ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

「歌へ若人」のサウンド

1. 主人公は歌手

10月15日にリリースされたぐらもくらぶの歌へ若人 東海林太郎 1934-1948に関連して、補遺のようなものを記したい。といっても自分が述べるのは主人公の東海林太郎のほうではなく、その伴奏の方である。収録曲の個々については小針侑起氏の簡にして要を得た解説に委ねたい。

 ここでまず特筆しておきたいのは、流行歌の主人公は歌手だという点である。伴奏はその歌唱を引き立てる裏方の存在でしかない。

 戦前、昭和10年代前後はすでに音楽の大量消費時代であった。レコーディングスタジオでのレコード録音は流れ作業であり、レコード会社各社の専属オーケストラは、流行歌の伴奏をそつなく淡々とこなすのが仕事であった。とはいっても各社のレコーディングオーケストラはジャズソング編成をベースとして編まれていたので、ジャズソングや楽器のソロが入るテイクはジャズメンのエモい演奏を聴くことができる。筆者が戦前ジャズ研究でさまざまなレコードの編成を録音から聞き分けられたのも、ジャズメンの演奏のクセがジャズ系レコードでは際立っているからである。

 ところが流行歌は逆に目立たないことが命題となっていた。特に効果的な指定のないかぎり、流行歌のレコードで目立つのはよくない。いわゆるなつメロのサウンドで戦前の録音がそっけないと感じることがあるとすれば、それは常に一定の水準を要求される、音楽的感情とは無縁の職能的・流れ作業的伴奏だからだ。ときどき耳に馴染みのある音が去来して「このフルートは岡村雅雄だ」「ギターはまた角田孝だな」「トランペットはニコライ・マルチェフ」などと判別がつく程度である。南里文雄などは昭和10年代にはカメオ出演くらいのインパクトがある。こういった一掴みのプレイヤーを例外として伴奏用のレコーディングオーケストラは、レーベルカラーとなるアンサンブルを個性をなるべく殺してみんなで作り上げていたのである。

 昭和初期、ジャズソング時代はバックバンドの演奏も一つの聴かせどころであったが、昭和6、7年から江口夜詩、古賀政男らを筆頭に流行歌が確立し、それと同時にプレイヤーの顔が出ないレコーディングオーケストラが必要とされたのであった。昭和10年代にはコロムビアは内幸町の東拓ビルにあるAスタジオとBスタジオを連日フルに稼働して、テイチクは杉並の広大なスタジオで4つも5つもテイクを取りながら、流行歌を日々大量生産していた。

 

2. ポリドールの立ち位置

 このように既に音楽が流れ作業化していた昭和10年前後、例外的に日本独自の発展を遂げたのが日本ポリドール管弦楽団である。すなわちポリドールの流行歌はほかのレーベルとは異なる「何か」を感じられた。それは作曲陣、編曲陣もあるが、作家陣も含めてポリドールの生み出すサウンドに大きく負っている。コロムビア、ビクター、テイチク、キング、タイヘイのレコーディングオーケストラはいずれも10〜12ピースのジャズ・オーケストラを基本として、20名ほどで編成されている。ストリングスを強化し、管楽器を増やし、リズムは減らすという具合で、特にコロムビアやビクターの流行歌は平均的なサウンドで統一された。和風の作品の場合に三味線や尺八を入れた和洋合奏になる程度である。いわば、洋風のサウンドを基調としていたといえよう。

 それに対してポリドール管弦楽団はバンドからジャズ色を払拭して、各楽器の員数は少ないが楽器の種類が豊富な編成であった。他社のようにサックスやブラス、ストリングスの合奏で押し流すのではなく、個々の演奏者の顔が見える編成である。その結果として、歌手に寄り添うようなきめ細かい伴奏が可能となったのである。これを端的に言えば他社の「機能美」に対するポリドールの「用の美」と表現することができよう。

 

3. 日本ポリドール管弦楽団の変遷

 「歌へ若人」の解説ではインパクトの強烈だった「国境の町」を取り上げてポリドール・サウンドの一例を描写してみたが、手元に来た音源はいちおう全て編成を書き出し、特徴を書き留めてみた。最もエモーショナル(感情的)なテイクをひとつ挙げろといわれたら、「ジプシイの月」を選ぶだろう。

 「ジプシイの月」はクラリネット、ギター、ベース、ドラム、ヴァイオリン、ピアノという編成。ギター、ベース、ドラム、ピアノはリズム陣で、メロディーはクラリネット(佐野鋤)とヴァイオリン(前田璣)の独壇場だから、いやでもエモくなるわけである。

