ニッポン・スヰングタイム

著作やCD制作、イベントの活動を告知します。戦前・戦中ジャズをメインとして、日本の洋楽史について綴ります。

二村定一年譜補完計画

はじめに

自分の著作の補遺をwebで公開しようと思い立った。

自著といってもまだ単著が四冊あるばかりだが、いずれも上梓してから後に新しい情報を入手したり、訂正が必要になったりしている。その数が馬鹿にならない。

そういう訂正・追加事項はいちいち自用の本にメモを挟み込んできたのだが、いつまでも本の中に紙切れを溜め込んでいても仕様がないので、まとめながら公開してみようというわけである。

また、紙幅の関係で校正時に書籍から省いた情報もあったりして、それが存外のちのちまで心に引っかかったりするものである。そうした積み残しの原稿も、まあ歌詞など著作権の絡む情報はいけないが、活字になっていない部分を書き出していきたいと思っている。

はじめはnoteでやろうと考えてアカウントを拵えてページを作ったのだが、どうも此れはnote向きの内容ではないな、と感じたので白紙に戻した。やはりいつものスペースがしっくりくる。

瑣末にわたる事柄であるし、べつだん自分の感情や私的な生活を披瀝するわけでもないのであまり面白いものにはならないと思うが、自分が取り扱ってきた世界にすこしでも興味を持って下さる方のお役に立てれば、と考えている。

 

大正期

まずは『沙漠に日が落ちて─二村定一伝』(講談社)である。2012年1月に出版したので、恐ろしいことにいつの間にか5年が経とうとしている。

二村定一を伝記化しようと発起したのは高校時代である。そのころ京都のコレクターN氏からコピーで送ってもらったレコード・コレクターズ誌の記事『ジャズソングは二村定一から(上/下)』(大川晴夫)をベースにして簡単な年譜とディスコグラフィを作り、あとは20年間にちまちまとデータを蓄積した。

 

『沙漠に日が落ちて』執筆の時点では大正末期の二村の様子がよく分からなかったうえ、複数の文献を突き合わせる過程で錯誤も生じた。

◯本文p.70の

「そのあと七月二十五日から十月いっぱい、千賀美寿一、岩間百合子など佐々紅華が率いるミカゲ系の歌手とともに東北・北海道巡業の旅に出ている。」

という一文は本文・巻末年譜ともに大正13(1924)年に組み込まれているが、大正十五年の誤りである。

 

◯年譜の大正14(1925)年の項目はスカスカだが、五彩会に加わっている間(1月〜10月)に、名古屋で次の歌舞劇団にも出演していた。

4月30日〜5月10日 「高田雅夫・原せい子帰朝披露公演」タカタ舞踊喜歌劇団

(この情報はツイッター上で岡鹿郎氏 @kmar1320 のアップした紙資料によって知った)

五彩会もタカタ舞踊喜歌劇団二村定一の恩人が関わっている。この補足情報は、大正末期、めきめきと実力を備えつつあった二村が佐々紅華や高田雅夫に重用されていたことを示す。

 

◯大正15(1926)年の項に、

「そのあと七月二十五日から十月いっぱい、千賀美寿一、岩間百合子など佐々紅華が率いるミカゲ系の歌手とともに東北・北海道巡業の旅に出ている。」

が移動する。この東北巡業の顛末は評伝上梓後、清島利典氏の『浅草オペラ巡業-佐々紅華・妻からのたより-』(刊行社)で詳らかになった。大正15(1926)年7月〜10月27日にわたる巡業の足どりは次のとおりである。

仙台・仙台座→青森・弥生座、新開座→岩手・盛岡劇場→青森・遊楽座→函館・大黒座→旭川・佐々木座→小樽・中央座→函館・大黒座、巴座、帝国館→青森・遊楽座→秋田・園藝座、土崎劇場、仙北劇場(?)、大正天皇即位記念館→仙台・歌舞伎座→福島・新開座。

 

巡業にまつわる書簡からは、二村定一がこのころ佐々紅華の書生であり、佐々に何くれとなく面倒をみてもらっていた様子が分かる。

(続く)

