ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

「大大阪ジャズ」発売にあたって。 その貳

DISC-2は「大大阪」をテーマに、ジャズの周辺音楽をさぐってみました。

まず最初に、大阪を歌ったジャズソング特集です。

「大阪行進曲」はコロムビア関西文芸部が最初に放ったヒット曲です。オリエントから1929年8月新譜(7月20日発売)でリリースされた井上起久子歌唱盤がヒットし、一ヶ月後の8月24日、東京で吹きこまれた植森たかを盤がコロムビアから発売されました。井上起久子盤は「心斎橋コレクション」の附録CDに収録しましたので、今回はすがすがしいカタルシスをおぼえる快唱、植森たかを盤をCD-2の冒頭に配しました。

2曲目は二村定一の「浪花小唄」。テッパンのナンバーですね。フォックストロット・ジャズとしてもきれいなまとまりをみせた傑作です。

3曲目と4曲目「花街行進曲(新町)」「飛田夢想曲」は大阪日日新聞が企画したシリーズ・レコードの一部で、河合ダンスの音楽指導をしていた杉田良造がたいへん特徴的な作曲・編曲をほどこしています。東京のメジャーレーベルの企画会議からはまず生まれない、生々しい庶民感覚にあふれたフォックストロットです。5曲目の「大阪セレナーデ」(Sブラ行進曲)も大阪時事新報の地域振興企画から生まれたジャズソング。

続く2曲「大阪夏祭風景(天神祭)」と「道頓堀おけさ」はアレンジの妙に注目して収録した唄。前者は前述の杉田良造が作曲し、本格的なディキシースタイルの編曲を施した、蒼く熱する夏の夜の祭りへの讃歌です。後者は日本におけるラテン・アレンジの祖、篠原正雄が複合的なルンバフォックストロットのリズムを駆使した怪作。たいへん凝ったアレンジを演奏するN.O楽団もまた高い水準を聴かせてくれます。

2つ目のグループは、大阪が生んだ偉大な作曲家・ジャズアレンジャーの服部良一の若き日の録音集です。

「串本節」は服部がコッカレコードでラベルにネームを入れた最初の録音。編曲はもちろん服部で、コンボ形式のジャズバンドに彼自身がCメロディ・サックスで加わっています。彼のアレンジ作風の変遷上、またサックス奏者としてのサンプルとして重要な録音です。次の「テルミー」も服部のアレンジで、バンドに彼のサックスが加わっています。サックスプレイヤーとしての服部良一はいささか一本調子ですが、ブレイクを効果的に用いたアレンジには、のちの作風の萌芽が見られます。

大阪のジャズメンとして服部良一だけを取りあげたのでは、ほかのジャズメンが可哀想なので、ここで昭和ひと桁の大阪で活躍したプレイヤーを紹介したくなりました。

キングダンスオーケストラの「木曽節」は、尼崎にあったダンスホール「キング」の楽団ですが、ここの楽団には1932年、最良のメンバーが揃っていました。「木曽節」で活躍するクラリネット大久保徳二郎。のちにテイチクで作曲家として成功します。トランペットは、これも後にビクターのジャズ・オーケストラに入って多くの録音をリードする古田弘。たとえばあきれたぼういず川田義雄の「浪曲セントルイスブルース」のトランペットがこの人だといえば、もういちど聴き直してみたくなるでしょう? ドラムスは生駒徳二。このひとの門下から戦後、穐吉敏子が飛び出します。日本のジャズ史をぎゅっと凝縮したのがこのディスクといえるのです。アレンジャーは記してありませんから断定はできませんが、服部良一の作風が感じられます。(間奏などには篠原正雄らしさが感じられますが、この時期にタイヘイで作・編曲を行なっていた服部の仕事と考える方が自然ではあります。無記名なので断定は避けたいところです。)

つぎのグループは、エロ・グロ・ナンセンスを謳歌した大大阪です。水都ならぬ粋都といいましょうか。大阪は昭和初期、エロの巷でありました。大阪から東京に進出したカフェ―「タイガー」はキッスサービスなどのエロサービスを売りにしましたし、当時、露天の夜店で廉価に売られていたエロ・レコードの多くは大阪で作られておりました。昭和初期の大阪は本能の表出に積極的な、官能的な街でもあったのです。そこで、ここではカフェ―から流行した唄、時代の尖端を写しとった唄、文字通りエロ小唄を集めてみました。

「カフェ―の唄」は川口松太郎原作の映画「カフェーの女」主題歌。カフェ―女給の心象がよく描写された曲なので選びました。かつてCD復刻されていましたが、擦り切れた音盤を復刻に使用したのかカスカスの音だったので惜しいと思い選んだということもあります。

「エロ・オンパレード」は麦島紀麿(=鳥取春陽)作曲の流行小唄。書生節の作曲・歌手である鳥取春陽は、昭和期の流行小唄の作曲家としては特異なリズム感覚を持ったユニークな存在で、また軽佻浮薄な流行を掬い取って作品にする名人でした。昭和期になってから「エロ行進曲(=エロ小唄)」「尖端小唄」「思ひ直して頂戴な」(後述)、「女は恋に弱いのよ」「恋慕小唄」などをブームに乗せて当てています。「エロ・オンパレード」はフェティッシュな集中力の感じられる面白い歌詞で、黒田進の歌唱が生き生きとした生命をその歌詞に与えています。

