ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

Arthur Nikisch

1913年録音のニキシュベートーヴェン「第五」は流石に音の曖昧さ加減に辟易するが、1920年代になってから、アコースティック時代後期のオーケストラ録音は(好き嫌いはあるだろうが)充分に指揮者とオーケストラの呼吸を聴き取ることができる。

この「ローマの謝肉祭」序曲(1921)はニキシュらしい音の動きを示している。ベルリン・フィルも手だれ揃いであり、指揮者の強力なバトンをがっちり受け止めている。ニキシュに接しているという感慨を持たせる演奏である。

音楽好きの侯爵、徳川頼貞がイタリアでニキシュの棒で、「ローマの謝肉祭」の実演を聴いている。実に贅沢な体験である。

やがてニキシュはプラットフォームに上り指揮台に立つた。我々の方を向いて、「ローーマン・カーニヴァル」から始めると態々断つた。ニキシュが指揮棒を取ると楽人は悉く緊張して見えた。ニキシュもまた三軍を指揮する勇将の如き気概を示した。

 バトンは下りた。曲は綺麗なヴァイオリンの奏するベンヴェヌートの第一幕目の終りの場面に於ける八分の六拍子、伊太利風の主題に始まり、素晴らしいフオルテに続いてフルート、オーボー、クラリネット、更にホルン、フアゴット、トランペットに移つて突然休止し、絃と木管とホルンの快活な演奏になつて主題が変り、コールアングレーが絃のピッチカートの伴奏で、ベンヴェヌート第一幕の詠唱を奏し始めた時、私はその美しさに全く恍惚として仕舞つた。嘗て、クローン教授によつて指揮された演奏で聴いた時の、日本人の不得意な木管楽器の演奏と比較して、この素晴らしい演奏は何といふ違ひであらう。同じ楽曲であり乍ら、演奏者によつてかくも異つたものになるのであらうかと私は全く感嘆した。特にテンポ・ルバートの如きは、流石に大ニキシュなる哉と思はせるに充分であつた。私達は全くその美しい完璧な演奏に引き入れられて、最後のサルタレロの激烈なコードで曲が終つた時、始めて我に返つたのであつた。

                (「薈庭樂話」春陽堂 1943)

ニキシュはリハーサルのあと徳川侯と語り、東洋を訪れたいという希望を洩らしているが、徳川と会った翌年の1922年に亡くなった。

※なおニキシュの「第五」もHMV初期プレスで聴くと迫力が伝わるように思う。のちのHMVの黒盤や第二シリーズにプレスされたものは何かが抜け落ちているようだ。

この「ローマの謝肉祭」は創立間もない日本ポリドールでもプレスされている。