ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

潜航艇の唄

黒田進というよりは楠木繁夫としてよく知られている歌手の、初期のレコードである。

黒田は1928年に東京音楽学校を退学。以降、c.1933年に東京に活動の軸足を移すまでは関西で独唱コンサート、声楽教授、レコード録音を行なっていた。(c.1929年から名古屋のツルレコードへも録音を行なっている)

大阪時代の黒田は自身を「大衆音楽家」と位置づけ、その独唱会も山田耕筰などの日本歌曲、ナポリ民謡や日本民謡、そして流行歌の三本立てというのが定石であった。レコードにも流行歌のみならずジャズソング、民謡の編曲版、歌曲作品と多彩なレパートリーの片鱗を残している。

この時代の黒田の声は若々しい張りがあり、ドラマティックな迫力と表情を持ったテナーである。声質の明朗さは当時の他の音楽学校出身歌手と一線を画し、歌詞も聞き取りやすいので、さまざまなレコード会社から声がかかったのも頷ける。

「潜航艇の唄」(1930年8月新譜)は東亜映画「街の潜航艇」主題歌で、流行語の散りばめられた歌詞もさることながら、黒田の持ち前の明るさと適度に崩した歌いぶりが非常にモダンに感じられるレコードだ。二村のようにエログロの退廃に流れず、歌に爽やかさ、清潔さを漂わせている点は後年まで一貫している彼の特徴ではないか。伴奏のジャズバンドも乗りに乗って、まことに楽しい演奏である。

英草花 作詩、中谷春朧 作曲・編曲。アレンジまでこなしている点や作風を考慮すると、この中谷という人物は奥山貞吉あたりの変名ではないかと思われる。

とにかくこの歌、耳につくもので、楠木繁夫というと「緑の地平線」などでなく、ついこの歌の華やかさを思い出してしまう。