ついでながら、すみません!ライナーの歌詞ページで「イット」が「キット」になっています。校正漏れです。

「尖端ガール」は、選曲の時点では同じ黒田進の「潜航艇の唄」とどちらにするか迷ったのですが、流行の風俗を「エロ・オンパレード」とは異なる切り口で掬っていることから選びました。この録音、キーを合わせたら76回転だか75回転だか、びっくりするような低回転数になったということですが、おそらく発売当時は78回転前後でぶん回していたことでしょう。この頃は同種の低速録音がしばしば見受けられるのですが、これだけ極端なパターンが一群を成しているということは異なる回転数で再生されることを見越して意図的に行なっていたのかもしれません。

「思ひ直して頂戴な」は鳥取春陽最後の大ヒット作です。女給の琴線に触れて関西圏のカフェ―から流行しはじめた流行小唄で十数種の関連レコードが作られました。大阪スタジオで吹きこまれたオリエント版は比較的ストレートな編曲ですが、鳥取の内妻であった川田定子(山田貞子)が歌った同曲録音ではもっとも彼女の特質の引き出されたバージョンといえます。

「エロウーピー」と「バットガール」は大衆的な企画力に定評のあったタイヘイのジャズソング。「エロウーピー」はこの時期、タイヘイにまとまった量の録音を残している二村定一と井上起久子のデュエットで、あられもない内容を台詞入りで歌いあげています。「バットガール」は、女流作家ヴィニア・デルマーの作品「バッドガール」のタイトルだけ拝借したジャズソングで、内容はデルマーの描いたのとは異なる種類のフラッパーの生態です。小説の「バッドガール」は牧逸馬の翻訳が大当たりしたことでビクターやコロムビアが「文芸小唄」として競ってリリースしましたから、勘違いして買ったお客もいることでしょう。服部良一がタイヘイで初めて書いた流行小唄で、アレンジも自身で施しています。この2つのタイヘイ録音、伴奏もジャジーで、上手いプレイが散らばっています。この種のエロ小唄は1930年代の欧米でさかんに作られたポピュラーソング、カバレットソング、シャンソンと同列に並べられるテーマで、タイヘイという地域レーベルに時代のシンクロニティーを見ることができるのはたいへん興味深いことです。

ところで、ひとかたまりここに集大成したエロ小唄は昨今話題となっている「エロエロ草紙」を読みながらお楽しみいただくと、より立体的な昭和初期体験ができるはず。ぜひお試しください。

最後に、大阪松竹少女歌劇の関連の録音を集めてみました。

道頓堀の松竹座で誕生した松竹楽劇部はジャズに積極的な姿勢を示し、大正期からジャズバンドがひとつの名物でした。松竹ジャズバンドや松竹座管絃団が吹き込んだジャズ関連の録音は六十件あまりにのぼるのですが、そこから2曲選びました。

「フウ」はこのバンドの特徴が濃厚に出ている、サービス精神満点のよい演奏です。またDISC-1のユニオン・チェリーランド・ダンスオーケストラと比較すれば、大阪で実際に行われていたジャズの片鱗が感じられるでしょう。

スエズ」は「フウ」よりすこし後の録音で、アンサンブルを重視したポール・ホワイトマン流の演奏です。ジャズギターの角田孝が生前、レコード初録音として「スエズ」を挙げています。松竹ジャズバンドの多くの録音に通底する天真爛漫さが、この録音からも漂っています。

「紐育行進曲」は井上起久子と松竹座声楽部生徒のコーラス入りで、松竹座楽劇部時代のレヴューを彷彿とさせるスピーディーでメカニックな演奏です。沸き立つような躍動感にあふれています。

天神祭どんどこの唄」は、ジャズではありませんが昭和初期の松竹レヴューの雰囲気をひとつ欲しくて入れました。田谷力三は浅草オペラのスターで昭和期にも引き続き浅草で活躍していましたが、昭和5,6年に大阪でもしばしば独唱会やステージ出演を行なっていました。

「恋のステップ」は笠置シズ子が初めの芸名、三笠静子で吹き込んだレコードデビュー録音です。初復刻。(今回も初復刻の音源は半数以上ありますが)

つづく「春のおどり(桜咲く国)」も笠置シズ子が合唱に加わっていますが、こちらは芦原千津子のタップをメインとした録音。

最後の「大阪名物年中行事 春のおどり」は1941年の「春のおどり」の宣伝用に上演演目をコンパクトにまとめた録音で、同種の宣伝盤が1940年にも制作されています。この’41年度盤は、いまもご健在な京マチ子さんがハイティーン時代、すでにスターの片鱗をみせていた時期に司会をして吹き込んだレア音源です。1941年という時期に4サックスの松竹爆音舞台がスウィングしまくっていることに驚かされます。この抜粋盤にも勝浦千浪のタップが登場します。

大切なビリケンの商標を快く使わせていただいた田村駒株式会社様、素敵な序文を頂いた橋爪節也先生をはじめとして、今回のCD制作にも多くのコレクター、知友、レコードレーベルのご協力をいただきました。ここに厚くお礼申し上げます。

以上、すこし語りすぎた観がありますが、ジャズに、ヴォーカルに、タップに満ち満ちた大大阪をたっぷりお楽しみください!


