ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

リズム・レッカーズのLUCKY盤

The Rhythm Wreckersはバンドリーダーのベン・ポラック Ben Pollack がヴォカリオン社 Vocalionの要請で組んだレコーディング・バンドで、1936〜38年に26面を録音している。ポラックの下、マグシー・スパニアMuggsy Spanier tp、アーヴィング・ファゾラIrving Fazola cl などの名手を揃えていたが、バンドの看板は15歳のホワイティ・マクファーソン Whitey McPherson で、彼のsgヨーデル・ブルースが売り物であった。ために名手たちにとって決して好ましいセッションではなかったと伝えられるが、残された録音を今日聴いてみると、当然ながら豪華なサウンドには唸らされるし、グルーヴィーなsgもさることながら女性かと聴き紛うマクファーソンのヨーデリングは、これが’50sでもおかしくない錯誤感を生じさせる。 戦前の日本でこのリズム・レッカーズが14面(ただし最後の1枚は既発売曲をカップリングしてあるので実質12面)リリースされていたのは、ちょっと驚きに値する。日本盤は、当時コロムビアから発売されていた洋楽レーベル・ラッキー Lucky のプレス。ラッキーはアメリカ原盤のジャズ・ポップスをアグレッシヴにリリースしており、もちろんアメリカ側の膨大な原盤の全てを忠実に出しているわけではないが、要を得た選曲・選盤には瞠目する。おそらく大井蛇津郎(=野川香文)や岡村貞など筋金入りのジャズ通の知恵を借りたのだろう。 ラッキーというレーベルの成り立ちについては、拙著「ニッポン・スウィングタイム」(講談社 2010)の註 p.302に短く纏めたので、そちらをご参照頂きたい。 Lucky 60219  1937年3月新譜 She’ll Be Comin’ ‘Round The Mountain [Vocalion 3341] rec: 21.Sep.1936 NY Sugar Blues [Vocalion 3341] rec: 21.Sep.1936 NY Lucky 60229  1937年4月新譜 Wabash Blues [Vocalion 3390] rec: 21.Sep.1936 NY Alice Blue Gown(in My Sweet Little) [Vocalion 3390] rec: 21.Sep.1936 NY Lucky 60309  1937年10月新譜 St.Louis Blues [Vocalion 3566] rec: 27.Mar.1937 LA Twelfth Street Rag [Vocalion 3523] rec: 27.Mar.1937 LA Lucky 60334  1938年1月新譜(37年12月15日発売) Red Headed Music Maker [Vocalion 3670] rec: 09.Jun.1937 LA Blue Yodel No.1 [Vocalion 3642] rec: 09.Jun.1937 LA Lucky 60335  1938年3月新譜(2月20日発売) Marie [Vocalion 3608] rec: 09.Jun.1937 LA September in the Rain [Vocalion 3608] rec: 16.Jun.1937 LA Lucky 60433  1939年1月新譜(38年12月15日発売) Blue Yodel No.2 [Vocalion 3566] rec: 27.Mar.1937 LA Desert Blues [Vocalion 3642] rec: 16.Jun.1937 LA Lucky 60521  1940年2月新譜 Blue Yodel No.3 [Vocalion 3670] rec: 16.Jun.1937 LA Never No Mo’ Blues [Vocalion 3523] rec: 27.Mar.1937 LA Lucky LX7  1940年5月新譜 St.Louis Blues [Vocalion 3566] rec: 27.Mar.1937 LA Marie [Vocalion 3608] rec: 09.Jun.1937 LA 最初の4曲はニューヨーク録音で、それ以後はロサンゼルス録音であるが、それぞれパーソネルは異なるということである。 ラッキーが適宜間合いを置いてリズム・レッカーズのレコードを発売したので、戦前の洋楽ファンには意外と馴染み深いバンドであった。下手をするとアメリカ本国より日本の方がファンが多かったかもしれない。例によって野川香文が携わっている「軽音楽とそのレコード」(三省堂 1938年)を紐解くと、一項設けられていた。さすが野川さん。 アメリカの白人スウィング・バンド。編成はスチール・ギター、クラリネット(新人名手ファゾラが担当)トランペット、ベース、ドラム、ピアノ等々による小編成で、ノヴェルティな演奏スタイルを持つてゐる。注目されるのはギターの用法である。レコードのための小楽団である。 必要最低限の情報のみで、マクファーソン君には触れられていないのが残念。1936年当時15歳として、1921年生まれの見当だからご存命なら91歳。レコーディング後の行方は杳として知れない。 ラッキーに用いられた原盤は、ARC(American Recod Corporation)傘下のBrunswickやVocalionであったが、日本側では説明が面倒だったのか、ジャズレーベルとして日本でも有名だったBrunswickに敬意を表してか、ラッキー専用スリーヴにもBRUNSWICKの名が躍っている。ラベル上部にストライプが入った通称スダレのラベルデザインも米Brunswick盤に由来する。 それにしても戦前の一般の洋楽ファンにとってもマクファーソンのヨーデル・ブルースは相当に新奇な聴きものであったと想像される。こんなアメリカ本国でも際物に近いバンドを12面も紹介しているのは、当時のコロムビア洋楽部の見識の高さを示しているようで嬉しい。