新著刊行とイベントのお知らせ

新著刊行

先月下旬、4冊目の著作となる『ニッポン エロ・グロ・ナンセンス 昭和モダン歌謡の光と影』を講談社選書メチエより上梓しました。 



また、関連企画としまして、ビクターエンタテインメントより『ニッポン・エロ・グロ・ナンセンス モガ・モボ・ソングの世界』も好評発売中です。


正直なところ、エロ歌謡というとてつもなく遊蕩的な香りのただよう、趣味性の高いテーマが選書メチエに決まったのは筆者にとって驚きでした。
内容的にはもちろん真面目に書いたので、これまで単行本で出していた自分にとって初の選書がメチエで、喜びを感じています。
テーマがテーマなので図書館に入ることはあまりないだろうなぁと思っていましたが、蓋を開けたら大学・教育機関や公立図書館にけっこう架蔵していただいている様子。内容が認められたのであれば、これまた嬉しい話です。
執筆は自動車事故で入院しているベッドの上で、アイホンをちまちまといじりながら始めました。この書籍の企画じたい、先行するCD『ねえ昂奮しちゃいやよ 昭和エロ歌謡全集 1927〜32』(ぐらもくらぶ)の敷衍であり、昭和初期という自分の好きな時代なので楽しく書き進められました。苦心はもっぱら「エロ・グロ・ナンセンス」という時代の惹句をいかに可視化するか? に傾けられました。
エロ歌謡という立脚点からエロ・グロ・ナンセンスを解釈したので、「エロ」はともかく、「グロ」「ナンセンス」という要素に関しては主に対する従という扱いになりました。その関係性に関しても、うまく解決できているか分かりませんが、出来得るかぎりで苦心しました。
書籍化に当たって困難な問題もありましたが、こと「エロ・グロ・ナンセンスの歌謡をまとめあげる」という初志は十二分に果たせました。 斎藤佳三の装画(楽譜)による素敵な表紙は、exciteブログ『モダン周遊』のsuzu02tadao氏よりお借りしました。ここに厚くお礼を述べます。ひと目で内容を語り尽くす、雄弁な表紙となりました。


トークイベント

11月20日(日)、新著刊行記念として西荻ブックマークでトークイベントを行ないます。

もっぱら書籍に関連したお話とレコードを聴いていただこうという主旨です。
『第95回 西荻ブックマーク 毛利眞人新刊・刊行記念トークイベント』
日時:2016年11月20日(日曜日)
開場:16:30 開演:17:00 終演:19:00(予定)
会場:ビリヤード山崎 2階 (東京都杉並区西荻北3-19-6、西荻窪駅北口徒歩1分) 
料金:1,500円
内容的にはまだ詰めている最中なので、告知内容を変更することもあります。こぞってお越しください。


転居&新著・新監修CD&イベントのお知らせ!!!!

引っ越しました!

5月のイベントを終わって以降、あまりの忙しさにゆっくりブログを綴る暇すらありませんでした。いくつかの告知があるのですが、ひとつ目はお引っ越しです。

大阪から東京に遂に引越しました。

もともと東京に出ないと仕事関係のもろもろが逼塞して停滞してたいへん都合が悪かったので、満を持して転居しました。

新しい住居には交通の便と住環境を優先しました。6月に東京で物件を見繕い、幸いどちらの条件をも満たす物件があったので、帰阪後まるまる一ヶ月半は契約と引越しの準備に費やしました。7月下旬、引っ越しました。

 

新著と新しいCDのお知らせ!!

東京に転居するのと前後して、新著の上梓が決まりました。また、著作と連動した企画のCDの制作も引越し前から始まっており、著作の最終原稿出しと校正、CD監修、そこに加えて引越しにまつわる諸手続きで、7月下旬から9月いっぱいは一言でいってしっちゃかめっちゃか。その場その場の場当たりで必要事項をこなしながら進捗してゆきました。

その産物がこちらとなります。

ビクターエンタテインメント『ニッポン・エロ・グロ・ナンセンス モガ・モボソングの世界』
2016年9月28日発売

 


講談社選書メチエ『ニッポン エロ・グロ・ナンセンス 昭和モダン歌謡の光と影』
2016年10月12日発売

表紙デザインがまだ上がっていませんが、昭和初期エロ・グロ・ナンセンス時代のイメージをたっぷり含んだ素晴らしいデザインで出来上がっております。

このふたつの新作に付随して、またまた江戸東京博物館に於いて発売記念イベントを行ないます!!!

www.jvcmusic.co.jp

 

著作・監修を行なった毛利が第一部で新しい作品を肴にトークあり、スライドありで大わらわでエロ・グロ・ナンセンスとはなんぞや?を解き明かしていきます。異色ユニット『泊』(山田参助・武村篤彦)によるエログロ歌謡の実演は必聴!!

なお、上記イベント公式サイトの画面(スマホ)やサイト情報のプリントアウト、都内各所で配布しているチラシによって、当日入場料 2500円が2000円となります!

これを使わないテはないですぞ!