「大大阪ジャズ」発売にあたって。 その壱

お待たせしました。そのひと言に尽きます。

戦前大阪のジャズは、僕にとって大きな課題のひとつでした。拙著「ニッポン・スウィングタイム」でも触れましたが、日本のジャズの中心はいっときとはいえ関西、ことに大阪にあったのであり、細かな事実の積み重ねがそれを証明します。
タイトルのとおり大大阪時代のジャズに特化したCDとして企画を立てましたが、その選曲には悩み抜きました。戦前大阪と大大阪圏内のレコードから純粋にジャズ録音を追求すると、インストとジャズソングでゆうにCD2枚分は埋まりますし、じっさい今回のCD候補音源として200種あまりを俎上に上げました。しかし大正期〜昭和初期のインストとジャズソングだけでは平板で今ひとつパンチの足りない、退屈なプログラムになってしまう危険をはらんでいました。具体的にいえば、関西にはディキシー系のジャズ録音はそこそこあるのですが、スウィングに足を踏み込んだ録音が極端に少ないのです。松竹ジャズバンドとか国歌ジャズバンドなどのインストばかりでCD1枚を埋めれば、コアな研究者には喜ばれるかもしれませんが、楽しく聴き通せるかははなはだ疑問なので、ぐらもくらぶの他のCD同様、エンターテインメントを第一義に考えて編みました。
キーワードは「時代精神としてのジャズ」です。ジャズを基調とした流行小唄やタップ、松竹少女歌劇に範囲を広げて、ジャズとしての要素をアレンジないし演奏に含んでいることを条件としました。破調的にジャズとは直接関係のないレアな音も2曲ほど挟みましたが、 大 大 阪 というメトロポリスの勢いを伝えるうえでの演出とお考えいただければ幸いです。

なお、今回のCD,大阪通天閣のシンボルで幸福の神様として知られているビリケンさんを田村駒株式会社様のご厚意でキャラクターとして使用しております。
大阪みやげにぜひ!
また大阪での取り扱い店も募集中です。 贅言は省いて、ぐらもくらぶの次回作「大大阪ジャズ」の曲目詳細を発表いたします。

DISC-1は海外楽曲カバー録音の精華集です。
冒頭には、大阪いや日本初のタップ・ディスクである「ブロードウェーメロデー」を配しました。大木あき子の清純な歌唱もすっきりして良いのですが、このディスクの主人公は中村滋(しげる)のタップです。アンソロジーのトップにふさわしいエスプリあふれる録音です。レコードの冒頭とfinに入っているやんやの喝采がいかにも楽しい雰囲気を醸し出していて、何年も前から「大大阪ジャズ」を作るなら1曲目にこれ、と決めてました。

そのあとCD前半には大阪のジャズソング女王・井上起久子を特集しました。


井上起久子は昭和4年から日本コロムビアの大阪スタジオで数多くの録音を行ない、その多くがコロムビアのサブレーベルであるオリエントから発売されています。親レーベルのコロムビアでも井上の録音はリリースされていますが、映画主題歌や流行小唄が主で、どういうわけかジャズソングはオリエントに集中しています。
そのジャズソング群には「太湖船」「ドナウ河の漣」「乙女の唄(六段の曲)」、和製ジャズ小唄の「大阪行進曲」「恋のジャズ」など佳作が数多くありますが、当セットにはビギンのもっとも早いカバー例である「サリタ」、歌唱も演奏もすばらしい「思ひ出」、ケータイ小説のような歌詞の「断然好きだ」、井上起久子のある一面を濃厚に示す録音として「嘆きの天使」(バタフライ録音)を選びました。もはや忘れ去られてしまったかつてのジャズソング女王の可憐、妖艶、ストイックな魅力を僕はこよなく愛します。「ニッポン・スウィングタイム」にもこまごま書きましたが、百万言を費やすよりも聴いて頂いたら一発で通じるでしょう。
次に、大正〜昭和初期、日本のジャズメンに大きな影響を与えた外国人バンドを4つ入れました。ローヤルジャズバンドの「チンチャン」はクレズマーの影響がちらほらと窺える録音。このバンドの詳細は未詳ですが、リズム感覚やフィーリングから同時代の日本人の演奏でないのは確かです。大阪でいちばん最初に「ジャズバンド」と銘打って発売されたレコードなのでここに収録しました。日東管絃団の” Guage of Amour Avenue”はフレッチャー・ヘンダーソン楽団の録音で知られているナンバーをフィリピン人主体のバンドが演奏したレコードです。中間部のトロンボーンクラリネットの長い長い、そしてブラックな色合いのソロは、日本のジャズ録音ではきわめて珍しい記録です。つづく上海のカールトン・ジャズバンド「カラバン」はマヌーシュ・ジャズの先駆をなす演奏として注目されるべき録音です。1927年にすでに極東にジャズヴァイオリンが入ってきている事実は、なにを物語るでしょう? 最後のヒリッピン・ジャズバンド「バカボンド」は当時、大阪名物だったフィリピンジャズを生々しく捉えた記録です。フィリピン人のやっていたジャズがどんなものであったか、これらの録音を聴けば得心がいくでしょう。彼らがあふれるほど持っていたフィーリングが大阪のジャズメンの恰好のお手本となり、やがて東京にホットジャズを波及させたのです。



