ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

二村定一と青木晴子のSingin’ in the Rain"

 “Singin’ in the Rain”というナンバーをずっと、といっても高校生までだが、戦後の産物だと思っていた。もちろんその根拠はジーン・ケリーの名シーンで有名な同名のミュージカル映画雨に唄えば」だが、ラジオで二村定一の「雨の中に歌ふ」を知って、ああ、この歌はもっと古いものなんだ、と小さく驚愕したのである。  このナンバーは1929年(昭和4)のMGM映画”Hollywood Revue of 1929”で歌われた。1920年代から30年代にかけて名曲を輩出したコンビ、アーサー・フリード Arthur Freed 作詩、ナシオ・H・ブラウン Nacio H.Brown作曲で、これも”Hollywood Revue of 1929”の中で発表された「オレンヂの花咲く頃 “Orange Blossom Time”」とともに人口に膾炙した。このコンビは引き続いて同じくMGM映画”Pagen Love Song”の同名主題歌もヒットさせている。  二村定一はビクター時代にここに挙げた三曲ともレコード化しており、他社でも青木晴子や天野喜久代などが歌っている。ラジオではレコード化をきっかけに1929年10月に初めて電波に乗り、翌年にかけて何度も放送されて大いに流行した。ほかのヒット作も含めて、フリード=ブラウン作品は日本人受けがよかったといえよう。  海外録音が架蔵盤に二種類ほどあったので掲出してみる。  一種類はカリフォルニアのそこそこいけてたバンド、Earl Burnett and his Orchestra で、このディスクはややイージーな造りでおとなしい演奏だが、ヴォーカルのバックに暴風の効果音を入れて気分を出している。このブランズウィック盤はフランスプレスだが、もちろんオリジナルはアメリカである。  もう一種類はディズニーの「星に願いを」でつとに有名なクリフ・エドワーズ(1895-1971)がUkulele Ikekのネームで吹き込んだコロムビア盤である。彼はこのナンバーを映画”Hollywood Revue of 1929”の中でお得意のウクレレを爪弾きながら歌っているので、一連のディスクの中では最も筋が通ったものといえるだろう。  日本では同時にビクターとポリドールが同じ訳詞を用いてジャズソング化し、1930年8月新譜としてリリースした。  ライバル会社からの同時発売が可能だったのは、訳詞者の堀内敬三が専属契約制をとらずフリーの立場であったことと、井田一郎のチェリー・ジャズバンドがビクターで録音業務をするかたわら、1929年〜30年の一年契約でポリドールにも吹き込んでいたからである。ポリドールは洋楽専門レーベルだったが、1930年1月新譜から邦楽セクションを設けてジャズソングや映画主題歌をリリースしはじめるので、前準備として原盤のストックをつくる必要があった。  ビクターからは「雨の中に歌ふ」、ポリドールからは「雨の中に唄ふ」と微妙に異なるタイトルでリリースされた。このような表記上の差異は、ニッポノホンの「あほ空」「アラビヤの唄」VSビクターの「青空」「アラビアの唄」という同曲競合を想起させる。  ちなみにコロムビアはジャズソング化は行わず、フランク・フェレーラのハワイアンバンドやウクレレ・アイクのディスクをカタログ上で「雨中に歌ふ」と表記していた。  このふたつのジャズソング”Singin’ in the rain”を少しだけ解剖してみたい。  ビクターとポリドール、ともに堀内敬三の同じ訳詞が用いられていることは前に述べたが、ヴァース(前唄)を歌っているのはポリドールの青木盤のみである。 ○「雨の中に歌ふ」 二村定一 日本ビクター・ジャズバンド  編成は、サックス2, ブラス2, リズム3, ヴァイオリン。  このアレンジは、ドーシー・ブラザーズ Dorsey Brothers and their Orchestraの米オデオン盤(1929年7月12日録音)をベースにしている。  ヴァイオリンのピツィカートに先導されるテナーとテューバの短い序奏のあと、コーラスメロディーがアルト(高見友祥)とヴァイオリンで通し演奏され、ヴァース(前唄)がトランペットで語るようにとつとつと吹かれる。