ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

辻吉之助・久子

しばらく間があきました。

仕事で多忙であったのであります。

これから更に多忙になるので、此処は随時更新ということになるのであります。

今回は辻父子のレコードを挙げてみる。先日、縁ありて織田作之助の小品「道なき道」に関連したレコードを有志に披露する機会に恵まれたので、そのついでの産物である。

辻吉之助(1898-1985)ははじめ福井富之助に、のち大正末期に来日したボリス・ラスに師事した大阪のヴァイオリニストである。昭和に入ってからは私立の管弦楽団を指揮したりもしたが、もっぱら娘の辻久子への教育で知られている。

辻吉之助は初期は吉田吉之助といい、のちに辻姓を名乗った。したがってK.YOSHIDAと刷られたこのレコードを手に取った人は、これが辻吉之助とは気づかないのが普通である。

辻吉之助は大正13年〜14年くらいに3枚のレコードをニットーに吹き込んでいるが、このレコードはその中でも比較的希少である。演奏は、大正中期の日本人のものでありまだまだこなれてはいないが、音楽に対する真摯な取り組みが感じられる熱心な弾きぶりである。裏面はDvorak:"Humoreske"。

辻吉之助の娘が、辻久子(1926- )である。彼女は父親の過酷ともいえる教育で日本指折りのヴァイオリニストとなった。昭和13年(1937)、東京日日新聞主催の音楽コンクールでヴァイオリン部門の一等賞を得て、また初の文部大臣賞にも輝いた。

当時の音楽コンクール受賞者はビクターに記念レコードを残すパターンが多かったが、辻久子はそうはせず、戦中の昭和19年になってようやく初のレコードを発売した。このとき彼女はバッハの「シャコンヌ」やサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」なども録音したのだが、昭和19年にこのレコードサラサーテ「序奏とタランテラ」/シューベルトアヴェ・マリア」が発売されたのみで、あとはバッハなど一部が戦後にリリースされた。

彼女の演奏はたいへんどっしりしており、歌に満ちている。リズム感がすばらしい。また技巧も申し分なく、間違いなく1940年代の日本を代表するヴァイオリニストの一人である。この演奏ぶりが世界に知られなかったのは残念である。特に「アヴェ・マリア」は若き日のハイフェッツを彷彿とさせるような、それでいて豊満な女性らしさをたたえた名演である。