ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

GW二村定一特集

イベント前なので二村定一を集中特集

良いお日和にめぐまれたGW、いかがお過ごしでしょうか。

一週間後の8日(日)の『浅草オペラ100年と二村定一リスペクト・ショー』(江戸東京博物館)まで、能うかぎり更新をして告知につとめたいと思います。

 

二村定一の一種の「誰これ?」感は、その風貌にあります。べーちゃん(二村の愛称)の顔は、まず鼻が大きいことが大正期から「オペラ」誌で戯画的に紹介せられました。

これはエノケン一座のチラシ、昭和8年5月 新宿松竹座での「天一坊と伊賀亮」の戯画ですが、二村はおおむねこんなヌメッとした似顔が描かれました。

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べーちゃんという愛称は、鼻の大きな騎士シラノ・ド・ベルジュラックになぞらえたものです。「ベートーヴェンのべーではなくてシラノ・ド・ベルジュラックのべー」というのは本人もしばしばエッセイでネタにしていました。

レヴューで登場したときのパッと華やぐ雰囲気をよく捉えているのが、松竹座図案部の川村秀治による新版画です。

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 時期不明(昭和期)のサイン入りブロマイド。

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他のブロマイドに描かれたサイン。

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下の図版は、大正13年のセノオ楽譜「キャラバン」に書き込まれたべーちゃんの字とサインです。まだ楽譜にタイトルを刷る前の試し刷りで、二村定一がセノオ楽譜発行者の妹尾幸二郎の周辺に縁を持っていたことを示します。この頃、二村定一は意欲的に海外の流行歌を歌い、昭和初期の大ブレイクへの筋道をつけていました。

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次回に続きます。よい休日を!

ぐらもくらぶイベント間近!

5月8日(火)の江戸東京博物館・春のぐらもくらぶ祭り2016『浅草オペラ100年と二村定一リスペクト・ショー』まで、あと一週間となりました。

 

10年ちょっと前は二村定一といっても話の通じないことが多い、マイナー中のマイナーな存在でした。二村定一を取り扱った関連ブログは自分の作ったHPを含めて五指に足りず、ごく僅かな熱烈ファンの仲間内で盛り上がっていた程度。

しかし、その潜在的な人気は徐々に広がりをみせ、「二村定一という不思議なタレントについて知りたい」という機運を高めました。筆者がmixiで拵えた二村定一コミュには現在126人が加わっています。こうした潜在的な二村ブームは、いまや「知る人ぞ知る」に留まるものではなく、ショーのコンテンツとして取り上げられるまでに復権を果たしています。その精華が今回のイベントといえるでしょう。

今回のぐらもくらぶ祭りから、ぴあでチケット前売りを始めましたが、その集客はきわめて良好だそうです。一人でも多くのお客さまに足を運んでいただいて、二村定一という複雑怪奇なピエロの魅力を知ってもらえたら、と思います。

当日、フライングで二村定一の新しいCD 「帰ってきた街のSOS! 二村定一コレクション1926-1934」をゲットできます☆

同時発売の「浅草オペラからお伽歌劇まで ~和製オペレッタの黎明」~では、20代、浅草オペラ時代の二村定一がお伽歌劇でキャラ炸裂しています。

浅草オペラの貴重写真と研究成果盛りだくさんの小針侑起著「あゝ浅草オペラ: 写真でたどる魅惑の「インチキ」歌劇」も、二村定一を生み出した土壌を知るうえで必携のお薦めです!

 

春のぐらもくらぶ祭り2016

『浅草オペラ100年と二村定一リスペクト・ショー』

大正・昭和初期の浅草オペラからジャズソング、そしてエロ・グロ・ナンセンスの時代を駆け抜けた伝説の名歌手「二村定一」を、まもなく100年を迎える彼を輩出した浅草オペラと共に再検証しつつ、トークとライブでたどるバラエティ・ショー!

 

★第一部:< 「あゝ浅草オペラ 写真でたどる魅惑のインチキ歌劇」発売記念・浅草オペラとは?その真相と二村定一の誕生 >

「あゝ浅草オペラ 写真でたどる魅惑のインチキ歌劇」(小針侑起著:えにし書房:5月12日)、「浅草オペラからお伽歌劇まで

~和製オペレッタの黎明~」(ぐらもくらぶCD:2枚組:5月15日)の発売を記念し、まもなく100年を迎える「浅草オペラとは?」と「二村定一の誕生」の実像に迫る、監修者たちによる画像・音源を交えた座談会。(トークほか)

 

★第二部:<「帰ってきた街のSOS!」エロ・グロ・ナンセンスのスター歌手・二村定一!リスペクト・バラエティ・ショー >

「帰ってきた街のSOS! 二村定一コレクション1926-1934」(ぐらもくらぶCD・2枚組:5月15日)発売を記念し、「君恋し」の歌唱で知られる昭和を代表する名歌手・二村定一の世界に浸ろう!

「青空」「アラビアの唄」を歌った日本初のジャズ歌手であり、「キッスOK」「ほんに悩ましエロ模様」などエロ・グロ・ナンセンスの帝王である二村定一を歌と映像とトークでたどる。

演奏に青木研+渡邊恭一”Swingers”、そして歌唱に山田参助&「泊」を迎えて送る、ぐらもくらぶ的バラエティ・ショー!(トークとライブほか)

 

トーク:大谷能生(音楽家)/毛利眞人(音楽評論家)/保利透(アーカイブ・プロデューサー)/小針侑起(浅草オペラ研究家)/佐藤利明(娯楽映画研究家)/片岡一郎(活動写真弁士)

ほか

ライブ出演:青木研(バンジョー)+渡邊恭一”Swingers”/泊 ほか

 

  • イベント関連CD「浅草オペラからお伽歌劇まで ~和製オペレッタの黎明~」「帰ってきた街のSOS!」&「あゝ浅草オペラ

写真でたどる魅惑のインチキ歌劇」の先行即売とサイン会あり

 

場所:両国・江戸東京博物館ホール(JR・大江戸線両国駅下車・東京都墨田区横網1-4-1

開催日:5月8日(日曜日) 

開場:14時00分

開演:14時30分

入場料:前売り2.000円、当日2.500円

 

★前売り券はチケット・ぴあにて好評発売中!!!

