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ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

二村定一年譜補完計画

◯昭和4年の項に以下の情報を追加。

6月2日 「ジャズの夕」長野県上諏訪本町銀座 フキザワ時計店蓄音器部主催

二村定一、曽我直子、春野芳子(舞踏)、井田一郎(指揮) 日本ビクタージャズバンド

昭和3年・4年は帝国館、電気館、観音劇場、と浅草の映画館・劇場での幕間アトラクションに旺盛に出演し、夏場には歌手やジャズバンドとともに地方巡演に出るというパターンが定着した。曽我直子と春野芳子は地方巡業の定番メンバーで、二村がコロムビアに移籍(1930年秋)してからも巡業をともにしている。

 

昭和4(1929)年の補遺

では例によって時系列で二村定一の活動を追おう。この年は1月から6月にわたって石田一郎が主宰する「電気館レヴュー」に出演している。

 

・1月1日〜4日

浅草観音劇場に出演。井田一郎(指揮)チェリージャズバンドの演奏で「岡惚れは禁物よ」「スキー節」「アラビヤの唄」を歌う。「スキー節」は天野喜久代がコロムビアで吹き込んだ「スキーの唄」と同じ楽曲だろうか。

 

  • 1月5日〜9日

浅草観音劇場に出演。井田一郎(指揮)チェリージャズバンドの演奏で「ブリュースカイ」「思ひ出」「スキー節」を歌う。「ブリュースカイ」はもちろんアーヴィング・バーリンの”Blue Skies”で、二村向きのナンバーだけに、これは録音しておいてほしかった。

 

  • 1月10日〜13日?

浅草観音劇場に出演。井田一郎(指揮)チェリージャズバンドの演奏で「岡惚れは禁物よ」「ハワイの唄」「浅草行進曲」を歌う。

 

  • 1月15日 ビクターに「となり横丁」「ほがらかネ」を録音。
  • 1月17日 ビクターに「茶目子の一日」「あめや狸」を録音。

 

  • 1月22日〜25日?

浅草観音劇場に出演。井田一郎(指揮)チェリージャズバンドの演奏で「夢の通ひ路」「メリーウィドー」「木曽節」を歌う。

 

2月1日

電気館レヴュー「モダーン東京八景」に出演。

第一景 神田墨橋の夕

第二景 銀座カフェーサロン

電気館レヴューは、根岸歌劇団のマネージャーだった石田一郎が内山惣十郎と共に旧浅草オペラ出身者を糾合してはじめたレヴューである。脚本・演出・衣装考案:内山惣十郎、編曲・指揮:井田一郎、文芸部:井上紫陽、幕内主任:東五郎、というスタッフであった。もともとが淺草オペラ関連の人脈であったことや井田一郎がビクター専属となっていたことから、佐々紅華をパイプ役にしてビクターとのタイアップを取り付け、ビクター側から作詞家・時雨音羽、作曲家の佐々紅華、中山晋平、藤井清水がこのレヴューに関わることとなった。

役者は木村時子と澤カオルが二枚看板で、女優が高井ルビー、富士野登久子、吉野八重子、伊沢艶子、松山文子、小村花子、澤久子という顔ぶれ、男優は柳田貞一、萩原隆男、間野玉三郎、横山幸夫、二村定一という面々で、ダンサーとして澤カホルも出ている。カメオとしてビクター歌手の佐藤千夜子が加わっている。

 

  • 2月6日 ビクターに「神田小唄」「君よさらば」を録音。
  • 2月26日 ビクターに「夕となれば」録音。「かちどきの唄」もこの時のセッションかもしれない。

 

2月28日

電気館レヴュー第五回 小唄レヴュー「愛の古巣」に出演。

なお、このレヴューは内山惣十郎「浅草オペラの生活」では第三回となっている。

第二回「サロメはジャズる」はビクターではなくコロムビアで天野喜久代と柳田貞一が吹き込んだジャズソング「サロメ Sa-lo-may」に因んで、オスカー・ワイルドの「サロメ」のパロディが上演された。二村はこの時は急病のため出演していないらしい。

「愛の古巣」も「サロメ」の時とおなじくコロムビアで天野喜久代が吹き込んだジャズソング「愛の古巣 I’m wingin’ home」を核としたラブロマンスである。浅草オペラから映画俳優のスターとなっていた里見明が新たにレヴュー団に加入し、電気館レヴューの団員は総勢20名以上となった。このとき二村定一は病気全快出演を果たし、「当世銀座節」「ソニヤ」「月は無情」を歌った。

この公演は、週替りの混乱で衣装が出来上がってこなかった踊り子を簡単な乳隠しとズロースだけで舞台に出したことが観客に大きな刺激を与え、「ハダカダンス」として一気に人氣が沸騰したことで知られている。内山惣十郎の記述によれば、この乳隠しとズロースの踊り子が客寄せ策として常習化したため、警視庁保安係の取り締まりに遭ってきつく油をしぼられたうえ、「ズロースは股下三寸まで」という規則が作られたという。この通達が1930年11月の浅草でのエロレヴュー大取り締まりの前触れとなる。

下の画像は「愛の古巣」時かどうかは不明だが、天野喜久代との共演時のものなので掲げてみる。

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  • 3月12日 ビクターに「黒い眸」「昇る朝日」を録音。

 

3月21日

電気館レヴュー「テケツの女」に出演する。

この回は電気館レヴューの音楽監督をつとめた井田一郎の立案・作編曲で、澤カホルが振り付けをしている。

このほかにも二村は電気館レヴューに出ているのであろうが、今のところ把握しているのはこの3回のみである。

 

この年、1929年は実演やレコード録音が大忙しで病気もしたりなどしたためか、ラジオの出演は少ない。

3月16日夜、JOAKの放送レヴュウ「妄談助六銀街賑」(伊庭孝 作)に出演。

「キャフェミウラの場」という副題が添えてある。

口上 波島章次郎

医科大学生 二村定一

ミウラの女給たまき 木村時子

救世軍士官 里見明

黒心団長・髪長利権 柳田貞一

ダンボーイ 名村春操

そばかす権平 浮山藤十郎

女性的なモボ 二村定一

伴奏 電気館ジャズバンド

伴奏指揮 井田一郎

放送指揮 内山惣十郎

この顔ぶれと内容からすると電気館レヴューなのだが、前年10月の放送レヴュー「東京莫迦」の好評を受けた第二弾ラジオ企画であろう。二村は医科大学生と女性的なモボを受け持っているが、いかにも打ってつけだ。因みに浅草オペラに入る前、二村は大阪薬学校に通っている。

 

  • 4月11日 ニッポノホンに天野喜久代と「テルミー」を録音。
  • 5月2日 ビクターに「浪花小唄」を録音。
  • 5月29日 ビクターに「海の唄」を録音。
  • 6月11日 ビクターに「山の唄」を録音。
  • 6月12日 ビクターに「早稲田メロディー」「舞鶴行進曲」を録音。

 

6月15日

JOAKのお昼のジャズに出演。

田中豊明(指揮)日活ジャズバンドと共に放送出演している。

ジャズ フォックストロット「セ・リング・オン」

独唱

イ 黒い瞳よ今いづこ

ロ 君恋し

ハ 東京行進曲

  宵待草(?)

