ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

『夜店レコード 1930〜1937 禁断の戦前ジャズ音楽篇』ぐらもくらぶ特別臨時発売新譜

2020年10月18日にぐらもくらぶ特別臨時発売新譜として「夜店レコード」がリリースされるので、当初予定していた「戦前ジャズ歌謡全集・続タイヘイ篇」のご紹介を後回しにして、「夜店レコード 1930〜1937 禁断の戦前ジャズ音楽篇」について告知したいと思います。

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夜店レコード 禁断の戦前ジャズ音楽篇 1930~1937

 

  • 夜店レコードとは?

「夜店レコード」とは文字通り夜店で売られていたレコードのことです。

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戦前、銀座や新宿など繁華街には毎晩、300軒あまりの夜店が出ました。夜店は毎晩決まった場所に決まった店が出ることになっており、扱う品物は荒物雑貨や装身具、生活用品、食品、古書、骨董や貴金属まで幅広くカバーしていました。その品目にレコードが現われたのは大正期のことで、神保町の富士レコードの創業者は関東大震災前にはすでに神楽坂の夜店でレコードを売っていたといいます。

 

昭和初期にはレコードは夜店の主力商品ではありませんでした。レコードの販売網は日本蓄音器レコード製造協会と、日本各地の蓄音器商組合によって整備され、名目上は定価販売を徹底していました。夜店はレコードの販売システムには組み入れられておらず、蚊帳の外だったのです。

その厳密な販売網が崩れるきっかけとなったのが昭和7(1932)年に大阪の五大百貨店で起こったレコード廉売セールでした。それはまあいろんなことがあって、昭和10年以降になるとレコードは夜店の主力商品に躍り上がったどころか、レコード専門の夜店が続々と現れるようになりました(詳しいレコード夜店史についてはCDブックレットをご参照ください)。

そんな夜店で売られていたレコードを集めたのが、このアンソロジーです。

 

  • その内容

ヒット・レコードの要素はイントロとサビだと申しますが、そのイントロとサビだけ押さえて中身は東海林太郎の「谷間のともしび」やディック・ミネの「ダイナ」とまるで違う!というのが東堂太郎「谷間の灯」、リチャード瀧「ダイナー」です。流行っているから夜店で同じタイトルを見つけて買ったら別物だった、というわけで、家族に頼まれて買っちゃったパパなんかは「これ違うやつ」と叱られただろうな、と思います。

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エトワールは京都の福永レコード・プロダクションが出していたレーベルで、やはり川畑文子のヒットにあやかったユージニー宮下「コロナードの月」や、川畑の「貴方とならば」の歌詞を変えた田中福夫「君を慕ひて I’m Following You」、リキー宮川の「朗らかに暮らせ」の歌詞を変えた「ほゝ笑みてこそ When You’re Smilin’」を連発しています。ヒット盤にあやかって作られたとはいえ、マイナーレーベルながらオリジナル度の高い、良心的な夜店レコードといえます。

 

夜店レコードはメジャーレーベルでレコード化されていないジャンルの開拓に熱心で、自社のレコードを売るためにカタログが被らない努力を払っていたことが特筆されます。

たとえば国内録音のハワイアンは穴場で、夜店レコードにこそ貴重な録音が残されました。「椰子の葉蔭で Alekoki」(ビーナス V3447-B)はモアナ・グリークラブの初期の演奏記録であるとともに灰田勝彦の兄、灰田晴彦のボーカルが聴ける貴重な録音です。ニュー・タイヨー(S10005-B)が録音したジョージ・アラウの「メリーナ・エ」は、岡見如雪のヒロ・カレヂアンスが共演していますが、昭和初期に来日したハワイ人音楽家と日本のハワイアン演奏家の橋渡しを実地に記録する場となりました。

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また戦前のレコード大捌元であった中西商会はレコード制作に進出し、発行元となって昭和10(1935)年から長津彌(ひさし = のち長津義司)編曲・指揮によるチェリーランド・ダンス・オーケストラによる大量のダンスレコードを発売しました。

チェリーランド・ダンス・オーケストラは昭和12(1937)年にも追加録音をショーチクで発売しています。さらに中西商会は同じような編成のセンター・ダンス・オーケストラを使って名古屋アサヒ蓄の洋楽レーベル、センターからもダンスレコードシリーズを発行したので、これらのダンスレコードの全貌は輻輳を極めて分かりづらいものとなっています。このCDに主要な演奏を3点だけですが収録しました。

チェリーランド•ダンス•オーケストラもセンターの同種のダンスオーケストラも、演奏が雑だったり、ソロに下手なプレイヤーが混ざっていたり、カッコよくなるはずのフレーズでツボを外したりと人間味豊かな演奏を聴かせてくれるので筆者は好きです。いちおう編曲は長津彌の名義ですが、市販のストックアレンジ譜をベースにした録音もあるように思います。