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ぐらもくらぶ新譜のお知らせ

盛会御礼

今月8日のぐらもくらぶ祭「浅草オペラ100年と二村定一リスペクト・ショー」は、ぐらもくらぶ史上最大の盛会となりました。浅草オペラや二村定一に対する世間の興味が潜在的に大きいものであったことに心地よい驚きをおぼえています。

そうして特筆すべきは、『あゝ浅草オペラ: 写真でたどる魅惑の「インチキ」歌劇 (ぐらもくらぶシリーズ)』(えにし書房)を上梓した小針侑起氏を、新進の有望な研究者として紹介できたことです。

この著作は、写真や書簡、文献、レコードなど彼が蒐集した浅草オペラの資料から出来上がっています。「最後のペラゴロ」の視点から「浅草オペラとは何だったのか」という命題に取り組んでおり、浅草オペラの入門書としても資料文献としても読み応えのある好著に仕上がっています。歌手名鑑も、手際よく纏められているだけでなく写真やレコードラベルが併載されている点、丁寧で真摯な研究態度が伺われます。浅草オペラに関連する事物のコレクターは数あれど、その全体像をここまで把握し、混沌とした史実を明確に著し得る人は他にいないでしょう。

彼の著述に注目してゆきたいと思います。

 

ぐらもくらぶ新譜

さて、今月はぐらもくらぶ新譜ラッシュでした。すでにご紹介した『帰ってきた街のSOS! 二村定一コレクション1926-1934』『浅草オペラからお伽歌劇まで ~和製オペレッタの黎明~』につづいて、5月29日(日)にはさらなる新譜『大名古屋クラシック』がリリースされます。これは、ぐらもくらぶ初のクラシック音楽の復刻アルバムです。

名古屋の地元レーベル、アサヒ蓄音器商会(ツルレコード)は芸どころ名古屋の芸能だけでなく、東京と関西をむすぶ中間という地の利を活かして、東西のアーティストを起用したジャズソングや流行歌などを制作していました。

そんなツルレコードの遺産に、地元名古屋で活躍した音楽家たちによるクラシック音楽の録音があります。名古屋には名古屋楽壇があり、数多くのすぐれた音楽家を輩出していました。なかでも松坂屋百貨店が組織した松坂屋少年音楽隊から発展した「名古屋交響楽団(=松坂屋管絃楽団)」は、1930年代なかばに東京進出して中央交響楽団→東京交響楽団となり、現在でも東京フィルハーモニー交響楽団として歴史を刻んでいます。その、都市と音楽の関係に注目したのが「大名古屋クラシック」です。

このCDには、中央交響楽団が東京進出する直前に名古屋で残したレコーディングを核として、作曲家・高木東六(pf)と鈴木三兄弟によるピアノ四重奏、戦前から戦後に日本屈指のフルーティストであった河村秀一、瀧廉太郎の後輩で明治期の奏風を昭和に伝える小林禮、メンバーは未詳ながら名古屋が生んだ鈴木弦楽四重奏団に比肩するレパートリーを残したルモンド四重奏団、と盛り沢山の内容で戦前名古屋のクラシック事情を蘇らせました。

東京や大阪とはまた異なる名古屋音楽界を特集したCDは前例がありません。CDにはアサヒ蓄音器商会で録音されたクラシック音楽ディスコグラフィーも付録として付けました。音源資料として・文献資料としてというのは勿論ですが、まずは洋楽黎明期に努力を重ねた先達の音楽性豊かな演奏をお楽しみください。

 

 

二村定一と浅草オペラのCD、売れ行き好調です。お早めにお購めください!

    



あさって8日はぐらもくらぶ

さて、8日(日)の"春のぐらもくらぶ祭り2016"『浅草オペラ100年と二村定一リスペクト・ショー』(江戸東京博物館)を明後日に控えて、あす上京の運びとなりました。

これより私の方からは予告はRetweetくらいになるかと思います。

ほかの出演者の皆さんはその道のプロばかりでして、物書きの自分はただ拙い喋くりをすることしかできません。かといってステージで文章をひねくって音読するわけにもいかないので、新発売のCD「帰ってきた街のSOS! 二村定一コレクション1926-1934」の監修者たる立場より二村定一ことべーちゃんについて瞥見を述べたいと考える所存であります。何とぞ宜しくお願い申し上げます。

 

はてなからは最後の告知です。

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春のぐらもくらぶ祭り2016
『浅草オペラ100年と二村定一リスペクト・ショー』
大正・昭和初期の浅草オペラからジャズソング、そしてエロ・グロ・ナンセンスの時代を駆け抜けた伝説の名歌手「二村定一」を、まもなく100年を迎える彼を輩出した浅草オペラと共に再検証しつつ、トークとライブでたどるバラエティ・ショー!