ジャズ フォックストロット「マイ・ヘイヴン・イズ・ホーム」

 というプログラムだが、放送前日になって東京逓信局から「東京行進曲」の放送が差し止められ、代替曲が歌われた。この放送中止は一ヶ月ほどしてから流行歌の是非について大論争を巻き起こすのだが、複雑怪奇に亘るその詳細は拙著「ニッポン エロ・グロ・ナンセンス」(講談社)をご参照いただきたい。

 

浅草電気館の電気館レヴューは、館の経営者と旧根岸歌劇団系のメンバーとの意見の齟齬から6月に終了した。

 

  • 6月29日 ビクターに「陽気な唄」を録音。
  • 7月8日 ビクターに「金座金座」を~録音。
  • 8月17日 ビクターに「モダン節」「野球メロディー」を録音。「モダン節」に入っているくしゃみ声は青木晴子のものだと唱える人があるが、二村と青木が共唱する録音は9月であり、わざわざくしゃみ声だけのためにスタジオに青木晴子を呼んだとはちょっと考えられない。しかし興味深い説の一つとして紹介しておく。

 

6月と8月、二村定一は岡田田鶴子(=曽我直子)と北海道函館市で公演。

7月21日からは大阪・道頓堀のカフェ・赤玉の舞台に出演した。この会そのものは好評だったのだが裏方でトラブルとなった。

これより先、二村のマネージャーは大阪の手配師と500円の報酬で独唱会を企画し、大阪方からはビクター専属として京阪神中国地方の巡演にして2000円位の仕事にしないかと勧めがあった。二村のマネージャーとしては願ってもない条件なので話がまとまりかかったところへ二村がなんの挨拶もなく赤玉で公演していったというので、顔を潰された大阪方の手配師が怒って関西地方巡演の話は立ち消えてしまった。これも金銭や契約ごとに恬淡とした二村の一面を示すエピソードだろう。

 

  • 9月12日 ビクターに「都会交響楽」「バッカスの唄」「キルク草履」を録音。「都会交響楽」は青木晴子との共唱で、青木の唯一のビクター録音である。筆者が青木晴子を知ったのも「都会交響楽」によるのだが、いま聴いても青木晴子のもっとも輝いているレパートリーだと感じる。「キルク草履」は歌詞中に問題のある文言が入っているので覆刻されていない。
  • 8月〜9月 日にちは未詳だがビクターに「洒落男」を録音。この名セッションにしてレコーディング日が記録されていないのは不思議だ。金属原盤も見つかっておらず、一抹の謎を投げかけている。

 

9月14日〜20日

神田日活館「音楽ボードビル新秋諧謔週間」に出演。

二村のほか天野喜久代、日活ジャズバンドが出演している。「黒い眸」「山の唄」を独唱、「神田小唄」を天野と共唱した。

 

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9月19日

JOAKより「お昼休みにジャズジャズジャズ」に井田一郎ジャズバンドとともに出演。BK(大阪)その他でも全国中継された。

掲上画像はそのラジオ欄に載った写真。

  1. フォックストロット 「ザッツ・ヒア・ナウ」
  2. 独唱
  3. ツェッペリン行進曲 (内山惣十郎作詞、井田一郎作曲)
  4. 踊れタンゴ (時雨音羽作詞、井田一郎作曲)
  5. タンゴ・ミロンガ 「コケット」
  6. 独唱
  7. 浪花小唄
  8. 神田小唄
  9. フォックストロット 「ザッツ・ホワイ」

ツェッペリン行進曲」は奥田良三がポリドールでレコード化している。「踊れタンゴ」は未レコード化作品かと思う。

 

9月30日

新潟劇場「ジャズと舞踏の夕」に曽我直子、ダンサーの春野芳子、日本ビクター・ジャズバンド(7名)と出演。地元のビクター販売店と新潟の新聞四紙が後援したため、たいへんな盛況となった。

演目は

一 ジャズバンド数曲 井田一郎指揮ビクタージャズバンド

二 独唱 曽我直子

  イ 青い芒

  ロ 鎮西小唄

三 舞踊 春野芳子

  鉾をおさめて

四 独唱 二村定一

  青空

五 舞踊 春野芳子

  スプリングソング

六 独唱 二村定一

  ペトルウシュカ

 休憩

七 ジャズ数曲 井田一郎指揮ビクタージャズバンド

八 舞踊 春野芳子

  タンゴ

九 独唱 二村定一

  黒い眸

十 独唱 春野芳子

  イ 金のグラス

  ロ 君よ去らば

十一 舞踊 春野芳子

   バルセロナ

十二 独唱 二村定一

   山の唄

 休憩

十三 ジャズ数曲 井田一郎指揮ビクタージャズバンド

十四 独唱 二村定一

   東京行進曲

   浅草行進曲

   当世銀座節

   神田小唄

十五 舞踊 春野芳子

   憧れのハワイ

十六 独唱 曽我直子

   悲しき踊子

   モンパリ

十七 二村定一

   君恋し

十八 独唱 春野芳子 (舞踊の誤記か?)

   焰の舞

番外小唄数十曲(新曲発表)各氏

 

 というとんでもなく長大なプログラムで、新潟での期待度がよく伝わる。一行は大歓迎で迎えられたことだろう。

 

次の画像は新潟新聞9月30日付紙面。公演前に新潟新聞社を訪問した際の撮影で、右端の女性は春野芳子、中央の女性は曽我直子である。

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  • 10月10日 ビクターに「久助の舟」を録音。

 

11月1日

浅草電気館で小唄レヴューに出演。

半年ぶりの浅草出演ということで話題となった。「大島ぶし」「マノンレスコオ」「野球メロディ」「浪花小唄」を歌っている。

 

11月8日

浅草電気館に出演。このときもワンマンショーであるが曲目未詳。

 

  • 12月4日 ビクターに「護れよ祖国」を録音。
  • 12月12日 ビクターに「慶應義塾応援歌」を録音。イントロにカップリングの「大学生活 Collegiate」(作間毅, ラッカンサンジャズバンド 1928年9月14日録音)の一部を援用したアレンジ(編曲=堀内敬三)である。
  • 12月24日 ビクターに「海原千里」を録音。漫才師のようなタイトルだ。
  • 12月28日 ビクターに「千の酒倉」「踊る黒猫」を録音。