 「月夜の港」はフルート、オーボエクラリネット、ギター、スティールギター、マンドリン、ヴァイオリンという編成。このテイクは撥弦楽器が三種も用いられ、夏の夜のメロンのような甘くメロウな雰囲気を表現している。このテイク(1935年8月新譜)あたりを境として、ポリドール管弦楽団オーボエマンドリンの効果に開眼する。

 収録曲の「歌へ若人」(cl, bjo, vn, p)、「丘の微風」(2sax, tp, tb, bjo, b, vn)、「ジプシイの月」はまだ初期ポリドールのジャズバンド編成を保っているが、「国境の月」からレーベル独自のサウンドの模索がはじまる。

 「国境の町」はfl, ob, fg, tp, tb, bjo, b, tub, ds, vn, 鈴という編成。このへんからファゴットを音の背景に流す手法が現われる。このアレンジについては解説書にも書いたが、東海林太郎の歌唱の背景に曠野が広がる絵画的なサウンドである。ここでのファゴットの効果は大きい。「旅笠道中」(fl, cl, fug, mdn, sg, b, 尺八, 柝, カスタネット)も歌唱に寄り添うファゴットが隠し味となっている。

 1936年7月新譜「雨の夜船」(fl, cl, acc, b, vn, ‘cello, ts)のあたりからポリドール管はアコーディオンを導入する。アコーディオンはこのあと、大いにポリドール流行歌で活躍することとなる。オーケストラと和洋合奏で終始する他社のオーケストラに対して、ポリドールはアコーディオンマンドリンオーボエファゴットといった楽器が多用され、色彩を豊かにしている。いわば軽音楽的なサウンド作りをしているといえるのだが、反面、インストゥルメントのみの企画は弱体化し、ダンスレコードではコロムビアやキングに大きく水を開けられた。

 

 ちょっとここで日本ポリドール管弦楽団のメンバー変遷をたどってみよう。

1932年9月に元軍楽隊帳の辻順次を楽長として7名で結成された。そのメンバーは以下の通り。

高麗貞雄(fl)、佐野鋤(sax, cl)、谷口安彦(tp)、後藤純(bjo)、小島一雄(b)、山本清一(=山田栄一か。 p, acc)、前田璣(vn)。必要に応じて泉君男(ds)なども加わった。

 1935年に改編が行なわれ、高麗(fl)、佐野(sax, cl)、谷口(tp)、小島(b)、前田(vn)はそのままだがバンジョー細田定雄になり、ピアノに菊地博が、ドラムに栗原進次が加わる。ポリドール管弦楽団キングレコードの伴奏を請け負っていたのだが、キングが新会社として独立するにあたって自前の楽団を持つことになったため、ポリドールの編成にも余波が及んだのである。

 翌1936年にふたたび大きな改編があった。

高麗(fl)、佐野(sax, cl)、谷口(tp)、小島(b)、前田(vn)は据え置きで、鈴木福二郎(sax)、河野絢一(tb)、小暮正雄(acc)、高勇吉(‘cello)が加入した。それから、ピアノの菊地博は米山正夫に、ドラムの栗原進次は大島喜一となる。

 このうち鈴木(sax)と河野(tb)はポリドール管が結成される以前、井田一郎ジャズバンドがポリドールで録音する際にレコーディングに加わっていた。河野のトロンボーンはポリドール流行歌でも特徴的でいい味を出すこととなる。

 1938年、ヴァイオリンに山口郁雄、松本信三が加わり、楽団は13名にふくれあがる。この頃には前田璣はヴァイオリンから指揮者に転じていたようだ。

 1940年、またまたバンド改編があり、高麗貞雄(fl)、佐野鋤(sax)、宮越篤俊(sax)、谷口安彦(tp)、小島一雄(b)、大島喜一(ds)、山口郁雄(vn)、高勇吉(’cello)、小暮正雄(acc)の9名編成となった。

 以上の基本的な編成に、ファゴット木管などのトラ(応援楽士)が外部から加わったようだ。当時、ポリドールでは元新響の高麗貞雄やタンゴバンドのリーダー宗知康が楽士の差配を行なっており、クラシック音楽とポピュラー音楽の垣根を超えたメンバーが集まってきた。コロムビアでは宮田清蔵や斎藤秀雄が楽士の差配を行なったというが、面白いのは新交響楽団が1931年のコロナ事件で分裂し、その粛清派(新響に残った方)はコロムビア、脱退派はポリドールに集まったという点だ。こうした人間の動き、楽士間の勢力図は表面上は見えないが、各レーベルのサウンド作りの根幹に影響しているのである。

 

