ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

「おしゃらか節」(浪花名所小唄)

「おしゃらか節」(浪花名所小唄) 畑中真澄作詞、永井巴作曲 日東管絃団 1932年7月発売。  二村定一のレパートリーのひとつに「大阪をテーマとした歌」がある。大ヒットした「浪花小唄」(29年7月新譜)コロムビアに移籍して正式な第一回発売となった「大阪セレナーデ」「浪花シャンソン(30年11月新譜)がそうで、ことに後者は大阪時事新報の主催で堺筋、心斎橋、島之内一帯を振興するイベントの盛り立て役として、かなり派手に宣伝された。  細かくいえばナンセンスソングなどにも大阪言葉が使われている例もあるが、これらに次いで第三の大阪ソングが、ニットーの「おしゃらか節」である。浪花名所小唄というサブタイトルが示すように大阪の名所が両面(片面は天野喜久代)にわたって歌い込まれているが、このようなスタイルは「大阪行進曲」「大阪小唄」はじめ大阪をタイトルに冠した新小唄に共通するものである。  ニットー東京スタジオで吹き込まれたこのディスクの伴奏は アルト、トランペット、トロンボーンユーフォニウムバンジョー、ドラムス、ピアノ  という編成である。ニットーが専売としていた「ダンス小唄」というジャンルを特に意識して、低音部のリズムを利かせたサウンドとなっているのが特色である。  この楽団はダンス小唄であるなしに関わらずメジャーレーベルにほぼ遜色ない技術を持っていたが、二村がうたうブルースの面ではゆるやかなインテンポで演奏されている。対旋律をゆるやかに通奏するアルトがねっとりとして情緒たっぷりな一方、インスト部分に出てくるトランペットはからっと垢抜けている。  二村は比較的まじめになにわ情緒を漂わせながら歌っており、例によって媚を含んだピエロ的な声でじゅうぶん聴かせる。「うちゃオシャラカ とかなんとかしょうかいな」という囃子言葉が入るが、これはどこら辺りで使っていた言葉だろう?  脇道に反れるが、「浪花小唄」の「ナイカイカ道頓堀よ」とう囃子詞は「ないやないか」を歌手が読み間違えて「ナイカイカ」と歌ったという説があるのだが、少年期から大阪に出る機会があり、大阪薬学校にも通い、大正期から大阪のカフェーやホールでも歌っていた二村が単に読み間違えで、いま現在でもわりあい耳にする「ないやないか」という詞を読み間違えるだろうか。また重大な読み間違えならば文芸部サイドから指摘が入るものではないだろうか?しかも片面の二三吉もやはり「ナイカイカ」と発音している。これは偶然だろうか? このエピソードにはどうも引っ掛かりを感じるのである。  このディスクは二村の滋味のあふれる歌いぶりもよいのだが、片面の天野喜久代の面がさらに良い。  同じ編成にヴァイオリン一挺を加えたN.O楽団が、こちらは急速なフォックス・トロットでアレンジされた同じ曲を軽快に演奏する。バンジョー、ドラムス、ピアノのリズムセクションが生き返ったようにディキシー風のリズムを叩き出し、ブラスも張り切っている(トロンボーンは後方に控えているが)。ことにパーカッションを利かせたドラムスが出色で、スリリングな演奏を聴かせてくれる。アルトサックスはここでも粘りと雰囲気のある吹きぶりで、一種の異化効果とでもいうものを醸しているのが面白い。  アレンジャーの名前が入っていないが、フィーチャーするパートとアンサンブルのテンポを違えたり対旋律をくっきり出してくるのは篠原正雄のよく用いた手法である。(内海一郎版の「道頓堀行進曲」や二村の「懐しのモアナ」など。)  二村が「淀の川瀬、天神祭、北浜、堂島」と大阪の景観、祭り、商都を織り込んだ歌詞であったのに対して、天野の面は「住吉、道頓堀、千日前、通天閣」と盛り場をメインにしている。その対象のちがいがアレンジにも如実に現われているわけである。