★第一部:< 「あゝ浅草オペラ 写真でたどる魅惑のインチキ歌劇」発売記念・浅草オペラとは?その真相と二村定一の誕生 >
「あゝ浅草オペラ 写真でたどる魅惑のインチキ歌劇」(小針侑起著:えにし書房:5月12日)、「浅草オペラからお伽歌劇まで
~和製オペレッタの黎明~」(ぐらもくらぶCD:2枚組:5月15日)の発売を記念し、まもなく100年を迎える「浅草オペラとは?」と「二村定一の誕生」の実像に迫る、監修者たちによる画像・音源を交えた座談会。(トークほか)

★第二部:<「帰ってきた街のSOS!」エロ・グロ・ナンセンスのスター歌手・二村定一!リスペクト・バラエティ・ショー >
「帰ってきた街のSOS! 二村定一コレクション1926-1934」(ぐらもくらぶCD・2枚組:5月15日)発売を記念し、「君恋し」の歌唱で知られる昭和を代表する名歌手・二村定一の世界に浸ろう!
「青空」「アラビアの唄」を歌った日本初のジャズ歌手であり、「キッスOK」「ほんに悩ましエロ模様」などエロ・グロ・ナンセンスの帝王である二村定一を歌と映像とトークでたどる。
演奏に青木研+渡邊恭一”Swingers”、そして歌唱に山田参助&「泊」を迎えて送る、ぐらもくらぶ的バラエティ・ショー!(トークとライブほか)

トーク:大谷能生(音楽家)/毛利眞人(音楽評論家)/保利透(アーカイブ・プロデューサー)/小針侑起(浅草オペラ研究家)/佐藤利明(娯楽映画研究家)/片岡一郎(活動写真弁士)
ほか
ライブ出演:青木研(バンジョー)+渡邊恭一”Swingers”/泊 ほか

●イベント関連CD「浅草オペラからお伽歌劇まで ~和製オペレッタの黎明~」「帰ってきた街のSOS!」&「あゝ浅草オペラ
写真でたどる魅惑のインチキ歌劇」の先行即売とサイン会あり

場所:両国・江戸東京博物館ホール(JR・大江戸線両国駅下車・東京都墨田区横網1-4-1

開催日:5月8日(日曜日)
開場:14時00分
開演:14時30分
入場料:前売り2.000円、当日2.500円

★前売り券はチケット・ぴあにて好評発売中!!!
Pコード:292760・興行コード:1611812
http://ticket.pia.jp/pia/event.ds?eventCd=1611812

主催:ぐらもくらぶ/協賛:活動写真実演会・メタカンパニー・えにし書房
<お問い合わせ>
メール:gramoclub78@gmail.com
電話:03-5273-2821(メタカンパニー内)
オフィシャルサイト:http://d.hatena.ne.jp/polyfar/

 

●出演者プロフィール
大谷能生 1972年、青森県八戸市生まれ。評論家・音楽家。
ジャズ(サックス)、エレクトロニクス、ラップ、朗読など、多数のバンドに参加して幅広い演奏活動を行っている。近年は舞台作品の音楽制作・出演も多数。共著に「日本ジャズの誕生」(青土社)「ジャニ研!ジャニーズ文化論」(原書房)、単著に「ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く」(本の雑誌社)などがある。

 

毛利眞人 1972年、岐阜県郡上市生まれ。音楽評論家。

2001年から2011年まで関西発NHKラジオ深夜便「懐かしのSP盤コーナー」に音源と解説を提供。単著に「貴志康一 永遠の青年音楽家」(国書刊行会)、「ニッポン・スウィングタイム」「沙漠に日が落ちて  二村定一伝」(講談社)があるほか、共著の「モダン心斎橋コレクション」(国書刊行会)などでも音楽記事を担当した。また「日本SP名盤復刻選集」(ローム)をはじめとして、SP盤復刻CDにも音源提供・解説で加わっている。SP盤を用いたミュージアムコンサートやイベントも行なっている。

 

保利 透 1972年、千葉県生まれ。アーカイブ・プロデユーサー 戦前レコード文化研究家 ぐらもくらぶ主宰。
時代にスポットを充て、過去と現代の対比を検証するというテーマのもと、戦前の音楽の素晴らしさと、録音による時代の変化をイベントやメディアを通じて伝えている。
SP復刻CDのマスタリング・制作監修に「ニッポン・モダンタイムス」シリーズ(コロムビア・ビクター・テイチク・キング・ユニバーサル)「花子からおはなしのおくりもの」(ユニバーサル)「日本の軍歌アーカイブス」(ビクター)などがある。

 

小針侑起 1987年、栃木県宇都宮市生まれ。浅草オペラ史・浅草芸能研究。

エノケソこと大内良明に師事。資料提供として「ダンス・バイブル」(乗越たかお著・河出書房新社)「白薔薇のプリンス~春日野八千代グラフテイ」「宝塚歌劇100年史」(阪急コミュニケーションズ編)など多数。著書に「あゝ浅草オペラ・写真でたどるインチキ歌劇」(えにし書房)