Pコード:292760・興行コード:1611812

http://ticket.pia.jp/pia/event.ds?eventCd=1611812

 

主催:ぐらもくらぶ/協賛:活動写真実演会・メタカンパニー・えにし書房

<お問い合わせ>

メール:gramoclub78@gmail.com

電話:03-5273-2821(メタカンパニー内)

オフィシャルサイト:http://d.hatena.ne.jp/polyfar/

ぐらもくらぶ5月新譜

さきに『春のぐらもくらぶ祭り2016』をお知らせしましたが、5月にはぐらもくらぶより3種の新譜CDがリリースされます。

 

1つめは「二村定一リスペクト・ショー」との連動企画である「帰ってきた街のSOS! 二村定一コレクション1926-1934」です。

 

ぐらもくらぶの第一作「街のSOS!」(2012 品切れ)は、従来なかった二村定一のマイナーレーベル録音集として好評裡に迎えられましたが、同アルバムを2枚組で新規構成したのが今回発売の新作です。一枚目にはニットー、ビクター、ポリドール、太陽、オーゴン、タイヘイに吹き込んだ流行歌を、二枚目にはジャズソングを集めました。ビクターエンターテインメントの「私の青空~二村定一ジャズ・ソングス」と併せると、これでビクターの舶来ジャズソングはコンプリート復刻となります!

思えば二村定一の音源に飢えてSP盤を集め始めた中学時代、「いつかは自分の手でジャズソングの復刻をしたい」という熱望を抱いていました。現在の自分にとっても至福のアルバム内容です。

 

2つめは「浅草オペラからお伽歌劇まで ~和製オペレッタの黎明~」です。

大正期、関東大震災まで全盛を極めた浅草オペラの歴史をたどりながら、日本ならではのオペレッタの一様式「お伽歌劇」にフォーカスを当てたCDです。お伽歌劇というと子供向けという印象を字面から受け取りがちですが、また実際、子供向けという一面もあるのですが、浅草オペラで提供されたお伽歌劇の多くは大人でも楽しめる新しいタイプのエンターテインメントでした。お伽歌劇には、

1) 日常的なできごと(ex.茶目子の一日、毬ちゃんの絵本)、

2) 無機物の擬人化(ex.ドンタクラヂオ、武者会議)、

3) 非現実的な人物(ex.浅草遊覧、ボンボン大将)、

4) SF的設定(ex.天保から大正まで)

という諸要素が盛り込まれた荒唐無稽な面白さと、現実社会に対する刺すような毒(ex.ちょいとお待ち、浅草遊覧など)がありました。ただ単に面白いというだけでない広がりが、お伽歌劇にはあるのです。

本CDでは浅草オペラの前史からオペラ全盛期の当たり狂言という歴史も辿る構成となっています。ライナーには若き浅草オペラ研究科家・小針侑起氏の言葉を頂いています。その小針氏の処女作あゝ浅草オペラ: 写真でたどる魅惑の「インチキ」歌劇は、彼が情熱を傾けた浅草オペラの研究成果と貴重な写真群(遺族由来の生写真が多数含まれると仄聞している)で浅草オペラ研究に新しい地平を拓きます。

これら2種のCDと書物は5月25日発売予定ですが、来る8日(日)の江戸東京博物館での「春のぐらもくらぶ祭り2016」でフライング発売されます。

2016-04-12 - SPレコード・蓄音機で聞く78回転SP盤の昭和歌謡・流行歌の話題 〜レコード狂の詩〜

 

 

さて3つめは、中部地方唯一のレコード会社であったアサヒ蓄音器商会(ツルレコード)が手がけたクラシック音楽のアンソロジー「大名古屋クラシック」 です。

これは先行するアルバムの第三弾です。思えば中学・高校時代、名古屋のツルレコードに興味を抱いてレコードや資料を集め、「いつかツルレコードの復刻を作りたい」と夢見ていたことが現在につながっているのです。

 

 

アサヒ蓄は大正期からクラシック音楽にも並々ならぬ力を注ぎ、同社のカタログに重要な一角を占めていました。特に昭和期には名古屋在住の音楽家をスタジオに招いて、メジャーレーベルに勝るとも劣らない企画力で数多くのレコードを制作しました。本CDはそうした名古屋の「眠れる宝」をアンソロジーしています。名古屋から雄飛した鈴木兄弟と作曲家として知られる高木東六の稀少な室内楽、戦前戦後と日本の代表的なフルーティストであった河村秀一のソロ録音、瀧廉太郎と知己であった明治洋楽黎明期のピアニスト・小林禮の弾くベートーヴェン、戦前には珍しい弦楽四重奏の録音群、そして松坂屋少年音楽隊から発展した戦前名古屋のシンフォニー・オーケストラ「中央交響楽団」(現在の東京フィルハーモニー管弦楽団)の録音。ここには戦前名古屋の洋楽が詰まっています。

こちらは5月29日に発売予定です。

 

以上3点の新作ぐらもくらぶアルバム、いずれも自信作です。ご期待くださいませ!

ブログ開設のご挨拶と『春のぐらもくらぶ祭り2016』告知!

ブログ開設のご挨拶

以前使っていたteacupブログが新規更新を停止しているので、はてなに新たにブログを開設しました。どうぞよしなにお願い申し上げます。

『春のぐらもくらぶ祭り2016』

開設一発目から告知です!