 

1929年の活動の詳細は以上である。

1930年から二村定一の活動はさらに繁忙を極める。追ってゆるゆると纏めていきたい。 

 

二村定一年譜補完計画

昭和3(1928)年の補遺事項

◯昭和3年の項(p.242)に以下の情報が加わる。

2月5日 

独唱会 (詳細は未詳)

 

6月24日 

「映画と独唱の夕べ」丸の内・時事新報社講堂 主催:静田錦波講演会

この会では『当世娘気質』(西村小楽天)、『蝙蝠草紙』(大和田錦光・小田錦城)、『感激時代』(近江錦堂・静田錦波)が上映された(カッコ内は弁士)ほか、二村定一の独唱、鈴木傳明・松井千枝子・瀧田静枝・田中絹代の御挨拶、というアトラクションが行なわれた。二村が歌った曲目は不明である。

 

昭和3(1928)年のすべて。

昭和3(1928)年の二村定一の活動をより詳しく補足しながら時系列で追ってみよう。

前提として、二村は昭和2(1927)年、独唱会やJOAKの放送オペラ、映画館での独唱/コーラス指導といった活動を通して新進テナー歌手として楽壇に現われている。

 

・1月9日 JOAKで正午より「独唱と管絃樂」の時間に出演。

アタゴオーケストラの伴奏で「ドリゴの小夜曲」「ヴォルガの船頭歌」「スペインの小夜曲」「キャラバン」を歌う。いずれも大正期から得意とするレパートリーであった。

 

・1月20日 日比谷公園大音楽堂で独唱会。この時の曲目は未詳。

 

・2月5日 ふたたび独唱会があったようだが詳細は分からない。

 

・2月23日 JOAKの正午の「ジャズ・フォックストロット七曲」に出演。JOAKジャズバンドの演奏で

1. どうする気なの? What’ll you do

2. 愉快になさい Is Everybody Happy Now

3. 残る思ひ出 Justs memory

4. ビューティフル Beautiful

5. 壁を眺める Four Walls

6. アラビアの唄 Sing me song of Araby

7. みんな私のものだ It All Belongs to Me

を歌唱。「アラビアの唄」だけが大評判になるが、実はこのとき他に6曲もアメリカのポピュラーソングを歌っていたのだ。(原曲名の表記揺れは出典元の新聞記事による)

 

・2月24日〜3月2日

浅草帝国館に一週間、一日2回の幕間アトラクションに出演して「ヴァレンシア」「サヨナラ」を歌う。伴奏は沼田北方(指揮)帝国管絃楽団。

 

・2月25日 

 日本蓄音器商会で「新譯ワ゛レンチヤ」を録音。

 

・3月19日 

 日本蓄音器商会で「雨」「アラビヤの唄」「あほ空」「アディオス」を録音。

 この日付はコロムビアのLPセットのブックレットに掲載された「コロムビア・ジャズ・ディスコグラフィー」に拠るのだが、筆者が監修した同社のCDセット「スウィング・タイム 1928〜1941」では3月10日となっている。CDセットの時もコロムビアからデータを貰ったので、いずれかが誤りということになる。

 

・3月13日〜20日

ひきつづき浅草帝国館に出演。

この時は一日3回出演で、しかも好評だったため19日までの予定が20日までに日延べされた。上映された米ワーナー映画「マノン・レスコオ When a Man Loves(1927)」に因んで「マノン・レスコオの歌」「美しきマノン・レスコオ」「マノンの歌」が歌われた。このときも伴奏は沼田北方(指揮)帝国管絃楽団。なお、新宿武蔵野館での同作上映では中村慶子が歌った。

 

・4月22日〜28日

浅草・電気館でのアトラクション「ジャズバンド演奏」に出演。

電気館のアトラクションは島田晴譽(指揮)松竹大管絃楽団和洋大合奏による「奏楽」と、井田一郎(指揮)電気館ジャズバンドの「ジャズバンド演奏」に分かれていた。二村は井田バンドの演奏で、「フー?」「イエス、サー、ザッツ、マイ、ベビー」「シング・ミー・ア・ソング・オブ・アラビー」「ティティナ」を歌った。

井田のバンドはこの年の春に大阪から上京した。バンド名は当時の文献でも電気館ジャズバンドとチェリージャズバンド(大阪時代のバンド名)が混在し、仲間内ではチェリージャズバンドが正式名称とされていた。

二村定一が井田のバンドに出演するに至った経緯は、

「浅草電気館が松竹の封切館だつた一九二八年、宝塚にゐた井田一郎氏がジャズのメンバアを揃へてステイジ演奏をやる時、外国式に歌手を使つて歌はせろといふので、飛び出したのが僕だつたのです。」(『プロムプタア悲劇』週刊朝日 新春読物号 一九三三)

と述べられている。

 

・4月27日

ニッポノホンより「新譯ワ゛レンチヤ」「あほ空」「アラビヤの唄」が発売される。(5月新譜)

 

・4月29日〜5月5日

上記の電気館デビューがあまりにも好評であったため、同じプログラムで一週間続演された。

この間、二村はほかの映画館にも出演している。

 

・4月27日〜5月3日

芝園館(芝・新堀町)と神田南明座で「マノン・レスコオ」からの歌を独唱。芝園館では伊庭孝の指導(指揮)で天野喜久代との二重唱もあった。渋谷キネマ館でも同じ期間に「マノン・レスコオ」が上映されたが、そちらには二村・天野は出演していない。

 

・4月27日〜29日

木挽町の歌舞伎座で井田一郎指揮ジャズバンドと共に出演。曲目未詳。

 

・4月29日〜5月5日

歌舞伎座でも大好評を受けて同じプログラムで一週間続演した。

 

・4月下旬 ニッポノホンより「新譯ワ゛レンチヤ」「あほ空」「アラビヤの唄」発売。(5月新譜)

 

・5月6日〜11日

浅草・電気館に井田一郎指揮ジャズバンドが戻るがこの週は二村はお休み。

 

・5月12日〜17日

浅草・電気館の井田バンド演奏に二村が復帰する。曲目未詳。

 

・5月18日〜24日

浅草・電気館、井田バンド。「スタムペッド」「宵待草」「バレンシア」を歌う。

 

・5月25日〜31日

浅草・電気館、井田バンド。「カレッヂエート」「レザーエッヂ」「ストトン」を歌う。

 