佐藤利明 1963年生まれ。娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー。

娯楽映画をテーマにDVDの企画、歌謡曲やサントラCD制作などを手がける。「唄うエノケン大全集」「ハナ肇クレイジーキャッツHONDARA盤」「同HARAHORO盤」「男はつらいよ 寅次郎音楽旅」(ユニバーサル)、「ブギウギ伝説 笠置シヅ子の世界」(コロムビア)ほか多数。Pink Martini&Saori Yuki「1969」(Heinz)のスペシャル・アドヴァイザー。東京新聞「寅さんのことば」、夕刊フジ「みんなの寅さん」連載。文化放送「みんなの寅さん」では“寅さん博士”として構成作家、パーソナリティを務める。

 

片岡一郎 1977年生まれ。2002年に澤登翠に入門。日本国内の他に米、独、豪、克、加などでも公演。これまで手掛けた無声映画は洋・邦・中・アニメ・記録映画とジャンルを問わずに約300作品。活動弁士の他に紙芝居、声優、書生節、文筆でも活動。行定勲監督作品『春の雪』や奥田民生のパンフレットDVDにも弁士として参加している。近年は海外と日本を行ったり来たりしている。

 

 泊は2002年に大阪で結成された武村篤彦笹山鳩による異色歌謡のユニット。枯れた味わいの武村のギター演奏とオールドスクールな笹山の唱法は、昭和前半にかつて存在したようで存在しなかった、「架空の歌謡」と言えるかもしれません。
ボーカルの笹山鳩は山田参助名義で「コミックビーム」にて『あれよ星屑』を連載中。

 

青木 研 1978年生まれ。7歳頃、二村定一等の唄う「ジャズ小唄」(君恋し私の青空、アラビヤの唄)を始めとする、蓄音機やそこから流れる戦前音楽に親しみ、それらの曲に使われていたバンジョーのサウンドに特に強い魅力を感じる。13歳で初めて憧れていたバンジョーを手にしてから、ディキシーランドジャズで使われる4本弦のバンジョー(テナーバンジョープレクトラムバンジョー)をほぼ独学でマスターする。バンジョー主体の演奏の他、数多くのディキシーランド、スイングジャズの演奏家を始め、ブルーグラス、ジャグバンド奏者、管弦楽団吹奏楽団との共演、ソリスト、歌手等のサポート等多種のステージを通し、若手No.1プレイヤーとして楽しげなステージングと華麗なテクニックで観客を魅了している。2010年秋にはサンノゼバンジョー大会に招聘されヘッドライナーを担当、2011年夏にオクラホマシティ、FIGA主催の全米バンジョーコンヴェンションに招聘され、好評を博す。日本では数少ない、ソリストとして演奏することの出来るバンジョー奏者。

 

渡邊恭一”Swingers” 2004年結成。第25回浅草ジャズコンテストグランプリ受賞。
1930s-40sのスイングをベースに据えながらも、レトロという言葉に収まらず”Swing Music of Our Time”を掲げて様々なアプローチを試みる。
2010年発売のCD ”Swingers, Anyone?” はNHK-FM、JAZZLIFEなど日本国内メディアに留まらず、海外のラジオ・雑誌・ファン等からも高い評価を受けた。
ジャズフェスでは横濱ジャズプロムナード、ライブ出演はHUB浅草などに出演中。
渡邊恭一(支配人) 1984年東京都北区十条生まれのスイングテナー/クラリネット奏者。
1930s-40sジャズの質感をベースに、様々なスタイルにフィットしていく靭やかな音楽性と現代性を持つ。2006年の浅草ジャズコンテスト優勝を契機に早稲田大学を中退。
自身のバンドSwingersを率いた演奏活動をはじめ、ジャンルを問わず国内外の著名ミュージシャンと共演。インディペンデントな音楽シーンから、Jazztronik、デキシーキングス、宮城まり子伊東ゆかりまで録音・ツアー・サポート参加多数。
 演奏以外でも、FM番組"What's Jazz?"ホストパーソナリティや、podcast”第五トラディショナル”その他のトークイベント主宰、音楽雑誌への寄稿、アメリカ・ヨーロッパへの取材・研鑽旅行などHot Jazzをテーマに様々な企画を展開している。

GW二村定一特集④

GW二村定一集中特集

さすがにGW疲れしてきました。

来たる8日(日)の春のぐらもくらぶ祭り2016『浅草オペラ100年と二村定一リスペクシ・ショー』では、さまざまな角度から二村定一を生んだ浅草オペラと、二村定一というエンターテイナーを解剖しようと企てております。

二村定一について語るとき、まず最初に触れられるのは「二村定一はレコード歌手である」ということでしょう。「アラビアの唄」や「洒落男」などをヒットさせたことから"日本のジャズシンガー第一号"と呼ばれることもありますし、「君恋し」や「神田小唄」など和製のジャズソングもヒットさせたことから、その大きな鼻に引っかけて"流行歌の鼻祖"と呼ばれることもあります。

