ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

二村定一のレコード 8

『ラヂオの小父さん』 Nipponophone 15991 1926(T15) 正月新譜

前年の1925(大正14)年7月12日に本放送が開始されたラジオをテーマとしたお伽歌劇である。

なお7月12日は現在、ラジオの日に制定されているのだが、JOAKはこれに先立つ同年3月22日から仮放送を行なってラジオの周知につとめていた。大阪のJOBKは仮放送が6月1日から、本放送はさらに半年遅れて1926年12月1日からであった。名古屋のJOCKは1925年6月23日に仮放送開始、7月15日から本放送を稼働している。

ラジオ放送開始はメディアの大革新であったから当然のことながら一般的にも大騒ぎをした。スピーカーから今現在喋っている生の声が流れ出すというラジオは同じように音声を扱うメディアであるレコードのネタにもしやすかったようで、ラジオをテーマとしたレコードがいくつも作られた。その種目はお伽歌劇、漫談、童謡。大人も子供も聴いて理解できて楽しめるレコードでもって、率先して新メディア・ラジオの普及を図ったようにも思われる。

海外ではラジオの登場によってレコード産業は窮地に立たされるのではないか、と懸念された。その考えは日本でも同様に起こって、たとえば吉本興業の芸人はラジオには出ないという主張が唱えられたり、ラジオから音を録ったラジオレコードが作られて権利上で一悶着あったりなどしたのだが、それはもうすこしあとのお話。大正14年のラジオ開始直後は、こうしてレコードでラジオ登場の啓蒙を行なっている。ラジオとレコードは切っても切れない関係にあったのだ。

『ラヂオの小父さん』は例によって佐々紅華の作品である。高井ルビー、竹内まり子の共演。二村定一はもちろんラジオの役である。ラジオを擬人化しているのである。

二村定一のラヂオが高井ルビーのお嬢さんとお話をするという非現実的なシチュエーションで、いい加減な天気予報を流したりする。しかもラヂオのお小父さんはお台所のおたけどんからの情報を受けて、本日のお弁当の献立をべらべらと喋る。お嬢さんが鰯の干物やスルメの漬け焼きに拒否感を示すとラヂオのお小父さんはおたけどんと相談までして、ゆで卵、エビフライ、くわいのキントンにかまぼこにコロッケを用立てる。お嬢さんは大喜びでラジオを称える歌を歌う。後半ではよいとまけの唄(竹内まり子)、二村の広告屋の唄が配されている。佐々紅華のあふれるようなアイデアが詰め込まれた、楽しいお伽歌劇である。

こうしたお伽歌劇のレコードは当時たいへんよく売れて、盤面に刻印された数字からは何度も何度も追加プレスされたさまが窺える。

二村定一のレコード 7

『大つきな蛙』 Nipponophone 15735-B 1925(T14) 7月新譜

『エンサカホイ』『ノンキナトウサン』とカップリングの漫画童謡で、佐々紅華作詞・編曲。

原曲はフランスの作曲家レオナール・ゴーティエ Leonard Gautier (1866〜1955)が1890年代に発表したピアノ曲"Le Secret"である(拙著の二村評伝では作曲年を1904年としており、海外でも版によって諸説あるが、出版譜は1890年代まで遡ることができる)。

ゴーティエは大衆的なピアノ曲を数多く作曲したことで知られており、そのなかでも"Le Secret"は最も成功した作品である。ピアノソロで演奏されるほか、ヴァイオリンとピアノの二重奏や簡素な室内楽に編曲されている。現在でも演奏される機会があるようでyoutubeで容易に聴くことができる。

しかし『大つきな蛙』がLe Secretと同じ曲であるというところへ辿り着くには時間がかかった。平易な西欧風のメロディーなので佐々紅華の作品というよりは既存の楽曲の転用であろうと目星をつけていたところ、1925年10月新譜のニットー盤で『シークレット』(前田環=ママ=提琴, 仁木武雄=シロホン, 岡本末蔵=クラリネット, 阿部萬次郎=ピアノ)を聴いて、同曲だと同定することができた。それで『大つきな蛙』の原曲を問われてそれに答えたこともあるが、判明している物事を人から教えてもらうよりも自分の手で見つけた時の喜びは比較にならないほど大きい。二村定一のさまざまなレパートリーの原曲探しを思い出すにつけ、小さな発見の積み重ねこそが自分にとっての宝だと感じる。

