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ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

二村定一年譜補完計画

◯昭和4年の項に以下の情報を追加。

6月2日 「ジャズの夕」長野県上諏訪本町銀座 フキザワ時計店蓄音器部主催

二村定一、曽我直子、春野芳子(舞踏)、井田一郎(指揮) 日本ビクタージャズバンド

昭和3年・4年は帝国館、電気館、観音劇場、と浅草の映画館・劇場での幕間アトラクションに旺盛に出演し、夏場には歌手やジャズバンドとともに地方巡演に出るというパターンが定着した。曽我直子と春野芳子は地方巡業の定番メンバーで、二村がコロムビアに移籍(1930年秋)してからも巡業をともにしている。

 

昭和4(1929)年の補遺

では例によって時系列で二村定一の活動を追おう。この年は1月から6月にわたって石田一郎が主宰する「電気館レヴュー」に出演している。

 

・1月1日〜4日

浅草観音劇場に出演。井田一郎(指揮)チェリージャズバンドの演奏で「岡惚れは禁物よ」「スキー節」「アラビヤの唄」を歌う。「スキー節」は天野喜久代がコロムビアで吹き込んだ「スキーの唄」と同じ楽曲だろうか。

 

  • 1月5日〜9日

浅草観音劇場に出演。井田一郎(指揮)チェリージャズバンドの演奏で「ブリュースカイ」「思ひ出」「スキー節」を歌う。「ブリュースカイ」はもちろんアーヴィング・バーリンの”Blue Skies”で、二村向きのナンバーだけに、これは録音しておいてほしかった。

 

  • 1月10日〜13日?

浅草観音劇場に出演。井田一郎(指揮)チェリージャズバンドの演奏で「岡惚れは禁物よ」「ハワイの唄」「浅草行進曲」を歌う。

 

  • 1月15日 ビクターに「となり横丁」「ほがらかネ」を録音。
  • 1月17日 ビクターに「茶目子の一日」「あめや狸」を録音。

 

  • 1月22日〜25日?

浅草観音劇場に出演。井田一郎(指揮)チェリージャズバンドの演奏で「夢の通ひ路」「メリーウィドー」「木曽節」を歌う。

 

2月1日

電気館レヴュー「モダーン東京八景」に出演。

第一景 神田墨橋の夕

第二景 銀座カフェーサロン

電気館レヴューは、根岸歌劇団のマネージャーだった石田一郎が内山惣十郎と共に旧浅草オペラ出身者を糾合してはじめたレヴューである。脚本・演出・衣装考案:内山惣十郎、編曲・指揮:井田一郎、文芸部:井上紫陽、幕内主任:東五郎、というスタッフであった。もともとが淺草オペラ関連の人脈であったことや井田一郎がビクター専属となっていたことから、佐々紅華をパイプ役にしてビクターとのタイアップを取り付け、ビクター側から作詞家・時雨音羽、作曲家の佐々紅華、中山晋平、藤井清水がこのレヴューに関わることとなった。

役者は木村時子と澤カオルが二枚看板で、女優が高井ルビー、富士野登久子、吉野八重子、伊沢艶子、松山文子、小村花子、澤久子という顔ぶれ、男優は柳田貞一、萩原隆男、間野玉三郎、横山幸夫、二村定一という面々で、ダンサーとして澤カホルも出ている。カメオとしてビクター歌手の佐藤千夜子が加わっている。

 

  • 2月6日 ビクターに「神田小唄」「君よさらば」を録音。
  • 2月26日 ビクターに「夕となれば」録音。「かちどきの唄」もこの時のセッションかもしれない。

 

2月28日

電気館レヴュー第五回 小唄レヴュー「愛の古巣」に出演。

なお、このレヴューは内山惣十郎「浅草オペラの生活」では第三回となっている。

第二回「サロメはジャズる」はビクターではなくコロムビアで天野喜久代と柳田貞一が吹き込んだジャズソング「サロメ Sa-lo-may」に因んで、オスカー・ワイルドの「サロメ」のパロディが上演された。二村はこの時は急病のため出演していないらしい。

「愛の古巣」も「サロメ」の時とおなじくコロムビアで天野喜久代が吹き込んだジャズソング「愛の古巣 I’m wingin’ home」を核としたラブロマンスである。浅草オペラから映画俳優のスターとなっていた里見明が新たにレヴュー団に加入し、電気館レヴューの団員は総勢20名以上となった。このとき二村定一は病気全快出演を果たし、「当世銀座節」「ソニヤ」「月は無情」を歌った。

