレコードを歴史研究の俎上に上げる時代がやってきたのです。
そうしたことをこの本の第五章で述べました。

 

この3つの問題が本書の柱となっています。入門書として、はじめの方は初心者向けでだんだんと上級者向けの内容に進んでゆきます。
もっとも、何が初級で何が上級という決まりもないので、興味を持ったどこからでも読んでくださって結構です。

 

この種の書物、ところどころに豆知識的なコラムを挟む形式の本がままありますが、本書ではSPレコードの諸知識は「SPレコードの基礎知識」と「SPレコード用語集」にまとめました。一冊の本の中に知りたいことがバラバラに散らされていると実用的ではないからです。

同様に使い勝手を考慮して索引を付けました。


皆さんのSP盤ライフがより充実したものになりますよう。

『SPレコード入門 基礎知識から史料活用まで』出版のお知らせ

唐突ですが

SPレコードの教科書を書きました。
ものすごく単純に動機を書くと、「困ってる人がいるから」です。


・自分のとこの博物館に古いレコードがあるけど洗い方も保存方法も分類法も右も左も分からない
SPレコードに興味はあるけど(以下同文)


こうした声があることを知りました。オンライン・ワークショップで「SPレコードの読み方」なる講演を行なったときのことです。
2、3度行なった講演ではSPレコードのデータベースを構築するに当たって、SPレコードのレーベル(中央に貼付してある紙片)や盤面の刻印からいかにしてメタデータを取るか、というテーマを中心にさまざまなサンプル画像を提示して語りました。
それが思いのほか好評で、冒頭に挙げたような声が出てきたのです。
そこで、もう少し対象範囲を広げて、SPレコードのコレクションを志す人や「家から古いレコードが出てきたけど(以下同文)」な人のためにガイドブックを作ろうと考えました。

2021年1月11日にメタデータの章から書き始め、同年10月13日には本文の原稿を脱稿しました。
こうしたテーマの書物は日本はおろか海外にも無いので出版社探しにやや難航しましたが、ひょんなことで知り合った個人出版「共和国」の下平尾直さんから「信頼の置ける出版社」と紹介していただいた株式会社スタイルノートさんで出していただけることになりました。書いたものの原稿が宙を彷徨うようなことにならず、まことに僥倖であったと思います。

 

内容について

SPレコードの持ち方、洗い方、保管方法をさまざまな実例を交えて紹介しました。

また基礎知識として世界のレコード史と日本レコード史を簡略に説明しました。

またレコード史に付随して、レコードのサイズや回転数、材質などSPレコードに関わる情報をまとめました。

本書のキモとなるのは第4章、第5章です。

SPレコードのレーベル上の表記や盤面の刻印、商品番号、フェースナンバー、原盤番号など煩雑なデータについては、海外の文献やwebサイトを参考にしました。また国内のSPレコードについても典拠を示すことが可能な資料やレコード会社からの情報、一次資料、経験則を基にまとめました。

第5章ではレコードについて調べる際の文献、サイトねまた探索のためのtipsを紹介しました。付録として「SPレコード用語集」を付けてあります。

 

入門編を旨としたので、あまりにコアで応用する人が限られるような情報は涙をのんで削りました。たとえば日本の各レーベルのマトリックスナンバー(原盤番号)と録音年月日の対照表は、作るのは作ったものの掲載は見送りました。
また各レーベルの録音システムについてもごくごく大まかに述べた程度です。基本、レーベルと盤面から分別できる情報を重視しました。たとえばオデオンのラウムトン録音やテイチクのハイフレックス録音といった録音方式など録音史に関わる情報は並べて書きたいのを敢えて抑えました。こうした情報はwebで関連情報として紹介したいと考えています。

 

SPレコードの金額的な価値、レア度については書いていません。レコードのレア度、金銭的価値は時代によって変遷しますから。数十年前にン十万円の珍品だったレコードが現在はヤフオク!で数千円で手に入ったりします。

 

SPレコードの所蔵館は別の要素で紹介をためらいました。全国のすべてのSPレコード所蔵館がSPレコードに関する対応をできるとは限りません。所蔵レコード整備が這般の事情で進まない所蔵館もあります。むしろ万全の対応ができる館は少数派です。なので、代表される2、3の館を別として個別の所蔵館紹介はしませんでした。お含みください。
その代わり、webで広がるSPレコードの関連サイト、アーカイブ、データベースの世界をわりと詳しく解説しました。文献資料についてはもちろんです。


