ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

ティティナ "Titina"

最近ではトヨタが使っていたが、ときおり思い出したようにCMで流れる「ティティナ」”Titina”は、もともとは第一次世界大戦後のフランスで流行したメロディーである。

1922年、ロシア系フランス人作曲家のレオ・ダニダーフ Leo Daniderff が作曲したということだが、より古い起源のある唄ともいう。

コミカルな味をもったノヴェルティー・ソングで、そのショーアップされた映像をyoutubeで見ることができる。

Ben Beinie and All the Lads - Titina

大戦後、フランスで聞き覚えたアメリカ兵が母国に帰って広め、アメリカでも流行した。1936年のチャプリンの映画「モダンタイムス」の終幕で歌われたことで、現在でもたいへんよく知られているナンバーである。

大流行のきっかけとなったのは、レヴュー”Puzzles of 1925”の挿入曲に使われてからで、英語の歌詞をつけて歌われたほか、ダンスミュージックとして流行した。多くのレコードが作られている。

筆者の手許にあるディスクは以下の三種類である。いずれも1925年2月の近接した日に録音されている。

折りしも欧米のレコード会社は録音方式を従来の機械録音acoustical recordingから電気録音electrical recordingに移行しつつあった時期で、下記のディスクのうちVictorとBrunswickは電気録音で、Columbiaは機械録音でレコーディングされている。

・International Noverty Orchestra, Victor

1925年2月5日録音。

インターナショナル・ノヴェルティー・オーケストラは、アメリカビクターの常設レコーディングオーケストラで、セミ・クラシックの分野を開拓した指揮者・作曲家のナット・シルクレットNathaniel Shilkretが指揮に当たった。多くのヒットナンバーがこの楽団によってレコーディングされている。アーサー・ホール Arthur Hallのヴォーカルがついている。

この楽団のレコードは日本でも比較的多くプレスされ、特に「ハレルヤ」”Hallelujah!”「リオリタ」”Rio Rita”「放浪の唄」”Song of the Vagabonds”などはヒット盤となったのだが、「ティティナ」はなぜか日本ではリリースされなかった。

軽い序奏のあとverseから入る典型的なアレンジ。ブラスセクションがリフレインを一回演奏してヴォーカル。そのあと�@バスクラリネットがフィーチャーされたリフレイン、ブラス合奏のver.を挟んで、�Aサックスソロによるリフレイン、�Bトランペットがフィーチャーされたリフレインと三回繰り返して演奏されて終わり。無難な出来栄えのレコードである。もう少し、ほかのディスクのような遊び心が欲しいところだ。

木琴が加わったこのアレンジは、すこし形を変えて日本のコスモポリタンノベルティー・オーケストラが踏襲している。

Carl Fenton’s Orchestra, Brunswick

1925年2月7日録音

ブランズウィックといえば今日でもボーリング場でおなじみのブランドだが、1916年から1929年の世界恐慌まではアメリカ屈指のレコードレーベルでもあった。恐慌によってワーナーに身売りするが、1931年、American Record Corporationの傘下となってからジャズレーベルとして返り咲いた。

この会社、初期は縦振動レコードとそのための蓄音器を製造していたが、1919年に普遍的な横振動盤に移行し、ポップスとクラシカルな音楽レコードの双方で大成功をおさめた。Bronislaw Huberman、Leopold GodowskiなどのBrunswick盤はいずれも筆者の愛聴盤である。

ブランズウィック製の蓄音機は、ボーリング器具製造のノウハウを活かしている。スプルース材を利用した横楕円形のホーンが特徴で、器楽の独奏レコードに特に強みを発揮した。(もともとはエジソンのディスク式蓄音機を下請け製造し、そのノウハウを自社製品に採り入れたといわれる。確かにホーンの形がよく似ている)

そのブランズウィックで1910年代から20年代にかけてダンスレコードをリリースしていたのがカール・フェントン楽団で、この「ティティナ」は先のビクター盤とともに日本にも相当量、輸入されたレコードである。Youtubeのベン・バーニー楽団に似たノヴェルティーバンドである。

序奏のあと�@クラリネット、�A2ミュート・トランペットがリフレインを演奏する。そのあと合奏でverseが入り、�Bフィドル+サックス、�C長調に転調してトロンボーン、�Dさらに転調して、シンバルを加えながらロシア舞曲風に、�Eトランペットとブラス、途中からクラリネット、�Fバリトンサックスのソロ、�G全合奏、とリフレインが繰り返される。

興味深いのは�Eで、数秒だが、クレズメル風のクラリネットが絡む。�Dと併せて異国情緒をかもし出している箇所だ。

さて、筆者の一番のお気に入りは、次のディスクである。

The Knickerbockers, Columbia

1925年2月11日録音

ニッカーボッカーズは、伝説的なバンド、Ben Selvin and his Orchestraの多くの変名の一つである。

この録音に対して、アメリコロムビアはThe Knickerbockersの名を与え、英国コロムビアはHannan Dance Orchestraの名で発売した。創立後間もない日本コロムビアでもプレスされ、画像で見るとおり日本ではThe Knickerbockersの名義で発売された。初期の日コロムビアは主として米コロムビアの資本下にあり、原盤の多くをアメリカに負っていたからである。

軽い序奏のあと�@クラリネットソロ、トランペット2本とサックスで印象的なverse。�Aヴォーカル。�Bトランペットによるフェーク。�Cリズムスが軽くシンコペーションし、流麗なサックスセクションに乗ってトロンボーンソロ。�Dトランペットのアドリブのあと全合奏。

ダンスレコードではあるが、随所に挟まれるトランペットのホットな装飾がジャズっぽさを醸している。特にverseの導入部、�B、�Dの導入部に顕著である。

欧米における「ティティナ」のブームは大正末期に来日ジャズバンドや楽譜、レコードを通じて日本にも伝播した。日本でのレコードについては以前述べたので割愛する。

日本で「ティティナ」について詳しく述べた文献は「明治大正昭和流行歌曲集」(世界音楽全集第十九巻 春秋社 1931年4月)での堀内敬三の解説がほとんど唯一である。フランス語の原詞、英語の歌詞、堀内による日本語歌詞が挙げられている。堀内の訳詩はビクターで羽衣歌子によってレコード化されたが、覆刻LP,CDの解説では不明となっている箇所も、この文献によって明らかとなった。