おなじ大正期、日本でジャズサックスを志したプレイヤー・前野港造の貴重な録音をふたつ入れました。彼の録音の多くは邦楽曲やクラシカルな曲目なのですが、かろうじてアメリカのフォックストロットを2曲、ニットーに吹き込んでくれています。今日の観点からはジャズといわれても頷き難いナンバーと演奏ですが、このようなパイオニアの積み重ねの延長線上に、いま私たちが聴いているジャズがあります。現代のサックスプレイヤーの皆さんにはぜひお聴きいただきたい演奏です。

大阪から東京に雄飛して日本にジャズブームの火をつけた井田一郎は、上京前に少量の録音をニットーに残しました。その中から、明確に井田一郎のバンドの特徴を示す演奏として”Who”を収録しました。同時代の大阪のジャズのなかで井田たちの演奏がいかに研究的で且つじっくりジャズを楽しむ演奏であったかは、DISC2の松竹座管絃団による同曲の演奏や、おなじ時期のほかのトラックのジャズ演奏と聴き比べれば一目瞭然でしょう。
その学究的ともいえる井田バンドと対極ともいえる破天荒な演奏が、豊中あたりにあった国歌レコードに残されていたので収録してみました。ハラダジャズバンド「カチンカ」はメンバーは未詳ですが、先に取りあげたヒリッピンジャズバンドからの影響を思わせるホットで乱調子な演奏です。

DISC1の後半には大阪の地域レーベルがカバーしたスタンダードナンバーを特集しました。
「岡の月光」(山口静子)は廉価な小型盤ながら、2分弱のなかにオリジナリティあふれるアレンジが聴かれます。タイヘイが力を傾注した「巴里の屋根の下」主題歌2曲は、よりすぐりのプレイヤーたちに加えて当時東京から関西に活動の場を移していたアーネスト・カアイが加わっている豪華盤。黒田進と井上起久子がそれぞれ好唱を聴かせてくれますが、このレコードのもう一方の主役は中村滋のタップです。冒頭の「ブロードウェーメロデー」とほぼ同時に発売されたレコードで、日本のタップ・ディスクの嚆矢となった録音です。
大阪のジャズ録音は昭和初期には東京のメジャーレーベル並みの繁盛をみせましたが、昭和10年代に向けて減少の一歩をたどります。その乏しい録音のなかから、コッカの「カリオカ」「セントルイズブルーズ」、ショーチクの「ダイナ」を選んでみました。ショーチクは京都のレーベルですが、「ダイナ」を吹き込んでいるサムカトーミュジックボーイは、大大阪の文化圏内にあったダンスホール「タイガー」の出演バンドなのです。いわばリアルな実働バンドの音。レコード用に作られた音が氾濫する戦前ジャズの世界ではレアな記録といえます。


つづく3曲は、広瀬正が小説化を企てていたことで知られる紙恭輔の音です。主に東京で活動していた紙恭輔とPCLジャズバンドがどうして大阪のコッカレコードで6面の録音を行なったのか、いまだ定かではありませんが、彼らのレコード3枚が大阪でレコード化され流通したのは動かしがたい事実です。本来ならば「大東京ジャズ」に収録してもよい音源なのですが、大阪人の趣味に合致するとも思えない紙恭輔の流線型の音楽を縁もゆかりもないコッカがレコード化していることに敬意を表して、「大大阪ジャズ」に収録しました。(画像の「ダイナ」は今回のアンソロジーには収録していません。今回は。)

DISC1最後の一曲は、やはりコッカの「美はしの瞳」です。歌手もバンドも未知の人々ですが、昭和10年代の大阪のエンターテインメントの雰囲気を伝える、なんとも遊蕩気分ただよういい感じのジャズソングなので、これを最後の〆に配しました。コッカレコードでも最後へんのジャズ録音であり、コンデンサーマイクを用いているようですが、ことによると東京のスタジオで録音した原盤を大阪でプレスしたのかもしれません。不確定な情報なのでライナーには記しませんでしたが、昭和10年代の関西のレーベルには謎な部分が多いのも魅力のひとつなのです。

CD紹介が思いの外長くなったので2回に分けます。

「戦前ジャズ・コレクション〜テイチク・インスト篇」

ご無沙汰しています。さて、いよいよ次なるCDのお目見えです。

来たる11月25日にリリースされるぐらもくらぶ第3弾は、2枚組の特作です。

“The Lost World in Jazz – TEICHIKU SWING COLLECTION”

ぐらもくらぶのジャズ関連の復刻は、これからこのThe Lost World in Jazzシリーズでリリースしてゆきます。

邦題はそのままカタカナにしてもよかったのですが、内容を直に表わしたかったのでぐんと判りやすく

「戦前ジャズ・コレクション〜テイチク・インスト篇」としました。

その名のとおり、戦前「ジャズ王國」の異名を取ったテイチクが旺盛に放っていたホットディスクを一堂にまとめた復刻です。

ディック・ミネやチェリー・ミヤノなどジャズシンガーと共演したジャズは「ニッポン・モダンタイムス」シリーズで一挙に復刻したのですが、ジャズの真髄であるインストものは復刻が難しかろうと半ば諦めていました。しかし保利透さんのぐらもくらぶが大英断を下し、さらに録音の版権を有するテイチク・エンターテインメント様の全面的なご協力で堂々2枚にまとめることができたのです!