もちろん個人で比較的短期間にまとめたので漏れもあるかもしれません。

また異なった見解をお持ちの方もあるかもしれません。

特にレコードの洗い方や保管方法などはコレクターそれぞれが試行錯誤した歴史があります。どれが正解でどれが間違いということの少ない世界です。確実にこれはいけない、というのは

SPレコードをアルコールを含んだウォッシャーで清掃してはいけない(レコードが溶ける)

※過度に積み重ねると割れるよ 

くらいなものです。


メタデータの読み取り方については、これは確実に正解と間違いがあります。データについて現在のところ不明な点がある場合や出典が不明の場合は、断言せず慎重な姿勢で紹介しました。

本書内ではGramophoneは「蓄音機」表記で統一しました。これも戦前から「蓄音器」「蓄音機」と両方が併用されていて、どちらが間違いということはありません。どちらも正解です。ただ音響機器関連の人や評論家、行政は「蓄音機」を、レコード会社を中心としてその他大勢の人々は「蓄音器」を用いました。こだわりがあるわけではありませんが個人的には蓄音機をふだんから用いています。

 

最後に、この一冊をまとめたのは毛利眞人という個人ですが、ブライアン・ラストさんや岡田則夫さん、倉田喜弘さんはじめ、先達の研究がなければここまでコンパクトにはまとめられなかったでしょう。本書はそうした先達へのリスペクトの書です。

 

と、いうわけで5月16日に発売される『SPレコード入門 基礎知識から史料活用まで』(スタイルノート,  2640円=税込)、宜しくお願いいたします!
なお本書は配本なしの注文出荷制ですので、書店の皆さまからの注文をお待ちしております!!

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『ニッポン・スウィングタイム 戦前のジャズ音楽』発売のお知らせ

2021年7月7日にリリースされるビクターエンタテインメントの新譜『ニッポン・スウィングタイム 戦前のジャズ音楽』は、拙著『ニッポン・スウィングタイム』(講談社 2010年/絶版)に端を発した復刻シリーズから約10年を閲して出現した戦前ジャズのオムニバスです。vol.1という数字が示すようにこれはシリーズの一作目であり、大規模な戦前ジャズ復刻としては、LP時代の『日本のジャズ・ポピュラーの歩み 戦前編』(ビクター音楽産業 SJ-8003-1/10  1976年)以来の企画です。

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今回のオムニバスでは、サブスクリプション・サービスとして全世界に音源の門戸を開くことを前提として、『日本のジャズ・ポピュラーの歩み』やその他の復刻集を参考にしながら再編しました。日本のジャズ・ポピュラー音楽史に沿いながら、監修者の観点より従来あまり顧みられなかった楽団や和製ジャズソングにも選択の幅を広げました。


たとえばアーネスト・カアイ・ジャズバンドは1910〜20年代の、当時でもやや古くなっていたナンバーを面白い歌詞やアレンジによって楽しくレコーディングしています。1930(昭和5)年に来日したウェイン・コールマン・ジャズバンドは従来、手堅いダンスバンドとしてのみ日本ジャズ史のなかで知られてきましたが、実際に演奏したプログラムや特にビクターに録音したラインナップからは最新のトーチソングを1930年代のアメリカの流行に従って演奏していることが分かります。そのシンガーにも打越昇(湯浅永年)や武井純(平間文壽)といった、ビクターの洋楽の黒盤で聴くような声楽系シンガーを多用しました。コールマン楽団の人気を考えれば、その演奏がジャズ的でない、通り一遍という評価は不当に低いものと言わざるを得ません。

 

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このオムニバスではヨーロッパの映画主題歌やルンバ・タンゴなどラテン系のテイクも含んでいます。LPセットの『日本のジャズ・ポピュラーの歩み』ではジャンルごとに編まれていたのを、比較的時系列に忠実に編みこみました。昭和7年とか昭和14年とか、或るひとつの時期に同時にどのような音が鳴っていたかを示したいと思ったからです。その考えは「戦前のジャズ音楽」というタイトルにも現われています。

