ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

カフヱータイガー女給

顔面がアレルギーで腫れて一ヶ月ほど休んでいました。お酒もしばらく断っていたのですが、もう大丈夫です。

さて、その間にも買うものは買っていて、嬉しかったのはこの一枚。

君恋し」    カフェー・タイガー よう子・すみ子

「銀座行進曲」     同

昭和4年当時、銀座で最大手のカフェー、タイガーの女給が吹き込んだ珍物で、世にカフェー小唄と銘打ったレコードは沢山あるが、これは正真正銘のカフェー小唄といえる代物である。

君恋し」は昭和4年1月、時雨音羽作詩・佐々紅華作曲・井田一郎のアレンジを二村定一が歌ったビクターレコードが新譜として発売され、たちまち巷に大流行した。そのヒットに追随して作られたのがこのレコードであるが、時雨音羽の作詩はビクターに所有権がある。ではどうしたかというと、そこは旨くしたもので、大正14年に同曲がニッポノホンから高井ルビーの歌唱で発売されたとき付いていた佐々紅華自身の作詩を歌ったのである。そもそも「君恋し」のレコードはヒコーキレコードが傘下に収まる日本蓄音器商会が最初に発売したので、ビクターもこのレコード化を黙認したのである。(関東大震災以前に東京レコードから二村定一が歌ってレコード化したという説があるが、その可能性は低いと言わざるを得ない)

裏面は、「銀座行進曲」と銘打つ歌である。

実はこれも関西の最大手レーベル、ニットーが昭和3年5月新譜で発売してこれまた全国的なヒットを記録していた「道頓堀行進曲」の替え歌である。ニットーは同3年7月に、同名別曲の「銀座行進曲」も発売しているからややこしい。

「道頓堀行進曲」はニットーからさまざまなバージョンが発売され、管弦楽レコードもオリエントから、また作者や会社が無認可なまま他レーベルからも海賊盤が発売された。このヒットを映画にしようと考えた松竹は、舞台を浅草に改めた「浅草行進曲」を製作し、多蛾谷素一の作詩で「道頓堀〜」の内容を浅草にした「浅草行進曲」が同じニットーレコードから発売された。映画版もヒットをみたため、さらに浅草のロケシーンを道頓堀に差し替えた映画「道頓堀行進曲」も封切られた。(従来、この順番は逆に伝えられたが、浅草行進曲の映画化が先である)

作曲家の塩尻精八はニットーの専属とはならずフリーの立場をとったため、「浅草行進曲」はニッポノホンなどからもリリースすることが可能であった。ためにニッポノホン和洋合奏団の「流行歌ポッポリー」に取り込まれたり、巴里ムーランルージュ楽員の一行でダンスレコード化されたり、石田一松や曾我直子の歌唱で吹き込まれた。その「浅草行進曲」をさらに替え歌としたのが、このレコードの「銀座行進曲」なのである。ややこしいでしょう。(ちなみに、同じ曲であるはずの「道頓堀行進曲」と「浅草行進曲」の差異は前奏にある。)

さてカフェー・タイガーのスター女給であったよう子・すみ子の歌唱だが、これが丸で恐山のイタコでも聴くようなまがまがしい不気味な代物である。女給といえば若いぴちぴちしたキャピキャピのかあいいものを想像するが、声に表情というものが欠けているので老婆にしか聞こえない。しかも二人の声が微妙にずれてエコー効果を醸している。

伴奏もジャズバンドなど金のかかった音はつけて貰えず、オルガンとヴァイオリン一丁といううらわびしさ。

確実に受けをとれる一枚である。