拙著「ニッポン・スウィングタイム」(講談社 2010)で僕は日本のジャズのアレンジとスウィングに至るインストの歴史に重点を置きました。それは、これまで日本のジャズ史に欠けていた観点であり、その分析が急務であると考えたからです。そうしてテキストとしてこの本を、音源資料として復刻CDを提示することが目標でした。

今回の「戦前ジャズ・コレクション」のリリースによってその目標が完全に果たされます。もちろん、これで最後ではなく更に戦前ジャズの検討に必要な復刻は出してゆくつもりです。

さて、当インスト篇の内容ですが…

まず1935年(昭和10)に結成されたテイチク・ジャズ・オーケストラのカバー&和製ナンバー(流行歌のアレンジ)でほぼ1枚費やしました。

途中でプレイヤーの顔ぶれも変わっていますが、その前半と後半をテイチクに関係するジャズメンのソロプレイでつなぎました。

テイチク・ジャズ・オーケストラのメンバーが一新された'38年からの一連の録音はさらに熟練を積んだ名演揃いです。

ネオ・ディキシーからスウィングまで当時のメリカのジャズシーンにぴったり寄り添ったプレイですが、今日の日本人のジャズとの共通点というか底流に流れる血脈をそこに見出すことは、決して困難ではないでしょう。

僕は先の11月10/11日に新宿で行われた新宿トラッドジャズ・フェスティバルを実地に聴いてその思いを深くしました。現代のジャズを知るリスナーがこれら戦前ジャズを聴いたら、きっと感動ものでしょう。

終わりの2曲はテイチク管弦楽団、帝国管弦楽団の名義となっていますが大戦下のジャズ/軽音楽の一例として提示しました。特に最後のナンバーはアメリカの’40年ごろのジャズに通じているリスナーならばひとしお興味深いことでしょう。

DISC2はテイチクが奈良から東京に進出する以前、すなわちテイチク・ジャズ・オーケストラの前史として関西の「四ホール連盟ダンス・オーケストラ」および「ジェリー・ウッド・エンド・ヒズ・アンバサダーズ」の録音をひとまとめに紹介しました。それから後半では、バッキー白片の「アロハ・ハワイアンズ」で心地よくスウィングするハワイアンを、また慶応大学の「Keio B.R.B Light Musicians」の2曲で1940年当時の学生バンドのスウィングを示しました。

前者はバッキーのスウィートなsgも魅力ですが、共演するレイモンド・コンデ(cl)、杉原泰蔵(vib)らのソロもすばらしく、ハワイアンの域を超えた名演揃いです。

後者は、アンサンブルはすこし雑ですが、アメリカですごく龍吼していたラリー・クリントン楽団のナンバーを一生懸命にスウィングしています。おなじ慶應の学生バンド「レッド・ブルー・クラブ・オーケストラ」が昭和初期に残した二村定一・天野喜久代の「アラビヤの唄」「青空」などと比較すると隔世の感があることでしょう。

2枚目のディスク後半は、伝説の「タイゾウ・スヰングオーケストラ」を6曲収録しました。1940年に録音されたタイゾウ・スヰングはまさに戦前のジャズ黄金時代を体現する存在、象徴といえるでしょう。収録曲のほとんどは1930年代後半のアメリカンナンバーでグレン・ミラーデューク・エリントンのレパートリーを演っていますが、単なるコピーではなくリーダーの杉原泰蔵の体臭が色濃く反映しているところが値打ちです。資料が少ないためメンバーの内訳は未詳な部分が多いですが、すばらしいアンサンブルとソロからは一流プレイヤーの存在が窺われます。

全44曲中、「ハレムから来た男」「ハットスタッフ」「可愛いブラウンさん」「私のマリア」「シム・シャム・シミ」の5曲以外、すべて初復刻です。

ブックレットにはテイチクの提供による録音年月日のデータを附しました。また、可能な限りパーソネル情報にも触れました。ご参考になさってください。

この2枚組、日本の戦前ジャズをはじめて聴く人にも、アメリカのジャズに精通した人にもお薦めしたい内容です。

僕らは毎回、相談しながら収録曲を決めています。「二村定一 街のSOS!」「大名古屋ジャズ」など、譲れるところ譲れないところ、ずいぶん討論して選びました。今回のセットはジャズ色が濃厚なので僕がいちおうリードして収録したいディスクを選びましたが、いつも通り保利透さんの趣味も反映されています。たとえばDISC 1の「月の塹壕」「満洲娘」など保利さんテイストですし、DISC 2のフィナーレを飾る「ダンス祭」は保利セレクトで「これをどうしても最後に!」という要望がありました。聴きこむほどに耳朶に沁みついて離れない「ダンス祭」はいろんな意味で、このセットの終幕にふさわしい選曲だと思います。毎度のことですが、保利カラーが加味されたことで僕のひとりよがりではない滋味深いアンソロジーができあがったのではないかと嬉しく思っています。

12月8日には大名古屋シリーズの第二弾、「大名古屋軍歌」がリリースされます。こちらは「世界軍歌全集-歌詞で読むナショナリズムとイデオロギーの時代」(社会評論社)でおなじみの辻田真佐憲氏が監修。ぐんと深みを増したぐらもくらぶの世界にご期待ください。