〈軽音楽という言葉が昭和10年代に普及するまで、およそ洋楽という洋楽はジャズと呼ばれるきらいがあった。おおむね大正期以降に日本に入ってきた新奇なリズムやメロディーは、日本人の度肝を抜いたジャズにならってルンバでもハワイアンでも欧米の映画主題歌でも何でもかんでもジャズにしてしまった。昭和初期のことである。ご老体が「ジャズはいいねェ」と言っているのがタンゴだったりする。甚だしい場合は安来節の伴奏にクラリネットが一本入っていただけでジャズである。ハーモニカの合奏などいうまでもなくジャズ扱いだ。そういう懐の広さと何もかも咀嚼した先達に敬意を表して、「戦前のジャズ音楽」というアバウトなくくりでオムニバスを作ることにした。〉(序文より)


オムニバス全篇、この感覚を大切にして、なるべく時代感の出ているテイクや当時の流行に忠実に作られた・アレンジされたテイクを採りました。泡沫的な映画主題歌『街の囁き』や他シリーズに収録されている『碧きドナウ』が入っているのもその理念に沿っています。

 今回のオムニバスでは、じゃまにならない程度にレコーディング時の編成やパーソネルにも触れました。その時々のアレンジとアレンジャーに関しては言うまでもありません。昭和初年から太平洋戦争開戦前夜までのサウンドの変遷、フィーリングや演奏水準の向上という点でもきっと楽しめることでしょう。いま挙げた小林千代子の『碧きドナウ』は、1930年代半ばからアメリカでブームだったクラシック音楽のスウィング化に大きく影響されています。具体的には映画『世界の歌姫』(1936)で同曲を歌ったリリー・ポンスや、ジョセフィン・トゥミニアが高度な技巧で歌い上げてカタルシスを感じさせるジミー・ドーシー楽団のデッカ録音(1937)をカバーした興味深いテイクです。

『戦前のジャズ音楽』シリーズの特徴として特筆したいのは、ピッチ調整とリマスタリングによって現在望みうる限り聴きやすい音質を目指し、かつ録音年月日と発売(新譜月)などのデータを完備した点です。それから原曲やカバー元の解明など解説にも力を注ぎました。「聴くジャズ音楽史」で『ニッポン・スウィングタイム 戦前のジャズ音楽』あると同時に、「読むジャズ音楽史」としても愛玩していただければ幸いです。

 

【新譜発売のお知らせ】雨の中に歌ふ 二村定一とジャズ小唄

  • 来週11月25日(水)、ザッツ・ニッポン・エンタテインメント・シリーズ*1の第三弾としてアルバム『雨の中に歌ふ 二村定一とジャズ小唄』がビクターエンタテインメントより発売されます! 今年は二村定一生誕120周年。その記念年に滑り込みで間に合いました。二村定一は1900(明治33)年生まれですから、もし生きていれば120歳というわけです。

 

www.jvcmusic.co.jp

  • シックでかっこいいジャケは、細野晴臣さんとの名コンビで綴る「デイジー・ホリデー!」とレイモンド・スコット探求で有名な岡田崇さん。二村定一のLP、CDジャケの中ではこれまでにない二村定一の二枚目な魅力を引き出した、素敵な装丁を施してくださいました。
  • 思えばビクターから二村定一の一枚物『私の青空二村定一ジャズ・ソングス』をリリースしたのももう8年前の2012年のこと。拙著『沙漠に日が落ちて 二村定一伝』(講談社)とのコラボでした。この評伝、はじめは締め切りが一ヶ月でしたが当然ながら一ヶ月では無理で、三ヶ月かけて突貫で仕上げました。二村定一に関する情報や素材は20年あまり目につけば保存していたので、手元の材料をかき集めまとめ上げました。突貫作業で書いた割にはなかなかの完成度で、いま補完するとしてもそんなに大工事にはならない自覚があります。
  • 監修者が二村定一のボーカルの愉しさ面白さについて書いたのは、評伝よりさらに2年前の『ニッポン・スウィングタイム』(講談社 2010)でした。そのときから数えると、ビクターエンタテインメントの今回のアルバムは10年越しの二村定一大全集となります。

 