いよいよ世間はGWに突入しましたが、私どもぐらもくらぶ同人はうかうかと遊んでいられません。そう、毎年恒例の"春のぐらもくらぶ祭り" in 江戸東京博物館が今年もやって来るのです!! 来年は浅草オペラがはじまって100年という記念年。その浅草オペラの歴史を紐解きつつ、浅草オペラから昭和初期のショウビジネス、レコード界を席巻したエンターテイナー・二村定一を大きく取り上げて紹介しよう、というのが今年のイベント内容です。二村定一といえば「アラビアの唄」「アラビアの青空」などを日本で歌ってヒットさせた「ジャズシンガー第一号」という顔と、いまでも歌い継がれている佐々紅華の「君恋し」をヒットさせた「流行歌手第一号」という顔があります。その全貌は、拙著「沙漠に日が落ちて─二村定一伝」(講談社 2012)に著しましたが、映像や音源を交えたトークとジャズバンドによる実演でより生々しく魅力に切り込もう、というのがイベントの主旨です。

 思えば去年、またそれ以前のぐらもくらぶイベントで二村定一の話柄が飛び出すと観客の反応がすこぶる良く一種異様な昂奮を巻き起こしたことに端を発して、「いっそ二村定一をメインとしたイベントを」という声が起こったことが今回のイベントにつながりました。

 

 二村定一は浅草オペラ時代に培った芸を昭和に花開かせ、エロ・グロ・ナンセンスを体現するエンターテイナーとなりました。あまりにも時代にべったりとくっつきすぎた二村は、コンビを組んでいた喜劇王・榎本健一=エノケンの人気に飲み込まれ、48歳という若さで亡くなったこともあって没後はどんどん時代に取り残されていったのでした。ここ30年あまり二村定一顕彰の動きがありましたが、今年はひとつのエポックをつくるべく、イベントと二村定一の新しいCD「帰ってきた街のSOS! 二村定一コレクション1926-1934 で皆さまに二村定一愛を布教する次第であります。

 

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 第一部ではぐらもくらぶ同人によるシンポジウム的なトークで進行します。第二部は、スウィングバンドがかつての二村定一のレコードのアレンジを再現しようという、これまた画期的な試みを呈します。二村定一のジャズソングの多くは、井田一郎とアーネスト・カアイがアレンジしてレコード化されました。その昭和初期のレコードとおなじサウンドを再現しようというのです。ヴォーカルには異色コンビ「泊」の山田参助が加わり、「泊」も二村定一の魅力をデュオで歌い上げます。このように今年も盛り沢山なヴァラエティー・ショウとなりました。

 

 

イベントの詳細は次のとおりです。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

春のぐらもくらぶ祭り2016

『浅草オペラ100年と二村定一リスペクト・ショー』

大正・昭和初期の浅草オペラからジャズソング、そしてエロ・グロ・ナンセンスの時代を駆け抜けた伝説の名歌手「二村定一」を、まもなく100年を迎える彼を輩出した浅草オペラと共に再検証しつつ、トークとライブでたどるバラエティ・ショー!

 

★第一部:< 「あゝ浅草オペラ 写真でたどる魅惑のインチキ歌劇」発売記念・浅草オペラとは?その真相と二村定一の誕生 >

「あゝ浅草オペラ 写真でたどる魅惑のインチキ歌劇」(小針侑起著:えにし書房:5月12日)、「浅草オペラからお伽歌劇まで

~和製オペレッタの黎明~」(ぐらもくらぶCD:2枚組:5月15日)の発売を記念し、まもなく100年を迎える「浅草オペラとは?」と「二村定一の誕生」の実像に迫る、監修者たちによる画像・音源を交えた座談会。(トークほか)

 

★第二部:<「帰ってきた街のSOS!」エロ・グロ・ナンセンスのスター歌手・二村定一!リスペクト・バラエティ・ショー >

「帰ってきた街のSOS! 二村定一コレクション1926-1934」(ぐらもくらぶCD・2枚組:5月15日)発売を記念し、「君恋し」の歌唱で知られる昭和を代表する名歌手・二村定一の世界に浸ろう!

「青空」「アラビアの唄」を歌った日本初のジャズ歌手であり、「キッスOK」「ほんに悩ましエロ模様」などエロ・グロ・ナンセンスの帝王である二村定一を歌と映像とトークでたどる。

演奏に青木研+渡邊恭一”Swingers”、そして歌唱に山田参助&「泊」を迎えて送る、ぐらもくらぶ的バラエティ・ショー!(トークとライブほか)

 

トーク:大谷能生(音楽家)/毛利眞人(音楽評論家)/保利透(アーカイブ・プロデューサー)/小針侑起(浅草オペラ研究家)/佐藤利明(娯楽映画研究家)/片岡一郎(活動写真弁士)

ほか

ライブ出演:青木研(バンジョー)+渡邊恭一”Swingers”/泊 ほか

 

  • イベント関連CD「浅草オペラからお伽歌劇まで ~和製オペレッタの黎明~」「帰ってきた街のSOS!」&「あゝ浅草オペラ

写真でたどる魅惑のインチキ歌劇」の先行即売とサイン会あり

 

場所:両国・江戸東京博物館ホール(JR・大江戸線両国駅下車・東京都墨田区横網1-4-1

開催日:5月8日(日曜日) 

開場:14時00分

開演:14時30分

入場料:前売り2.000円、当日2.500円

 

★前売り券はチケット・ぴあにて好評発売中!!!

Pコード:292760・興行コード:1611812

http://ticket.pia.jp/pia/event.ds?eventCd=1611812

 

主催:ぐらもくらぶ/協賛:活動写真実演会・メタカンパニー・えにし書房

<お問い合わせ>

メール:gramoclub78@gmail.com

電話:03-5273-2821(メタカンパニー内)

オフィシャルサイト:http://d.hatena.ne.jp/polyfar/

 

 

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出演者プロフィール

大谷能生 1972年、青森県八戸市生まれ。評論家・音楽家。

ジャズ(サックス)、エレクトロニクス、ラップ、朗読など、多数のバンドに参加して幅広い演奏活動を行っている。近年は舞台作品の音楽制作・出演も多数。共著に「日本ジャズの誕生」(青土社)「ジャニ研!ジャニーズ文化論」(原書房)、単著に「ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く」(本の雑誌社)などがある。

 

毛利眞人 1972年、岐阜県郡上市生まれ。音楽評論家。2001年から2011年まで関西発NHKラジオ深夜便「懐かしのSP盤コーナー」に音源と解説を提供。単著に「貴志康一

