ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

GW二村定一特集②

二村定一集中特集②

二村定一にはいろいろな顔がありました。

浅草オペラで培った表現力が昭和のレヴュー時代、軽演劇時代になって役立ったのです。

昭和7年7月、浅草松竹座の「リオリタ」ではピストルをかまえるダンディーな伊達男を演じました。カウボーイやスパニッシュな伊達男役はべーちゃんの嵌り役でした。同じ時期にモーツァルト風のような役も浅草レヴューはなんでもありです。

 昭和8年5月、新宿松竹座「天一坊と伊賀亮」ではエノケン天一坊に対して、山内伊賀亮を演じました。「ピエル・ブリヤント」やその後のエノケン一座ではさかんに歌舞伎の外題をパロディーにしていましたが、「天一坊と伊賀亮」もその一つです。

あるとき「助六」でべーちゃんが髭の意休を演じたとき、この役を得意とする市川左團次が家族連れで観劇に来ました。二村はそれと知ると左団次の声色、芝居の模写で通したといいます。左団次はことのほか喜んで楽屋へ挨拶に来た、というのですが、

「あンときゃ高島屋(左団次)はゲェーッ、だったンだよ。キザでイヤな野郎だったね二村はー」(色川武大: 砂漠に陽は落ちて-「怪しい来客簿」) 

 そんな声があったのも事実です。とにかく二村定一は幕内では人気がなく狷介さを見せていたようで、そこが榎本健一とは決定的に異なった点でしょう。色川武大はそのような二村の心理を「エノケンに対するデモンストレーション」と述べています。エノケン=フタムラのコンビの力関係は浅草でレヴューをやっていた時期は拮抗していましたが、劇団が松竹傘下となって新宿に進出したあたりから微妙な翳りを見せるようになるのです。

 

歌舞伎好き、伝統芸能好きのべーちゃん本人は伝統的な役作りに力を傾注していましたが、プペ・ダンサントやピエル・ブリヤントでよく演じた軽薄な与太者役は嵌り役で、その片鱗はエノケン映画でも楽しんで見ることができます。