・6月1日〜7日

浅草・電気館、井田バンド。この週は二村が出演しているか分からなかった。

 

・6月7日

有楽町の松竹系劇場・邦楽座で天野喜久代とともにジャズ大会に出演。このときのバンドについては未詳だが楽員20名という大編成であった。

この時は「帰れソ連とへ」「花嫁人形」「アラビヤの唄」「世界の足下に」「愉快になさい」などを歌った。

 

・6月8日〜14日

浅草・電気館、井田バンド。「プロミスミー」「愉快になさい」「感激の歌」を歌う。「感激の歌」は同名の松竹映画主題歌を川崎豊がコロムビアに吹き込んでいるが、同曲だろうか。

 

・6月15日〜21日

浅草・電気館、井田バンド。「バイバイ、ブラックバード」「ハワイアンラブソング」を歌う。

 

・6月24日

「映画と独唱の夕」時事新報社講堂(丸の内) / 静田錦波後援会

 この会については冒頭に詳しく記した。

 

・6月22日〜7月6日

この間、電気館でのジャズ演奏は行なわれなかった。というのも、なんと井田一郎のチェリージャズバンドのメンバーが全て井田の許を去ってしまい、新しくバンドを組む必要があったからである。バンドメンバーの変遷については「沙漠に日が落ちて」か「ニッポン・スウィングタイム」をご参照いただきたい。

 

・6月下旬 オリエントより「枯れ枯れ」発売。(7月新譜) この「枯れ枯れ」は大正15年11月新譜のニッポノホン録音の再発である。

 

・7月7日〜13日

浅草・電気館、井田バンド。新しい編成の井田バンドでジャズ演奏が再開される。二村は不出演で、天野喜久代が「青空」「ヴァレンシア」「ハバナ」を歌った。

 

・7月12日 

日本蓄音器商会に井田の新チェリージャズバンド、天野喜久代とともに「ストヽン節」「木曽節」を録音(天野との共唱はストヽン節のみ)。

井田のバンドはこの時は「松竹ジャズバンド」を名乗っている。電気館が松竹系の映画館だからだ。なお同日、井田一郎(指揮)松竹ジャズバンドと岩田定子によって「安来節」「磯節」「小原節」が録音されている。かつてこれらは二村の変名盤とされていたが全くの別人である。

 

・7月14日〜26日

浅草・電気館、井田バンド。「エロー・アロハ」「佐渡おけさ」「テルミー」を歌う。

 

・7月27日〜8月2日

浅草・電気館、井田バンド。「リオ・リタ」「チャイニーズムーン」「木曽節」を歌う。

 

・7月下旬 ニッポノホンより「アディオス」「雨」発売。(8月新譜)

 

・8月3日〜9日

浅草・電気館、井田バンド。「ペルシャン・ラグ」「冬来たりなば」「ティティナ」を歌う。

 

・8月9日

JOAKより伊庭孝=作のラジオリヴュー「ファウスト・イン・ブルウ」(全7景)を放送する。ゲーテの「ファウスト」をレヴュー化した作品で、二村は老博士役の主役。ほかには木村時子、天野喜久代、黒木憲一、波島章二郎が出演し、福田宗吉(指揮)JOAKジャズバンドが演奏した。

 

・8月10日〜16日(?)

浅草・電気館、井田バンド。蒲田映画「彼と田園」主題歌を歌う。

 

 ・8月中旬に二村定一と天野喜久代、立教大学の学生バンド「ハッピー・ナイン・ジャズ・バンド」がニットーレコードの東京スタジオで「浅草行進曲」「アルゼンチンの踊」「第七天国」「リオリータ」「スペインの思出」などを録音する。

この東京スタジオは後に神田の九段下ビルに構える大スタジオと異なって狭苦しく、真夏の吹込みでは往生したという。

 

・8月24日〜30日

浅草・電気館、井田バンド。「モンナ・ヴンナ」「バルセロナ」「カタリナ」

 

・8月31日〜9月6日

浅草・電気館、井田バンド。「ダイナ」「モンナ・ヴンナ」「ボルガの薔薇」というプログラムだが、二村も出ているのか曖昧である。

 

・9月5日

日本蓄音器商会へ、天野喜久代とともに「バルセロナ」「ハレルヤ」を録音する。この時のジャズバンドは市販レコードには「東京ユーナイテッド ジャズバンド」と印刷されたが、コロムビアの資料によれば井田一郎(指揮)松竹ジャズバンドということである。

 

・9月13日

ビクターへ「ストトン」「木曽節」「青空」「アラビアの唄」を録音。演奏は井田のバンドだが、7月の改変から更にメンバーが一新されている。ビクター録音時/ビクター関連の実演の折は「日本ビクタージャズバンド」と名乗ることとなる。

 

・9月14日〜20日

浅草・電気館、井田バンド。「カンヂスの明月」「カタリナ」「ハレルヤ」を歌う。

 

・9月20日

ビクターへ「笑ひ薬」「平凡節」を録音する。「平凡節」は佐藤千夜子との共唱であるが、市販レコードには名が記されなかった。

 

・9月21日〜27日

浅草・電気館、井田バンド。14〜20日と同じプログラム。

 

・9月28日〜10月4日

浅草・電気館、井田バンド。「レイン」「バルセロナ」「ヴォルガの船歌」

 

・9月下旬 ニットーより「浅草行進曲」「アルゼンチンの踊」発売。(10月新譜)

 

・10月1日 

ビクターから「ストトン」「木曽節」「青空」「アラビアの唄」発売(10月新譜)

 

・10月1日

ビクターへアーネスト・カアイ・ジャズバンドとともに「ハワイの唄」「アマング・マイ・スーヴニーア」「ウクレルベビー」を録音。

ビクター台帳に録音日が記録されていない「ブラームスの子守唄」「荒城の月」も或いはこの時の録音かもしれない。

 

・10月5日

ビクターへ井田一郎(指揮)日本ビクタージャズバンドとともに「佐渡おけさ」「新磯節」「君恋し」「ヴォルガの船唄」を録音

 

・10月5日

JOAK 19:25〜

「喜劇の夕」全3作中の第2作 放送リヴュー「東京莫迦」(伊庭孝=作)に出演。

二村以外の出演者は天野喜久代、木村時子、波島章二郎、谷五郎、石田守衛、和田弘、柳文代、明石須磨子、冨士野登久子、吉野八重子。井田一郎(指揮)松竹ジャズバンドの演奏。この放送レヴューで歌われた「AさんBさん」「愛の古巣」は天野喜久代がコロムビアでレコード化している。

 

・10月5日〜12日

浅草・電気館、井田バンド。前週と同じプログラム。

 

