ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

戦前のミュゼット音楽②

ミュゼット音楽からはたちまち離れるが、「アンコールの宮殿にて」に触れたのでアコーディオン奏者の長内端を紹介せねばなるまい。
 
長内端(おさない・ただし 1910〜77)は帝大工学部という音楽家では異色の出身だ。しかし、その経歴が戦後にドンカマを生むことになる。帝大工学部に在学中から長内はオルケスタ・シンフォニカ・タケヰでマンドローネを演奏していた。その後アコーディオンに転じて、JOAKの新人演奏家募集などで頭角を現した。1938年6月に東京スタンダード・アコーディオン・クラブを結成し、理事として選曲、編曲、指揮を司った。
長内は工学部出身らしく「特殊電気アコーディオン」なる楽器を操った。独奏会でステージ映えするよう電気的な増幅装置を備えたアコーディオンなのだろうが、レコード録音にもこれを用いたのかは分かっていない。
 
録音は1937年からビクターにある。最初のレコードはビクター廉価レーベルのスター(1937〜38)で、「碧空」「マリネラ」(1937年9月)という組み合わせだった。2枚目からは、スターを引き継いだ廉価レーベルのZシリーズ(青盤)でリリースされている。スタンダードな価格帯である黒盤(1円65銭)の下位にあるのが青盤(1円10銭)である。
これは長内の演奏が軽んじられていたというわけではない。1910年代からアメリカ・ビクターでは木琴、口笛、アコーディオンといった名人芸が廉価な青ラベルに区分されていた。その流れを日本ビクターも受けているのであるが、これは高踏的なクラシカルミュージックと大衆音楽との格差というよりもアコーディオンの大衆的な人気から廉価盤に組み込まれたのであろう。
 
1939年1月 「トルコ行進曲」(モーツァルト) / 「軍隊行進曲」(シューベルト) Z-100
 
1939年4月 「小牧神の行進」(ピエルネ) / 「玩具の兵隊の観兵式」(イエッセル) Z-138
 
1939年6月 「野崎村」 / 「新内流し」  Z-166
 
1939年8月 「太平洋行進曲」 / 「軍艦行進曲」 Z-200 (この一枚は東京スタンダード・アコーディオン・クラブの合奏である)
 
1939年9月 「ハンガリアン・ラプソディー 第二番」 Z-216
 
以上が青盤でリリースされた録音である。編曲は全て長内端。
 
 
 

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これはピエルネの「小牧神の入場」(1939年4月)である。
 
ガブリエル・ピエルネはフランスの現代作曲家で、戦前は作曲家・指揮者として知られていた。「小牧神の入場」は自作自演を含むレコードが数種出ていたほか、日本では近衛秀麿(指揮)新交響楽団のレパートリーとしても親しまれていた。アコーディオンへの編曲は珍しくて、フランス現代楽(といっても親しみやすい作品だが)を選曲したのは、あるいは早くからミュゼット志向が長内の中にあったのかな? と思わせる。
 
 
それからぜひ再評価したいのがこの名演だ。「ハンガリアン・ラプソディー 第二番」(1939年9月)。
 

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原曲はピアノの技巧曲として知られている。それを技巧をスポイルすることなく10吋2面いっぱいにアレンジし弾ききっている。音楽性豊かで且つ超絶技巧の名演だ。1円10銭の青盤なのが勿体なく感じられる。
 
アコーディオニストは他にもいるが、レコード両面にわたって超絶技巧を散りばめた本格的な演奏は、長内ただ一人である。
他社を見回しても、高橋孝太郎(コロムビア系)はソロ録音よりもアンサンブル、伴奏楽団に参加することが多く、また編曲に力を入れていた。その仕事の旺盛さはアコーディオン奏者随一で、月に二、三千円稼いでいたといわれる。ちょっと意外かもしれないが、テイチクの藤山一郎「東京ラプソディ」も高橋孝太郎がアレンジしている。
小泉幸雄(テイチク)は古賀政男の楽曲を中心に、ジャズソングや流行歌の主情的な演奏が多く見受けられる。この人については、長内をまとめたのちに少し紹介するつもりである。
杉井幸一(キング)はバンドネオン奏者だが、レコードではなぜかアコーディオン独奏を録音している(キング・ノベルティー・オーケストラのサロン音楽に二、三バンドネオンで加わった録音がある)。アレンジの奇抜さアイデア豊富さに比するとスタンダードな演奏だが、大曲向きの器を感じさせる奏風である。ソロをラテン系のナンバー4曲(ポエマ、スペインの姫君、夢のタンゴ、愉快なルンバ)しか残していないのは残念だ。
 