永遠の青年音楽家」(国書刊行会)、「ニッポン・スウィングタイム」「沙漠に日が落ちて

二村定一伝」(講談社)があるほか、共著の「モダン心斎橋コレクション」(国書刊行会)などでも音楽記事を担当した。また「日本SP名盤復刻選集」(ローム)をはじめとして、SP盤復刻CDにも音源提供・解説で加わっている。SP盤を用いたミュージアムコンサートやイベントも行なっている。

 

保利 透 1972年、千葉県生まれ。アーカイブ・プロデユーサー 戦前レコード文化研究家 ぐらもくらぶ主宰

時代にスポットを充て、過去と現代の対比を検証するというテーマのもと、戦前の音楽の素晴らしさと、録音による時代の変化をイベントやメディアを通じて伝えている。

SP復刻CDのマスタリング・制作監修に「ニッポン・モダンタイムス」シリーズ(コロムビア・ビクター・テイチク・キング・ユニバーサル)「花子からおはなしのおくりもの」(ユニバーサル)「日本の軍歌アーカイブス」(ビクター)などがある。

 

小針侑起 1987年、栃木県宇都宮市生まれ。浅草オペラ史・浅草芸能研究。エノケソこと大内良明に師事。資料提供として「ダンス・バイブル」(乗越たかお著・河出書房新社)「白薔薇のプリンス~春日野八千代グラフテイ」「宝塚歌劇100年史」(阪急コミュニケーションズ編)など多数。著書に「あゝ浅草オペラ・写真でたどるインチキ歌劇」(えにし書房)

 

 

佐藤利明 1963年生まれ。娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー。娯楽映画をテーマにDVDの企画、歌謡曲やサントラCD制作などを手がける。「唄うエノケン大全集」「ハナ肇クレイジーキャッツHONDARA盤」「同HARAHORO盤」「男はつらいよ

寅次郎音楽旅」(ユニバーサル)、「ブギウギ伝説 笠置シヅ子の世界」(コロムビア)ほか多数。Pink Martini&Saori

Yuki「1969」(Heinz)のスペシャル・アドヴァイザー。東京新聞「寅さんのことば」、夕刊フジ「みんなの寅さん」連載。文化放送「みんなの寅さん」では“寅さん博士”として構成作家、パーソナリティを務める。

 

片岡一郎 1977年生まれ。2002年に澤登翠に入門。日本国内の他に米、独、豪、克、加などでも公演。これまで手掛けた無声映画は洋・邦・中・アニメ・記録映画とジャンルを問わずに約300作品。活動弁士の他に紙芝居、声優、書生節、文筆でも活動。行定勲監督作品『春の雪』や奥田民生のパンフレットDVDにも弁士として参加している。近年は海外と日本を行ったり来たりしている。

 

 泊は2002年に大阪で結成された武村篤彦笹山鳩による異色歌謡のユニット。枯れた味わいの武村のギター演奏とオールドスクールな笹山の唱法は、昭和前半にかつて存在したようで存在しなかった、「架空の歌謡」と言えるかもしれません。

ボーカルの笹山鳩は山田参助名義で「コミックビーム」にて『あれよ星屑』を連載中

 

青木 研 1978年生まれ。7歳頃、二村定一等の唄う「ジャズ小唄」(君恋し私の青空、アラビヤの唄)を始めとする、蓄音機やそこから流れる戦前音楽に親しみ、それらの曲に使われていたバンジョーのサウンドに特に強い魅力を感じる。13歳で初めて憧れていたバンジョーを手にしてから、ディキシーランドジャズで使われる4本弦のバンジョー(テナーバンジョープレクトラムバンジョー)をほぼ独学でマスターする。バンジョー主体の演奏の他、数多くのディキシーランド、スイングジャズの演奏家を始め、ブルーグラス、ジャグバンド奏者、管弦楽団吹奏楽団との共演、ソリスト、歌手等のサポート等多種のステージを通し、若手No.1プレイヤーとして楽しげなステージングと華麗なテクニックで観客を魅了している。2010年秋にはサンノゼバンジョー大会に招聘されヘッドライナーを担当、2011年夏にオクラホマシティ、FIGA主催の全米バンジョーコンヴェンションに招聘され、好評を博す。日本では数少ない、ソリストとして演奏することの出来るバンジョー奏者。

 

渡邊恭一”Swingers” 2004年結成。第25回浅草ジャズコンテストグランプリ受賞。

1930s-40sのスイングをベースに据えながらも、レトロという言葉に収まらず”Swing Music of Our Time”を掲げて様々なアプローチを試みる。

2010年発売のCD”Swingers, Anyone?”はNHK-FM、JAZZLIFEなど日本国内メディアに留まらず、海外のラジオ・雑誌・ファン等からも高い評価を受けた。

ジャズフェスでは横濱ジャズプロムナード、ライブ出演はHUB浅草などに出演中。

渡邊恭一(支配人) 1984年東京都北区十条生まれのスイングテナー/クラリネット奏者。

1930s-40sジャズの質感をベースに、様々なスタイルにフィットしていく靭やかな音楽性と現代性を持つ。2006年の浅草ジャズコンテスト優勝を契機に早稲田大学を中退。

自身のバンドSwingersを率いた演奏活動をはじめ、ジャンルを問わず国内外の著名ミュージシャンと共演。インディペンデントな音楽シーンから、Jazztronik、デキシーキングス、宮城まり子伊東ゆかりまで録音・ツアー・サポート参加多数。

 演奏以外でも、FM番組"What's Jazz?"ホストパーソナリティや、podcast”第五トラディショナル”その他のトークイベント主宰、音楽雑誌への寄稿、アメリカ・ヨーロッパへの取材・研鑽旅行などHot