・10月13日〜19日

浅草・電気館、井田バンド。「アイルランド」「新磯節」「オリエンタル・ジャズ」予告記事には二村の名は無い。

 

・10月20日〜26日

浅草・電気館、井田バンド。「ホット・シート」「サキセマ」(サックス独奏)「新磯節」この週も新聞の予告には二村の名が無い。

 

・10月27日〜11月2日

浅草・電気館、井田バンド。「ソニア」「都を離れて」「君恋し
この回で録音したての「君恋し」が披露されることに注意。

 

・10月下旬 ニッポノホンより「バルセロナ」「ハレルヤ」発売。(11月新譜)

 

・10月下旬 コロムビアより「木曽節」「ストヽン節」発売。同時に「新譯ワ゛レンチヤ」「あほ空」「アラビアの唄」を再発売。(いずれも11月新譜)

 

・10月下旬 ニットーより「第七天国」発売。(11月新譜)

 

・11月3日〜9日

浅草・電気館、井田バンド。「ソニア」「ウクレレベビー」「出船の港」を歌う。

 

・11月10日〜16日

浅草・電気館、井田バンド。「ワンステップ・ツー・ヘヴン」「出船の港」「ヘドラスカ」「栄冠の歌」(映画「陸の王者」主題歌)

 

・11月17日〜23日

浅草・電気館、井田バンド。「スヰーチスト・ガール」「出船の港」「リオ・リタ」を歌う。

 

・11月下旬 ニットーより「リオリータ」「スペインの思出」発売。(12月新譜)

 

・12月1日

ビクターから「ハワイの唄」「アマング・マイ・スーヴニーア」「笑ひ薬」「平凡節」「新磯節」「佐渡おけさ」発売。(12月新譜)

 

・12月1日〜7日

浅草・電気館、井田バンド。「ムーンライト、エンド、ローズ」「スパニッシュ、エスパニョル」を歌う。

 

・12月11日〜17日

浅草・電気館、井田バンド。「アイム・ソーリー・サリー」「白帆」「当世銀座節」を歌う。

 

・12月20日

ビクターから「君恋し」「ヴォルガの船唄」発売。(1月新譜)

 

・12月20日〜25日

浅草・電気館、井田バンド。11〜17日と同じプログラム。

6日間という半端な日数なのは、26日から松竹映画の上映が浅草・観音劇場に移るためである。井田のバンドも観音劇場に引越し、電気館の奏楽は近藤正(指揮)電気館管絃団が引き継いだ。

 

・12月26日〜

浅草・観音劇場、井田バンド。「応援歌」ほか。

 

・12月29日

JOAK 正午12:05〜「ジャズの時間」に出演。JOAKジャズバンドの演奏で「さびしい影」「昨日のバラ」「流れの浮木」「都離れて」(いずれも伊庭孝訳詞)を歌う。

 

以上でこの年は終わりである。

 

電気館での演目はバンド演奏と二村のボーカル入りとが混在しているが、便宜上、予告に載ったタイトルをそのまま写した。

ラジオや浅草・電気館で歌ったレパートリーは、初期の二村レコードにけっこう多く残されている。初期の二村レパートリーが実演の演目からレコード化されたことがよく分かるので、年譜を眺めながら聴くのもまた一興である。以下のCDにこの頃の二村レパートリーが収められている。

 

「スウィング・タイム」(日本コロムビア)には「あほ空」「アラビヤの唄」を、「私の青空二村定一ジャズ・ソングス」(ビクターエンタテインメント)には電気館で井田一郎のチェリージャズバンドと歌った多くのナンバーを収録した。ぐらもくらぶの「帰ってきた街のSOS!」と「大東京ジャズ」では、ニットーレコードに吹き込んだレパートリーがほぼ全て聴けるし、ビクターのCDに入れられなかった電気館ナンバーも補完できた。

 

(続く)

二村定一年譜補完計画

はじめに

自分の著作の補遺をwebで公開しようと思い立った。

自著といってもまだ単著が四冊あるばかりだが、いずれも上梓してから後に新しい情報を入手したり、訂正が必要になったりしている。その数が馬鹿にならない。

そういう訂正・追加事項はいちいち自用の本にメモを挟み込んできたのだが、いつまでも本の中に紙切れを溜め込んでいても仕様がないので、まとめながら公開してみようというわけである。

また、紙幅の関係で校正時に書籍から省いた情報もあったりして、それが存外のちのちまで心に引っかかったりするものである。そうした積み残しの原稿も、まあ歌詞など著作権の絡む情報はいけないが、活字になっていない部分を書き出していきたいと思っている。

はじめはnoteでやろうと考えてアカウントを拵えてページを作ったのだが、どうも此れはnote向きの内容ではないな、と感じたので白紙に戻した。やはりいつものスペースがしっくりくる。

瑣末にわたる事柄であるし、べつだん自分の感情や私的な生活を披瀝するわけでもないのであまり面白いものにはならないと思うが、自分が取り扱ってきた世界にすこしでも興味を持って下さる方のお役に立てれば、と考えている。

 

大正期

まずは『沙漠に日が落ちて─二村定一伝』(講談社)である。2012年1月に出版したので、恐ろしいことにいつの間にか5年が経とうとしている。

二村定一を伝記化しようと発起したのは高校時代である。そのころ京都のコレクターN氏からコピーで送ってもらったレコード・コレクターズ誌の記事『ジャズソングは二村定一から(上/下)』(大川晴夫)をベースにして簡単な年譜とディスコグラフィを作り、あとは20年間にちまちまとデータを蓄積した。

 

『沙漠に日が落ちて』執筆の時点では大正末期の二村の様子がよく分からなかったうえ、複数の文献を突き合わせる過程で錯誤も生じた。

◯本文p.70の

「そのあと七月二十五日から十月いっぱい、千賀美寿一、岩間百合子など佐々紅華が率いるミカゲ系の歌手とともに東北・北海道巡業の旅に出ている。」

という一文は本文・巻末年譜ともに大正13(1924)年に組み込まれているが、大正十五年の誤りである。

 

◯年譜の大正14(1925)年の項目はスカスカだが、五彩会に加わっている間(1月〜10月)に、名古屋で次の歌舞劇団にも出演していた。

4月30日〜5月10日 「高田雅夫・原せい子帰朝披露公演」タカタ舞踊喜歌劇団

(この情報はツイッター上で岡鹿郎氏 @kmar1320 のアップした紙資料によって知った)

五彩会もタカタ舞踊喜歌劇団二村定一の恩人が関わっている。この補足情報は、大正末期、めきめきと実力を備えつつあった二村が佐々紅華や高田雅夫に重用されていたことを示す。

 