リズム・レッカーズのLUCKY盤

The Rhythm Wreckersはバンドリーダーのベン・ポラック Ben Pollack がヴォカリオン社 Vocalionの要請で組んだレコーディング・バンドで、1936〜38年に26面を録音している。ポラックの下、マグシー・スパニアMuggsy Spanier tp、アーヴィング・ファゾラIrving Fazola cl などの名手を揃えていたが、バンドの看板は15歳のホワイティ・マクファーソン Whitey McPherson で、彼のsgヨーデル・ブルースが売り物であった。ために名手たちにとって決して好ましいセッションではなかったと伝えられるが、残された録音を今日聴いてみると、当然ながら豪華なサウンドには唸らされるし、グルーヴィーなsgもさることながら女性かと聴き紛うマクファーソンのヨーデリングは、これが’50sでもおかしくない錯誤感を生じさせる。 戦前の日本でこのリズム・レッカーズが14面(ただし最後の1枚は既発売曲をカップリングしてあるので実質12面)リリースされていたのは、ちょっと驚きに値する。日本盤は、当時コロムビアから発売されていた洋楽レーベル・ラッキー Lucky のプレス。ラッキーはアメリカ原盤のジャズ・ポップスをアグレッシヴにリリースしており、もちろんアメリカ側の膨大な原盤の全てを忠実に出しているわけではないが、要を得た選曲・選盤には瞠目する。おそらく大井蛇津郎(=野川香文)や岡村貞など筋金入りのジャズ通の知恵を借りたのだろう。 ラッキーというレーベルの成り立ちについては、拙著「ニッポン・スウィングタイム」(講談社 2010)の註 p.302に短く纏めたので、そちらをご参照頂きたい。 Lucky 60219  1937年3月新譜 She’ll Be Comin’ ‘Round The Mountain [Vocalion 3341] rec: 21.Sep.1936 NY Sugar Blues [Vocalion 3341] rec: 21.Sep.1936 NY Lucky 60229  1937年4月新譜 Wabash Blues [Vocalion 3390] rec: 21.Sep.1936 NY Alice Blue Gown(in My Sweet Little) [Vocalion 3390] rec: 21.Sep.1936 NY Lucky 60309  1937年10月新譜 St.Louis Blues [Vocalion 3566] rec: 27.Mar.1937 LA Twelfth Street Rag [Vocalion 3523] rec: 27.Mar.1937 LA Lucky 60334  1938年1月新譜(37年12月15日発売) Red Headed Music Maker [Vocalion 3670] rec: 09.Jun.1937 LA Blue Yodel No.1 [Vocalion 3642] rec: 09.Jun.1937 LA Lucky 60335  1938年3月新譜(2月20日発売) Marie [Vocalion 3608] rec: 09.Jun.1937 LA September in the Rain [Vocalion 3608] rec: 16.Jun.1937 LA Lucky 60433  1939年1月新譜(38年12月15日発売) Blue Yodel No.2 [Vocalion 3566] rec: 27.Mar.1937 LA Desert Blues [Vocalion 3642] rec: 16.Jun.1937 LA Lucky 60521  1940年2月新譜 Blue Yodel No.3 [Vocalion 3670] rec: 16.Jun.1937 LA Never No Mo’ Blues [Vocalion 3523] rec: 27.Mar.1937 LA Lucky LX7  1940年5月新譜 St.Louis Blues [Vocalion 3566] rec: 27.Mar.1937 LA Marie [Vocalion 3608] rec: 09.Jun.1937 LA 最初の4曲はニューヨーク録音で、それ以後はロサンゼルス録音であるが、それぞれパーソネルは異なるということである。 ラッキーが適宜間合いを置いてリズム・レッカーズのレコードを発売したので、戦前の洋楽ファンには意外と馴染み深いバンドであった。下手をするとアメリカ本国より日本の方がファンが多かったかもしれない。例によって野川香文が携わっている「軽音楽とそのレコード」(三省堂 1938年)を紐解くと、一項設けられていた。さすが野川さん。 アメリカの白人スウィング・バンド。編成はスチール・ギター、クラリネット(新人名手ファゾラが担当)トランペット、ベース、ドラム、ピアノ等々による小編成で、ノヴェルティな演奏スタイルを持つてゐる。注目されるのはギターの用法である。レコードのための小楽団である。 必要最低限の情報のみで、マクファーソン君には触れられていないのが残念。1936年当時15歳として、1921年生まれの見当だからご存命なら91歳。レコーディング後の行方は杳として知れない。 ラッキーに用いられた原盤は、ARC(American Recod Corporation)傘下のBrunswickやVocalionであったが、日本側では説明が面倒だったのか、ジャズレーベルとして日本でも有名だったBrunswickに敬意を表してか、ラッキー専用スリーヴにもBRUNSWICKの名が躍っている。ラベル上部にストライプが入った通称スダレのラベルデザインも米Brunswick盤に由来する。 それにしても戦前の一般の洋楽ファンにとってもマクファーソンのヨーデル・ブルースは相当に新奇な聴きものであったと想像される。こんなアメリカ本国でも際物に近いバンドを12面も紹介しているのは、当時のコロムビア洋楽部の見識の高さを示しているようで嬉しい。