センター•ダンス•オーケストラの昭和12年の録音群は長津の名がありませんが、これは他の人物が関わったのか、ポリドール専属となったことで長津の名を秘したのかは分かりません。出来不出来は別として、概してこのセンターの方がスウィンギーなプレイです。

 

夜店レコードはキッチュで紛いものっぽさが漂っているのですが、このCDでは紛いものよりも、「夜店レコードなのにがんばってる」的な面を大きくフィーチャーしました。

B.J.タンゴ・バンドによる「仮面舞踏会」はその精華といえましょう。氏名不詳の女性歌手が歌っていますが、これがとても上手い。ピアノもダイナミックな弾きぶりで、間違いなくどこかのダンスホールで弾いていた人物です。昭和10年代には、夜店で叩き売られるレコードのために、こんな上手い歌手やプレイヤーが使い潰されていたのだということを知っていただきたいと思います。

日本の洋楽の水準そのものが向上していたことが、この状況を生み出しました。映画がサイレントからトーキーへ移行したことによる楽士の過剰供給や、ダンスホールやレコーディングオーケストラも切磋琢磨して演奏だけでなくアレンジ手法や作曲まで勉強しないと、定番メンバーから落っこちてしまうといった競争の激しさが、マイナーレーベルの夜店レコードにまで演奏技術上の恩恵を運んだわけです。

 

CDの後半に大きなインパクトをもたらすのは、コッカレコード(大阪・三国)の廉価レーベル、プレザントレコードが発売した「シボニー」「都会の憂鬱」です。

レイモンド瀧が歌う「シボニー」は、声がひっくり返るボーカルはまあ夜店レコード相当ですが、銭湯で演奏しているような反響の中から聴こえるバンドが凄い。おそらく阪神間か神戸のダンスホールで実働バンドを録音したものでしょう。ドラムのスティック捌きは、のちに映画「笑ふ地球に朝が来る」(1940年6月)で豪快なドラミングをみせる飯山茂夫の、関西時代の演奏ではないかと筆者は睨んでおります。ブラスセクションもサックスセクションも当時の一流のサウンドです。

「都会の憂鬱」はハイブラウなジャズソングです。ルビー・タカヰのキャバレー色が濃厚にたれ流させるボーカルに耳が惹かれます。「寂しく」が「さびスぃく」になる辺りやボーカル全体にただよう退廃的な雰囲気が堪りません。こうしたニヒルな都市イメージは戦前の流行歌では珍しいのではないでしょうか。

 

ざっくりとした紹介になりましたが、「夜店レコード」の聴きどころはある程度伝わったでしょうか。詳しいことはCD付属のブックレットをご覧ください。冒頭にかかげた夜店レコード史の小論文だけでも値打ちがあります。

 

  • 最後に小型盤について

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昔の安いレコードはシェラックでなくエボナイト的な素材で作られていた、というツイートを目にしたのでついでにそのへんに触れますと、たしかに安価なレコードは通常のシェラック盤とは異なる素材で作られました。その濫觴は明治後期で、ボール紙にシェラック配合素材を塗布した海賊盤が早くも登場しています。SPレコードはそもそも微細な砂や繊維質、ゴムなどの混合物にシェラックを混ぜて作られているのですが、そうした材料をなるべく節約しようとすると、芯がボール紙になるわけです。

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昭和初期の安価なレコードはそうした海賊盤とは別物で、ひたすら「軽く」「割れず」「長時間収録」の三点を追求しました。セルロイド合成樹脂素材で、サイズは多くが6インチ、7インチ、8インチでした(通常の10インチもありました)。これは兵庫県・尼崎の特許レコードが発行していた蝶印(バタフライ)レコード、タカシマヤレコードで、後者は名前が示すとおり百貨店の高島屋に展開していた十銭ストアが販売していました。蝶印も販路はレコード店というよりは荒物屋、玩具店、百貨店などでした。

薄く軽量だったので通信販売に向いていたという側面もあります。実際、特許レコードは郵便はがきに音溝をプレスする「音の出るはがき」の特許を保有していました。レコード、資本ともに小型であるがゆえに、レコード業界では規格外とみなされていたようです。そのため、却って内容もフリーダムでした。案外需要があったようで、さまざまなブランドで同じ原盤をプレスしています。

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コッカレコード、タイヘイレコードも同種の小型盤を製作していましたが、やはり同じような販売方法を採っていました。

こうしたレコードは今回、「夜店レコード」から意識的に省きました。それはたぶん小型盤には小型盤の世界があるからです。フィリピンジャズバンドの「バガボンド」や井上起久子の「嘆きの天使」など一部はかつて復刻しましたが、それら百貨店レコードをまとめあげる時もそのうち来るでしょう。