ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

Kurt Weill

先に「三文オペラ」の日本語バージョンを紹介したので、序でに手元にあるクルト・ヴァイルの僅少なコレクションから何枚かを挙げてみる。

一枚目は、先日紹介した記事の下方に示した初演者陣によるUltraphon録音(=Telefunken再発盤)より一年前の1929年にリリースされた12吋両面の「三文オペラ」抜粋である。特異な声質で惹かれるカロラ・ネーア、大戦末期にガス室に消えた名優クルト・ゲロンら初演者の顔ぶれでコンパクトにナンバーが歌われている。実は1930年の全曲抜粋よりも筆者はこちらが好きだ。無駄がなく、アンサンブルも緊密で、こちらにスピードとジャズの時代性をより濃厚に感じるのである。30年録音の全曲はやや間のびする。現代の上演は論外だ、時代の抜け殻をかむっているに過ぎない。むしろミュージカル映画の「キャバレー」の方が、ワイマール時代末期のドイツをよく表現しきっている。

そう思わせる要因の一つに、伴奏楽団の問題がある。この作品につけるべき音響は、初演バンドのテオ・マッケーベンTheo Mackeben指揮ルイス・リュースバンドLouis Rüth Bandが名乗ったような「三文バンド」Dreigroschen-Bandでなくてはならない。現代の上演は欲をかくのか劇場が大きすぎるのか、伴奏のジャズバンドが立派すぎてオーケストラになってしまっている。映画で観た「キャバレー」はその点、実に忠実に1930年前後の小編成ジャズバンドを再現していたというわけだ。(この映画でもう一度感心したのは、30年代後半のシーンに、ちゃんとドイツで流行していたスイングジャズのレコードをかけていた点である。)

二枚目はヴァイルの出世作である「マハゴニー市の興亡」である。この作品によって彼はジャズオペラの手法を自家薬籠中のものにした。こちらはHans Sommerの指揮でロッテ・レーニャと独唱者陣によって歌われているがレーニャ以外の顔ぶれが判らない。曲はオペラのタイトルが異なるだけでどちらがどちらのナンバーか分からないほど似通っている。1932年ドイツ・エレクトローラのプレス。実は上の「三文オペラ」もエレクトローラで持っているのはいるのだが、見事にヒビが入っているので田舎に置き去りにして、HMV盤を手元に置いている。

三枚目は、この「マハゴニー市の興亡」からもっとも有名なナンバー、「アラバマ・ソング」のレコードである。これはバンド演奏だが、いつか縁があったらロッテ・レーニャの歌唱盤を手に入れたいナンバーである。ワイマール時代特有の儚く退廃的に美しいメロディーである。戦前も戦後も不思議と日本ではほとんど知られていないメロディーだが、何年か前、久世光彦の正月ドラマに使われていて驚いたことがある。

ドイツのジャズバンドは非常にがっちりしたリズムを刻み、美しいメロディを冷美なソロプレイで乗せる、またアンサンブルは非常に綺麗に揃っていて、戦闘機チームの曲芸飛行のように爽快なクライマックスを形作るのが特徴である。ジャズを緻密な音楽として演奏している。

その技倆は彼我の差があるが、同時代の日本とドイツのジャズのあり方は非常によく似ている。それは、なにかジャズ以外のもので味付けされるというところだろう。この「アラバマソング」を聴いていると、二村定一や天野喜久代の声でも乗せたくなるのだ。

ドイツクリスタルについてはごく簡単にだが、親サイトに纏めてある。↓

http://www.h4.dion.ne.jp/~kishi_k/crystal2.htm

エミル・ローツ楽団はラベルの表記からベルリンのホテル・アドロンの専属バンドであったことが判るが、アドロンはベルリン一と称して差し支えのないホテルなので、ドイツでは知名度の高い楽団であったことと思う。日本クリスタルからもこの楽団によるポピュラー曲が発売されていた。

このほか、大戦中にアメリカに亡命したヴァイルとレーニャ夫妻が軍の特別レーベルに録音したヴァイル・ソングのアルバムも手元にあるが、昨夜のお祭りを懐かしむようなワイマール時代の空気を壊したくないので今回はこれまでにしておく。