Jazzをテーマに様々な企画を展開している。

ラジオ告知とCDリリースのお知らせ

 一年とちょっとぶりの毛利監修のCDリリース告知その他です。  7月5日リリースですから悠長にも程がありますが、こうしたちょっとした変化を機会にこのブログもまた活性化しなければいけないな、と思います。怠けすぎました。  さしあたり直近にラジオへの出演が2件あります。 ・7月2日(木) エフエムあまがさき PM.22:00〜 「IN THE POCKET」 6月25日の放送に引き続き、戦前に尼崎周辺で花開いたダンス文化について語っています。webでも聴くことが可能です。 http://fmaiai.com/ ・7月3日の深夜 : (4日) AM. 1:00〜 「関西発ラジオ深夜便」 これも先月に続き後編の放送です。「JOBK放送90年企画 SP盤とラジオ」と題して、ラジオとジャズの関わりをたどります。 今回は、アメリカをはじめ海外へ向けて放送され、戦時中には「対米謀略放送」として機能した短波国際放送の電波に乗ったジャズが目玉です。アメリカとの関係が悪化し、戦争前夜であった時期の対外的なジャズ録音はたいへん珍しく、70年以上を経て、今回が初の国内ラジオ放送となります。特にレイモンド・スコットのファンには驚きの音源であるかと思います。 http://www.nhk.or.jp/shinyabin/osu.html http://www.nhk.or.jp/osaka-blog/announce/218772.html  さて、CDのお知らせです。 「ミリタリズム 〜軍国ジャズの世界〜 1929-1942」  ちょっと4日(3日深夜)のラジオ放送とも関係してくるのですが、今回は『戦争とジャズ』という、水と油のような関係性の要素を組み合わせたアンソロジーです。  今年は終戦70周年を受けて「あなたは狙われている ~防諜とは~ スパイ歌謡全集」「みんな輪になれ 〜軍国音頭の世界〜」と辻田真佐憲さん監修による軍歌のCDや、佐藤利明さんの監修による「芸能宝船・歌は戦線へ ~戦争と喜劇人~」という戦争と大衆芸能を考える企画が続きましたので、これはジャズの立場からのアンサー的なアプローチともいえましょう。 企画したのは去年の5月かそこらで、たしか7月に上京した折に保利透さんに企画書を渡したのではなかったかと思います。で、制作に着手したのが今年の5月くらいからだった筈です。制作中はMilitary-Jazzを略して「ミリジャズ」というコードネームで呼んでいましたが、保利さんの提議で最終的にこのタイトルとなりました。 「ミリタリズム」とは服部良一が軍歌をメドレーのスウィングに仕立てあげた楽曲のタイトルで、時局に迎合しながらも自身のジャズ・アレンジの才能を遺憾なく発揮した作品です。今回のアンソロジーの内容が、まさに当時の服部良一の心境に合致するものとして、いわば衣鉢を継ぐ形で使わせて頂きました。 今回のアンソロジーも、私の監修した他のCDと同様、楽曲の傾向をいくつかのグループに分けて、尚且つ編年体でまとめましたが、勿論そのままお楽しみ頂けます。一度ざっと聴いてみてから改めてライナーを手にお聴き頂くと、二度か三度はおいしいアルバムになっているはずです。 ジャズをテーマとしたCDですが、その内容にはいくらかバラエティー性を持たせました。そうして、 �@軍縮時代のジャズ軍歌(Disc-01〜3) �A舶来ジャズソングも軍国仕様に (04〜10) �B銃後はジャズる (11〜14) �Cスウィングする軍歌 (15〜22) �D軍国ビッグバンド(18,19,22)  という5つのグループに分けて選曲してあります。これは1929年(昭和4)から1942年(昭和17)までほぼ年代順でもあります。収録曲の詳しい解説はライナーやツイッターでご覧ください。 先にお断りしたようにジャズとはいいつつ、ルンバや流行歌(ここでは便宜上、軍歌とひとくくりに扱いました)も収録しましたが、共通するのはスウィングです。スウィングはベニー・グッドマンなどによって1930年代半ばから唱えられたジャズの潮流ですが、スウィングは時代の感覚でもあって、同時代のラテン音楽シャンソンなどにも及ぶ世界的な共通語なのです。ジャズのナンバーとは思えない日本製の愛国流行歌やルンバも、最高にスウィングしているという理由で選曲しています。 結局のところ、戦争が始まろうがなんだろうがジャズメンはジャズメンであり続けた。そこには韜晦術や乗っかり(便乗)やレコード会社の思惑などさまざまに絡みあったことでしょうけれども、一度日本に根づいたスウィング文化はなまじのことでは消え去らなかった、という、そのあたりの空気が伝われば幸いであります。戦前・戦中のスウィングを存分にお楽しみ下さい。

ねえ興奮しちゃいやよ 昭和エロ歌謡全集 1928-1932

さまざまな出来事やイベントに押し流されて、すっかり更新が滞りました。

ずっとおあずけを喰っていたぐらもくらぶCD「ねえ興奮しちゃいやよ 昭和エロ歌謡全集 1928 - 1932」の紹介です。

このCDを企画したのは去年の秋、9月くらいだったと思います。企画を提示したとき、最初は「これ売れるんですか?」という反応だったので半ばあきらめていましたが10月頃に制作が決まり、候補曲の選定、編成表、ライナー含めて12月末までに仕上げました。ぐらもくらぶのCDとしては比較的短期間にまとまった方だと思います。

1月にひき逃げ事故に遭遇して入院しましたが、わざわざ東京から見舞いに来てくだすった保利透氏から出来たてのCDをもらいました。

表紙デザインからレイアウトまで得心のいく出来栄えとなりました。

内容的には、これは僕の懸案だった理想の具現です。

昭和初年から6,7年にかけてのエロ・グロ・ナンセンスと総称される時代には、この時期特有の流行歌が乱発されました。日本の歌謡史を紐解くと、新民謡やジャズソングの流行から古賀政男の古賀メロディーに移行する途中、かろうじて「ザッツ・O.K」や「尖端的だわね」などがエロ・グロ・ナンセンス時代の代表としてちらっと顔を出しますが、その当時のレコード界の趨勢からするととてもとてもそれどころではない。グロはさすがに数少ないですが、エロとナンセンス(及びその2つの要素をミックスしたもの)を売り物にしたレコードは、盛大に一時代を築いていました。そうした埋もれた歌謡をまとめたい、と長らく念じていたのが「ねえ興奮しちゃいやよ」に結実したのです。