二村定一がレコードに吹き込み始めるのは大正12年(1923)、23歳の時からです。大正期にはお伽歌劇を中心に、佐々紅華作のコミックソングや翻案のコミックソング、外国のポピュラーソングを吹き込みます。ポピュラーソングのレパートリーは「スエズ」「テルミー」「スパニッシュセレナーデ」「イエス、ウィーハブノー・バナナ」「ヴァンプ」などで、これらはさほどヒットはしませんでしたが、昭和初期のジャズソングブームを先取りしています。ジャズソングがブームとなるには、いま少しのジャズ文化の成熟とレコード業界の変革が必要でした。

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(二村定一が最初に加わった録音「地獄祭り」。大正12年12月新譜。二村のネームが入った初レコードは2年後の大正14年から作られる。)

 

昭和3年、二村定一はニッポノホンに「アラビヤの唄」「あほ空」「雨」などを録音します。次いでニットーでも「浅草行進曲」「アルゼンチンの踊」「第七天国」「リオリータ」などを録音。その年のうちに日本ビクターと契約して、井田一郎のジャズバンドとともに夥しい録音を行ないます。これら一連のレコードが導火線となって二村定一人気は全国的なものとなりました。

昭和5年、二村はビクターに在籍したままポリドールへも録音します。ポリドールでは「スパニッシュセレナード」「恋人」「ラブ双紙」などのジャズソングのほか、映画主題歌などを多く録音しています。その年の秋にはビクターからコロムビアに移籍し、もっぱら流行歌と映画主題歌を録音しました。ジャズソングにも「スタインソング」「暁の唄」「ヅボン二つ」「人間廃業」「エロ草紙」など良い歌唱があり、これらのレコードはよく売れました。昭和6年にはオデオンに2曲、パーロホンに7曲を残しています。

昭和6年からは関西のタイヘイ、ニットーにも主としてダンス小唄やコミックソングを録音し、東京のマイナーレーベル・オーゴンでもコンビを組んでいたエノケンとの掛合「歌道楽」や流行歌を手がけました。また昭和7年4月に一枚一円という廉価を売り文句とした新興レーベル・太陽も二村定一人気をあてにした会社で、前年から録りためた二村レコードが都市部を中心によく売れました。このレーベルには「恋人よかへりませ」「ハングオンツーミー」「君よさらば」というジャズソングの傑作盤があり、「銀ブラソング」はサイプレスを繰り返したヒット作。「街のS.O.S.」や「インチキ小唄」「娘アラモード」などのコミックソング二村定一のコミカルな個性を活かしており、他社にない特色を持っていました。

この昭和6、7年あたりは二村定一がレコードでもリアルでも売れっ子の頂点だった時期でしょう。浅草の舞台でエノケンと共演して、レヴューに欠かせない存在にもなっていました。榎本健一と二人座長をつとめる「ピエル・ブリヤント」を立ち上げてからは多忙のためレコード録音も少なくなりますが、昭和8年からキングとタイヘイに散発的に流行歌・コミックソングを録音し、昭和11年には榎本健一と組んで舞台で大当たりした「民謡六大学」をテイチクで録音しました。彼のレコード歴は昭和12年で終わり、その後は舞台とエノケン映画での活躍にシフトしてしまいます。

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以上ざっと二村定一のレコード経歴を書き出してみました。今日では比較的多くのCDで、以上に述べた各レーベルの二村定一録音が楽しめます。

ビクターへの録音は、ジャズソングを中心として「私の青空~二村定一ジャズ・ソングス」にまとめられていますし、コロムビア録音からも「ヅボン二つ」「百萬円」などが「ニッポン・モダンタイムス シリーズ~SWING TIME~」に収録されています。ポリドールのジャズソングも「幻のSP盤復刻!~ニッポン・モダンタイムス・シリーズ~スウィング・パラダイス」で4曲が聴けます。また榎本健一とのコンビ芸を伝える「民謡六大学」が「唄うエノケン大全集~蘇る戦前録音編~」 に収録されています。

ぐらもくらぶは創設第一作から二村定一推しで復刻をしています。今回、『浅草オペラ100年と二村定一リスペクト・ショー』でフライング発売する2タイトルでは、浅草オペラのお伽歌劇やオペレッタで大活躍する二村定一から、比較的後期に属するタイヘイ録音まで贅沢に二村のマストテイクを集めました。自信を持ってお薦めできるCDです。

このほか、ぐらもくらぶの企画ものアンソロジーに積極的に二村定一を散りばめたため、監修者の自分にもそろそろ把握が困難になってきています。以下のCDには、ほかのCDと重複しない音源が収められています。アンソロジーの企画自体、私どもの自信作ですが、こうして並べてみると二村定一という人が如何に多種多彩な企画に即応して強烈なキャラを発していたんだなあ、と驚きを新たにします。