個人的な方向に話が逸れてしまった。『大つきな蛙』は二村定一の独唱で、ゴーティエの原曲に佐々紅華がナンセンス趣味の歌詞を当て嵌めている。ピアノとヴァイオリンの簡素な伴奏が付けられている。やや詰め込み気味の歌詞なので二村も遅れないよう一生懸命歌っているのがおかしい。単純な旋律をリズミカルにだれないよう歌っているのも注目すべき点だ。

二村定一のレコード 6

『エンサカホイ』『ノンキナトウサン』 Nipponophone 15735-A 1925(T14) 7月新譜

佐々紅華作詞・作曲の漫画童謡。浅草オペラの少女スター岩間百合子との共演である。『エンサカホイ』では二村は岩間百合子の歌唱の合いの手とリフレインの合唱をつとめる程度のはたらきだが、合いの手をいちいち表情を変えて面白おかしく歌っている。のち、1929年に平井英子の歌唱でビクターで再レコード化された。

『ノンキナトウサン』は夕刊報知新聞で1922(T11)年から連載された同名漫画に因んだ童謡で、漫画童謡という曲種の由来となっている。このレコードが作られた1925年に漫画映画『ノンキナトウサン 龍宮参り』と実写映画『ノンキナトウサン 花見の巻』『ノンキナトウサン 活動の巻』が作られ、後者は9月18日に公開されたということなので、その主題歌的な意味合いもあったのかもしれない。

こちらも岩間百合子が歌い、二村はのんきな父さんの役でとぼけた台詞を入れている。小針侑起『あゝ浅草オペラ』(えにし書房)によれば岩間は1897年生まれということなので、このレコーディング時は二村より3つ年上の28歳。浅草オペラ濫觴期からのベテラン女優で、美貌と実力を兼ね備えていた。お伽歌劇の録音もそこそこある。浅草オペラのテナー千賀海寿一の妻である由。

発売月のニッポノホン月報には「報知新聞連載の漫画ですつかり名物親爺になりすました『ノンキナトウサン』にちよいと御手伝ひを願つて面白い童謡レコードをつくりました、『エンサカホイ』『大つきな蛙』と共にお臍の宿替へ請合の滑稽なもので例の如く「紅華さん」の作曲並に指導にかゝるものです。」と記されている。

二村定一のレコード 5

『泊り番』 Nipponophone 15689-B

『笑ひ薬』のカップリングで、こちらも浅草オペラの少女スター相良愛子が共演している。もっとも『笑ひ薬』ではリフレインに共唱でつきあっている程度だが、この『泊り番』ではがっつり相手役として共演している。

内容は、

1)会社の泊り番で退屈しているサラリーマンがカフェーの女給から電話をもらったが途中で電話が切れたので交換手にカフェーにつなぐように頼むが、どのカフェーか分からないのでつなげられない、という寸劇。

2)は満員電車で女性に席を譲ったら荷物を託された。次の駅で女性がさっさと降りてしまい、荷物だけが手元に残った。開けてみたら赤ん坊の死体だったという事件。

が描かれている。

レコードのタイトルは1)に因んでいる。2)はあまりにもショッキングな出来事なので、あるいは実際にあった事件を風刺したネタなのかもしれない。これより前、関東大震災後の世相を描いたお伽歌劇『ちょいとお待ち』(高井ルビー・柳田貞一 1924年9月新譜)では、同じように電車に猫の死骸を遺棄するエピソードが出てくるので、その元ネタをさらに刺激的に改変したのかもしれない。

『泊り番』の原曲は、Arthur CollinsとByron G. Harlanの人気コンビが吹き込んだ"Nigger Loves his Possum"で、アメリカビクターからはBilly Goldenの"Turkey in the Straw"とカップリングになったレコードが発売されていた。1905年の初出以来、何度もプレスを重ねたロングセラーで、佐々紅華はこのビクター盤から『笑ひ薬』『泊り番』の構成をそっくり拝借したのであった。このレコードの種目がお伽歌劇や喜劇ではなく流行小唄となっているのは、内容が子供向けではなかったということもあるが、アメリカのヒット盤に素材を求めたためである。