◯大正15(1926)年の項に、

「そのあと七月二十五日から十月いっぱい、千賀美寿一、岩間百合子など佐々紅華が率いるミカゲ系の歌手とともに東北・北海道巡業の旅に出ている。」

が移動する。この東北巡業の顛末は評伝上梓後、清島利典氏の『浅草オペラ巡業-佐々紅華・妻からのたより-』(刊行社)で詳らかになった。大正15(1926)年7月〜10月27日にわたる巡業の足どりは次のとおりである。

仙台・仙台座→青森・弥生座、新開座→岩手・盛岡劇場→青森・遊楽座→函館・大黒座→旭川・佐々木座→小樽・中央座→函館・大黒座、巴座、帝国館→青森・遊楽座→秋田・園藝座、土崎劇場、仙北劇場(?)、大正天皇即位記念館→仙台・歌舞伎座→福島・新開座。

 

巡業にまつわる書簡からは、二村定一がこのころ佐々紅華の書生であり、佐々に何くれとなく面倒をみてもらっていた様子が分かる。

(続く)

新著刊行とイベントのお知らせ

新著刊行

先月下旬、4冊目の著作となる『ニッポン エロ・グロ・ナンセンス 昭和モダン歌謡の光と影』を講談社選書メチエより上梓しました。 



また、関連企画としまして、ビクターエンタテインメントより『ニッポン・エロ・グロ・ナンセンス モガ・モボ・ソングの世界』も好評発売中です。


正直なところ、エロ歌謡というとてつもなく遊蕩的な香りのただよう、趣味性の高いテーマが選書メチエに決まったのは筆者にとって驚きでした。
内容的にはもちろん真面目に書いたので、これまで単行本で出していた自分にとって初の選書がメチエで、喜びを感じています。
テーマがテーマなので図書館に入ることはあまりないだろうなぁと思っていましたが、蓋を開けたら大学・教育機関や公立図書館にけっこう架蔵していただいている様子。内容が認められたのであれば、これまた嬉しい話です。
執筆は自動車事故で入院しているベッドの上で、アイホンをちまちまといじりながら始めました。この書籍の企画じたい、先行するCD『ねえ昂奮しちゃいやよ 昭和エロ歌謡全集 1927〜32』(ぐらもくらぶ)の敷衍であり、昭和初期という自分の好きな時代なので楽しく書き進められました。苦心はもっぱら「エロ・グロ・ナンセンス」という時代の惹句をいかに可視化するか? に傾けられました。
エロ歌謡という立脚点からエロ・グロ・ナンセンスを解釈したので、「エロ」はともかく、「グロ」「ナンセンス」という要素に関しては主に対する従という扱いになりました。その関係性に関しても、うまく解決できているか分かりませんが、出来得るかぎりで苦心しました。
書籍化に当たって困難な問題もありましたが、こと「エロ・グロ・ナンセンスの歌謡をまとめあげる」という初志は十二分に果たせました。 斎藤佳三の装画(楽譜)による素敵な表紙は、exciteブログ『モダン周遊』のsuzu02tadao氏よりお借りしました。ここに厚くお礼を述べます。ひと目で内容を語り尽くす、雄弁な表紙となりました。


トークイベント

11月20日(日)、新著刊行記念として西荻ブックマークでトークイベントを行ないます。

もっぱら書籍に関連したお話とレコードを聴いていただこうという主旨です。
『第95回 西荻ブックマーク 毛利眞人新刊・刊行記念トークイベント』
日時:2016年11月20日(日曜日)
開場:16:30 開演:17:00 終演:19:00(予定)
会場:ビリヤード山崎 2階 (東京都杉並区西荻北3-19-6、西荻窪駅北口徒歩1分) 
料金:1,500円
内容的にはまだ詰めている最中なので、告知内容を変更することもあります。こぞってお越しください。


転居&新著・新監修CD&イベントのお知らせ!!!!

引っ越しました!

5月のイベントを終わって以降、あまりの忙しさにゆっくりブログを綴る暇すらありませんでした。いくつかの告知があるのですが、ひとつ目はお引っ越しです。

大阪から東京に遂に引越しました。

もともと東京に出ないと仕事関係のもろもろが逼塞して停滞してたいへん都合が悪かったので、満を持して転居しました。

新しい住居には交通の便と住環境を優先しました。6月に東京で物件を見繕い、幸いどちらの条件をも満たす物件があったので、帰阪後まるまる一ヶ月半は契約と引越しの準備に費やしました。7月下旬、引っ越しました。

 

新著と新しいCDのお知らせ!!

東京に転居するのと前後して、新著の上梓が決まりました。また、著作と連動した企画のCDの制作も引越し前から始まっており、著作の最終原稿出しと校正、CD監修、そこに加えて引越しにまつわる諸手続きで、7月下旬から9月いっぱいは一言でいってしっちゃかめっちゃか。その場その場の場当たりで必要事項をこなしながら進捗してゆきました。

その産物がこちらとなります。

ビクターエンタテインメント『ニッポン・エロ・グロ・ナンセンス モガ・モボソングの世界』
2016年9月28日発売

 


講談社選書メチエ『ニッポン エロ・グロ・ナンセンス 昭和モダン歌謡の光と影』
2016年10月12日発売

表紙デザインがまだ上がっていませんが、昭和初期エロ・グロ・ナンセンス時代のイメージをたっぷり含んだ素晴らしいデザインで出来上がっております。

このふたつの新作に付随して、またまた江戸東京博物館に於いて発売記念イベントを行ないます!!!

www.jvcmusic.co.jp

 

著作・監修を行なった毛利が第一部で新しい作品を肴にトークあり、スライドありで大わらわでエロ・グロ・ナンセンスとはなんぞや?を解き明かしていきます。異色ユニット『泊』(山田参助・武村篤彦)によるエログロ歌謡の実演は必聴!!

なお、上記イベント公式サイトの画面(スマホ)やサイト情報のプリントアウト、都内各所で配布しているチラシによって、当日入場料 2500円が2000円となります!

これを使わないテはないですぞ!