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雨の中に歌ふ

 

  • 『雨の中に歌ふ 二村定一とジャズ小唄』は、DISC-1に海外曲を翻訳・アレンジしたジャズソングを、DISC-2に和製のジャズソングやコミックソング、映画主題歌、シティソング、新小唄などを詰め込みました。このアルバムのためにプロデューサーの保利透氏が新たにマスタリングして、二村の声を活かしつつ聴きやすい音質に仕上げています(ごく一部に金属原盤に起因するノイズがあります)。
  • アルバムタイトルとなった「雨の中に歌ふ」「アラビアの唄」や「洒落男」「君恋し」「神田小唄」といった大ヒット作に、二村が唄う軍歌のようなレア音源、今回初復刻となるテイクを散りばめて、従来の二村定一ファンにも、これから二村定一を聴きたいという人にも楽しいアルバムにしたつもりです。
  • 初復刻テイクには、佐藤千夜子との唯一の共演「平凡節」、1929年のシーズンに二村自身が気に入ってよくリサイタルで歌った「海のメロディー」、大ヒットにかくれて目立たないものの佐々紅華の旋律が美しい「早稲田メロディー」、二村の和物の素養が存分に発揮された「十のそらごと」「塩田小唄」、ビクターでは珍しくテナー歌手として歌い上げた佐々紅華の歌曲「久助の舟」が挙げられます。金属原盤からのクリアなサウンドでこれら二村定一ののびやかなボーカルを復刻することは、監修者の宿願でした。
  • CDタイトルは、ジャズソング華やかなりし時代に同じ意味合いでよく使われていた「ジャズ小唄」が、日本初のクルーナーでジャズシンガーだった二村定一のイメージにぴったりかな、と考えてつけました。個人的には「青春小唄」や「バッカスの唄」、羽衣歌子と歌った「千夜一夜の唄」あたりがジャズ小唄という名称を色濃く感じさせるように思います。

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二村定一愛唱曲集

 

  • この『雨の中に歌ふ 二村定一とジャズ小唄』、さらに注目すべきはサブスクリプション・サービスによって全世界に向けて発売される点です。二村定一がいよいよグローバル・デビューを遂げるのです。実はいま、アメリカやヨーロッパでは日本の1920年代1930年代の音楽遺産が、多大な興味をもって迎え入れられています。彼らは戦前の日本文化に興味を寄せる過程で、日本でどのようなジャズが演奏されていたか、どのような音楽に人気が集まっていたか、どんなタレントがレコードや舞台で活躍していたかを知りたいと考えています。この二村定一アルバムを皮切りとするザッツ・ニッポン・エンタテインメントシリーズがサブスクによって欧米へ紹介されることで、戦前日本のミュージック・シーンへのさらなる興味と理解が広がることでしょう。

Amazon | 雨の中に歌ふ ジャズ歌謡の元祖・二村定一 | 二村定一 | 歌謡曲 | 音楽

 

 

※こちらもよろしく!

ザッツ・ニッポン・エンタテインメント Vol.1

www.amazon.co.jp

*1:毛利眞人著『ニッポン・エロ・グロ・ナンセンス』(講談社 2016)とのコラボ企画でビクターエンタテインメントから発売されたシリーズ。第一弾は毛利監修『ニッポン・エロ・グロ・ナンセンス』。第二弾は佐藤利明監修『ハリキリ・ボーイ/ ロッパ歌の都へ行く』

『夜店レコード 1930〜1937 禁断の戦前ジャズ音楽篇』ぐらもくらぶ特別臨時発売新譜

2020年10月18日にぐらもくらぶ特別臨時発売新譜として「夜店レコード」がリリースされるので、当初予定していた「戦前ジャズ歌謡全集・続タイヘイ篇」のご紹介を後回しにして、「夜店レコード 1930〜1937 禁断の戦前ジャズ音楽篇」について告知したいと思います。

amzn.to

夜店レコード 禁断の戦前ジャズ音楽篇 1930~1937

 

  • 夜店レコードとは?