それにしてもよくまあこれだけのCDに散りばめたものですが、8日(日)はこれまでぐらもくらぶが注いだ二村定一愛が炸裂する一日となります。間違いなく。私はしゃべくるだけですが、佐藤利明氏、大谷能生氏、小針侑起氏(当日、初の著作『あゝ浅草オペラ: 写真でたどる魅惑の「インチキ」歌劇』 の販売・サイン会があります)、青木研氏、渡邊恭一氏と彼のSwingers、「泊」の山田参助氏と武村篤彦氏、と多士済々がそれぞれの分野で二村定一に迫ります! プロデュースはぐらもくらぶ主幹の保利透氏。二村定一イベントの立案者で、今回は第一部にだけ出演ということですが二村愛にかけては制作CDが証明しています。

今回はぴあでチケット前売りをしています。二村定一が知りたい!という方は長い連休のしめくくりにぜひお越しください!!

 

『浅草オペラ100年と二村定一リスペクト・ショー』

場所:両国・江戸東京博物館ホール(JR・大江戸線両国駅下車・東京都墨田区横網1-4-1
開催日:5月8日(日曜日)
開場:14時00分
開演:14時30分
入場料:前売り2.000円、当日2.500円

★前売り券はチケット・ぴあにて好評発売中!!!
Pコード:292760・興行コード:1611812
http://ticket.pia.jp/pia/event.ds?eventCd=1611812

主催:ぐらもくらぶ/協賛:活動写真実演会・メタカンパニー・えにし書房
<お問い合わせ>
メール:gramoclub78@gmail.com
電話:03-5273-2821(メタカンパニー内)
オフィシャルサイト:http://d.hatena.ne.jp/polyfar/

GW二村定一特集③

GW二村定一集中特集③

来たる8日(日)の江戸東京博物館での『浅草オペラ100年と二村定一リスペクト・ショー』では、シンポジウム形式のトークショウと青木研&渡邊恭一のSwingersで二村定一の魅力を掘り下げる計画です。

なんといっても昭和初期のべーちゃんはレコード歌手として飛ぶ鳥を落とす勢いであり、その勢いはエノケンとコンビを組んでから出演したエノケン映画でも健在でした。

二村定一が出演したエノケン映画は次の作品です。

・「シネ・オペレッタ エノケンの青春酔虎傅」(昭和9年5月4日封切) P.C.L.

・「エノケンの魔術師」(昭和9年10月25日封切) P.C.L.

・「エノケン近藤勇」(昭和10年10月11日封切) P.C.L.

・「エノケン十八番 エノケンのどんぐり頓兵衛」(昭和11年1月31日封切) P.C.L.

・「エノケンの千萬長者」(昭和11年7月21日封切) P.C.L.

・「續エノケンの千萬長者」昭和11年9月1日封切) P.C.L.

・「エノケンの江戸っ子三太」昭和11年12月31日封切) P.C.L.

・「エノケンのちゃっきり金太 前編」(昭和12年7月11日封切) P.C.L.

・「エノケンのちゃっきり金太 後編」(昭和12年8月1日封切) P.C.L.

・「エノケンのびっくり人生」(昭和13年12月29日封切) 東宝

・「エノケンのがっちり時代」(昭和14年1月4日封切) 東宝

・「エノケンの彌次喜多」(昭和14年12月29日封切) 東宝

 

エル・ブリヤント=エノケン一座は松竹専属であったため、映画製作はP.C.L.(のち東宝映画)が一座を借り受ける形で行なわれました。松竹座の舞台がハネた後、徹夜でセット撮影が行なわれ。午前中にオープン撮影、撮影が済むと車で淺草まで飛ばして午後から舞台に出演するという、一座にとっては過酷なスケジュールでした。しかし浅草や新宿でなければ見られなかったエノケン一座の喜劇がスクリーンで見られるとあって、映画は好評裡に受け入れられ、「江戸っ子三太」や「びっくり人生」「がっちり時代」「彌次喜多」はお正月映画として持て囃されたのでした。

エノケン映画に対する映画評は「あまりにも映画的でなさすぎる」という辛口の批評が多かったのですが、P.C.L.は日本全国の観客にエノケンの舞台を届けようと意識してピエル・ブリヤントの舞台に近いイメージを映画化したといいます。エノケン一座のメンバーが一同勢揃いしているのもそのためで、二村定一の存在もエノケンとの確執が深まるにつれ軽くなってはいきますが、一連のエノケン映画に欠かせない重要なバイプレイヤーとなっています。