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ぐらもくらぶ新譜のお知らせ

盛会御礼

今月8日のぐらもくらぶ祭「浅草オペラ100年と二村定一リスペクト・ショー」は、ぐらもくらぶ史上最大の盛会となりました。浅草オペラや二村定一に対する世間の興味が潜在的に大きいものであったことに心地よい驚きをおぼえています。

そうして特筆すべきは、『あゝ浅草オペラ: 写真でたどる魅惑の「インチキ」歌劇 (ぐらもくらぶシリーズ)』(えにし書房)を上梓した小針侑起氏を、新進の有望な研究者として紹介できたことです。

この著作は、写真や書簡、文献、レコードなど彼が蒐集した浅草オペラの資料から出来上がっています。「最後のペラゴロ」の視点から「浅草オペラとは何だったのか」という命題に取り組んでおり、浅草オペラの入門書としても資料文献としても読み応えのある好著に仕上がっています。歌手名鑑も、手際よく纏められているだけでなく写真やレコードラベルが併載されている点、丁寧で真摯な研究態度が伺われます。浅草オペラに関連する事物のコレクターは数あれど、その全体像をここまで把握し、混沌とした史実を明確に著し得る人は他にいないでしょう。

彼の著述に注目してゆきたいと思います。

 

ぐらもくらぶ新譜

さて、今月はぐらもくらぶ新譜ラッシュでした。すでにご紹介した『帰ってきた街のSOS! 二村定一コレクション1926-1934』『浅草オペラからお伽歌劇まで ~和製オペレッタの黎明~』につづいて、5月29日(日)にはさらなる新譜『大名古屋クラシック』がリリースされます。これは、ぐらもくらぶ初のクラシック音楽の復刻アルバムです。

名古屋の地元レーベル、アサヒ蓄音器商会(ツルレコード)は芸どころ名古屋の芸能だけでなく、東京と関西をむすぶ中間という地の利を活かして、東西のアーティストを起用したジャズソングや流行歌などを制作していました。

そんなツルレコードの遺産に、地元名古屋で活躍した音楽家たちによるクラシック音楽の録音があります。名古屋には名古屋楽壇があり、数多くのすぐれた音楽家を輩出していました。なかでも松坂屋百貨店が組織した松坂屋少年音楽隊から発展した「名古屋交響楽団(=松坂屋管絃楽団)」は、1930年代なかばに東京進出して中央交響楽団→東京交響楽団となり、現在でも東京フィルハーモニー交響楽団として歴史を刻んでいます。その、都市と音楽の関係に注目したのが「大名古屋クラシック」です。

このCDには、中央交響楽団が東京進出する直前に名古屋で残したレコーディングを核として、作曲家・高木東六(pf)と鈴木三兄弟によるピアノ四重奏、戦前から戦後に日本屈指のフルーティストであった河村秀一、瀧廉太郎の後輩で明治期の奏風を昭和に伝える小林禮、メンバーは未詳ながら名古屋が生んだ鈴木弦楽四重奏団に比肩するレパートリーを残したルモンド四重奏団、と盛り沢山の内容で戦前名古屋のクラシック事情を蘇らせました。

東京や大阪とはまた異なる名古屋音楽界を特集したCDは前例がありません。CDにはアサヒ蓄音器商会で録音されたクラシック音楽ディスコグラフィーも付録として付けました。音源資料として・文献資料としてというのは勿論ですが、まずは洋楽黎明期に努力を重ねた先達の音楽性豊かな演奏をお楽しみください。

 

 

二村定一と浅草オペラのCD、売れ行き好調です。お早めにお購めください!

    



あさって8日はぐらもくらぶ

さて、8日(日)の"春のぐらもくらぶ祭り2016"『浅草オペラ100年と二村定一リスペクト・ショー』(江戸東京博物館)を明後日に控えて、あす上京の運びとなりました。

これより私の方からは予告はRetweetくらいになるかと思います。

ほかの出演者の皆さんはその道のプロばかりでして、物書きの自分はただ拙い喋くりをすることしかできません。かといってステージで文章をひねくって音読するわけにもいかないので、新発売のCD「帰ってきた街のSOS! 二村定一コレクション1926-1934」の監修者たる立場より二村定一ことべーちゃんについて瞥見を述べたいと考える所存であります。何とぞ宜しくお願い申し上げます。

 

はてなからは最後の告知です。

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春のぐらもくらぶ祭り2016
『浅草オペラ100年と二村定一リスペクト・ショー』
大正・昭和初期の浅草オペラからジャズソング、そしてエロ・グロ・ナンセンスの時代を駆け抜けた伝説の名歌手「二村定一」を、まもなく100年を迎える彼を輩出した浅草オペラと共に再検証しつつ、トークとライブでたどるバラエティ・ショー!

★第一部:< 「あゝ浅草オペラ 写真でたどる魅惑のインチキ歌劇」発売記念・浅草オペラとは?その真相と二村定一の誕生 >
「あゝ浅草オペラ 写真でたどる魅惑のインチキ歌劇」(小針侑起著:えにし書房:5月12日)、「浅草オペラからお伽歌劇まで
~和製オペレッタの黎明~」(ぐらもくらぶCD:2枚組:5月15日)の発売を記念し、まもなく100年を迎える「浅草オペラとは?」と「二村定一の誕生」の実像に迫る、監修者たちによる画像・音源を交えた座談会。(トークほか)

★第二部:<「帰ってきた街のSOS!」エロ・グロ・ナンセンスのスター歌手・二村定一!リスペクト・バラエティ・ショー >
「帰ってきた街のSOS! 二村定一コレクション1926-1934」(ぐらもくらぶCD・2枚組:5月15日)発売を記念し、「君恋し」の歌唱で知られる昭和を代表する名歌手・二村定一の世界に浸ろう!
「青空」「アラビアの唄」を歌った日本初のジャズ歌手であり、「キッスOK」「ほんに悩ましエロ模様」などエロ・グロ・ナンセンスの帝王である二村定一を歌と映像とトークでたどる。
演奏に青木研+渡邊恭一”Swingers”、そして歌唱に山田参助&「泊」を迎えて送る、ぐらもくらぶ的バラエティ・ショー!(トークとライブほか)

トーク:大谷能生(音楽家)/毛利眞人(音楽評論家)/保利透(アーカイブ・プロデューサー)/小針侑起(浅草オペラ研究家)/佐藤利明(娯楽映画研究家)/片岡一郎(活動写真弁士)
ほか
ライブ出演:青木研(バンジョー)+渡邊恭一”Swingers”/泊 ほか

●イベント関連CD「浅草オペラからお伽歌劇まで ~和製オペレッタの黎明~」「帰ってきた街のSOS!」&「あゝ浅草オペラ
写真でたどる魅惑のインチキ歌劇」の先行即売とサイン会あり

場所:両国・江戸東京博物館ホール(JR・大江戸線両国駅下車・東京都墨田区横網1-4-1

開催日:5月8日(日曜日)
開場:14時00分
開演:14時30分
入場料:前売り2.000円、当日2.500円

★前売り券はチケット・ぴあにて好評発売中!!!
Pコード:292760・興行コード:1611812
http://ticket.pia.jp/pia/event.ds?eventCd=1611812