日本ポリドールのフランス・ホット・クラブ五重奏団

ちょっと洋楽系のSP盤について述べてみたい。 この分野ではルーツ・ミュージックからラテン、ブルース、マヌーシュ・スウィング(いわゆるジプシー・スウィング)などなど、「喫茶ガロート」の博識多才なるpeiさんの足許にも及ばず教わることばかりなのだが、さいわい僕のコレクションに戦前のLucky盤やPolydor盤のごきげんなところが含まれているので、1930年代当時の日本のジャズ事情として拙著「ニッポン・スウィング・タイム」を補完する意味合いで纏めようと思い立ったのである。 ロマ系の民族音楽とメカニックで優美なスウィング・ジャズが融合したジプシー・スウィングは、フランス・ホット・クラブ五重奏団 Le Quintette du Hot Club de France (以下QHCF)によって確立された。(註1) QHCFはロマの旅芸人の子として生まれたジャンゴ・ラインハルト Django Reinhardt(g. 1910-53)ステファン・グラッペリ Stéphane Grappelly(vn. 1908-97)の邂逅から生まれた。ジャンゴは事故で左手の指2本が使えないというハンディキャップを克服して独自のコード進行を駆使した奏法を編み出し、盟友のグラッペリとともにギター3台、ヴァイオリン、ベース(時にはヴォーカルやゲストソリストを加えた)というストリングス編成のジプシー・スウィングを創始したのである。 1934年に結成されたQHCFは1939年に解散するまでに仏Gramophone、仏UltraphoneSWING、英Decca などで旺盛な録音活動を行なった。うち仏Gramophone社への録音は、日本ビクターからも7枚14面がリリースされた。 日本でQHCFがお目見えしたのは1937年4月新譜の”Limehouse Blues” “I Can’t Give You Anything But Love”(JA856)であったが、その日本盤デビューで既に『これはヴァイオリンのステファン・グラペリー、ギター(独奏)のジャンゴ・ラインハート、ルイズ・ヴオラ、ベースのシャーぺと云つた絃のプレヤー中の猛者ばかりを集めたジャズである。この中のヴァイオリンとギター独奏のラインハートは優秀なテクニシアン(ラインハートはジプシーの出身)』(大井蛇津郎 レコード音楽37年4月号)と簡潔ながら要所を押さえた紹介がなされている。これは1934,35年からほぼリアルタイムでフランス盤、あるいは米英の系列レーベルによるプレスが輸入されていたためで、日本盤がリリースされる以前より心あるジャズ・ファンはジャズ喫茶や個人輸入でQHCFの魅力を知悉していた。 日本ビクターに次いで日本ポリドールもまたQHCFの録音を順次リリースし始めた。 このポリドール・シリーズでは仏Ultraphoneおよび英Decca原盤をプレスしている。仏Ultraphoneはレーベルの成り立ちからいえば我が国ではキングレコード洋楽部(=日本テレフンケン)からリリースされるのが筋であるが、仏Ultraphone原盤が米英Deccaでプレスされている関係から、両Deccaと原盤提携をしていた日本ポリドールが原盤権を獲得した。(註2) 寄り道になるが、日本ポリドールが米Deccaと原盤提携契約を結んだのは1934年のことである。この年は、タイヘイ、ラッキーもARC(American Record Corporation)と原盤契約を結んだことでも記憶されよう。先行する外資系のビクター、コロムビアに加えてこれらのアメリカン・ルートが拓けたことで日本のジャズシーンは、それまで以上に一気にアメリカンナイズされることとなる。この時期はアメリカでもちょうどスウィング時代に突入するタイミングで、日本に於いてもほぼリアルタイムにSwingという言葉を使い始めたのである。(具体的には1936年秋以降、JOAKの有坂愛彦など放送人が音楽雑誌などで導入した。) さて、ここからが本題の「日本ポリドールのフランス・ホット・クラブ五重奏団」である。 QHFCは仏Gramophone社へも同時期に並行して録音していたが、録音契約の兼ね合いで時期が重なるウルトラフォンやデッカではQHCF名義は使えず、Stephane Grappelly and his Hot Four (Featuring: Django Reinhardt) という表記となり日本盤もそれを踏襲した。 A142 (1937年8月新譜) “Clouds” 1935年7月パリ録音 Ultraphone AP1511  S.Grappelly(v), Jango.Reinhardt(g-solo), Pierre “Ballo” Ferret(g), Louis Vola(b) Avalon 1935年7月パリ録音 Ultraphone AP1511 S.Grappelly(v), Jango.Reinhardt(g-solo), Pierre “Ballo” Ferret(g), Louis Vola(b), Arthur Briggs, Alphonse Cox, Pierre Allier(tp), Eugène d’Hellemmes(tb) A197 (1938年1月新譜) “Ultrafox” 1935年4月パリ録音 Ultraphone AP1484 “Lilly Belle May June” 1935年3月6日パリ録音 Ultraphone AP1444  S.Grappelly(v), Jango.Reinhardt(g-solo), Roger Chaput(g), Joseph Reinhardt(g), Louis Vola(b), Jerry Mengo(vo Lilly Belle May Juneのみ) A230 (1938年4月新譜) “Some of These Days” 1935年9月パリ録音 Ultraphone AP1548 “Djangology” 1935年9月パリ録音 Ultraphone AP1548  S.Grappelly(v), Jango.Reinhardt(g-solo), Pierre “Ballo” Ferret(g), Louis Vola(b)  この3枚6面は仏Ultraphone原盤。“Djangology”(ジャンゴロジー)はラベル上では「ドヤンゴロジー」と表記されているのがご愛嬌。内周の鏡面にはUltraphoneの77000番台マトリックスが刻印されているが、12時の方向にはDECCA原盤であることを示す刻印がある。 A315 (1938年12月新譜) Honey Suckle Rose” 1938年1月31日ロンドン録音 Decca F6639 “Souvenir” 1938年1月31日ロンドン録音 Decca F6639  S.Grappelly(v), Jango.Reinhardt(g-solo), Roger Chaput(g), Eugène Vées(g), Louis Vola(b)  A315とA354の2枚4面は英Decca原盤で、マトリックスDTBの規格である。  ラベルでの楽団表記はStephane Grappelly and his Quintetとなっている。 A354 (1939年5月新譜) “Night and Day” 1938年1月31日ロンドン録音 Decca F6616 “Stompin at Decca” 1938年1月31日ロンドン録音 Decca F6616  S.Grappelly(v), Jango.Reinhardt(g-solo), Roger Chaput(g), Eugène Vées(g), Louis Vola(b) ところで日本ポリドールは1937年6月新譜から、それまでポピュラー洋楽盤に充てていた15000番台のナンバリングを改新してA番台をスタートさせた。そうして、それと同時に英Deccaのスリーヴデザインをそっくりそのまま使った洋楽専用スリーヴを採用した。特別漉きだという真紅の袋の紙質は本家Deccaよりやや厚手だ。米Deccaのデザインを取り入れたポリのブルーラベルを収めると少し紛らわしいが、もちろん意図的な模倣であろう。(このスリーヴデザインは2年ほどで廃止されたが、戦後の占領期に粗末な紙質ながら再登場した) 註1) 戦前から日本では「フランス・ホット・クラブ五重奏団」の名で愛された。野川香文が編著に加わった「軽音楽とそのレコード」(1938年10月5日発行 三省堂)ではなぜか「フランス・ホット五重奏団となっているが、これはうっかりミスだろう。なお外字の綴りも英語のQuintette of Hot Club of Franceではなく仏語の(Le) Quintette du Hot Club de Franceであるところが、いかにも原典主義を重んじた戦前らしい。 註2) 1929年、ドイツで設立されたUltraphonは翌年、フランスにも展開した。1932年にUltraphonTelefunken社に買収されて同社のブランドがTelefunkenとなったのちもフランスおよび東欧の系列レーベルはUltraphoneブランドのまま業務を続けた。一方、Telefunken Schallplatten GmbH大日本雄弁会講談社のレコード部門であったキングレコードが独立する際、原盤契約を結んで同社の洋楽ブランド・日本テレフンケンにドイツ・フランス録音の洋楽原盤を提供した。