この公演は、週替りの混乱で衣装が出来上がってこなかった踊り子を簡単な乳隠しとズロースだけで舞台に出したことが観客に大きな刺激を与え、「ハダカダンス」として一気に人氣が沸騰したことで知られている。内山惣十郎の記述によれば、この乳隠しとズロースの踊り子が客寄せ策として常習化したため、警視庁保安係の取り締まりに遭ってきつく油をしぼられたうえ、「ズロースは股下三寸まで」という規則が作られたという。この通達が1930年11月の浅草でのエロレヴュー大取り締まりの前触れとなる。

下の画像は「愛の古巣」時かどうかは不明だが、天野喜久代との共演時のものなので掲げてみる。

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  • 3月12日 ビクターに「黒い眸」「昇る朝日」を録音。

 

3月21日

電気館レヴュー「テケツの女」に出演する。

この回は電気館レヴューの音楽監督をつとめた井田一郎の立案・作編曲で、澤カホルが振り付けをしている。

このほかにも二村は電気館レヴューに出ているのであろうが、今のところ把握しているのはこの3回のみである。

 

この年、1929年は実演やレコード録音が大忙しで病気もしたりなどしたためか、ラジオの出演は少ない。

3月16日夜、JOAKの放送レヴュウ「妄談助六銀街賑」(伊庭孝 作)に出演。

「キャフェミウラの場」という副題が添えてある。

口上 波島章次郎

医科大学生 二村定一

ミウラの女給たまき 木村時子

救世軍士官 里見明

黒心団長・髪長利権 柳田貞一

ダンボーイ 名村春操

そばかす権平 浮山藤十郎

女性的なモボ 二村定一

伴奏 電気館ジャズバンド

伴奏指揮 井田一郎

放送指揮 内山惣十郎

この顔ぶれと内容からすると電気館レヴューなのだが、前年10月の放送レヴュー「東京莫迦」の好評を受けた第二弾ラジオ企画であろう。二村は医科大学生と女性的なモボを受け持っているが、いかにも打ってつけだ。因みに浅草オペラに入る前、二村は大阪薬学校に通っている。

 

  • 4月11日 ニッポノホンに天野喜久代と「テルミー」を録音。
  • 5月2日 ビクターに「浪花小唄」を録音。
  • 5月29日 ビクターに「海の唄」を録音。
  • 6月11日 ビクターに「山の唄」を録音。
  • 6月12日 ビクターに「早稲田メロディー」「舞鶴行進曲」を録音。

 

6月15日

JOAKのお昼のジャズに出演。

田中豊明(指揮)日活ジャズバンドと共に放送出演している。

ジャズ フォックストロット「セ・リング・オン」

独唱

イ 黒い瞳よ今いづこ

ロ 君恋し

ハ 東京行進曲

  宵待草(?)

ジャズ フォックストロット「マイ・ヘイヴン・イズ・ホーム」

 というプログラムだが、放送前日になって東京逓信局から「東京行進曲」の放送が差し止められ、代替曲が歌われた。この放送中止は一ヶ月ほどしてから流行歌の是非について大論争を巻き起こすのだが、複雑怪奇に亘るその詳細は拙著「ニッポン エロ・グロ・ナンセンス」(講談社)をご参照いただきたい。

 

浅草電気館の電気館レヴューは、館の経営者と旧根岸歌劇団系のメンバーとの意見の齟齬から6月に終了した。

 

  • 6月29日 ビクターに「陽気な唄」を録音。
  • 7月8日 ビクターに「金座金座」を~録音。
  • 8月17日 ビクターに「モダン節」「野球メロディー」を録音。「モダン節」に入っているくしゃみ声は青木晴子のものだと唱える人があるが、二村と青木が共唱する録音は9月であり、わざわざくしゃみ声だけのためにスタジオに青木晴子を呼んだとはちょっと考えられない。しかし興味深い説の一つとして紹介しておく。

 

6月と8月、二村定一は岡田田鶴子(=曽我直子)と北海道函館市で公演。

7月21日からは大阪・道頓堀のカフェ・赤玉の舞台に出演した。この会そのものは好評だったのだが裏方でトラブルとなった。

これより先、二村のマネージャーは大阪の手配師と500円の報酬で独唱会を企画し、大阪方からはビクター専属として京阪神中国地方の巡演にして2000円位の仕事にしないかと勧めがあった。二村のマネージャーとしては願ってもない条件なので話がまとまりかかったところへ二村がなんの挨拶もなく赤玉で公演していったというので、顔を潰された大阪方の手配師が怒って関西地方巡演の話は立ち消えてしまった。これも金銭や契約ごとに恬淡とした二村の一面を示すエピソードだろう。