この「エロ」への追求は高校時代にはじまりました。

そのころ僕はよく学校をサボって()月一の大須観音のがらくた市に行っていました。なにしろ朝5時始発のバスに乗って、名鉄を乗り継いで午前10時くらいにやっと大須に着くので一日仕事です。ここでは流行歌やジャズソングのほかクラシックもずいぶん買い、長谷川裕泰さん、岩田さんなどコレクターと知己になったのもここです。

長谷川さんに教えられて夏場に丸栄でやっていた中古レコード市に顔を出すようになり、そこに出店していた会社でのちにSPレコードの全てを学び、音楽系の物書きを目指すことになりますから、僕の主な人生は大須から始まっているといっても過言ではありません。

高校2年か3年生の正月、大須には珍しくウブ荷が出て、その中にピカピカの「ねえ興奮しちゃいやよ」(青木晴子 ポリドール)がありました。そのころ相次いで淡谷のり子が変名で吹き込んだ「S.O.S」(水町昌子 オリエント)やマイナーレーベルの「思ひ直して頂戴な」(山田貞子 スタンダード)など、まず歌謡史では触れられない唄に接して、何かそこには一群の共通項があるように認識していました。

それがエロ・グロ・ナンセンスという時代の埋もれた唄の一群だと気づくのは後のことですが、高校時代、ドキドキして聴いていたエロ小唄の感動をそのままパッキングしたのが、このCDです。(もっとも4曲ばかり、コレクター諸氏のご好意で知ることが出来たナンバーが含まれています。)

内容については多摩 均氏のライナーにお任せしますが、エロいといえばエロい、エロくないといえばエロくない。千人万差の反応があることと思います。一面には当時の風俗が濃厚に反映した、考現学的な面白さ・貴重さがありますし、一面にはまことに普遍的で不変的な恋愛、性愛のすがたを見出すこともできます。エロという言葉や意味の現代との違いも比較文化学的に面白い要素かと思います。また、エロ・グロ・ナンセンスと呼応して流行したジャズが通奏低音となってジャカジャカと鳴り響きます。しかし、堅苦しい学究は抜きでこれらを覗きからくりでも覗くように楽しんでいただければ本望です。

発売からすでに半年が過ぎてみると、このCDはかなりの反響を集め、日比谷公会堂アーカイブカフェやamazonでは売り切れと入荷を繰り返しているありさま。企画者としてこれまたありがたく嬉しい思いでいっぱいです。

いささか遅い紹介となりましたが、お手にしていない皆さまはレコード店やメタカンパニーのサイト、amazonなどでお求めください。どうも残部が少なくなりつつあるようですので、お早めの方がよいかと思います。

それからそれから、ただいまこのCDの内容を敷衍した著作を執筆中です。お楽しみに!

【戦前ジャズ辞典】トロンボーンの巻

戦前ジャズの楽しみ方、学び方として録音から聴き取れる各パートの主なプレイヤーについて述べはじめたが、ラッパ隊のトランペットから始めたことだから今度はトロンボーンについて纏めてみよう。

 その前に、大正期の二つの録音について述べておきたい。

日本のレコード録音の不思議なところは、「一体こんな企画を誰が思いついたんだろう?」という奇想天外な、或いは当時は注目されなかったかもしれないけれど現代の視点でキャッチーな録音の数々が残されている点である。ここに取りあげる二つの録音もそれぞれの意味で同時代の日本では稀有な録音で、大正期の洋楽の受け入れられようを何よりも雄弁に示している。

 大正14年(1925)5月新譜の「ゲーヂオフアーモアーアベヌ "Guage of Armour Avenue"」は日東管絃団の吹き込みで、この表記からは想像もつかないがディキシーランド•ジャズである。誤植を正せばこのナンバーはW.C.Handyの"The Gouge Of Armour Avenue"で、もちろんこの録音が日本初。前半にクラリネットのソロがあり、中間部ではリズムスに支えられてトロンボーンが長大なソロを吹いてクラに引き継ぐ。このときの日東管絃団のパーソネルは未詳だが、明らかに黒人系あるいはフィリピン系のプレイヤーによる、粘りのある演奏である。

 20世紀に入ってトロンボーンをフューチャーした音楽作品として、「ホットトロンボーン」が挙げられる。"Hot Tromborne"(1921)は、バンドリーダーで作曲家のヘンリー•フィルモア Henry Fillmore(1881-1956)がこの楽器に特化して作った連作「トロンボーン•ファミリー "Tromborne Family」の中の曲で、これがなんと1926年に、「東京グリーン管絃団」というバンドによって大阪のニットーレコードでレコード化されている。フィルモアラグタイムも作曲しているので、ジャズの前哨戦として挙げておこう。

 この東京グリーン管絃団というのはメンバー未詳だが、ソロのトロンボーンは大正期という時期を考慮すれば相当うまい。

 さて、昭和期のジャズ録音に含まれるトロンボーン奏者について、本題に入ろう。「日本のジャズ史 戦前戦後」の著者・内田晃一氏は、ジャズトロンボーンの第一号として、「ユニオン・チェリーランド・ダンス・オーケストラ」の録音を指して、生前の谷口又士が相沢秋光を挙げたことを記している。(別冊一億人の昭和史 日本のジャズ」) しかしこの録音のブラス隊はソロ箇所がない上、録音自体がたいへん聴き取りづらいので、演奏の全貌がはなはだ漠然としているのが残念だ。

 大正期からラジオに出演しているセミプロの「コスモポリタン•ノヴェルティー•オーケストラ」にトロンボーンが加わっており、なかなか良い働きをするのだが残念ながらパーソネル未詳。この楽団はそもそも主宰者とその兄弟、早稲田、慶応の学生から成るセミプロバンドなので、名のあるプレイヤーは加わっていない。