イベントのお知らせ�A『プチぐら★』Vol.5 〜蓄音機でSPレコードを聴くぜいの巻〜

2日(土)の箱根やまぼうしでのコンサートの翌日、6月3日(日)は、おなじみぐらもくらぶの主催で、ベルベットサンにて愛機を鳴らします。日本のジャズのほか、クラシック、欧米のポップスやめずらしく戦後のレコードなどもかけてみようと考えています。 こちらもぜひお越しください! 詳細はこちら↓ 「プチぐら★」vol.5 〜蓄音機でSPレコードを聴くぜい!の巻〜毛利眞人愛用の大型蓄音機HMV Model163が荻窪ベルベットサンに登場! 是非会場で蓄音機体験を! 出演・毛利眞人(音楽ライター・「ニッポンスウィングタイム」「沙漠に日が落ちて 二村定一伝」講談社) 保利透(戦前レコード文化研究家・ぐらもくらぶ主宰) 6月3日(日) OPEN 19:30 START 20:00 CHARGE¥1.500(w/1drink) 会場:荻窪ベルベットサン 杉並区荻窪3-47-21サンライズビル1F
大きな地図で見る 予約は以下から申し込めます ( http://www.velvetsun.jp/next.html#6_3 ) また当日空席がある場合は当日券を出しますので、現地へ直接お越しください。

イベントのお知らせ 箱根やまぼうし「蓄音機で戦前日本のジャズの世界を聴こう!」

突然ですが来たる6月、愛用の蓄音機とともに関東に現われます! 6月2日(土)13:00〜 「箱根やまぼうし」にて「蓄音機で日本の戦前ジャズの世界を聴こう!」をいたします。 「箱根やまぼうし」は女優の浜美枝さんが日本全国を訪ね歩いて見つけられた12軒の古民家から成るイベントスペースです。数々の古民家の太い柱や梁から新たに組み上げられ、命が吹き込まれた空間は、ギャラリーやイベントを通して素晴らしい出会いの場として機能しています。 このたび活躍する英国製のマホガニー材出来の蓄音機は、近代民芸調のギャラリーに相応しい存在感と音を与えることでしょう。 私がレコードコンサートに大型蓄音機を用いるのは決してノスタルジーや懐古趣味ではなく、この1920年代の科学技術と音響学が生み出した化け物が「蓄音機」というなつかしげなネーミングを打破するハイフィデリティーな再生音を聴かせるからです。英国Gramophone社 Model.163の機能を最大限に発揮するレコードを取り揃えてお待ちしています。 思えば一年前、2011年2月に文化放送浜美枝のいつかあなたと」でゲストとしてお招きいただいたことがご縁となりまして、今回の催しにつながりました。ありがたいことに、今回を第1回としまして、全6回それぞれ異なるテーマで愛機を鳴らさせていただきます。関東の近在の皆さま、ぜひ足をお運びくださいませ。 イベント詳細はこちらです。→蓄音機で戦前日本のジャズの世界を聴こう! 箱根やまぼうしさんの翌日、6月3日(日)には東京で蓄音機を鳴らします。 追って詳細を告知しますので、こちらもお楽しみに!