4. 名月赤城山のアナリーゼ

 これまで述べたようにポリドール流行歌のアレンジは独自のカラーを持っていたのだが、とりわけ凝ったアレンジが施されているのが「名月赤城山」である。菊地博の作・編曲は東海林太郎の歌唱に呼応して細かく表情づけがされており、ここに描かれている心情をみごとにサウンドに変換している。歌唱とオーケストラが有機的に結びついており、互いに効果を高めあう仕掛けになっているのだ。

 以下、歌詞(矢島寵児, PD)を一節ずつ引用しながらバックサウンドを紐解いてみよう。

 日本ポリドール管弦楽団の編成は2フルート、クラリネットオーボエファゴット、ギター、ベース、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、アコーディオン、ピアノ、三味線、尺八、鈴、柝、ハンドベル

 

 イントロはクラリネット、尺八、ギター、ベース、アコーディオン、ヴァイオリンのピツィカート、三味線。ファゴットで歌に入る。このあと、3番までファゴットの合図で歌に入るのは共通している。また、1番ではフレーズをヴァイオリンとヴィオラが優雅につないでいる。
「男ごゝろに男が惚れて」→オーボエファゴットで掛け合い。イントロから入っていた三味線はこのフレーズで消える。
「息が融け合う赤城山」→アコーディオンの通奏。ここからは三味線の代わりに弦楽のピツィカートが入る。
「澄んだ夜空のまんまる月に」→オーボエの通奏。前半にのみファゴットが薄く入り、満月をかすめて去る薄雲を思わせる。
「浮世横笛 誰れが吹く」→頭に一瞬ファゴットが現われるがフルート、後半クラリネットに受け継がれる。最後にハンドベルが入る。ここも冒頭のファゴットが心乱れるような効果を醸している。

 

 間奏は前半が尺八、三味線、ギター、後半はストリングスとアコーディオンが受け持っている。

 

 2番はフレーズの間をオーボエ、2フルートがつないでいる。2番全体を通して三味線が入るのが特徴。
「意地の筋金 度胸のよさも」→チェロの通奏。つなぎはオーボエ
「いつか落ち目の三度笠」→チェロの通奏が続く。ここまでチェロなのは雌伏している心象か。なお、ここからフレーズ間のつなぎは2フルートとなる。
「云われまいぞえ やくざの果と」→アコーディオンの通奏。前半にファゴットがうすくかぶる。ファゴットの響きは心の乱れ。
「悟る草鞋に散る落葉」→コルネットヴァイオリンにフルートが絡む。ハンドベルで締め。2番を通して地味で、耐え忍ぶような雰囲気のサウンドだ。

 

 間奏は前半、尺八、三味線、ベースと柝、後半はファゴット、ギター、ピアノ、ストリングス。

 

 3番は三味線の代わりに絃のピツィカートが全編に入る。フレーズごとにストリングスが入るのは1番と同じだが3番は高く調弦されていて、格調高いのが特徴。孤高の心象を表しているのだろう。
「渡る雁がね乱れて啼いて」→オーボエクラリネットで分担。
「明日は何処の塒やら」→オーボエファゴットで分担。オーボエは飛びゆく雁のテーマに充てられているようだ。ファゴットはここでも不安の象徴として機能している。
「心しみじみ吹く横笛に」→頭にファゴットが入るが、すぐにコルネットヴァイオリン→尺八が歌を取る。横笛ではない。ここがこの歌一番のクライマックスと感じさせる凝ったアレンジで、「心しみじみ」という歌詞とは裏腹に乱れる心を表現しているように筆者には思われる。
「またも騒ぐか夜半の風」→ベース、フルート、薄いストリングスに消え行くピツィカート。歌の最後にハンドベルが入るのが不思議だったが、この最後のベルの澄んだ音で荒涼とした涼しさが描かれるのだ。


 後奏はフルート、ベース、三味線、ギター、尺八の順で楽器が退場してゆき、最後はピアノで締められる。

 

 この歌ではコルネットヴァイオリンやクラリネット、ピアノなどほんの僅かしか登場しない楽器もぜいたくに散らしてある。しかし最後のピアノの一音はこの歌の凛とした格調高さを保つとともに、僅かな希望を垣間見せている。前奏・間奏やフレーズごとに楽器に役割を持たせてさまざまな組み合わせで充てているのがこのアレンジの一大特徴である。前に『国境の町』は音の遠近法だと記したが、『名月赤城山』はとりどりの更紗で装丁した絵巻物をするすると解き広げているようなストーリー性をバックサウンドに感じるのである。

 

 長くなったが、「歌へ若人」はこのような聴き方もできる、というモデルケースを示してみた。東海林太郎の歌唱の素晴らしさは今さら言うまでもないが、バックサウンドと渾然一体となって、東海林太郎の歌が完結するといっても過言ではないだろう。