なお"Nigger Loves his Possum"はのち、バートン・クレーンと天野喜久代の掛け合い『夜中の銀ブラ』(1931年10月新譜)にも用いられた。

二村定一のレコード 4

『笑ひ薬』Nipponophone 15689-A 1925(T14) 6月新譜

佐々紅華作詞・編曲による流行小唄。のちに二村自身がビクターで再録音して大ヒットした。近代的なナンセンスソングの嚆矢といえる歌である。

原曲はミンストレル歌手のBilly Goldenが1890年代から1920年頃までシリンダーと平円盤に幾度も吹き込んだ十八番のレパートリー"Turkey in the Strow"で、海外の流行音楽に通じていた佐々がこの流行歌を取り上げて翻案した。笑い薬というシュールな翻案は傑作で、吉田一男の「お笑ソング」(テイチク 旋律は東京節)などさまざまなエピゴーネンを生むこととなる。

二村の歌唱はおもしろおかしいさまを誇張した歌いぶりで、しかし笑う箇所を除いて余計な力が入っていない(後のビクター版では笑う箇所もナチュラルに力が抜けている)。この軽妙さが受けて、『笑ひ薬』はニッポノホンが流行小唄、現代小唄、新流行歌などの種目名で制作した近代的な歌謡レコードではいち早くヒットした。家庭で愛聴されたのだろう、今日見かけるレコードはよく聴き込まれた盤が多い。

二村定一のレコード 3

『牛若弁慶』 Nipponophone 15664 1925(T14) 5月新譜

浅草オペラの少女スターであった相良愛子との共演である。相良は達者な台詞回しと、女優連でもひときわ目立つ愛嬌のある声が特徴である。歌の上手さよりその活き活きした愛くるしい声がお伽歌劇のレコードでも重宝された。

『牛若弁慶』は阿呆陀羅経を唱える坊主が二村、比丘尼が相良という役回りで、牛若丸と弁慶の話は二人が唱える阿呆陀羅経のなかで進行するという、メタな構成をとったお伽歌劇である。佐々紅華や同時代のレコードクリエイターはお伽歌劇という名を借りてさまざまな実験を行なったが、『牛若弁慶』もその一つといえよう。

A面が二村定一の阿呆陀羅経による前説。B面になってようやく牛若丸と弁慶のくだりとなる。相良愛子の牛若と二村の弁慶によるないない尽くしは二人の芝居っ気を楽しむというより言葉遊びの楽しさで、簡素な伴奏で二村と相良がリズミカルに掛け合っている。25歳の二村の巧みな歌いまわし、間合いの取りようはすでに完成された芸である。

因みにこのレコードに出てくるないない尽くしの旋律は、のちに『福助 頭の売物』(コロムビア)にも転用されている。

二村定一のレコード 2

『あめやさん』 Nipponophone 15508 1925(T14) 正月新譜

1925年正月新譜ということは前年の録音ということになる。二村定一の名前が入った最初のレコードである。二村定一というタレントを佐々はお伽歌劇でフルに活かそうとした。ここではベテランのアルト歌手・天野喜久代を相手役としている。

ラベルに見られるように、二村の名前表記は二村貞一となっている。単なる表記ミスなのか意図的なものなのかは不明。なお貞一という表記は二村の本名、林貞一と同じなので、まったくの誤記とも考えられまい。

レコードの内容は、調子のよい飴やがお嬢さんを相手に芸を尽くして飴を次々に買わせ、気がついたらお嬢さんがいない。もらったお金は葉っぱになっていて狸に化かされたことを悟る、という寸劇である。

のちにビクターで平井英子と再録音している。二村が飴やに扮していい声を聞かせるというシチュエーションは「エノケンのちゃっきり金太」でも踏襲しており、またレコードでは「ポン太郎あめ」という大傑作もあるのだが、それはずっと後のお話。とにかく若い24歳の二村の歌いまわしや演技力旺盛な語りが聴きどころだ。