ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

『道頓堀行進曲』史

  • 道頓堀行進曲

 二村定一年譜の補完計画は暇なときにします。今回は道頓堀行進曲について。

 長らく探求盤であった松島詩子『道頓堀行進曲』/マイフレンド『銀座行進曲』(ニットー 6522 1934年9月新譜)を手に入れることができた。松島詩子の『道頓堀行進曲』はニットーが1936年からリリースした廉価盤のSシリーズでもプレスされ、そちらは今日でもしばしば見かける。再発でヒットしたパターンだが、カップリングのマイフレンド『銀座行進曲』は再発されなかったため、オリジナルの黒盤でしか聴けない。このレコード、なんでもない黒ラベルでいかにもその辺に転がっていそうだが実は大変な難物で、ニットー盤大コレクターのN氏も「見たことがない、京都の某氏が持っていたかもしれないがそれも怪しい」というレベル。そういう探求盤をN氏が故人となってから手に入れたのも何かの縁だと感じ、『道頓堀行進曲』とその周辺のレコードについて述べることにする。

 

1. 道頓堀行進曲

『道頓堀行進曲』(日比繁次郎=作詞, 塩尻精八=作曲)はそもそも日活映画『椿姫』(1927)撮影中に俳優の竹内良一と駆け落ちした岡田嘉子が、もろもろの騒動を経て復帰主演した松竹チェーン劇場の幕間劇『道頓堀行進曲』の主題歌である。

この復帰公演は1928年1月7日より神戸松竹座、その次の週に京都松竹座、さらに翌週の1月20日より大阪松竹座で行なわれた。徐々に客足を伸ばしていったのだと思うが、大阪公演で大評判となって、東京にまでその評判は届いた。

 

 レコードとなったのは木田牧童(説明), 若山千代, 瀧すみ子, 河原節子, 大阪松竹座管絃団という面々によるニットーのモダンスケッチ2枚組(1928年3月1日臨時発売)が最初であった。このレコード、JOBKのお昼のジャズの時間に"Titina"を演奏するシーンが挟まれていたりして、なかなかリアルである。ストーリー自体は夢オチで、原作が幕間劇であったから軽妙な喜劇に仕上がっているわけである。

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 驚いたことにタイミングを同じくして名古屋のツルレコードも山崎錦城(説明), 一條歌子, 河原節子, アサヒジャズバンドによるスケッチレコード2枚組(同年3月発売)を発売した。大変な素早さであるが、おそらく風評のみで慌てて製作したためだろう、ストーリーはオリジナルのニットー盤とはかけ離れたものとなっている。原作は悲劇が夢オチで喜劇になるのだが、ツル版は悲劇のまま終了するのである。ときおり挿入される『道頓堀行進曲』も陰鬱な雰囲気である。これは珍盤だ。

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  このツル盤は関係者の許可なく製作された上、レコード発売の宣伝ポスターに「竹内良一・岡田嘉子主演」を堂々と謳っていたため、3月20日、幕間劇『道頓堀行進曲』原作者の中井泰孝が「レコードの製造販売禁止ならびに二千円の損害賠償」を求めて大阪地方裁判所に提訴している。そのためツル側は早々にこのセットを廃盤とした。

この二種のレコードを追って、オリエントから松竹座管絃団によるインスト盤『道頓堀行進曲』(1928年3月25日発売=4月新譜)が、またニットーからも『巴里行進曲』(松竹座管絃団 7月新譜)が出た。ニットー盤『巴里行進曲』(松竹座管絃団 7月新譜)は『モンパリ “Mon Paris”』推しのインスト盤だが、中間部でけっこう長めに道頓堀行進曲を挟み込んでいるので、巴里とも道頓堀ともつかない内容となっている。このレコードの録音時は大阪住吉神社に隣接したニットーのスタジオで公開録音したため、見物客が殺到し、係員が「録音中はお静かに」と注意を喚起せねばならなかった。

 

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 以上の前史を経て発売されたニットーの『道頓堀行進曲』(筑波久仁子=歌、片岡正太郎=ハーモニカ、清水昌=ピアノ 1928年7月臨時発売) は全国的な大ヒットを記録した。