主催:ぐらもくらぶ/協賛:活動写真実演会・メタカンパニー・えにし書房
<お問い合わせ>
メール:gramoclub78@gmail.com
電話:03-5273-2821(メタカンパニー内)
オフィシャルサイト:http://d.hatena.ne.jp/polyfar/

 

●出演者プロフィール
大谷能生 1972年、青森県八戸市生まれ。評論家・音楽家。
ジャズ(サックス)、エレクトロニクス、ラップ、朗読など、多数のバンドに参加して幅広い演奏活動を行っている。近年は舞台作品の音楽制作・出演も多数。共著に「日本ジャズの誕生」(青土社)「ジャニ研!ジャニーズ文化論」(原書房)、単著に「ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く」(本の雑誌社)などがある。

 

毛利眞人 1972年、岐阜県郡上市生まれ。音楽評論家。

2001年から2011年まで関西発NHKラジオ深夜便「懐かしのSP盤コーナー」に音源と解説を提供。単著に「貴志康一 永遠の青年音楽家」(国書刊行会)、「ニッポン・スウィングタイム」「沙漠に日が落ちて  二村定一伝」(講談社)があるほか、共著の「モダン心斎橋コレクション」(国書刊行会)などでも音楽記事を担当した。また「日本SP名盤復刻選集」(ローム)をはじめとして、SP盤復刻CDにも音源提供・解説で加わっている。SP盤を用いたミュージアムコンサートやイベントも行なっている。

 

保利 透 1972年、千葉県生まれ。アーカイブ・プロデユーサー 戦前レコード文化研究家 ぐらもくらぶ主宰。
時代にスポットを充て、過去と現代の対比を検証するというテーマのもと、戦前の音楽の素晴らしさと、録音による時代の変化をイベントやメディアを通じて伝えている。
SP復刻CDのマスタリング・制作監修に「ニッポン・モダンタイムス」シリーズ(コロムビア・ビクター・テイチク・キング・ユニバーサル)「花子からおはなしのおくりもの」(ユニバーサル)「日本の軍歌アーカイブス」(ビクター)などがある。

 

小針侑起 1987年、栃木県宇都宮市生まれ。浅草オペラ史・浅草芸能研究。

エノケソこと大内良明に師事。資料提供として「ダンス・バイブル」(乗越たかお著・河出書房新社)「白薔薇のプリンス~春日野八千代グラフテイ」「宝塚歌劇100年史」(阪急コミュニケーションズ編)など多数。著書に「あゝ浅草オペラ・写真でたどるインチキ歌劇」(えにし書房)


佐藤利明 1963年生まれ。娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー。

娯楽映画をテーマにDVDの企画、歌謡曲やサントラCD制作などを手がける。「唄うエノケン大全集」「ハナ肇クレイジーキャッツHONDARA盤」「同HARAHORO盤」「男はつらいよ 寅次郎音楽旅」(ユニバーサル)、「ブギウギ伝説 笠置シヅ子の世界」(コロムビア)ほか多数。Pink Martini&Saori Yuki「1969」(Heinz)のスペシャル・アドヴァイザー。東京新聞「寅さんのことば」、夕刊フジ「みんなの寅さん」連載。文化放送「みんなの寅さん」では“寅さん博士”として構成作家、パーソナリティを務める。

 

片岡一郎 1977年生まれ。2002年に澤登翠に入門。日本国内の他に米、独、豪、克、加などでも公演。これまで手掛けた無声映画は洋・邦・中・アニメ・記録映画とジャンルを問わずに約300作品。活動弁士の他に紙芝居、声優、書生節、文筆でも活動。行定勲監督作品『春の雪』や奥田民生のパンフレットDVDにも弁士として参加している。近年は海外と日本を行ったり来たりしている。

 

 泊は2002年に大阪で結成された武村篤彦笹山鳩による異色歌謡のユニット。枯れた味わいの武村のギター演奏とオールドスクールな笹山の唱法は、昭和前半にかつて存在したようで存在しなかった、「架空の歌謡」と言えるかもしれません。
ボーカルの笹山鳩は山田参助名義で「コミックビーム」にて『あれよ星屑』を連載中。

 

青木 研 1978年生まれ。7歳頃、二村定一等の唄う「ジャズ小唄」(君恋し私の青空、アラビヤの唄)を始めとする、蓄音機やそこから流れる戦前音楽に親しみ、それらの曲に使われていたバンジョーのサウンドに特に強い魅力を感じる。13歳で初めて憧れていたバンジョーを手にしてから、ディキシーランドジャズで使われる4本弦のバンジョー(テナーバンジョープレクトラムバンジョー)をほぼ独学でマスターする。バンジョー主体の演奏の他、数多くのディキシーランド、スイングジャズの演奏家を始め、ブルーグラス、ジャグバンド奏者、管弦楽団吹奏楽団との共演、ソリスト、歌手等のサポート等多種のステージを通し、若手No.1プレイヤーとして楽しげなステージングと華麗なテクニックで観客を魅了している。2010年秋にはサンノゼバンジョー大会に招聘されヘッドライナーを担当、2011年夏にオクラホマシティ、FIGA主催の全米バンジョーコンヴェンションに招聘され、好評を博す。日本では数少ない、ソリストとして演奏することの出来るバンジョー奏者。

 

渡邊恭一”Swingers” 2004年結成。第25回浅草ジャズコンテストグランプリ受賞。
1930s-40sのスイングをベースに据えながらも、レトロという言葉に収まらず”Swing Music of Our Time”を掲げて様々なアプローチを試みる。
2010年発売のCD ”Swingers, Anyone?” はNHK-FM、JAZZLIFEなど日本国内メディアに留まらず、海外のラジオ・雑誌・ファン等からも高い評価を受けた。
ジャズフェスでは横濱ジャズプロムナード、ライブ出演はHUB浅草などに出演中。
渡邊恭一(支配人) 1984年東京都北区十条生まれのスイングテナー/クラリネット奏者。
1930s-40sジャズの質感をベースに、様々なスタイルにフィットしていく靭やかな音楽性と現代性を持つ。2006年の浅草ジャズコンテスト優勝を契機に早稲田大学を中退。
自身のバンドSwingersを率いた演奏活動をはじめ、ジャンルを問わず国内外の著名ミュージシャンと共演。インディペンデントな音楽シーンから、Jazztronik、デキシーキングス、宮城まり子伊東ゆかりまで録音・ツアー・サポート参加多数。
 演奏以外でも、FM番組"What's Jazz?"ホストパーソナリティや、podcast”第五トラディショナル”その他のトークイベント主宰、音楽雑誌への寄稿、アメリカ・ヨーロッパへの取材・研鑽旅行などHot Jazzをテーマに様々な企画を展開している。