「夜店レコード」とは文字通り夜店で売られていたレコードのことです。

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戦前、銀座や新宿など繁華街には毎晩、300軒あまりの夜店が出ました。夜店は毎晩決まった場所に決まった店が出ることになっており、扱う品物は荒物雑貨や装身具、生活用品、食品、古書、骨董や貴金属まで幅広くカバーしていました。その品目にレコードが現われたのは大正期のことで、神保町の富士レコードの創業者は関東大震災前にはすでに神楽坂の夜店でレコードを売っていたといいます。

 

昭和初期にはレコードは夜店の主力商品ではありませんでした。レコードの販売網は日本蓄音器レコード製造協会と、日本各地の蓄音器商組合によって整備され、名目上は定価販売を徹底していました。夜店はレコードの販売システムには組み入れられておらず、蚊帳の外だったのです。

その厳密な販売網が崩れるきっかけとなったのが昭和7(1932)年に大阪の五大百貨店で起こったレコード廉売セールでした。それはまあいろんなことがあって、昭和10年以降になるとレコードは夜店の主力商品に躍り上がったどころか、レコード専門の夜店が続々と現れるようになりました(詳しいレコード夜店史についてはCDブックレットをご参照ください)。

そんな夜店で売られていたレコードを集めたのが、このアンソロジーです。

 

  • その内容

ヒット・レコードの要素はイントロとサビだと申しますが、そのイントロとサビだけ押さえて中身は東海林太郎の「谷間のともしび」やディック・ミネの「ダイナ」とまるで違う!というのが東堂太郎「谷間の灯」、リチャード瀧「ダイナー」です。流行っているから夜店で同じタイトルを見つけて買ったら別物だった、というわけで、家族に頼まれて買っちゃったパパなんかは「これ違うやつ」と叱られただろうな、と思います。

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エトワールは京都の福永レコード・プロダクションが出していたレーベルで、やはり川畑文子のヒットにあやかったユージニー宮下「コロナードの月」や、川畑の「貴方とならば」の歌詞を変えた田中福夫「君を慕ひて I’m Following You」、リキー宮川の「朗らかに暮らせ」の歌詞を変えた「ほゝ笑みてこそ When You’re Smilin’」を連発しています。ヒット盤にあやかって作られたとはいえ、マイナーレーベルながらオリジナル度の高い、良心的な夜店レコードといえます。

 

夜店レコードはメジャーレーベルでレコード化されていないジャンルの開拓に熱心で、自社のレコードを売るためにカタログが被らない努力を払っていたことが特筆されます。

たとえば国内録音のハワイアンは穴場で、夜店レコードにこそ貴重な録音が残されました。「椰子の葉蔭で Alekoki」(ビーナス V3447-B)はモアナ・グリークラブの初期の演奏記録であるとともに灰田勝彦の兄、灰田晴彦のボーカルが聴ける貴重な録音です。ニュー・タイヨー(S10005-B)が録音したジョージ・アラウの「メリーナ・エ」は、岡見如雪のヒロ・カレヂアンスが共演していますが、昭和初期に来日したハワイ人音楽家と日本のハワイアン演奏家の橋渡しを実地に記録する場となりました。

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また戦前のレコード大捌元であった中西商会はレコード制作に進出し、発行元となって昭和10(1935)年から長津彌(ひさし = のち長津義司)編曲・指揮によるチェリーランド・ダンス・オーケストラによる大量のダンスレコードを発売しました。

チェリーランド・ダンス・オーケストラは昭和12(1937)年にも追加録音をショーチクで発売しています。さらに中西商会は同じような編成のセンター・ダンス・オーケストラを使って名古屋アサヒ蓄の洋楽レーベル、センターからもダンスレコードシリーズを発行したので、これらのダンスレコードの全貌は輻輳を極めて分かりづらいものとなっています。このCDに主要な演奏を3点だけですが収録しました。

チェリーランド•ダンス•オーケストラもセンターの同種のダンスオーケストラも、演奏が雑だったり、ソロに下手なプレイヤーが混ざっていたり、カッコよくなるはずのフレーズでツボを外したりと人間味豊かな演奏を聴かせてくれるので筆者は好きです。いちおう編曲は長津彌の名義ですが、市販のストックアレンジ譜をベースにした録音もあるように思います。

センター•ダンス•オーケストラの昭和12年の録音群は長津の名がありませんが、これは他の人物が関わったのか、ポリドール専属となったことで長津の名を秘したのかは分かりません。出来不出来は別として、概してこのセンターの方がスウィンギーなプレイです。