 このニットー盤は大阪のスタジオではなく、東京の日本青年館で録音された。古い文献では歌手の筑波久仁子は井上起久子の変名とされ、筆者も以前はそれを鵜呑みにしていたが、現在では別人と判明している。筑波久仁子はほかにも松竹楽劇部のレヴュー主題歌をレコーディングしているので、松竹楽劇部の筑紫國子の変名ではないだろうか。ニットーは1920年代後半に澤文子という歌手もさかんに起用しているが、澤もまた松竹楽劇部に属していた。

 ニットー盤の大ヒットを追って、尼崎でセルロイド製の小型レコードを製造していたバタフライが1929年に『道ブラ行進曲』(小島鈴子=歌 松竹座ジャズバンド)を発売した。これは松竹座ジャズバンドが演奏していることからも明白なように、松竹座関連の録音ということでお咎めがなかったのだろう。松竹楽劇部の澤文子も松竹管絃楽団の伴奏で、特許レコード(小型盤)から『道頓堀行進曲』を出している。

 

 道頓堀行進曲はニットーが歌詞の権利を保持したため他社ではレコード化されず、筑波久仁子盤に次いで製作した内海一郎盤(内海一郎=歌、日東ジャズバンド 1929年5月新譜)も二十万枚を記録する大ヒット盤となった。

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 内海一郎(1898-1972)は浅草オペラ出身のテナー歌手で浅草時代は宇津美清を名乗った。レコードも大正期からあるが、昭和期には二村定一に対抗するように甘いテナーでオリエント、ニットーにジャズソングをおびただしく吹き込み、ジャズソングブームを支えた。『道頓堀行進曲』は内海のスマートでノンシャランなヴォーカルが耳に心地よく、佳作が多い彼のジャズソング中でも一頭群を抜く名盤となった。 

 このディスクは1929年当時のジャズ水準を考慮すると、アレンジもたいへん興味深い。アレンジは浅草オペラ時代から指揮・編曲を手がけていた篠原正雄(1894-1981)で、このディスクではフィドル風のヴァイオリンを入れたディキシースタイルにアレンジしている。篠原はリズム感覚の鋭いアレンジャーで、服部良一を除けば最も早くルンバを咀嚼してダンスアレンジに応用したし、1930年代半ばからはいち早くスウィングアレンジも手掛けた。

 日東ジャズバンドは、テナーサックス、バリトンサックス、バスサックス、トランペット、トロンボーンバンジョー、ドラムス、ピアノ、2ヴァイオリン、という編成で、難波の赤玉食堂で楽団を率いていた前野港造(sax)が指揮している。この編曲が甚だ複雑なので書き留めておこう。

イントロ…トランペット、バンジョー、ドラムス、ピアノ、2ヴァイオリン

1番コーラス…バンジョー、ピアノ、ヴァイオリン

ブリッジ…トランペット、トロンボーン、テナーサックス、バンジョー、ピアノ、ヴァイオリン

2番コーラス…バリトンサックス、バンジョー、ドラムス、ピアノ、ヴァイオリン

ブリッジ…トランペット、トロンボーン、テナーサックス、バンジョー、ドラムス、ピアノ、2ヴァイオリン

3番コーラス…バスサックス、バンジョー、ドラムス、ピアノ、ヴァイオリン

fin…テナーサックス、トランペット、バンジョー、ドラムス、ピアノ、2ヴァイオリン

 ドラムスはバンジョーの影に隠れて聞き取りにくいがたしかに居る。ヴァイオリンは二人で重奏するシーンと、オブリガート一人、トランペットと合奏する一人に分かれるシーンとがあり、これもやや判別しにくいと思う。サックスはおそらくバンマスの前野による持ち替え演奏であろう。テナーからバリトン、バスへと流れる、凝った使い方だ。そもそも1929年の国内録音のジャズでバリトンやバスが使われるのは極めて珍しい。

 

 このあと、ニットーから再三『道頓堀行進曲』(松島詩子=歌、N.O.楽団 1934年9月新譜)が現われる。

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 このディスクはニットー東京スタジオのディレクターに就いた服部良一(1907-93)の編曲で、1934年当時ニットーの女性歌手の看板であった松島詩子(1905-96)を起用している。のちに服部が自伝で「道頓堀行進曲を完全にジャズに編曲した」と述べているのは、このテイクのことである。松島詩子の世間ずれしていないお嬢さんのようなウブな歌唱が微笑ましい。