 

  • 9月12日 ビクターに「都会交響楽」「バッカスの唄」「キルク草履」を録音。「都会交響楽」は青木晴子との共唱で、青木の唯一のビクター録音である。筆者が青木晴子を知ったのも「都会交響楽」によるのだが、いま聴いても青木晴子のもっとも輝いているレパートリーだと感じる。「キルク草履」は歌詞中に問題のある文言が入っているので覆刻されていない。
  • 8月〜9月 日にちは未詳だがビクターに「洒落男」を録音。この名セッションにしてレコーディング日が記録されていないのは不思議だ。金属原盤も見つかっておらず、一抹の謎を投げかけている。

 

9月14日〜20日

神田日活館「音楽ボードビル新秋諧謔週間」に出演。

二村のほか天野喜久代、日活ジャズバンドが出演している。「黒い眸」「山の唄」を独唱、「神田小唄」を天野と共唱した。

 

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9月19日

JOAKより「お昼休みにジャズジャズジャズ」に井田一郎ジャズバンドとともに出演。BK(大阪)その他でも全国中継された。

掲上画像はそのラジオ欄に載った写真。

  1. フォックストロット 「ザッツ・ヒア・ナウ」
  2. 独唱
  3. ツェッペリン行進曲 (内山惣十郎作詞、井田一郎作曲)
  4. 踊れタンゴ (時雨音羽作詞、井田一郎作曲)
  5. タンゴ・ミロンガ 「コケット」
  6. 独唱
  7. 浪花小唄
  8. 神田小唄
  9. フォックストロット 「ザッツ・ホワイ」

ツェッペリン行進曲」は奥田良三がポリドールでレコード化している。「踊れタンゴ」は未レコード化作品かと思う。

 

9月30日

新潟劇場「ジャズと舞踏の夕」に曽我直子、ダンサーの春野芳子、日本ビクター・ジャズバンド(7名)と出演。地元のビクター販売店と新潟の新聞四紙が後援したため、たいへんな盛況となった。

演目は

一 ジャズバンド数曲 井田一郎指揮ビクタージャズバンド

二 独唱 曽我直子

  イ 青い芒

  ロ 鎮西小唄

三 舞踊 春野芳子

  鉾をおさめて

四 独唱 二村定一

  青空

五 舞踊 春野芳子

  スプリングソング

六 独唱 二村定一

  ペトルウシュカ

 休憩

七 ジャズ数曲 井田一郎指揮ビクタージャズバンド

八 舞踊 春野芳子

  タンゴ

九 独唱 二村定一

  黒い眸

十 独唱 春野芳子

  イ 金のグラス

  ロ 君よ去らば

十一 舞踊 春野芳子

   バルセロナ

十二 独唱 二村定一

   山の唄

 休憩

十三 ジャズ数曲 井田一郎指揮ビクタージャズバンド

十四 独唱 二村定一

   東京行進曲

   浅草行進曲

   当世銀座節

   神田小唄

十五 舞踊 春野芳子

   憧れのハワイ

十六 独唱 曽我直子

   悲しき踊子

   モンパリ

十七 二村定一

   君恋し

十八 独唱 春野芳子 (舞踊の誤記か?)

   焰の舞

番外小唄数十曲(新曲発表)各氏

 

 というとんでもなく長大なプログラムで、新潟での期待度がよく伝わる。一行は大歓迎で迎えられたことだろう。

 

次の画像は新潟新聞9月30日付紙面。公演前に新潟新聞社を訪問した際の撮影で、右端の女性は春野芳子、中央の女性は曽我直子である。

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  • 10月10日 ビクターに「久助の舟」を録音。

 

11月1日

浅草電気館で小唄レヴューに出演。

半年ぶりの浅草出演ということで話題となった。「大島ぶし」「マノンレスコオ」「野球メロディ」「浪花小唄」を歌っている。

 

11月8日

浅草電気館に出演。このときもワンマンショーであるが曲目未詳。

 

  • 12月4日 ビクターに「護れよ祖国」を録音。
  • 12月12日 ビクターに「慶應義塾応援歌」を録音。イントロにカップリングの「大学生活 Collegiate」(作間毅, ラッカンサンジャズバンド 1928年9月14日録音)の一部を援用したアレンジ(編曲=堀内敬三)である。
  • 12月24日 ビクターに「海原千里」を録音。漫才師のようなタイトルだ。
  • 12月28日 ビクターに「千の酒倉」「踊る黒猫」を録音。

 

1929年の活動の詳細は以上である。

1930年から二村定一の活動はさらに繁忙を極める。追ってゆるゆると纏めていきたい。