二村のヴォーカルはマイクをうまく活かしており、バンドに溶け込んでいる。「…降りしきる  雨の中に 楽しい歌を 歌ふ」のはじめの「ふ」で息がマイクに強く当たっているのがちょっとリアルで、いつも注意して聴いてしまう。なお序奏とヴォーカルのバックで、ヴァイオリンのピツィカートで雨音が表されているのはドーシー・ブラザーズのディスクを踏襲したのである。  ヴォーカルのあと、トロンボーンとアルトでふたたびヴァースが挟まれ、トランペットをフィーチャーしたコーラスが全合奏で演奏される。ヴァースで高々と歌い上げる高見友祥のアルト、最後の橘川正のペットは水際だった名演だ。 ○「雨の中に唄ふ」青木晴子 関眞次 指揮 日本ポリドール・ダンス・オーケストラ  サックス3, ブラス2, リズム3, ストリングス(ヴァイオリン)  基本的にビクター版とおなじアレンジが用いられているが、楽器編成は目に立って異なる。  ポリドール版ではヴァイオリンによるピツィカートの効果は用いられていない。ビクター版とおなじ序奏がここではヴァイオリンとテナー、バンジョーをメインに奏でられ、コーラスメロディーがアルト2、テナーという3サックスで通し演奏される。リズムスはバンジョーウッドベース、ドラムで、フィル・インにトランペットが突き刺さるように加わる。  ポリドール・ダンス・オーケストラの個性を形作っているのは三本から成るサックス・セクションである。1930年当時、メジャーレーベルでこの編成に匹敵するのはビクターのカアイ・ジャズバンドのみであった。コロムビア・ジャズバンドはまだサックスセクションが2人で、しかも1931年に導入した新型マイクロフォンの扱いが困難であったため、録音に残されたコロムビア・ジャズバンドのサウンドは悲惨なものとなっていた。  もう一つ指摘すると、おそらくこの録音は日本でジャズにウッドベースを用いたごく初期のものに属するだろう。「一億人のジャズ」(毎日新聞社 1982)で内田晃一氏が「ウッドべースの使用は1930年頃から」としているが、そのころはビクターでもコロムビアでも低音部をテューバないしスーザフォンで補強しており、コロムビアウッドベースを用いるのは1932年からのことである。1930年当時でウッドベースが確認できたのはこのポリドール盤と、スタンダードでジャズソングの伴奏を手がけた「クイン・ジャズバンド」くらいなものであったから、実際のステージはともかくレコード上でベースが標準編成に加わるのはやはり32年頃からとみてよい。  コーラスのインストのあと、ヴァースが青木によって歌われる。バックにはサックス・セクションとベース。つづいて「雨は降れど…」のコーラスが歌われる。端正に整っており伸びのよい青木のヴォーカルは、二村のナチュラルな歌唱と好一対である。ヴォーカルのバックではトランペットがオブリガートをつけ、ピアノ(関眞次)が軽やかな雨音を散りばめる。おしゃれなサウンドと言う点では、ポリドール版の方に軍配があがる。サックス3本のソフトな威力は強烈だ。  コーラスのあとのヴァースはビクターとおなじくトロンボーン、アルトサックスで演奏されるが、ただしサックスは2本用いられ、ソロよりも整ったアンサンブルに重点が置かれている。最後に通し演奏されるコーラスもソロを目立たせないアンサンブルで、高見友祥や橘川正のソロが大きくフィーチャーされたビクターとは趣が異なる。これは、個人芸で聴かせるコンボの井田一郎バンドと、ポール・ホワイトマン楽団風のスウィートなサウンドを求めた日本ポリドール・ダンス・オーケストラの違いだろう。プレイヤーもいつもの井田バンドの面々とは異なるようである。  この二種類のディスクにはアレンジャーのクレジットが無いが、このナンバーに関しては、井田バンドでピアノを弾いていた関眞次が手がけているのかもしれない。楽器編成以外は全くおなじ構成で、且つポリドールで関が指揮をしているのであれば、少なくともポリドール版で関眞次がアレンジに関わっているのは間違いない。そこのところは向後の究明が必要である。  もう一つ、個性的な”Singin’ in the rain”のレコードがあるのだが、それはまた別に述べたい。