 神月春光が指揮するN.O.オーケストラは、3サックス、トランペット、トロンボーン、ギター、ドラムス、ベース、という編成で、トランペットを白系ロシア人のニコライ・マルチェフが吹いている。イントロはサックス陣とブラスの掛け合いでちょっとトランペットのソロが入る。1番コーラスはその延長でサックス陣にブラス陣が絡むバック、そのあとのブリッジはカサ・ロマ・オーケストラのジョン・ギフォードばりの分解的なアレンジで旋律が処理される。2番コーラスはサックス陣の独壇場で、流麗なハーモニーに包まれる。ブリッジではトロンボーンによる弱いオブリガート付きでマルチェフのトランペットが『アラビアの唄 Song of Araby』を高らかに歌う。『道頓堀行進曲』とおなじ1928年のヒット曲ということで挿入したのだろうが、深読みすれば服部良一がバンドを率いて活躍していた大阪時代のジャズ風景を回顧しているようにも思われる。トロンボーンソロを受けての3番はリズムに薄くブラスが乗って、ヴォーカルを引き立てる。この控えめな伴奏のあと、ブラス・サックスの元気な全合奏、サックス陣とブラス陣(特にトランペット)の見せ場で華麗に締めとなる。この松島盤は全体にフレッチャー・ヘンダーソンのカラーを踏襲したホットなアレンジで、アメリカ本国で台頭してきたスウィングをいち早く採り入れたディスクとして注目に値する。

 冒頭にも書いたが、この松島詩子盤は、1936年にニットーのはじめた大衆盤で再発され、そちらはしばしば見かける。思うに1934年と1936年の間に、スウィングの意識が高まった結果、初出では売れなかった実験的なレコードが1936年にヒットしたのだ。これは日本ジャズ史的に見ても面白い現象だと思う。

 

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 ニットーは1935年5月新譜を第一回として、サブレーベルの日本クリスタルから邦楽盤をリリースしはじめた。大正時代から関西の大レーベルであったニットーレコードが洋楽にもレパートリーを広げようと設立したのが日本クリスタルで、海外の洋楽盤をプレスするだけではなく、既存の枠組みにしばられない新機軸のレコード制作も目指した。そのクリスタルで企画から制作まで音楽監督をつとめたのが服部良一だが、今回の日本クリスタル・ファイブ・スターズとはあんまり関係はない。(クリスタルの責任者は服部龍太郎で、その下で服部良一が自由に采配を振るった)

 日本クリスタルは七回の新譜を出したところで邦楽のリリースを終了したが、その最後に『道頓堀コーラス』(日本クリスタル・ファイブ・スターズ 1935年11月新譜)をリリースした。これもニットーが『道頓堀行進曲』の権利を持っていたからできたことだが、ファイブ・スターズが自由にアレンジし奇抜なジャズコーラスに仕立てている。

 このジャズコーラスのグループは藤川光男(=林伊佐緒 1912-95)、志村道夫、友野俊一、館野信平の四名にギターorウクレレ一人を加えた五人組で、メンバーはそれぞれソロで活躍する実力の持ち主である。なお彼らは日本クリスタルだけでなく、ニットーでニットー・リズムボーイズ、タイヘイでフォア・リズム・ジョーカーズやウエスタン・ファイヴスターなどのグループ名を名乗って吹き込んだので、録音総数は20面あまりに及ぶ。藤川、友野、館野は作曲や編曲も堪能であったが、特にジャズコーラスに関しては藤川光男がアレンジを担当したのではないかと考えられる。のちにキングで藤川が手がけたアレンジと、このグループのアレンジには共通するセンスが感じられるのだ。

 ウクレレ一本の伴奏でまず2コーラス、クイックテンポでストレートに歌われる。そのあとマウストランペットのブリッジが挟まり、3、4コーラスは藤川光男のソロにほかの3人のスキャットやハモりが絡む。5コーラスめはスキャット、6コーラスめで全員でハモってお終い。軽妙洒脱なジャズコーラスだ。

 

 戦前の『道頓堀行進曲』はおおむね以上である。他にもマイナーレーベルにあるかもしれず、替え歌もあるかもしれないが、漏れについてはご寛恕いただきたい。また戦前戦後に数曲ある「新道頓堀行進曲」については、全くの別曲なのでここでは取り扱わなかった。

 戦後の『道頓堀行進曲』のレコードについてはあまり情報を持っていないが、日本マーキュリーの『軽音楽 道頓堀行進曲』(近藤正春=編曲・指揮 大阪キューバンバンド)が一風変わったレコードとして記憶されよう。

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道頓堀からの『浅草行進曲史』はこちら→

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