 
1940年から長内のレコードはJシリーズの標準価格帯に編入された。これは軽音楽人気の高まりと呼応するものだろう。
ジャズは相変わらずレコードでも実演でも高い人気を持っていた。というより日本人の生活に抜き難く浸透していたのだが、時勢は戦時体制であり、健全な「軽音楽」が主としてラジオ放送で大きくフィーチャーされはじめていた。ジャズもやがて軽音楽に包含されるようになる。
ディスコグラフィーの続きを挙げよう。
 
1940年1月 
「長崎物語」「馬と兵隊」 J-54675
「雨の上海」「熱海ブルース」J-54676
「青いチョゴリ」「月の浜辺で」 J-54677
 
1940年6月 軽音楽アルバム 第一輯
「黒い眼」「山の人気者」 A4801
「ラ・クムパルシータ」「ルムバ・タムバ」 A4802
「ドナウ河の漣」「美しく碧きドナウ」 A4803
 
1941年12月 軽音楽アルバム 第五輯
「日本ファンタジー」「ウインナの想ひ出」 A4829
 
1942年4月  軽音楽アルバム 第八輯
「アンコールの宮殿にて」「可愛いトンキン娘」(仏印の印象) A4838
 
1942年6月 軽音楽アルバム 第十輯
「楽しい仲間」「人形の兵隊」 A4844
「希望の星座」「空の護り(空襲なんぞ恐るべき)」 A4845
ボレロ」「ウィルヘルム・テル」 A4846
 
1942年11月
「枢軸の調べ」 A4870
 
1942年12月 軽音楽アルバム
「木曽節」「鴨緑江節」 A4872
「宵待草」「波浮の港」 A4873
「秋の色種」「小鍛冶」 A4874
 
1943年1月
「千代の唄」「東京むすめ」 A4880
 
1943年6月
「ドリゴの小夜曲」 A4889
 
1943年10月 手風琴アルバム 第四輯
「詩人と農夫」 A4912
「天国と地獄」 A4913
軽騎兵」 A4914
 
1943年12月
「美はしき西班牙(エスパーナ)」 A4918
「学徒の調べ(エストゥディアンティーナ)」 A4919
「金と銀」 A4920
 
1944年1月
「若き日の歓び」「アムール小唄」 A4923
 
このほかキングに若干の録音がある。
愛国行進曲」 21111
「軍歌集」 67072
「懐かしの名曲集」 と195
 
長内端の真骨頂は、これら1940年代のレコーディングに窺われる。
 

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長内のレパートリーは、先に少し挙げたようにclassical musicを含んでいる。これはラヴェルの「ボレロ」(1942年6月)。
1940年代にはまだ現代音楽の範疇にあった「ボレロ」は、アメリカのハーモニカ奏者ラリー・アドラーのレコードが評判よく、このレコードの存在が長内にアコ編曲の示唆を与えたのではないかと考えられる。
 

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戦時中も愛唱歌や流行歌、軍歌などアコーディオン独奏でレコード化する素材は多々あり実際レコード化していたが、1943年10月にはスッペの「詩人と農夫」、オッフェンバッハの「天国と地獄」、スッペの「軽騎兵」という3曲のオペレッタ序曲集をアルバムで発表する壮挙に出ている。ポピュラーな選曲だが、そこそこの長さの管弦楽曲アコーディオンの独奏で10吋両面にわたって演奏するとなると話はちがう。こんなことをするのは長内くらいで、海外にもあまり録音例がない。
なお、「ボレロ」含めすべてフランスの作曲なのも、彼がミュゼットを志向していた現われではないだろうか。