 

夜店レコードはキッチュで紛いものっぽさが漂っているのですが、このCDでは紛いものよりも、「夜店レコードなのにがんばってる」的な面を大きくフィーチャーしました。

B.J.タンゴ・バンドによる「仮面舞踏会」はその精華といえましょう。氏名不詳の女性歌手が歌っていますが、これがとても上手い。ピアノもダイナミックな弾きぶりで、間違いなくどこかのダンスホールで弾いていた人物です。昭和10年代には、夜店で叩き売られるレコードのために、こんな上手い歌手やプレイヤーが使い潰されていたのだということを知っていただきたいと思います。

日本の洋楽の水準そのものが向上していたことが、この状況を生み出しました。映画がサイレントからトーキーへ移行したことによる楽士の過剰供給や、ダンスホールやレコーディングオーケストラも切磋琢磨して演奏だけでなくアレンジ手法や作曲まで勉強しないと、定番メンバーから落っこちてしまうといった競争の激しさが、マイナーレーベルの夜店レコードにまで演奏技術上の恩恵を運んだわけです。

 

CDの後半に大きなインパクトをもたらすのは、コッカレコード(大阪・三国)の廉価レーベル、プレザントレコードが発売した「シボニー」「都会の憂鬱」です。

レイモンド瀧が歌う「シボニー」は、声がひっくり返るボーカルはまあ夜店レコード相当ですが、銭湯で演奏しているような反響の中から聴こえるバンドが凄い。おそらく阪神間か神戸のダンスホールで実働バンドを録音したものでしょう。ドラムのスティック捌きは、のちに映画「笑ふ地球に朝が来る」(1940年6月)で豪快なドラミングをみせる飯山茂夫の、関西時代の演奏ではないかと筆者は睨んでおります。ブラスセクションもサックスセクションも当時の一流のサウンドです。

「都会の憂鬱」はハイブラウなジャズソングです。ルビー・タカヰのキャバレー色が濃厚にたれ流させるボーカルに耳が惹かれます。「寂しく」が「さびスぃく」になる辺りやボーカル全体にただよう退廃的な雰囲気が堪りません。こうしたニヒルな都市イメージは戦前の流行歌では珍しいのではないでしょうか。

 

ざっくりとした紹介になりましたが、「夜店レコード」の聴きどころはある程度伝わったでしょうか。詳しいことはCD付属のブックレットをご覧ください。冒頭にかかげた夜店レコード史の小論文だけでも値打ちがあります。

 

  • 最後に小型盤について

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昔の安いレコードはシェラックでなくエボナイト的な素材で作られていた、というツイートを目にしたのでついでにそのへんに触れますと、たしかに安価なレコードは通常のシェラック盤とは異なる素材で作られました。その濫觴は明治後期で、ボール紙にシェラック配合素材を塗布した海賊盤が早くも登場しています。SPレコードはそもそも微細な砂や繊維質、ゴムなどの混合物にシェラックを混ぜて作られているのですが、そうした材料をなるべく節約しようとすると、芯がボール紙になるわけです。

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昭和初期の安価なレコードはそうした海賊盤とは別物で、ひたすら「軽く」「割れず」「長時間収録」の三点を追求しました。セルロイド合成樹脂素材で、サイズは多くが6インチ、7インチ、8インチでした(通常の10インチもありました)。これは兵庫県・尼崎の特許レコードが発行していた蝶印(バタフライ)レコード、タカシマヤレコードで、後者は名前が示すとおり百貨店の高島屋に展開していた十銭ストアが販売していました。蝶印も販路はレコード店というよりは荒物屋、玩具店、百貨店などでした。

薄く軽量だったので通信販売に向いていたという側面もあります。実際、特許レコードは郵便はがきに音溝をプレスする「音の出るはがき」の特許を保有していました。レコード、資本ともに小型であるがゆえに、レコード業界では規格外とみなされていたようです。そのため、却って内容もフリーダムでした。案外需要があったようで、さまざまなブランドで同じ原盤をプレスしています。

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コッカレコード、タイヘイレコードも同種の小型盤を製作していましたが、やはり同じような販売方法を採っていました。

