ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

三文オペラ

ベルト・ブレヒト脚本、クルト・ヴァイル作曲のジャズオペレッタ三文オペラ」"Die Dreigroschenoper"(1928)は、初演までに重なった幾つものアクシデントやトラブルが災いして幕が開く直前まで「三日と持たないだろう」と下馬評で囁かれ、いざベルリン初演を迎えると、熱狂的なブームを引き起こした奇跡的な作品であった。

三文オペラ」の中の、たとえば「匕首メッキーの歌」や「カノン砲の歌」、ドイツ風に処理されたジャズはすぐに初演者らによってレコード化された。それら夥しいレコードの止めを刺すように1930年12月、ロッテ・レーニャやクルト・ゲロンなど主だった初演者によって全曲抜粋盤が4枚のUltraphon盤に録音された。さらにこのジャズオペラの名を高めたのは、社会派の名匠W.パプスト監督による1932年の映画化である。

日本では映画と同年の昭和7年、ベルリンで初演に接した千田是也の演出でTES(東京演劇集団)によって本邦初演され、そのメンバーの中には榎本健一二村定一の顔もあった。一方、近衞秀指揮・新交響楽団による「小さな三文音楽」の日本初演や、クラウス・プリングスハイムの指導・指揮、増永丈夫(藤山一郎)など東京音楽学校生徒の独唱・管弦楽による「ヤザー・ヤーゲル」の上演もあり、昭和7年の日本では実演と映画によって「三文オペラ」とクルト・ヴァイルの作品が紹介された。

なお、ドイツで吹き込まれたレコードの多くは日本では発売口が無く、辛うじてハラルド・パウルセン(初演者)の歌った4曲が日本パーロホンから発売されていたに過ぎない。

 パプスト監督の映画が日本で封切られた昭和7年4月、同時に東京のマイナーレーベル、太陽レコードで主題歌のレコードが発売された。日本では「三文オペラ」は音楽映画としてたいへん注目を集めており、音楽雑誌には封切り前から楽譜が掲載されクルト・ヴァイルの人となりについて詳しく紹介されていたのである。レコードはオペラや独唱会、レコード吹き込みと幅広く活躍していたバリトン歌手の内田栄一(1901-85)が独唱し、一本調子のたいして上手くない技量と地声丸出しの声楽家らしくない歌唱で、かえってヴァイルらしさをかもし出している。

吹き込まれたのは「匕首マッキーの唄」”Moritat"と「これが人生の唄」"Lied von der Unzulänglichkeit menschlichen Lebens"で、原作の辛辣で猥雑な空気は幾分(というよりかなり)払拭されている。このレコードのほか、ツルレコードに黒田進の歌った「匕首メッキーの歌」「惚れあった二人」があり、ポリドールに7年4月新譜の近衞秀麿指揮・新交響楽団による「小さな三文音楽」があるのが、日本に於ける「三文オペラ」のレコードの濫觴である。