ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

二村定一年譜補完計画

はじめに

自分の著作の補遺をwebで公開しようと思い立った。

自著といってもまだ単著が四冊あるばかりだが、いずれも上梓してから後に新しい情報を入手したり、訂正が必要になったりしている。その数が馬鹿にならない。

そういう訂正・追加事項はいちいち自用の本にメモを挟み込んできたのだが、いつまでも本の中に紙切れを溜め込んでいても仕様がないので、まとめながら公開してみようというわけである。

また、紙幅の関係で校正時に書籍から省いた情報もあったりして、それが存外のちのちまで心に引っかかったりするものである。そうした積み残しの原稿も、まあ歌詞など著作権の絡む情報はいけないが、活字になっていない部分を書き出していきたいと思っている。

はじめはnoteでやろうと考えてアカウントを拵えてページを作ったのだが、どうも此れはnote向きの内容ではないな、と感じたので白紙に戻した。やはりいつものスペースがしっくりくる。

瑣末にわたる事柄であるし、べつだん自分の感情や私的な生活を披瀝するわけでもないのであまり面白いものにはならないと思うが、自分が取り扱ってきた世界にすこしでも興味を持って下さる方のお役に立てれば、と考えている。

 

大正期

まずは『沙漠に日が落ちて─二村定一伝』(講談社)である。2012年1月に出版したので、恐ろしいことにいつの間にか5年が経とうとしている。

二村定一を伝記化しようと発起したのは高校時代である。そのころ京都のコレクターN氏からコピーで送ってもらったレコード・コレクターズ誌の記事『ジャズソングは二村定一から(上/下)』(大川晴夫)をベースにして簡単な年譜とディスコグラフィを作り、あとは20年間にちまちまとデータを蓄積した。

 

『沙漠に日が落ちて』執筆の時点では大正末期の二村の様子がよく分からなかったうえ、複数の文献を突き合わせる過程で錯誤も生じた。

◯本文p.70の

「そのあと七月二十五日から十月いっぱい、千賀美寿一、岩間百合子など佐々紅華が率いるミカゲ系の歌手とともに東北・北海道巡業の旅に出ている。」

という一文は本文・巻末年譜ともに大正13(1924)年に組み込まれているが、大正十五年の誤りである。

 

◯年譜の大正14(1925)年の項目はスカスカだが、五彩会に加わっている間(1月〜10月)に、名古屋で次の歌舞劇団にも出演していた。

4月30日〜5月10日 「高田雅夫・原せい子帰朝披露公演」タカタ舞踊喜歌劇団

(この情報はツイッター上で岡鹿郎氏 @kmar1320 のアップした紙資料によって知った)

五彩会もタカタ舞踊喜歌劇団二村定一の恩人が関わっている。この補足情報は、大正末期、めきめきと実力を備えつつあった二村が佐々紅華や高田雅夫に重用されていたことを示す。

 

◯大正15(1926)年の項に、

「そのあと七月二十五日から十月いっぱい、千賀美寿一、岩間百合子など佐々紅華が率いるミカゲ系の歌手とともに東北・北海道巡業の旅に出ている。」

が移動する。この東北巡業の顛末は評伝上梓後、清島利典氏の『浅草オペラ巡業-佐々紅華・妻からのたより-』(刊行社)で詳らかになった。大正15(1926)年7月〜10月27日にわたる巡業の足どりは次のとおりである。

仙台・仙台座→青森・弥生座、新開座→岩手・盛岡劇場→青森・遊楽座→函館・大黒座→旭川・佐々木座→小樽・中央座→函館・大黒座、巴座、帝国館→青森・遊楽座→秋田・園藝座、土崎劇場、仙北劇場(?)、大正天皇即位記念館→仙台・歌舞伎座→福島・新開座。

 

巡業にまつわる書簡からは、二村定一がこのころ佐々紅華の書生であり、佐々に何くれとなく面倒をみてもらっていた様子が分かる。

(続く)