こうしたレコードは今回、「夜店レコード」から意識的に省きました。それはたぶん小型盤には小型盤の世界があるからです。フィリピンジャズバンドの「バガボンド」や井上起久子の「嘆きの天使」など一部はかつて復刻しましたが、それら百貨店レコードをまとめあげる時もそのうち来るでしょう。

ぐらもくらぶ新譜『レコード供養』 いささかの解説補筆

ぐらもくらぶの新譜『レコード供養 復刻されない謎の音盤たち』には、なかなか商業ベースの企画では復刻しづらい音源を集めた。

※メタカンパニーのサイトから購入すると、本篇には収録しなかった日本心霊科学の巨人・浅野和三郎の「心霊通信 解説」などの特典音源が附きます。

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1890年代に音の記録と再生が可能となってからこちら、膨大な量の音がシリンダーや平円盤、帯状レコードやテープなどの媒体に記録された。録音の目的はCDのブックレットに記したように実用から娯楽まで種々様々である。今日、復刻されて私たちの耳に届くのは、その膨大な音の中のほんの一部に過ぎない。

変てこな音源を集めたが、『お経都々逸・からくり都々逸』『私のマミータ』、兵隊婆さんやタンゴにあらざる『日本タンゴ』『踊る戦線』はとにもかくにも商業録音である。その時代時代になんらかの形で「売り物になる」と目されて作られたレコードである。忠犬ハチ公の貴重な声もこうして残された。

 
問題は市販を目的としないレコード、非商業録音である。
禁酒会の講師と建設会社の社長が吹き込んだのが禁酒を勧める歌と酒の飲み方を指南する歌、どちらも限定頒布というのは好一対だ。
杉並第一国民学校の児童オーケストラと安政元年に生まれた81歳の潮見為吉が録音したのはいずれも記念のためである。
何らかの実験の記録音源というのは海外には幾つも例があるが、心霊実験の録音は世界的に見て例のないレア音源である。
その詳細はブックレットに尽くしたので、レコードの顔面だけ提示して、ここでは触れない。
 

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心霊通信

 

 

 
実はここまでは前振りに過ぎない。
このブログで触れたいのは、CDの後半12分程を占める雑音レコード『ラヂオに混入する雑音』である。
ブックレットでは、一体どんな層が、具体的にどのようにこのレコードを聞いたのか。またレコードに収録された音がなんなのか、どんな状況で雑音が発せられるのか、いささか説明に欠けたので、ここで補完をしておきたい。
 
事実としてはこれらの音源は、日本放送協会編『ラヂオ技術教科書』(日本放送出版協会, 1936)の第11章「雑音障害」の実例として製作された。ラジオを修理する技術者、町の電気屋さん、昭和10年代にぐんと増えたラジオを自作する愛好家、そういった人たちのためにこのレコードセットは作られた。
 
一面に4種類ずつの雑音が収録されている。発電機や電車、電気ドリル、レントゲンなどが発する電波がラジオ波に影響して起こる雑音である。
たとえばバリカンや電気ドリルは、ラジオを据え付けてある理髪店とか工場であれば、すぐそばに原因があるからそれと分かる。が、お隣や近所で使っているのが作用したら雑音の原因は分からない。
 
歯科用のエンジン(歯を削るドリルが戦前からあったのだ)やレントゲン、製紙工場でパルプ繊維の漂白に用いるオゾン瓦斯漂白装置などは一般の家庭にはないから尚更である。
レントゲンとバリカンはご丁寧に過電流を防ぐ防止器を付ける前と後の雑音がそれぞれ収められている。
 
これはつまり、ラジオからこんな雑音がしたら、その原因はお家か近所にあるこれこれが原因ですよ、ということを耳で学ぶのがこのレコードの主目的なのである。『ラジオ技術教科書』があれば説明の要はないであろうこれらの音も、書籍を離れると得体の知れないモノになってしまうのだ。
 
戦時中にニッチクがレコード化した『敵機爆音集』(1943)や『B29の爆音』(1945)も発想としては同じで、聞いて覚えるがための音なのである。もっともB29の場合は音を覚えるまでもなくすぐ上空を飛んでいたから、音の主を見つけるという点ではラジオの方が修練を要したかもしれない。