 その次に来るのが戦前派の名プレイヤーの一人、河野絢一である。

 河野は日本ビクター•ジャズバンドすなわち井田一郎のチェリー•ジャズバンドのメンバーで、二村定一と日本ビクター•ジャズバンドの主要な録音に参加した。「君恋し」ではトランペットと重ねて使われる程度だが、彼が本領を発揮するのは「ソーニヤ"Sonya"」や「昇る朝日 "The Sunrise"」のようなごく初期の二村=井田バンド録音で、ボコボコした逞しい音でtpやasに闊達に絡んでいる。これは、井田一郎のバンドと二村定一が浅草電気館のアトラクションで散々プレイしていたものをそのままスタジオで演っているからで、メモリーでばりばりプレイしている活気が伝わってくる。

河野は昭和8年、日本ポリドール管弦楽団が組織されるとそちらに入り、昭和10年代のスウィング時代を支えた。藤田稔(=灰田勝彦)の「散歩はいかゞ」あたりから数多くのジャズソング録音に参加している。ベティ•イナダの「バイバイブルース "Bye Bye Blues"」で演奏している日本ポリドール•ジャズ•シムフォニアンスという聞きなれない楽団のtbも河野だ。ポリドール時代の河野は夭逝したアレンジャー•工藤進や、長津義司、山田栄一、佐野鋤らのアレンジを吹いたが、井田時代と同様、tpと併せて使われることが多かった。もっとソロが多ければより評価の高いプレイヤーだろう。

蒲田行進曲 "Song of the Vagabonds"」の松竹ジャズバンドのトロンボーンも初期のジャズバンド録音では目立った活躍をするが、パーソネル未詳である。

 法政大学出身の兵頭良吉も昭和初期の記憶すべき名プレイヤーである。

彼のバンド経歴は、ラッカンサン・ジャズバンド→アーネスト・カアイ・ジャズバンド→赤坂溜池フロリダ・ダンスホールの「菊地滋彌とカレッジアンズ」と一流どころを渡り歩くもので、録音はラッカンサンとカアイで確認できる。大らかさな、器の大きさを感じさせるプレイだ。なお、「ラッカンサン(Luck & Sun)ジャズバンド」の名付け親はこの兵動である。

 録音はラッカンサンの「夢の人魚 "A Siren Dream"」「フー "Who"」「月夜の晩に "Get out and Get under the Moon"」「ハワイへ行こうよ "I'll Fly to Hawaii」「大学生活 "Collageate"」(いずれもビクター)など。

カアイ・ジャズバンドでは「アマング・マイ・スーヴニーア "Among My Souvenir"」「ウクレルベビー "Ukulele Baby"」「青春小唄」(二村定一 ビクター)、「愛の古巣 "I'm wingin Home"」(天野喜久代 コロムビア)など。因みにカアイバンドには異なるプレイヤーも混じっているので注意すべき。

 有名な谷口又士が頭角を現したのは昭和5年のことだった。

 谷口の最も古い録音はコロムビア•ジャズバンドの第一期編成時である。

  徳山たまき、澤智子「ブロードウェイメロディ "Broadway Melody"」

  徳山たまき、澤智子「ウェアリイ・リヴァア "Weakly river"」

  坂井透「とてもとても "That's You, Baby"」

  天野喜久代「淋しいみち "The Lonesome road"」(昭和5年5月新譜)

 以上に参加した演奏は、昭和5年当時、最高の出来栄えを記録している。

 紙恭輔昭和4年コロムビア・ジャズバンドを組織して間もなく、5年には渡米してしまうのだが、それまでに彼が指揮したこの4曲は、後を引き継いだ井田一郎の第二期編成時代にはない強烈な輝きがある。そこから、後年、昭和10年代に渋さと甘さを兼ね備えた谷口又士のまだ若々しく力強い音を発見するのは容易なことだろう。

 因みに「ブロードウェイメロディー」の一枚2面はtpが小畑光之、「とてもとても」の一枚2面は南里文雄のtpである。

 井田一郎が指揮した第二期コロムビア・ジャズバンドの初期、たとえば藤山一郎のアルバイト録音にも谷口又士の音の聴こえるものがある。(「恋のひと時」や「モダンじゃないが」など) 聴こえるものがある、というのは、この時期、大野時敏のトロンボーンコロムビア・ジャズバンドに入り交じっているからだ。それからいっときコロムビア・ジャズバンドを脱退するが、指揮者が渡邊良となる昭和7年にふたたびコロムビアに戻り、第三次編成の編成替えを経て、昭和11年まで所属する。

 おなじ昭和11年、大阪の地域レーベル、コッカに紙恭輔(指揮) P.C.L.ジャズバンドが吹き込んだ3枚6面に参加している。うち「ダイナ “Dinah”」「タイアドハンド “Tired Hand”」は谷口のソロが明瞭に聴き取れる。

 しかし彼の活躍で最も有名なのはビクター時代の録音であろう。

 昭和11年から日本ビクター・サロン・オーケストラ(あるいは日本ビクター・ジャズ・オーケストラとも日本ビクター・ジャズバンドとも)に加わり、ビクターのジャズソングの多くの録音にアレンジャー・トロンボーン奏者として参加している。岸井明をヴォーカルに迎えた「ねえ君次第 “I’m Follow You”」「察しておくれよ、君!”That’s You, Baby”」「唄の世の中 “Music goes ‘round and around”」「楽しい僕等 “Sitting on a Five Barred Gates” 」などはソロや目立つ演奏で必聴。

 また谷口がバンマスを務めていたP.C.L.ジャズバンドはコッカのほかビクターへも録音しているので、「スーちゃん “Sweet Sue, Just You”」「涙を拭いて “My Melancholy Baby”」で谷口のアレンジとソロがたっぷり聴かれる。

 ビクターのスウィングでは、ほかに豊島珠江の歌った「ブルースカイ “Blue Skies”」(谷口又士 arr.)も良い。

 日本ビクター・サロン・オーケストラは流行歌や戦時歌謡のインストも数多く残しているが、「桜ニッポン」、「越後獅子」、「春雨」、「一億の合唱」、「太平洋行進曲」、「戦友ぶし」、「日の丸行進曲」あたりを筆頭に、ソロパートを吹いたりアンサンブルで活躍したりしている。谷口の甘くかすれた音はトランペットと重なるとブラス隊に奥行きを生じさせ、厚みのあるスウィングになった。戦前派のトロンボーンではもっとも残された録音が多いプレイヤーといえよう。