今回はざっと映画でみる二村定一をまとめてみます。

これらの映画での、特に初期の作品での二村定一の存在意義はヴォーカルに傾きがちでした。第一作「青春酔虎傅」は冒頭で「イエス・イエス "Yes, Yes!"(1931)」が流れますが、その第一声は学生と言うには薹が立ちすぎているべーちゃんの歌声です。第二作「エノケンの魔術師」では何故か二村定一の出演シーンがまるごとカットされたような痕跡がみられますが、第三作「近藤勇」では桂小五郎という大役で「侍ニッポン」や"Lullaby in Blue"を歌いあげています。この「近藤勇」での二村は剣戟シーンも颯爽としていて、斬られた刺客が倒れながら二村の刀を懐紙で拭うというギャグにちょっとニヤけるべーちゃんが見ものです。

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この宣伝用スナップでは幾松(千川輝美)が刀を拭っています。

 

エノケンの千萬長者」は二村定一がもっとも輝いた作品です。なにしろべーちゃんがヨタ歌手・三田の役をつとめているのですから。この映画では、デパートのアトラクションでの「唄は廻る "The music goes 'round and around"(1935)」、江木三郎(エノケン)、おとし(宏川光子)とチェーサーで歌う「二人の心さえ  "Life is a Song"(1935)」やエノケンとのミンストレル・ショー、キャバレーでお雪(高清子)と歌う「うぶな二人のように  "I've got a Feelin' You're Foolin'"(1935)」と、聴きどころがたくさんあります。二村の役どころも付け足し的なものではなく、主役の江木三郎=おとしカップルと別の人生を歩むさまが織り込まれ、エノケンが富豪の実家に帰られるようにする橋渡しをつとめます。

「どんぐり頓兵衛」では香具師エノケンの乾分・団九郎、「江戸っ子三太」は三太(エノケン)の兄貴分・清吉で、いい声で唄は歌いますが、むしろキャラとして 引き立っています。おおむねこの頃、二村定一エノケン一座で演出を手掛けるなど、演劇志向を見せていました。そんなことが唄だけでなく演技でも…という映画での立ち位置に影響しているのかもしれません。「ちゃっきり金太」はずたずたにカットされた総集編で、二村の出番も僅かに飴屋の三次=実は徳川方のスパイとして飴売りの唄をちょこっと歌うほかは、金太を自室に匿ったり終わりへんにチャンバラを演じたりしています。重いのか軽いのかよく分からない役どころですが、この映画が撮影された昭和12年にはエノケンとの確執が公然となっており、主役のエノケンとの距離感が役どころにも反映されているように思えます。

昭和12年10月に二村定一榎本健一一座を脱退して小林千代子の一座「プレイ・ボックス」に加入しますが、翌13年6月にエノケンの許に復座します。これは、榎本健一一座が松竹から東宝へ移籍したタイミングでもありました。そうして撮られたのが「エノケンのびっくり人生」「エノケンのがっちり時代」で、落ち目の売れっ子俳優の役です。現実の二村定一が反映しているかのような嫌味な役柄で、ここでの二村はかつてのようなエノケンと和気あいあいな間柄ではなく憎まれ役です。それでも「別れのブルース」やミュージカルのナンバーが聴かれるので貴重。この二本が封切られた昭和13,14年には二村はもうレコードを吹き込んでいません。

二村の最後の出演作は「エノケンの彌次喜多」です。前の映画からこの時(昭和14年)までに二村定一は「笑の王国」や「松竹楽劇団」の引き抜き工作で揺れ動いており、一座での重要度もガタ落ちに落ちていました。「彌次喜多」では二村はもう自慢の喉を聴かせるシーンすら殆どなく、しかも途中で旅をばっくれてしまいます。如何なる事情があったのか分かりませんが、エノケン・フタムラと人気を謳われたコンビの結末は銀幕上では淋しい幕切れとなったのでした。昭和15年、二村定一はいくつかの仕事を榎本健一と共演してふたたび関係を絶ちます。戦後の昭和23年、榎本健一満洲から帰った二村定一を一座に迎え入れますが、その翌年、二村は48歳で亡くなりました。

 

8日の「浅草オペラ100年と二村定一リスペクト・ショー」をどうぞお楽しみに!

 

春のぐらもくらぶ祭り2016 『浅草オペラ100年と二村定一リスペクト・ショー』

場所:両国・江戸東京博物館ホール(JR・大江戸線両国駅下車・東京都墨田区横網1-4-1
開催日:5月8日(日曜日)
開場:14時00分
開演:14時30分
入場料:前売り2.000円、当日2.500円

★前売り券はチケット・ぴあにて好評発売中!!!
Pコード:292760・興行コード:1611812
http://ticket.pia.jp/pia/event.ds?eventCd=1611812

主催:ぐらもくらぶ/協賛:活動写真実演会・メタカンパニー・えにし書房
<お問い合わせ>
メール:gramoclub78@gmail.com
電話:03-5273-2821(メタカンパニー内)
オフィシャルサイト:http://d.hatena.ne.jp/polyfar/