 昭和5年にフロリダ・ダンスホールの招きで来日したウェイン・コールマン・ジャズバンドのトロンボーン、バスター・ジョンソン(1885-1960)-Theron E. "Buster" Johnson-も比較的多くの録音で聴けるプレイヤーだ。彼はヘンリー・ブッセ及びガス・ミューラーとの共作で”Wang Wang Blues”(1918-19)を作曲したことで知られる。このナンバーは1920年にポール・ホワイトマン・アンド・ヒズ・オーケストラによってレコード化され、ホワイトマンの初期のヒット盤となった。

 ウェイン・コールマンの楽団に加わっていた頃の、特にソロパートのある重要な録音は「大東京ジャズ」に収録した「あの子 “Sweet Jennie Lee”」や、「ユウウツ “St.Louis Blues”」(打越昇 vo)、「山の夜の恋心 “Moon is low”」(打越昇)、「別れませう “I’ll be blue, Just thinking You”」など。この楽団はポリドールにも録音しているが、そちらはリード主体のアレンジが多く、バスター・ジョンソンの音が確認できるのは「沙漠の隊商 “Desert Caravan”」などごく少量だ。

 ウェイン・コールマン・ジャズバンドの大半のプレイヤーが帰米したのちもバスター・ジョンソンは日本に留まり、「テイチク・ジャズ・オーケストラ」(この楽団は特に初期録音ではディック・ミネ・エンド・ヒズ・セレナーダスのクレジットも用いられた)のtbに加入した。ソロパートもこのテイチク録音のほうが飛躍的に多い。

 川畑文子の「上海リル “Shanghai Lil”」、「バイ・バイ・ブルース “Bye Bye Blues”」、「貴方とならば “I’m Following You”」、「月光値千金 “Get out and Get under the Moon”」、「アラビアの唄 “Sing Me a Song of Araby”」、愛のさゝやき “Wabash Blues”」「貴方に夢中 “You're driving me crazy! what did I do?”」「ティティナ “Titina”」と主だったジャズソングでB.ジョンソンの練達なtbが聴ける。

 ディック・ミネの「君いづこ “Somebody stole My Gal”」などからも確実に彼の枯淡な渋いプレイが聴けるのだが、ざっと聴いた感じではディック・ミネの録音には意外に加わっておらず、これはアレンジャーとしての三根徳一の好みかもしれない。

 たしかに彼の演奏は味はあったがヘビーハンド気味で若さを失っていることは否めない。同時代の日本の若いトロンボーン・プレイヤーの方が技巧的には上回っていただろう。B.ジョンソンの場合、あのポール・ホワイトマン楽団にいたという経歴や「ワンワン・ブルース」の作曲者という実績も物を言っただろうし、ベテランプレイヤーだっただけにテイチクではカメオ出演的な存在だったのかもしれない。

 インストものでは「ホワイトヒート」のソロが際立っている。しかし録音の多くはアンサンブルに埋没しているので、B.ジョンソンと別人とを聞き分ける必要がある。

 またおなじテイチク・ジャズ・オーケストラでも他のプレイヤーの場合があるので気をつけねばならない。

 その、他のプレイヤーその�@が、荒井恒治である。彼はディック・ミネのvoによる「ディック・ミネ・エンド・ヒズ・セレナーダス」の初期録音にのみ姿を現している。

 荒井は、「南里文雄とホットペッパース」の一員であった。その顔ぶれは次の通り。

西郷隆(as), 田沼恒雄(ts), 南里文雄(tp), 荒井恒治(tb), 藤井宏祐(b), 小沢進(ds), 神月春光(p),

 ディック・ミネホットペッパースのうち南里、田沼、神月をチョイスして、鈴木淑丈(‘cello), 泉君男(ds)を加えて「ダイナ “Dinah”」などを吹き込んだのだが、アレンジによっては荒井恒治のtbを加えた。テイチクの初期のジャズレコードはこの南里&ホットペッパース主体の「ディック・ミネ・エンド・ヒズ・セレナーダス」と、10ピースクラスの「テイチク・ジャズ・オーケストラ」が混在しているので、ことがややこしいのである。なお荒井は昭和10年代、自らスウィングバンドを組んで関東のダンスホールで活躍していた。

 他のプレイヤーその�Aは、昭和12年から「テイチク・ジャズ・オーケストラ」を率いた中澤寿士である。中澤のtbは昭和11年からディスクに現われている。

 中澤のtbは非常に闊達で技巧派。音も割れることがないから分かり易い。中澤アレンジによるチェリー・ミヤノのジャズソングあたりが初出で、徐々にディック・ミネのジャズソングやインストものにも演奏で加わっていった。テイチクのレコーディングオーケストラそのものが中澤寿士の楽団に切り替わった昭和12年には、完全に中澤=トロンボーンとなっていた。

 この辺りは個々のディスクを聴きながら判断していただきたいと思う。

 中澤寿士の初期録音はタイヘイにある。タイヘイのジャズソングやダンスレコードには、のちに東京で活躍するプレイヤーが何人か散見されるので意外に重要だ。

 さて、戦前派トロンボーンでも巨星と讃えられる存在は、谷口又士だけではない。ビクターに対するコロムビア・ジャズバンドの鶴田富士夫は、谷口とは正反対の性格を持つ、正確無比、且つ整った明快なプレイで覇を競った。

 彼のソロはいちいち挙げているときりがないほど多い。服部良一アレンジの「唄へ唄へ」(宮川はるみ)や「グディ・グディ」(川畑文子)など、ときに小畑益男のトランペットを摩する勢いの名演が多い。

 戦前派のトロンボーンの重要なところは、おおむねここに挙げたプレイヤーを覚えればこと足りるであろう。